NYはアーティストが堂々と生きられる街 織晴美が語る

1999年からニューヨークで活動するアーティスト・織晴美。日常の一瞬の光景を写真のように切り取り、工業用メッシュを用いて半立体的に表現する彼女の作品は、その場に偶然居合わせた人々のつながりや出会いを祝福するような意味合いを持っている。実際に、2001年のアメリカ同時多発テロが起きた後、ニューヨークの知人から、それまでとは作品を見る目が変わったという声もあがったという。

東京に生まれた彼女は、なぜニューヨークを生活と制作の場に選んだのだろうか? そこには作品コンセプトとも共鳴する、ある理由があった。今回、新宿ルミネが主催する『LUMINE meets ART AWARD 2016』でグランプリを受賞したことを機に、同じくニューヨークを拠点に同ワードを監修する戸塚憲太郎(hpgrp GALLERYディレクター)と共に、話を聞いた。

ニューヨークではアーティストが職業として認められているから、変に卑屈になる理由がない。(戸塚)

―海外にもアートスクールがたくさんありますが、織さんがニューヨークを活動拠点に選んだ理由はなんだったんでしょう?

:もともと小さい頃アメリカに住んでいて、ポジティブなイメージがあったんです。父が大学教授だったので、私はキャンパスタウンで育ちました。学生たちが盛んに議論を交わすようなオープンな雰囲気に常に触れていたこともあって、もういちどその場所に住んで、制作に打ち込みたいと思ったんです。

織晴美
織晴美

―アメリカで過ごした印象が記憶のなかに残っていたんですね。

:学校そのものは「大満足!」とは言えなかったんですが(苦笑)、ニューヨークを選んだことは正解でしたね。助成金の制度もたくさんあるし、たとえばアートハンドラー(アートの梱包や輸送、設営に携わる人)のようなものも含めて、アーティストが働きやすい仕事も多くあって、私もクイーンズにあるイサム・ノグチ美術館のエデュケーターの仕事をしています。

それと何よりも制作に集中できる環境が整っていることが素晴らしい。アーティストの友人たちがごく近所に住んでいて、コミュニティーが作りやすいけれど、みんないい意味での個人主義者なので、私が何をやっていても干渉してこない。日本だと、どうしても制作以外のいろいろなしがらみが多くて、集中力が削がれてしまうんですよね。

開放感のある織のアトリエ
開放感のある織のアトリエ

戸塚:僕も去年の2月からニューヨークに住んでいて、都合10年間くらいここで生活しているんですが、誰が何をやっていても構わない自由がありますね。悪く言えばみんな自分勝手で協調性がないとも言えますが(苦笑)、そういう環境だからこそアートが発展してきたんでしょうね。

ですから、日本のアートとニューヨークのアートっていうのは、根本的に違うものかなあ、とちょっと思ったりもします。日本のアートに対する認識って、インテリアの延長だとか、エンターテイメントの一種、という印象が強い。そして、それをやっている人は趣味か道楽か学生みたいな感じで、他の社会人はまともに取り合ってくれない感じじゃないですか。

―浮世離れしたことやってるね、みたいな。

戸塚:そういう風に認識されていることをアーティスト自身もわかっているから、どうしても堂々とできないというか。でもニューヨークであれば、たとえ作品で食えていなくても、堂々と「俺はアーティストなんだ!」と胸を張って生きていける。アーティストが職業として認められているから、変に卑屈になる理由がない。

戸塚がディレクターを務めるhpgrp GALLERY NEW YORKの様子
戸塚がディレクターを務めるhpgrp GALLERY NEW YORKの様子

これまでアートに興味を持ってこなかった人たちに、アートって面白い、と感じてほしいんです。(織)

:本当に普通の人が作品を買ってくれる環境なのもよいですよね。私、普通の人に作品を見てもらうのが好きなんです。それを最初に強く感じたのが、ニューヨークでの最初の展覧会。クイーンズ美術館のブルボワ館というスペースで、近所に聾話者の学校があったんです。その子どもたちが私のショーを見に来てくれて、先生に「このアーティストに来てもらって、同じ作品を作りたい」と頼んでくれて、ワークショップをすることになりました。

当時はニューヨークの大学を卒業したばかりで、いろんな意味で不安いっぱいだったんですよ。ワークショップと言われても、私の英語力で話が通じるのか、聾話者とどうコミュニケーションすればいいのか、わからないことがたくさんあった。でも、いざ学校に行ってみると「僕たちは美術館に行くのが好きじゃなくてアートなんてつまらないと思っていたけれど、ハルミの作品はとても好きだ。まるで音が聴こえてくるみたいだ」と言ってくれて。

