小林克也だから語れる、ソロ活動30周年を迎えた桑田佳祐の魅力

昨年、桑田佳祐が還暦を迎えたことを機にスタートした、各界の著名人に「桑田佳祐」について語っていただく特別企画。約1年にわたって続いたこの企画の最後を飾るのは、桑田と30年以上もの付き合いがあり、仕事やプライベートでも交流のある小林克也。ラジオやテレビの人気DJとして、第一線で活躍し続けている彼は、桑田佳祐をどんなふうに見てきたのだろうか。

小林曰く、桑田は「日本人の洋楽コンプレックスを解放してくれた男」であり、「明治や大正の文豪に連なる人」でもあるという。デヴィッド・ボウイやボブ・ディランなど、桑田が敬愛するミュージシャンたちの活動も引き合いに出しながら、過去、現在、そして未来の桑田について存分に語ってもらった。

桑田くんは、なにをやっても、いい意味ではみ出しているんですよ。

―ソロ名義としては4年ぶりとなった、2016年末の年越しライブ(桑田佳祐が歌ってきた「夢」とは?大志や希望を表すだけでない)を小林さんもご覧になったとのことですが、どんな感想を持ちましたか?

小林:あのライブはすごかったですね。久しぶりに桑田くんのライブを観させてもらったけど、なによりもまず、声がますます出るようになっていることに驚きました。おそらく筋力トレーニングとかも、かなりやっているんじゃないかな。

余分な音が消えているんですよね。つまり、倍音と呼んだりするような音が整理されて、すっきりした感じになっている。だから、あれだけ大きな会場なのに、声がガンガン響きわたるんです。これはもう、あと20年ぐらいは、全然大丈夫でしょう(笑)。

小林克也
小林克也

―(笑)。ライブの内容については、いかがでしたか?

小林:僕はやっぱり、中盤の感じが特によかったですね。頭のほうでキャッチーな曲をやって、後半は盛り上がる曲をやっていたんだけど、僕は中盤がすごくよかった。「彼はこういう世界をちゃんと持っているんだよな」ってことを再確認したというか。

あと、相変わらず声に「アンちゃん」がいるんですよね。町のアンちゃんみたいなのが(笑)。そういう人間的なところに、僕はすごく反応しました。

―相変わらずお茶目というか、親しみやすさがありますよね。

小林:そうですね。この企画のバックナンバーをいろいろ拝見させてもらったんだけど、落語家の立川志の輔さんが、桑田くんのことを「化け物だ」と言っていたじゃないですか(落語家・立川志の輔が「化け物」と言った桑田佳祐のスター性とは)。

そうやって、桑田くんは、どんな言い方で表現しても、どんな無茶振りをしても、全部当てはまっちゃうところがあるんですよ。「化け物」って言ったら、確かに「化け物」じゃないですか(笑)。何年か前に、桑田佳祐を特集した『別冊カドカワ』という雑誌が出たとき、僕は「桑田は、日本人の洋楽奴隷を解放したリンカーン大統領だ」って書いたんです。それも相当な無茶振りだけど、確かにそういうところもあると思う。

その時代ごとの表現というのがあるけど、彼はそういうのに全部合ってしまうんですよね。志の輔さんが「化け物」と言っていたから、今、僕が改めて言うなら、なんだろうなって考えていて……それで出てきたのが、「はみ出し」という言葉だったんです。

小林克也

―「はみ出し」ですか?

小林:あの人は、なにをやっても、いい意味ではみ出しているんですよ。ひとつの歌のなかでも、なにかがはみ出しているというか。彼が新曲を出したとき、ファンはそれを「待ってました!」って楽しむけど、僕はそれと同時に「今回はどんな曲かな?」って、いろいろ分析するわけですよ。

“ヨシ子さん”だったら、「これはSimon & Garfunkelの影響もあるのかな?」とか「これは桑田くんの得意のフレージングだな」とか、そうやって聴くわけなんだけど、何度も聴いていると、そういう分析から必ずはみ出しているというか、分析を飛び越えているところが、彼の歌にはいつもあるんですよね。

桑田くんは音楽の才能とかの前に、物の見方そのものが、すごくフレキシブルで独特なんですよね。

―そうやってはみ出したアウトプットができる要因は、一体なんなのでしょう?

