注目を集める「伝統芸能」の楽しみ方を作家・岩下尚史に聞く

歌舞伎、能、狂言などの「伝統芸能」に対して、近年、人々の関心が高まっている。2013年にリニューアルした歌舞伎座には、当初の予想を20万人も上回る年間130万人あまりの人々が押し寄せており、東京を中心に伝統芸能の魅力を紹介するイベントも以前に比べて格段に増加している。かつては「古くさいもの」として冷淡な扱いを受けてきた伝統芸能だが、ここに来て、その面白さにようやく多くの人が気づきはじめたようだ。

2013年より、作家の岩下尚史によって開催されている『花方』は、そうした芸能のゆくえに関心を寄せる人たちに、次代を担うべき清々しい継承者を紹介するシリーズ。当代一の芸の目利きであり、かつては新橋演舞場に勤務しながら伝統芸能を見続けてきた岩下は、スパイラルホールを自らの座敷に見立て、若手の芸能者たちによる実技とトークセッションによって、「芸」による充実した会の成功を目指しているのだ。

ところが今回、そんな岩下に話を聞いたところ、いわゆる「伝統芸能」に対する世間からの好意的なイメージに対して、違和感を感じることも多いと言う。それは一体どういうことなのだろうか? 岩下が捉える伝統芸能の「実状」を語ってもらった。

昔のインテリは、伝統芸能は「封建的」だと悪口を言ってたのに、いまでは逆に褒めるようになりました(笑)。

―CINRA.NETでも、伝統芸能を取材した記事の人気は高く、若い人たちを中心に興味の高まりを肌で感じています。岩下さんとしては、このような状況をどのように感じていますか?

岩下:たしかに公演の数は増えたようですね。この10年ほど前から新聞やテレビが、急に「伝統文化」「伝統芸能」と取り上げだして、世間一般も好意的な態度を取りはじめたような気がします。昭和の頃は負の印象が強かったですからね。

―そうだったんですか?

岩下:敗戦によって進歩的な文化人が、伝統的なものはすべて「封建的」だと決め付けたんですね。いまはブームにもなっていますが、それまでは「歌舞伎なぞ無学な衆愚の慰みにすぎない」というのが、知識人たちの認識だったと思います。

―そこまで虐げられていたんですね。意外です。

岩下:それが、最近ではメディアもインテリたちも、いわゆる「伝統芸能」を文字や口の上では誉めるようになり、たとえば、文楽への助成金問題が話題になると、「国が保護するべきだ」なんて意見も出てくるほど(笑)。昔に比べたら、ずいぶん好意的になった気がします。もっとも、私などは「伝統的」とされる物事に接するたびに「本当かな?」と怪しまずにはいられないのですが……(笑)。

岩下尚史
岩下尚史

―「伝統的」という枠組みすらも怪しいということでしょうか?

岩下:そもそも「伝統芸能」「伝統文化」と呼ばれる、茶道、華道、謠曲仕舞、琴三味線、日本舞踊などは、いずれも稽古を授けて得る指導料や家元制度によって支えられてきたんです。その家の芸を伝承するには、まずは継承する者の生活が成り立つようにしなければならない。だからこそ「封建的」だと戦後に批判されようとも、昭和30年代から40年代までは「花嫁修業」の名のもとに、「お稽古ごと」として繁盛していました。それが平成になって以降は激減したんです。

―「伝統芸能」の世間的なイメージはどんどん変化している?

岩下:最近はメディアにも注目されていますが、実際には、いまでも伝統芸能に興味を持っている人は、まだまだ世の中の1パーセントくらいかもしれませんね(笑)。たとえば、歌舞伎座のお客さんの層は広がったとは思いますが、生まれてはじめて歌舞伎を観る人が圧倒的に多いですし、1回観たらそれで終わりだという人も多いかもしれません。ファンになって何回も観に来るような人は、全体から見たらわずかかもしれませんね。

―まだまだ、伝統芸能が、かつてのように身近になっている状況ではないんですね。

岩下:もともと伝統芸能っていうものは、民衆とは縁の薄いものだったんですよね。歌舞伎は「江戸の庶民のもの」という表現も、あれはなんとなく印象操作の気味がありますね。

『花方』~第一章「星逢いの宴」公演の様子 撮影:岡本隆史
『花方』~第一章「星逢いの宴」公演の様子 撮影:岡本隆史

―え、そうなんですか?

