注目の映像作家・山田健人が考える、映像表現の理想像とは

1960年代半ばから欧米を中心に広がった「エクスパンデッド・シネマ」。劇場におけるスクリーン上映という、それまでの映画を「拡張」した動向として知られる。今ではポピュラーなマルチプロジェクションなどの手法が実験的に取り込まれ、同時代のアヴァンギャルドな表現とも呼応しつつ、映像の可能性が押し広げられた。東京都写真美術館で開催中の『エクスパンデッド・シネマ再考』展では、この潮流について当時の日本のシーンと改めて出会い直し、映像メディア史を振り返ることで、その未来を探る映像展だ。

この展覧会に、平成生まれの映像作家dutch_tokyoこと山田健人が訪れた。Suchmosから宇多田ヒカルまで、注目のPVをいくつも手がけ、メンバーとして参加するバンド、yahyelではVJも務める。そんな彼が、自身の生まれる前の映像史をめぐる展覧会を体験。時代を超えて受け取った刺激や、共感するものについて語った。

標準的なフォーマットや制約にとらわれない、映像そのもののあり方を拡張するような作品、そこがすごく興味深い。

—「エクスパンデッド・シネマ」とは、広義には「従来の方法や形態にとらわれずに上映された映画」と言えそうです。そこでまずは、山田さんご自身のお仕事を通じて、映像表現の拡張について思うところを伺えますか?

山田:これまでの仕事はPVが多いのですが、これは本来、音楽だけで完成している作品に映像を加えるものだと考えています。VJとして参加しているyahyelでもそうで、「他の4人がステージで100%の演奏をしたとき、僕は映像でそれを120%にする」という感覚です。言いかえれば、映像で音楽を拡張するようなものかもしれません。

dutch_tokyoこと山田健人
dutch_tokyoこと山田健人

—音楽以外では、最果タヒさんの詩を元にした短編映像シリーズ『さいはてれび』への参加などもありましたね。

山田:『さいはてれび』も同様に、音楽でも詩でも、あくまで対象に最も適した表現を選択しようとしています。もちろんコラボレーションとして最大限に力を注ぎますが、「最終的には自分の作品ではない」くらいの感覚もあります。

でもだからこそ、そこには映像作家側のエゴがどうしても含まれることは忘れずにいたい。映像って、映るものに全て意味がついてしまうから、その責任はきちんと負うべきだと思っています。

—そんな山田さんの目に、この展覧会の作品群はどう映りましたか?

山田:今日見せて頂いた映像作品の多くは、当時の標準的なフォーマットや制約自体にとらわれない、映像そのもののあり方を拡張するような作品ですね。そこが、僕にとってはすごく興味深かったです。

—例をあげると、映写機2台を向き合わせた飯村隆彦さんの『デッド・ムーヴィー』や、マルチプロジェクションで映像を重ねた松本俊夫さんの『つぶれかかった右眼のために』などでしょうか。

飯村隆彦『デッド・ムーヴィー』展示風景 / 未現像フィルムをループ投影する映写機に、別の映写機で光を投影し、その影だけを映し出す作品
飯村隆彦『デッド・ムーヴィー』展示風景 / 未現像フィルムをループ投影する映写機に、別の映写機で光を投影し、その影だけを映し出す作品

飯村隆彦『デッド・ムーヴィー』の展示を見る山田健人
飯村隆彦『デッド・ムーヴィー』の展示を見る山田健人

山田:スライド投影機を何台も積み上げた360度の映像装置、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーの『シネマティック・イリュミネーション』も、映像だけでなくて、機材がどんな構造なのかと気になりました。今回はその制御を、当時は存在しなかったArduino(マイコンボードの一種)で再現しているというのも面白い。

シュウゾウ・アヅチ・ガリバー『シネマティック・イリュミネーション』展示風景
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー『シネマティック・イリュミネーション』展示風景