小林:彼の音楽を聴くのはもちろん、ときどき会って話したり、彼が書いたものを読んだりして、僕がいつも思うのは、やっぱり彼は物の捉え方自体が独特なんですよね。たとえば今、トランプ大統領の話がいろいろと騒がしいけど、「彼のことを桑田くんはどんなふうに見ているだろうか」とか、気になるわけです。「最近、EDMが流行っているけど、彼はEDMをどんなふうに見ているんだろうか?」とか、そういうことが知りたくなる。

彼は音楽の才能とかの前に、物の見方そのものが、すごくフレキシブルで独特なんですよね。おそらく彼は、子どもの頃から、パッと主観的に見ながら客観的にも見ることができるような能力が備わっている人なのだと思います。

―音楽的な才能はもちろん、そもそも物の見方が独特であると。

小林:そう。それは主観と客観ってことだけではなくて、近くからも遠くからも見ることができるんですよね。そうやって、ひとつの物事を、いろんな方向から捉えることのできる人だと思うんです。

しかも、それを結構、彼は楽しんでやっているところがある。それは音楽に限らず、世の中のこと――政治や経済から、世間を騒がせている恋愛沙汰まで、人間の活動全般を、彼は独特の目で楽しんでいるようなんだよね。

小林克也

―なるほど。

小林:それはクリエイターにとって必須の才能だと思うけど、彼はそういうものを、生まれたときから持っているんじゃないかな。だから、プライベートで話していても、いつも僕なんかが思いつかないことで喜んだりしているんですよ。たとえば、僕は女子プロレスに興味を持ったことなんてほとんどないんだけど、桑田くんはあるときに女子プロレスがすごく面白いとか言ったりするわけです。

それはやっぱり、僕なんかがわからないところまで、彼は人間を見ているということだと思うんですよ。普通の人にはわからないところまで見ているというか。

それは小説家とかも同じですよね。小説は、人間の描き方がダメだと、まったく面白くないじゃないですか。登場人物のことを生々しく伝えないと、読んでいるほうも興味を失ってしまう。そのためには、普通の人みたいに一面的な見方ではダメというか。彼のなかでは、そういうことがバランスよく行われているんじゃないかな。

本当のクリエイティブは、民主主義とかが関係のない世界なんですよね。

―確かに、桑田さんの歌詞を読むと、人間についてはもちろん、社会全般のことを幅広く見ているような印象を受けます。

小林:ただ、幅広いと言っても、学者みたいな感じではないんですよ。どっちかと言うと、カメレオンとかと同じで、魚眼みたいなものを持っていて、動くものに対してピュッと反応するというか。僕が言う「物の見方が違う」っていうのは、そういうことなんです。

小林克也

―物の見方という意味では、ソロの場合、サザン以上に自分の「見られ方」を意識しているように感じます。

小林:いや、「こうやると面白いんじゃないか」っていう、脚本家とか演出家みたいなことは、彼はあんまり考えてないと思う。僕ら普通の人間は、そういうことを考えなきゃいけないところがあるけど、彼の場合、彼自身の興味本位であるというか。だから、誰かが客観的に見て、「桑田さんがこういうのをやったら面白いんじゃないですか?」と言ったとしても、彼はあんまり乗ってこないと思うんだよ。つまり、自分が面白いと思わないと乗ってこないし、一度そう思ったら突き進む。

―あくまでも自分の興味を追究するというか。

小林:理想的なクリエイティブというのは、そうあるべきなんですよ。たとえば、映画の場合、監督の下に助監督をはじめいろんなスタッフがいるわけだけど、監督の言っていることが絶対で、まわりのスタッフは、それに従っていくわけじゃないですか。本当のクリエイティブはそういうものというか、民主主義とかが関係のない世界なんですよね。

小林克也

―けれども、結果的に、間違いなくファンを満足させるところに着地しますよね。

小林:そうですね。ただ、ちょっとビックリするときもあるよね(笑)。変な被り物でステージに出てきたりしてさ(笑)。だけど、そういうところからこれまでにない尖ったものが出てきたりするのが、桑田くんのすごいところなんだよね。

昔の文豪たちと同じ世界に入っているような感じが、彼の曲を聴くたびにしていたのね。

小林:あと、今の話で思い出したけど、僕がずっと不思議だと思っていたことが、ひとつあって。

―なんでしょう?