『LUMINE meets ART AWARD 2016』で展示されている織晴美の作品『I am Here @ Lumine, 10/14/2016, 7:34pm, Shinjuku, Tokyo Japan』
『LUMINE meets ART AWARD 2016』で展示されている織晴美の作品『I am Here @ Lumine, 10/14/2016, 7:34pm, Shinjuku, Tokyo Japan』(『LUMINE meets ART AWARD 2016』のサイトで見る

―子どもたちが能動的に関わろうとしてくれたんですね。

:みんなでバレーボールの試合のシーンをモチーフに作品を作ったりして、それが私にとっての大きな励みになりました。アートの知識を持たない子たちが「これが好き!」と言ってくれたことがすごく嬉しかったです。私は、これまでアートに興味を持ってこなかった人たちに、アートって面白い、原初の感覚に触れられるものなんじゃないか、と感じてほしいんです。

現代美術は専門的な解説書や美術評論を読むことでようやく理解できるもの、という感じにハードルを高くしすぎていると思います。それだけじゃなくて、「自分が好きだったらそれでいいんだよ!」っていうすごくシンプルなものであっていいはず。だから私はなるべく美しいものを作ろう、人の心に響くものを作ろうと思っているんです。ですから、美術館でもギャラリーでもなく、アートファンだけじゃなくて普通の人もやって来るルミネで展示をするのは楽しみなんです。

テロや民族対立が起こっている今、作品のメッシュから立ち上がる安全のイメージと、織さんの祝福の感覚は共通点を見出せる気がします。(戸塚)

―ニューヨーク在住の織さんが、『LUMINE meets ART AWARD 2016』に応募されたきっかけを教えてください。新宿とニューヨークではかなり距離がありますよね。

:たしかにそうですね。でも距離感はほとんど感じなかったんですよ。展示する場で作品を作る、というのが私のコンセプトなので、遠い場所に出向くのは魅力的な体験です。それに東京は育った場所なので、むしろやりやすいと思っています。

―オレンジ一色のレリーフのような作品を制作されていますね。

『LUMINE meets ART AWARD 2016』に受賞した後、制作に取り掛かった織晴美の作品
『LUMINE meets ART AWARD 2016』に受賞した後、制作に取り掛かった織晴美の作品

:工業用メッシュを素材にした、一種の彫刻なんですよ。もともと日本ではグラフィックデザイン専攻で、卒業後はデザイナーとして企業に就職したんです。でも、じつはずっと前から彫刻に興味があって、アーティストとしてその道を極めたかった。そこで仕事を辞めて、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツに入学して、そこから彫刻の勉強を本格的に始めました。

―彫刻と言いつつも、作品のイメージには街の風景を切り取った、写真のような感覚があります。

:はい。私がその場に行って撮影した写真を使って、立体化しています。この手法を始めたのは大学の卒業制作が最初なのですが、さらに遡ると、高校のときに知った詩人のまど・みちおさんの『ぼくがここに』という詩が原点です。

まどさんの詩のなかに、「どんなものが どんなところに いるときにも その『いること』こそが なににも まして すばらしいこと」という一節があります。すべての存在がそこにいるだけで完璧で、奇跡のように美しい。それを読んだときにすごく感動して、その世界観を自分のテーマにしようと決めました。

織のニューヨークのアトリエ。飾ってあるのは以前アトリエがあったローワーイーストサイドを舞台にした『I am Here 7/8/08 18:15 East Houston & Chrystie, Lower East Side, NY』という作品
織のニューヨークのアトリエ。飾ってあるのは以前アトリエがあったローワーイーストサイドを舞台にした『I am Here 7/8/08 18:15 East Houston & Chrystie, Lower East Side, NY』という作品

―展示作品のタイトルにも『I am Here』とありますから、影響はとても大きいのですね。

:はい。卒業制作では、通学路の景色の写真を毎日同じ時間に撮り続けて、作品の素材にしたんです。そのプロセスを続けることで、同じ場所であってもほんの1秒時間が変わるだけで、通る人が動いて、風が吹いて、まったく違う場所になることに気づきました。

そしてそれを彫刻にすることで、人や建物のあいだに現れるネガティブ(空白)の空間が、奇跡のように美しく際立つんです。それはまどさんが書いたことを証明していると同時に、あらゆる場所、あらゆる時間が祝福されているという感覚を喚起する経験でもありました。

―メッシュ素材はいつから使っていますか?