山田健人

山田:技術が進んだいま、似たような表現はより簡単に実現できるかもしれません。でも当時も「その手があったか!」という発想力が重要だったと思うし、僕も常に考えます。だからいま見ても新鮮で、独創性を感じました。

—山田さんもyahyelのライブでは、シンプルなアイデアで強い印象を残すVJ映像が印象的です。

山田:僕の場合は16:9という、いまポピュラーな比率の画面を基本に、なにができるかを考えることが多いです。最近よくやるのは、前半は画面の横幅を大きく削り、縦長の映像で進めていくもので、これは今年、『フジロック』のyahyelのライブでもやりました。アイデアひとつですべてが覆ることも色々あるから、お金や技術より、そういうところで勝負したい気持ちはあります。

yahyelやSuchmosのPVも、初期は超低予算で、照明、カメラ、機材調達までほぼ自分ひとりでやっていました。それでも人々に届く作品は作れたから、予算や時間が全てではないと思うんです。では「良いものってなんだろう?」という戦いを、常にしている感じです。

作品に時代ごとのコンセプトやメッセージがあるから、映像に奥行きを感じさせ、想像を駆り立てる。

—前述の松本俊夫さんは、記録映画の世界からお仕事をはじめ、アヴァンギャルドな方向に進み、さらに1970年の大阪万博でスペクタクルな大仕事を担うに至ります。山田さんとはまた違った活動の幅広さを感じます。

山田:松本さんの作品もそうですが、この展覧会の映像群には、すごくVJ的だと思える瞬間もありました。色使いなどもそうだし、映画というよりイメージの連続という感じ。それが格好いいし、勉強になりました。仮に文脈を無視してしまえば、現代のVJ映像がこの展示会場に混ざっていても違和感はないかなと思ったり(笑)。

松本俊夫『つぶれかかった右眼のために』 / マルチプロジェクションで映像を重ねた作品(本展示では複数の映像をデジタル統合して投影している)
松本俊夫『つぶれかかった右眼のために』 / マルチプロジェクションで映像を重ねた作品(本展示では複数の映像をデジタル統合して投影している)

山田健人

—この展覧会ではアヴァンギャルドな表現と同時に、当時の学生運動やヒッピー文化を捉えたシーンも登場します。その断片が渦巻く様は、作家たちからのメッセージが放たれているようでもあります。

山田:映像にも時代ごとのコンセプトやメッセージが常にあるんだな、と改めて感じました。そうした映像は、なにか奥行きを感じさせて、想像を駆り立てる。僕も表にこそはっきりは出しませんが、どの仕事でも自分なりのコンセプトは明確に設定しますし、撮る際もそれはすごく意識しています。

映像を作るのは、社会のためにアクションする手段。「届いてナンボ」というのは常に意識しています。

—新たな表現や潮流は、ジャンルを超えた自然発生的な協働から生まれることがよくありますね。この展覧会でも、「草月アートセンター」での実験的イベントや、オノ・ヨーコらも関わったという「VAN映画科学研究所」などの領域横断的グループが紹介され、舞台表現と融合させるべく生まれたアニメーションなどもありました。山田さんも、この自然に発生していく感覚は共鳴する部分があるのではないでしょうか?

山田:そうですね。映像作品は自分ひとりで作れるものではないことが多いし、言語レベルを超えて通じ合える者同士のコラボレーションは大切です。僕は高3くらいから同年代で音楽をやっている人たちと知り合って、まだ誰も有名ではなかったけど「自分たちと作品だけは信じる」みたいな感覚はありました。そしていま、例えばSuchmosのように世の中に広く届くようになった人たちもいる。

yahyelも元々学校の仲間で、たまたまそこに一緒にいたから、くらいの感じではじまりました。それが多くの人に認知してもらえるようになってきたのは、すごく幸福なことだと思います。