小林:“勝手にシンドバッド”(1978年、サザンオールスターズのデビュー曲)の頃から、僕は彼の歌詞を、すごく日本的だなって思っていたんです。たとえ英語で歌ったとしも、その描く風景とかが非常に日本的。もっと言うなら、昔の文豪たちと同じ世界に入っているような感じが、彼の曲を聴くたびにしていたのね。 で、それを知り合いの評論家に言ったら、「克也さんの言っていること、全然わからないよ」って言われたんです。桑田くんの曲は、洋楽の要素もいっぱい取り入れてるし、全然日本的じゃないですよって。で、確かにそうなんだけど……。

小林克也

―小林さんの言う、「文豪的」というのは?

小林:たとえば、“勝手にシンドバッド”は、よく見るとひとつの小説と同じような動きになっているんです。スーッと車が近づいてきて、<砂まじりの茅ヶ崎>から始まって、パッと自分の心の景色が見えてくる。それって、ちょっと「トンネルを抜けると雪国であった」っていう、川端康成の『雪国』みたいじゃないですか。

<胸さわぎの腰つき>っていうのは、小説だったら何ページにもわたって描写するところを、たったひと言で描写しているような気がして。彼の歌詞を見ていると、少ない言葉で、いろんなものが、すごく活き活きと描かれているんですよね。

で、そのあと突然<今何時>って言葉が出てくるけど、あれは映画や小説で、カットがパッと変わって、突然アップになったり、回想シーンになったりするような感じに近い。あの曲は、3分とか4分という短い時間のなかに、そういうものが、すごくたくさん入っているような気がするんだよね。

―一見すると唐突ですが、「カットが変わる」と考えると、いろいろ納得できますね。

小林:でしょ? あと、彼は、文学的な日本語のフレージングをよく使うじゃないですか。そこに僕は、明治とか大正とか、あの頃の文豪の世界と近いものを感じるんですよね。

ただ、バックの音楽は洋楽の要素が入っているから、ものすごく不思議な感じがあって。そういうことを言いたかったんだけど、その評論家にはわかってもらえなかった(笑)。だけど、その後、桑田くんは“声に出して歌いたい日本文学”(2009年、“君にサヨナラを”のカップリングに収録)という曲を作ったじゃないですか。

小林克也

―ああ、ありましたね!

小林:そこで彼は、中原中也から太宰治、与謝野晶子、芥川龍之介、小林多喜二まで、文豪たちの小説を、自分の声で歌い上げてみせたわけです。そのとき僕は、「ああ、ここまで桑田くんは辿り着いたのか」って思ったんだよね。そのときも、その評論家には、わかってもらえなかったけど(笑)。

―(笑)。

小林:そう、僕はハワイによく行くんですけど、そのときに知り合う現地在住の日本人が、みんなサザンをよく聴くんですよ。「ハワイはサザンが合うんですよ」って言うんだよね。ロスに住んでいる日本人も、同じようなことを言っていた。でも、僕にはその感覚が、正直彼らほどはわからなくて。

考えたんだけど、彼らは長いあいだ海外で生活をしていて、そこから生まれる望郷の念みたいなものを、サザンの音楽が助けているんだと思うんですよ。彼らが「合うね」っていうのは、その望郷の念を、サザンの音楽が景色のなかに溶かしてくれるからなんじゃないかなって。自分の心の風景と、今見てる風景がすごく合うというか。

そういう意味で、サザンの音楽っていうのは「演歌」だと思うんですよ。それは、いわゆる今の演歌みたいなものじゃなくて、その人が生まれ育った日本的ななにかを感じさせるという意味での「演歌」ね。それは桑田くんが持っている文豪的な部分が、そうさせているんじゃないかと思ったわけです……これはちょっと説明しづらいけど、是非わかってもらいところなんだよね。

人間、歳をとると、いろんなことがわかってくるものなんですよ。人生をリワインドしながら生きるようになるから。

―そんな桑田さんも昨年還暦を迎えられて……昨年の一連の活動などを見ていると、今、桑田さんは、非常にクリエイティブが高まっているように思います。それについては、いかがですか?

小林:そうですね。もうアルバムのレコーディングに入っているみたいだし。人間、歳をとると、いろんなことがわかってくるものなんですよ。人生をリワインド(巻き戻し)しながら生きるようになるから。

だから、桑田くんは今、40代のときとも50代のときとも違うところをいっていると思うんです。人間、若い頃っていうのは、いろんなことにどんどん突っ込んでいくし、冒険心でいろいろ発見していくわけですよね。で、歳をとると、そういうのが少なくなる代わりに、それまでやったことを振り返りながら、そのとき「なんでこうだったのか」っていうのがわかってくるようになるんです。

小林克也

―どういうことでしょう?