:ニューヨークの大学を卒業する直前からです。布や紙を使って、空間の彫刻化にチャレンジするんですが、どうしてもクラフトっぽくなってしまうことに悩んでいて。そんなときに、このメッシュに出会いました。

工事現場の安全網やスキー場の雪よけなんかに使われているもので、強度があり、自由に切ったり折ったりできる。これを縫って、折り紙のように人物や風景を作っていきます。メッシュ自体が半透明なので、レイヤーの重なりも視覚化できることもポイントで、前後にいる人たちの関係も伝わります。

『LUMINE meets ART AWARD 2016』で展示されている作品の制作風景
『LUMINE meets ART AWARD 2016』で展示されている作品の制作風景

 
 

織晴美『I am Here @ Lumine, 10/14/2016, 7:34pm, Shinjuku, Tokyo Japan』
織晴美『I am Here @ Lumine, 10/14/2016, 7:34pm, Shinjuku, Tokyo Japan』

戸塚:僕自身も学生時代に工芸と彫刻を学んでいて、いろんな素材を探した経験があるので、織さんの発見の喜びがよくわかります。正直に言うと、僕が若い頃にメッシュ素材を発見したかった(笑)。これって、実際にレスキュー現場などでも使われているセキュリティーメッシュと呼ばれるものですよね?

:そうですね。

戸塚:テロや民族対立が起こっている今、このセキュリティーメッシュから立ち上がる安全のイメージと、織さんの祝福の感覚は共通点を見出せる気がします。色と質感、そのすべてが現代性をまとっている。

左から:戸塚憲太郎、織晴美
左から:戸塚憲太郎、織晴美

:メッシュを発見したばかりの頃は、赤と白の2色を使っていたんです。結婚式や神社で使われる紅白はお祝い事の象徴ですから、「祝福された色」のイメージが強くあったんですね。

ただ数年前に赤が重く感じられるようになって、現在のオレンジ一色に変えたんです。そのときにこの色が「セーフティオレンジ」という名称だということをはじめて知りました。ニューヨークの工事現場で働く人のベストもこの目立つ蛍光色なんですよ。戸塚さんの言う「安全」と「祝福」のつながりはこれまで考えたことがありませんでしたが、嬉しい指摘です。

9.11のときは、知らない者同士がまるで運命共同体のような関係が結ばれたんです。(織)

―先ほど『I am Here』というタイトルがまど・みちおさんの詩からインスパイアされているとおっしゃっていましたが、織さんの生まれ育ちも関係しているのかと推測していたんですね。というのも、織さんは幼少時にマレーシアなどでも暮らしていますよね。多様な文化環境のなかで、ご自身のアイデンティティーについて考える機会が多かったのではないでしょうか?

:じつは私は、けっこうアイデンティティーの感覚が薄い人なんですよ。すごく汚いところでも平気だし、逆にすごく高級なところで緊張もしない。場所に対する思い入れがないんです。

ただ作品のテーマが、ある瞬間の交わりであるように、ある空間・時間に生じる関係性は大事にしていて、偶然居合わせた人たちと関係が作られる瞬間にすごく感動するんです。「まったく知らないあなただけど、一緒にその場の空気を作っていたんだね」ってことに、感謝の感情を覚えます。

2001年に9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きた後に、私の作品を継続して見てくれた人から「9.11以降、作品を見る目が変わった。ハルミのテーマをちょっと違う風に捉えるようになった」って言われてハッとしたんですね。

―テロがあって、ある種のつながりに対する祝福の感覚が人々のあいだに生じたのかもしれないですね。

:日常だと思っていた当たり前のことが当たり前じゃなくなっちゃう瞬間を経て、それまでの平和の素晴らしさを思い起こしたんだと思います。9.11の経験は、日常が非日常になる時間でした。

私が学校から帰って来ると、電車もバスも信号も全部止まってしまっていた。そこでみんなが助け合うんです。車が動かせる人は困っている人を同乗して家に送って行ってくれたり、止まった信号のかわりに交通整理をする人が自然に現れたり。ニューヨークの街にボランティア精神が溢れていた。そうやって、知らない者同士がまるで運命共同体のような関係が結ばれたんです。

―日本人も、特に2011年の東日本大震災以降、各地で起こる大きな災害のたびにその感覚を共有できるようになった気がします。

:きっとそうですよね。

トランプ政権の時代になったとしても、ニューヨークは街の独立性を保つだけの自信と自負がある。(戸塚)

―今のニューヨークについてはいかがでしょう。つい先日大統領選が終わって、ドナルド・トランプが次期大統領に決まりました。特にニューヨークではその結果に落胆する声が多かったと聞きますが、現在はどんな状況になっていますか?