山田健人

—そうした動きから生まれた才能が、1970年当時、大阪万博のような大スペクタクルにおいて注目された流れもあります。

山田:そうなんですね。ただ、人々の心にどれだけ響いたか、ということと実際の動員数は単純にイコールではないだろうなと思います。なので展示を見ながら、それぞれの映像作品が当時どれだけの人にどのように受け入れられたのか、とても興味がわきました。

これは僕個人の価値観ですが、どんなに良いものを作っても、誰にも届かなければ意味がないと思う。僕が映像を作るのも、自分のためというより、社会のためにアクションする手段のつもりなので、「届いてナンボ」というのは常に意識しています。

会場内には当時の様子がわかる資料も豊富に展示される
会場内には当時の様子がわかる資料も豊富に展示される

当時のサイケデリック文化における「意識の拡張」と関わる映像作品や資料も
当時のサイケデリック文化における「意識の拡張」と関わる映像作品や資料も

いまの流れって、技術はすごくても心は置いていかれている映像が多いように感じます。

—今回展示している作品が生まれた1960年代前後は、いわゆる社会派の表現者も、そうでない人たちも、様々な形でつながっていた状況があるようで、現在とは少し違うかもしれません。

山田:社会的か商業的か、あるいはその二面性を併せ持つのか……、そういった考え方自体、自分にはあまりないかもしれません。でも、「自分がなすべきことがなにか」というのはすごく考えますね。例えば、マスとコアの両極端でありたいと意識しています。51対49くらいでコアに少しだけ寄っていたい、という感じです。

現状のyahyelは超コアだと思いますが、そのVJが実は宇多田ヒカルのPVも撮っているというのは、両極端でありつつ隣り合わせというか……。それによって、一方の聞き手が他方に関心を持ってくれることも起こると思いますし。

山田健人

ジャド・ヤルカット『EXPO 67』展示風景
ジャド・ヤルカット『EXPO 67』展示風景

—映像表現を通じて、個別の作品世界にとどまらない変化を起こしたいということでしょうか。

山田:すごく単純に言うと、僕は「映像」をもう少し豊かにしたいんですね、きっと。例えば音楽というのは、いつも人々の心のそばにあるなと思います。自分の実体験だと、僕は学生時代にアメフトをやっていたんですが、試合前や落ち込んだときに、いつもそばに音楽があって、「この曲を聴くとあの瞬間を思い出す」というような、染み込んでいくものだと思うんです。でも、「映像」ってまだ染み込んでいくことが少ないな、と思っていて。

—染み込んでいくために必要なものがあるとすれば、どんなことでしょう?

山田:単純に括ることはできませんが、いまの流れって技術はすごくても心は置いていかれている映像が多いように感じます。大きな装置を入れてそこでしか見られない実験的映像もすごいと思うけれど、僕はスマホのように身近でどこでも見られるもので、メッセージ性のあるものを作れたらと思うんです。

飯村隆彦『リリパット王国舞踏会』展示風景
飯村隆彦『リリパット王国舞踏会』展示風景

山田健人

山田:音楽の場合は、作り手の顔が見えるのも大きいかなと思っています。表現と表現者の間に、濃いつながりがわかりやすく存在する。でもいまの映像には、それがあまりないんじゃないかと思うんです。だから僕個人のレベルでいうと、こういう取材の機会なども活かして、自分の考えを伝えることも今後やってきたいという気持ちはあります。

—例えば今回の出展作家たちのなかには、評論文などを通じて、新たな映像のあり方を世に訴えた人たちもいます。それに、こうした歴史再考的な展覧会自体も、時空を超えて映像作家たちと出会える機会と言えそうです。

作品に「想像することの余地」をいかに残せるかは、すごく人間味のあることだと思っています。

—日本におけるエクスパンデッド・シネマは、アメリカの前衛映画が国内で紹介され、そこに日本独自の潮流が結びつく形ではじまったと聞きます。山田さんの映像制作におけるインスピレーション源はどんなところにあるのでしょう?