岩下:その歴史を振り返っても、そもそも歌舞伎は「贅沢品」だったんですね。もちろん身分に関係なく観られる点では、江戸時代から大衆芸能でしたが、もともとは金がかかるものだったんです。安い席も一部ありましたが、芝居茶屋を通して見物するのは、御殿女中や旗本、それに町人と称される表通りに大きな店を構えるような金持ち、その取巻きである花街の芸者などが中心でした。金も暇もない庶民は、江戸三座(幕府から認められた中村座・市村座・森田座による歌舞伎)には縁がなく、寺社の境内で小屋掛けの芝居を観に行くか、寄席で噺家が見てきたように話す内容から想像して、役者の顔などは錦絵で眺めるほかはなかったでしょう。

―歌舞伎といえば、江戸の町人文化というイメージだったんですが、大きな誤解だったんですね……。

岩下:そもそも町人という階級は家持ちの有産者であり、いわゆる庶民ではなかったんですよ。そういった庶民的なイメージは、昭和20、30年代の時代劇映画によって作られた「幻想」だと思います。ちょうどその頃から、歌舞伎座が、バスで乗り付けてくる団体客を受け入れるようになり、本当の意味での歌舞伎の大衆化がはじまります。その昔、江戸時代の武士階級が滅びてからは、歌舞伎の観客の主流は花街の女性が中心で、あとは金と暇のある有産階級の夫人令嬢でしたが、この昭和30年代を機にいろいろな人が団体客の一員として、歌舞伎を観に行くようになっていきます。

私、恋愛以外の視点で物事を見たことがないんですよ。

―昭和30年代を境に、歌舞伎の大衆化が起こったことによって、芝居の見方も変わってくるのでしょうか?

岩下:歌舞伎も新派劇(歌舞伎をベースに明治期にはじまった、同時代の人々の哀歓を演じた劇)も、昔でいうところの芝居は「芸」を観ていたんです。テーマでもストーリーでも、思想を喧伝するものでもなく、ひいきの役者の芸を観るのが、昔の芝居の見方でした。しかし、敗戦後に新劇(明治末期に欧米から持ち込まれた近代劇)が演劇の主流となり、さらにアンチテーゼとしてのアングラ演劇などが隆盛してくると、伝統芸能の世界でも、取り残されまいと新奇な試みに憂身をやつす一派もあらわれはじめました。

『花方』~序章「花の宴」公演の様子 撮影:岡本隆史
『花方』~序章「花の宴」公演の様子 撮影:岡本隆史

―「芸」より「作品」を観るようになったわけですね。そのような変化はなぜ起こったのでしょうか?

岩下:それは、観客の多くが声曲舞踊の「稽古事」をしなくなってしまったからだと思います。長唄、浄瑠璃、鳴り物、舞踊、茶の湯に至るまで、広く浅くでも稽古した人じゃないと芸の本当のところまではわからないと私は思うんです。昭和までは、歌舞伎のお客さんの多くは、芸事の世界を知る花柳界の芸者でした。けれども、次第に客層も世代が替わってくると、特に平成以降は、「稽古事」をしない人が劇場に足を運ぶことが多くなりました。つまり「芸」のなにを見たらいいか知らないので、新劇のように、作品の主題や登場人物の性格を分析して観る人たちが増えてきたわけです。「役者」より「歌舞伎」を見るようになったように思いますね。

―私もよく演劇を観にいくことがありますが、当然そういうふうに観るものだと思っていました。

岩下:現代演劇は当然そうだと思います。でも、歌舞伎の場合は、江戸時代から明治にかけて書かれた台本がほとんどですから、現代人の考え方では理解しきれない部分もじつは多いんですね。ただ、いまでは熱心な観客ほど、あらかじめ解説を読んで、勉強してから観る人が増えている気がします。役者を観ても、芸そのものを観るのではなく、頭で分析して、解釈して、納得しようとするんです。だから、役者のほうでも表情豊かに説明的な演技をすることが多くなったような気がしています。

『花方』~第一章「星逢いの宴」公演の様子 トークセッションで司会をする、岩下尚史、八嶋智人、 撮影:岡本隆史
『花方』~第一章「星逢いの宴」公演の様子 トークセッションで司会をする、岩下尚史、八嶋智人、 撮影:岡本隆史

―身体全体を使った「芸」よりも、解釈しやすい「表情」に重きが置かれるようになり、演技の質まで変わってしまったんですね。ただ、観客として芸の妙味を味わうためには、熟練を積まなければなりません。伝統芸能を楽しむことは、やはり初心者には難しいものなのでしょうか?