:アーティストの友人が多いので、もちろんみんなトランプ大っ嫌い、(民主党の)バーニー・サンダースに大統領になってほしかった、って感じが大半ですね。それと、まさか本当にトランプが当選するとは思ってなくて、みんなどこかで安心しきっていました。同時に、こういう結果を招いたのは、アメリカの怖いところなんだろうとも思いますが。

でも、2001年にジョージ・W・ブッシュが大統領になったときもこの世の終わりだとみんな落ち込んだけれど、それでもなんとか乗り切りましたからね。とにかくトランプのことを考えるのは不愉快だからポジティブに考えています(笑)。

織晴美

戸塚:ニューヨークって、いつ来ても強い街だなと感じます。もちろんアメリカのなかの一都市でしかないのだけど、トランプ政権の時代になったとしてもニューヨークは街の独立性を保つだけの自信と自負がある。

大統領選直後は、みんなすごくエモーショナルに反応して、街全体が落ち込んでいたけれど、その感じもだいぶ落ち着いています。今はクリスマスムード一色(取材は12月下旬に行なわれた)で、店は人で溢れかえっていて。ものすごく景気もいい。ビジネスでもアートでも、ニューヨークの活況は変わらず、世界をリードしていくと思います。

―お二人が不安を払うための頼りにしているものってありますか? 例えばニューヨークが守ってきた多様性。あるいは個人主義だとか。

戸塚:(声を揃えて)それはありますね。

戸塚:ニューヨークにはトランプが所有するトランプ・タワーがたくさんあるので、ニューヨークもトランプのものになってしまった、みたいなイメージがあるかもしれません。でも、彼はアメリカの大統領になっただけで、ニューヨークの州知事や市長になったわけでもない。

当選後すぐに、ニューヨーク州知事が「ニューヨークは多様性の街だ。政府がビザを持たない不法移民を追い払えと言っても、ニューヨークは不法移民の生活も守る。同性婚も認める。多様性がニューヨークを作ってきたのだから」という声明を出しています。他の州からも同様の声明が出ましたが、この反応の早さがさすがだと思います。

:それこそアメリカの大人なところですよね。日本だったら政治家の顔色を窺って、はっきり発言することもできないけれど、アメリカには自分の心が動いたなら正しいことをする政治家が少なからずいる。

戸塚:だからトランプが大統領になったってことよりも、多様性や個人の声が出てきづらい日本の雰囲気には危機的なものがあると感じます。

:さっき、ニューヨークにはアーティストが胸を張って堂々と生きられるポジティブさがあるっておっしゃったじゃないですか。それは、アーティストだけじゃなくて市民全員が共有しているものだと思うんですよね。そういう街に住めていることが、私の幸せですね。

イベント情報
『LUMINE meets ART AWARD 2016』作品展示

2017年1月10日(火)~2月1日(水)
会場:東京都 ルミネ新宿、ルミネエスト新宿
主催:株式会社ルミネ
協力:アッシュ・ぺー・フランス株式会社 / hpgrp GALLERY TOKYO

アワード情報
『LUMINE meets ART AWARD 2016』

2013年から新宿ルミネが主催し、若手アーティストの発掘と支援を目指し、館内に展示するアート作品を公募するアートアワード。2016年は、「エレベーター部門」「ウィンドウ部門」「インスタレーション部門」「映像部門」など施設内の特徴を活かした4部門が設定され、応募総数480点の中から6作品が選ばれた。2017年1月10日~2月1日の期間、ルミネ館内で展示中。

プロフィール
織晴美 (おり はるみ)

日本で生まれ、幼少時代を父の仕事のアメリカ、マレーシアで過ごし、日本と海外の文化を経験。日本で女子美術大学を卒業した後、広告代理店でグラフィックデザイナーとして働き、1999年にSchool of Visual Arts、NYに彫刻を学びに渡米。現在は、NYでイラストレーター、アーティストとして活動中。

戸塚憲太郎 (とつか けんたろう)

1974年札幌生まれ。1997年武蔵野美大卒業、2004年Stony Brook University (NY)にてStudio Art修了。同年アッシュ・ペー・フランス株式会社入社。同社が運営するファッション合同展示会roomsディレクターを経て、2007年に同社初のアート事業部を立ち上げ、hpgrp GALLERY TOKYOを開設。青参道アートフェア、LUMINE meets ART、NEW CITY ART FAIRなど、国内アート市場の活性や海外アートシーンへの参入など従来の形にとらわれない活動を展開。2016年よりhpgrp GALLERY NEW YORKディレクターを兼務し、現在NY在住。



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