山田:僕の場合は、自分自身のフェティッシュな衝動、脳味噌で想像したものを見てみたい、という衝動のようなものが起点になることがよくあります。yahyelのPVで言えば“ONCE”は、「女の子の顔をグニョグニョにしてみたい」という想像が作品になりました。

山田健人

—他の映像作品から影響を受けることはあるんでしょうか?

山田:視覚表現から直に刺激を受けることは少ないです。例えば小説に「赤いリンゴ」と書いてあれば色々と想像が広がるけど、映像ではリンゴそのものが提示されてしまいますよね。その点では、言葉って想像の余地が豊かだとも思います。

谷崎潤一郎の書くものは、その1行だけで絵が1枚描けてしまいそうですよね。先ほど僕はあまりコンセプトを表には出さないという話をしましたが、「想像することの余地」をいかに残せるかは、すごく人間味のあることだと思っています。

どこまでが「エクスパンデッド・シネマ」に属するのか。それは時代を経ての「再考」という、展覧会のタイトルにも示されている。

—それはある意味、技術とは対極的な領域ですね。

山田:例えば振動や匂いまでその場で体感できる4D映画も、映像表現の「拡張」のひとつの形だと言えます。でもそれがなにか「定義されたもの」の枠を出ないうちは、僕が作っているような「想像の余地を活かす映像」も生き残っていくと思います。

この展覧会も、「これらはつまり、こういうものです」と簡単に括ることが非常に難しい作品が集まっていますよね。どこまでが「エクスパンデッド・シネマ」に属するのか。それは時代を経ての「再考」という、この展覧会のタイトルにも示されているのかなと思いました。

山田健人

—「定義し切れないもの」にこそ可能性がある、とも言えそうです。今年、山田さんは初の個人名義でのインスタレーション『ヒュージ・エレファント』を発表しましたが、これも「定義し切れないもの」の性質を持つ作品でしょうか。

山田:これは色々なタイミングも重なり、自分のやりたいコンセプトで、やりたいようにしてみようと思ったんです。作品としては、女装した僕がある動作を行うループ映像を、天井から赤い糸を張り巡らせた空間で展示するものでした。賛否両論ありましたが、自分ではいろんな意味合いを持たせた作品ができたと思います。

山田健人インスタレーション『ヒュージ・エレファント』メインビジュアル
山田健人インスタレーション『ヒュージ・エレファント』メインビジュアル

—「拡張」も「再考」も、探求するなかで自然と広がっていくものですね。

山田:そうかもしれませんね。いま僕は映像の仕事をはじめてから3年目で、最初の1年は死に物狂いで、生きてくためになんでも引き受けていました。

でもだんだん考え方も変容して、「とにかく映像をやりたい」というだけの気持ちから、映像を使って社会に根ざしたなにかをしたいという思いが強くなってきました。それで実はいま、映画をやろうとしています。自分としては、「ようやくここから」という感じもあって、ゼロからの勉強という気持ちで取り組んでいます。

—山田さんのなかでの、映像の拡張とも言えそうですね。いまお話のあった新作映画含め、これからのご活動も楽しみにしています。今日はありがとうございました。

山田健人

イベント情報
『エクスパンデッド・シネマ再考』

2017年8月15日(火)~10月15日(日)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
出展作家:
飯村隆彦
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー
おおえまさのり
松本俊夫
城之内元晴
真鍋博
佐々木美智子
ほか
休館日:月曜(10月9日は開館、10月10日は休館)
料金:一般600円 学生500円 中高生・65歳以上400円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生、障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜は65歳以上無料

プロフィール
山田健人 (やまだ けんと)

映像作家 / VJ。1992生まれ。東京都出身。独学で映像を学び、2015年よりフリーランスとして活動。yahyelのメンバーとしてVJも務め、ヨーロッパツアーの他、FUJI ROCK FESTIVAL等のフェスに出演。通称、dutch_tokyo。



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