小林:たとえば、かつて闇雲に突っ走ってなにかを発見したことがあったとして……それは決して闇雲に走っていたわけではなかったと、気付くんです。桑田くんは今、そういう段階に入っていると思う。だから、これから出てくるものは、宣伝的には「新たなもの」って言われるだろうけど、それは若いときの「新たなもの」とは全然違う次元だったり、違う深さだったりすると思うんですよね。

―いろんなものの精度が高まっているというか。

小林:うん、そういうのもあるでしょう。精度が高まっていると言ったら、ギターなんて昔に比べたら、めちゃくちゃ上手くなってますから。そういう意味で、精度の進歩はあるだろうし、あとはやっぱり魂の面での精度ですよね。

僕は去年、デヴィッド・ボウイのことをたくさん考えていて、過去の作品を聴いたり、いろいろなものを読んだりしていたんです。彼の場合、後半ちょっと病気で活動が滞ることはあったけど、最後に『★』(2016年)というアルバムを作って……それは、単に創作として作ったのか、それとも自分がアーティストとして生きてきたことの責任として作ったのか、あるいは自分に正直に、やっぱりこれを作らなきゃいけないと思ったのだろうかとか……いろんなことを思うわけです。

桑田くんの場合は、実際に会って彼の歌についてしゃべったりすると、「いやいや、ただの歌ですよ」とか言うんだけど、僕は絶対に違うと思うんですよね。そういうことを直接口に出して言わないけど、そこにはやっぱり、長いキャリアを積んできた彼なりの大きな意味があると思うんです。

小林克也

―決して多くは語らないけれど、桑田さんなりの意味が積まれていると。

小林:それは、ボブ・ディランとかも同じですよね。彼は去年、ノーベル文学賞を獲ったりしたけど、それとは関係なく、彼は最近、自分が気に入った歌のカバーなんかをリリースしているわけです。それは単に自分が好きな曲をやっているだけではなく、それ以上の意味があると僕は思っていて。

それは、桑田くんも同じですよね。彼は去年、『THE ROOTS ~偉大なる歌謡曲に感謝~』を出したけど、あれは単なるカバー集ではなかった。ディランもそうだけど、普段オリジナルで勝負している人がカバーをやっていることには、やっぱり大きな意味があると思うんですよね。

―その名の通り、自らのルーツを振り返りながら、今の時代に改めて提示するというか。

小林:そう。ディランは昨年、音楽詩人としてノーベル賞を獲ったけど、僕は桑田くんがもらっていいと思ってる。

ディランは僕と同い歳なんですけど、自分のことを振り返っても、60歳を過ぎてからの10年って、ホントあっという間なんですよね。だから、その10年を、桑田くんはどんなことを考えながら過ごしていくのか。そこには責任というものもあるだろうし。彼の音楽を待っているファンっていうのは、もうホントに幅広い世代になってきているからね。そういう人たちに向けて、なにを見せていくのか、ものすごく楽しみです。

―これからの桑田さんの活動に、ますます期待していると。

小林:まあ、期待しないって言ったら嘘になるよね。ただ、期待を裏切ることも、すごく大切なんですよ。エンターテイメントの基本は、やっぱり意外性ですから。それは、小説でも映画でもなんでもそうですよね。いかに裏切るかの勝負。

だから、「これからの桑田くんに、なにを期待しますか?」って言われたら、いい意味で期待を裏切られることを期待しますっていう。ちょっと変な言い方だけど、やっぱりそういう言い方になってしまいますよね(笑)。

小林克也

プロフィール
小林克也 (こばやし かつや)

ラジオDJ、ナレーター、俳優、ミュージシャン。1941年3月27日生まれ。広島県福山市出身。慶応大学在学中よりコンサート司会、DJを始める。1976年から、ラジオ番組『スネークマンショー』を開始。現在は、『FUNKY FRIDAY』(NACK 5)、『ビートルズから始まる。』(BAY FM)、『ベストヒットUSA』(BS朝日)、『SmaSTATION!!』(テレビ朝日)のナレーションなどのレギュラー番組を務める。ミュージシャンとしては、「スネークマンショー」名義、「ザ・ナンバーワン・バンド」名義で、作品を発表。また、『うわさのファンキーフライデー』(辰巳出版)など著作も多く、幅広く活躍中。



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