岩下:必ずしもそうではありませんよ。私は子どもの頃から芝居を観ていますが、そのときは、芸の詳しいことなんてよくわかりませんよね。私の場合は、ただ、ある名優が好きで通っていたら、その魂みたいなものが身体の内に入ってくるような感じ、あるいはこちらがその心のなかに入ってしまうように感じるときがあったんです。そうすると「この芸の境地に至るまでに、どのような修業を積んだのだろう? さまざまな思いが見事な芸の糧になったに違いない……」という、共感の気持ちが子どもながらに芽生えてくるんですよ。

―役者の演技に入り込んで感じることで、その思いや人生までが伝わってくるんですね。

岩下:芸の本質は「技」ではなく「人格」であり、その流儀に伝わる「魂」なんです。皆さん、芝居を観て「あの役者は上手い」とかおっしゃるでしょう? でも、芸は上手い下手じゃなくて、演じる人の生き方によるんです。だから、稚拙でもいい芸はあるし、達者でもイヤな芸がある。

『花方』~第一章「星逢いの宴」公演の様子 撮影:岡本隆史
『花方』~第一章「星逢いの宴」公演の様子 撮影:岡本隆史

―岩下さんのように、あたかも役者に憑依するような芸の見方は、芸術作品を「鑑賞する」という態度とはまるっきり異なっていますね。

岩下:そうかも知れませんね。私は能でも歌舞伎でも、いわゆる鑑賞芸術として舞台を観ることはできないのです。なけなしの頭で分析して解釈をして納得する暇もありませんし、なんだか、水臭い気がします。

―岩下さんにとっては、「全身全霊で役者に入り込む」ことが、芸を観ることなんですね。

岩下:はい。私、なんであれ「色ごと」以外の視点でモノを見たことがないんですよ(笑)。

―えっ?

岩下:恋するときのようにしか、物事の見方を知らないんです。惚れるか惚れないか、あとは憎らしいか恨めしいか(笑)。私はどんな貧乏をしても、芝居を観に行くときには一等席の真ん中でしか見物しません。だって、劇場は鑑賞するために行くんじゃなくて、惚れた役者に来たことを見てもらうための場所なんですから!

―まるでAKB48のファンの発言のようです(笑)。

岩下:恋することにいまむかしの区別はありません。私は幼い頃から、能でも歌舞伎でも、知識を得るためとか、他人に自慢したいからとか、そんな下らない理由で観たことは一度もないんです。ましてや当時は歌舞伎など、だらしないものというのが、堅気な家の認識でしたから。小学生の頃から親の目を盗んではひいきの役者たちに逢いたくて、やむにやまれず劇場に通ったものです。まあ、そういったところでは、AKB48のファンの方々と似ているかも知れませんね。

若い継承者の成長を見ながら自分も年月を重ねることは、後々の人生に深い喜びをもたらすはずです。

―3回目を迎える『スパイラル芸能の宴『花方』』では、今回、歌舞伎俳優の片岡千之助が踊る「清元『玉屋』」とともに、新橋芸者による舞踊が上演されます。「フジヤマ・ゲイシャ」と言われるように、日本文化の代表格と見られている芸者ですが、実際に芸者の芸を見たことがある人は、能や歌舞伎以上に少ないですよね。

岩下:いまでは、花柳界も衰退してしまい、当人たちですら芸者という職業の実態がよくわからなくなっていて、三味線を弾いて歌っているのが芸者だと思っている人がほとんどです。一般の人々も、テレビや芝居のなかでは見たことはあっても、実際に芸者を見たことがある人は少数でしょうね。

左から:喜美弥、きみ鶴、寿々女
左から:喜美弥、きみ鶴、寿々女

―今回の『花方』に出演するのは、まさにいま新橋で活躍する芸者たちです。いったい、彼女たちの芸にはどんな特徴があるのでしょうか?

岩下:新橋は、明治以降、政府の高官や財界人が社交場として利用していたため、日本を代表する一流の花街として現在に至ります。また、明治半ばから芸の奨励策を用いて、稽古に熱心な土地でした。大正14年に創設された新橋演舞場は、その象徴的な事業であり、これが実を結び、昭和30年代には新橋芸者から二人の人間国宝が誕生しています。

―新橋の花柳界は芸に対して高いプライドを持っていたんですね。

岩下:ただ、芸に力を入れすぎたせいで、芸者は踊って唄うものという印象が強くなりすぎた気味もあります。その本来の仕事は、宴の主催者を助けて、招待客の心を和ませるように進行することにあります。そうした客の機嫌を取り持つための手段として、唄三味線と踊りがあるわけで、芸者にとって一番大切なのは、場の寸法を読むこと、機転を利かした会話の心得でしょうね。

『花方』~序章「花の宴」公演の様子 撮影:岡本隆史
『花方』~序章「花の宴」公演の様子 撮影:岡本隆史

―なるほど。さらに『花方』では、名人と呼ばれるベテランではなく、若手の芸能者たちを積極的に起用しています。どうして「名人芸」ではなく、若い芸に焦点を当てているのでしょうか?

岩下:伝統芸能が古臭いものに思われていた昭和の頃までは、その家に生まれても反抗したり、他の職業に就く若者も少なくありませんでした。しかし最近の若い人たちは、当たり前のように家を継ぐようなのです。だから、そういう人たちを呼んで、「どういうつもりで継いだの?」「こんな大変な状況なのにどうしたいの?」ということを聞きたい。その覚悟のほどを聞いて、皆さんにご紹介することで、及ばずながら、応援したいと思いまして。

左から:片岡千之助、清元昂洋、清元一太夫
左から:片岡千之助、清元昂洋、清元一太夫

―スパイラルホールに足を運ぶ観客のほとんどは、伝統芸能をはじめて観るような若い人々だと思います。今回の『花方』を見て、なにを感じてほしいですか?

岩下:『花方』では、スパイラルホールを「青山亭」という座敷に見立て、実際の芸をご覧に入れます。もし若い継承者の芸に、好ましいものをお感じになりましたら、どうぞ、(片岡)千之助さんの出演する歌舞伎芝居へもお出掛け下さい。そして、清元昴洋さんや一太夫さんに就いて、お稽古をなさってみて下さい。また、新橋のお茶屋へお上がりになり、三人の芸者衆を呼んであげて下さい。こうした応援の一つひとつが、芸を後世に伝えることにつながります。

―助成金ではなく、生きた文化として「伝統芸能」を後に伝えていけるわけですね。

岩下:先ほど、芸の本質は人格だと申しましたが、若い継承者の成長を見ながら自分も年月を重ねることは、後々の人生に深い喜びをもたらすはずです。私はそのご紹介役として、俳優の八嶋智人さんと一緒に、青山亭の宴を催し、皆さんに楽しんでいただきたいと思っております。

―わかりました。今日は日本の芸能を考える上で、とても意義深いお話が聞けました。

岩下:こんな歳になっても、伝承芸能の世界に対する権力も影響力もない私ですが(笑)、スパイラルホールさんのご厚意で、このような機会をいただいたわけですから、楽しんでもらえる、そして色気のある宴を開きたいと思います。

―いやいや、岩下さんのような存在が、日本の芸能を変えると思います! どうもありがとうございました。

イベント情報
『スパイラル芸能の宴2016「花方」~第二章「若松の宴」』

2016年4月29日(金・祝)16:30開演(開場は開演の30分前)
会場:東京都 表参道 スパイラルホール

第1部
清元『玉屋』

立方:片岡千之助
浄瑠璃:清元一太夫、清元國恵太夫
三味線:清元昂洋、清元美十郎

トークセッション
出演:
片岡千之助
清元昂洋
清元一太夫
進行:八嶋智人
聞き手:岩下尚史

第2部
東をどり『東風流彩色見本』

立方:喜美弥、きみ鶴、寿々女
演奏:多賀子、照代、由良子

トークセッション
出演:
喜美弥
きみ鶴
寿々女
多賀子
照代
由良子
進行:八嶋智人
聞き手:岩下尚史

料金:前売3,500円

プロフィール
岩下尚史
岩下尚史 (いわした ひさふみ)

作家。國學院大學客員教授。新橋演舞場株式会社在職中、企画室長として劇場創設の母体である新橋花柳界主催「東をどり」の制作に携わる。2007年処女作『芸者論』で新人としては異例の第20回『和辻哲郎文化賞』を受賞。これを機に、本格的な作家としての活動を開始。三島由紀夫にまつわる実話をモチーフに書き下ろした小説『見出された恋』『ヒタメン』など話題作を発表している。また、日本人の古典的な暮らしや伝承芸能についての実態に基づいた識見が注目され、講演会のみならず、テレビ番組の出演など様々な場で活躍をしている。



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