野村友里が語る長島有里枝。写真展から見えた「戦い続ける姿」

1990年代半ばごろ。インターネットもSNSもない時代の日本で、若い女性写真家のデビューが相次いだムーブメントが起こった。それはいつからか「ガーリーフォト」「女の子写真」と呼ばれ、彼女たちがとらえた10代から20代ならではの瑞々しい写真は、年長の雑誌読者や同世代の女性たちから熱狂と共感をもって迎えられた。HIROMIX、蜷川実花、そして現在、東京都写真美術館で個展開催中の長島有里枝も、その潮流から現れたアーティストだ。けれども、彼女たちの表現は、本当に「かわいい」「きれい」「はかない」といった耳慣れた形容詞だけで説明できるものだったのだろうか?

今回、24年の長島有里枝の活動を振り返る個展を訪ねたのは、本人とも親交のあるフードディレクターの野村友里。フードクリエイティブチーム「eatrip」を主宰し、顔見知りも初対面の人も、みんなが一緒に食卓を囲む体験を生み出す彼女は、写真家としての友人の姿に何を見出すのか?

写真に記憶されている、中性的な独特の目の強さが、当時の有里枝ちゃんの気持ちを雄弁に訴えている。

会場入口。『そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。』という、料理のレシピを思わせるような展覧会名の印象についてから、野村は語り始めた。

野村:とっても有里枝ちゃんらしいと感じました。こないだ私のラジオにゲストで来てもらったのですが、本人は「写真をはじめてから24年が経って、これでひと区切り。だから、ちょうど端境期の展覧会なんだよね」って言っていました。

有里枝ちゃんと私はほとんど同年代で、仲のいい周りの友だちもそう。だから、みんなそれぞれに脱皮というかターニングポイントの時期が今だね、って意識があるんです。好きなことをやってきて、これからも続けていきたいって意識はある。でも同時に「次はどこに行こう?」って考えている。今日は、有里枝ちゃんの気持ちを作品から知る機会だなと思って楽しみにしてきました。

野村友里
野村友里

展覧会を案内するのは、キュレーションを担当した学芸員の伊藤貴弘。長島に向けて「初期作から最新作までを振り返る展覧会にしたい」と最初に提案した時、まだ振り返るタイミングじゃない気がすると、本人はわずかな戸惑いを見せたという。

野村:その気持ちはわかる気がします。自分ではまだまだ若いって気持ちがあるけど、周りからするともうベテランで、20代や30代のクリエイターのなかには小さい時に見て影響を受けてる、って方もいたりする。第三者が背中を押してくれることで、はじめて振り返る意識が出てくるんですよね。

野村友里

そして実現した本展は、1993年のデビュー作「Self-Portrait」から始まる。これは、1990年代にPARCOが主催していたアートコンペティション「アーバナート #2」でPARCO賞を受賞した作品で、ヌードの長島と家族を捉えた同作を審査員のアラーキー(荒木経帷)が激賞したことで、長島さんはアーティストとしてのデビューのきっかけを掴んだ。

野村:すごく有名な作品だと思うんですが、じつはちゃんと見るのは今日がはじめてなんです。有里枝ちゃんとの初対面はたしか10年前で、私は、過去よりも出会った時からの本人のことをたくさん知りたいと思うんです。

この写真の有里枝ちゃんも相当に尖ってるじゃないですか。もちろん当時の恋愛とか本人からいろいろ聞いているけれど、そうやって話で聞くよりも、写真に記憶されている、中性的な独特の目の強さが、当時の有里枝ちゃんの気持ちを雄弁に訴えていると思います。

「Self-Portrait」を見る様子
「Self-Portrait」を見る様子

世の中に対して納得できないこと、怒っていることをまっすぐに話し合えるから、一緒にいて気持ち良いんですよね。

写真に写っているのは20歳だったころの長島。坊主頭でじっとこちらを見据える彼女は、何を思ってカメラに目を向けていたのだろう?

「Self-Portrait」が発表される2年前の1991年は、人気絶頂の「国民的アイドル」だった宮沢りえが、ヌード写真集を突然発表し、発行部数150万部という大ヒットを記録した。それに続くように、有名女優やアイドルがヘアヌード写真集を出版し、そのたびに男性週刊誌やワイドショーで好奇の対象として話題になる、というのが1990年代の一つの特徴だった。

「Self-Portrait」も、選評でアラーキーが「わいせつ(猥褻)」という言葉を連発したように、扇情的なイメージがポジティブに評価されたフシがあるが、実際の写真から受ける印象はかなり異なる。長島家の表情や所作は、彼女たちが全裸であることを除けば、ごく普通の家族写真と何も違いはない。パターゴルフの練習をしたり、マンガ雑誌を読んで大笑いする様子などからは、「たまたまカメラにフィルムが残っていたのでシャッターを切ってみた」ぐらいの気負いのなさも感じる。

長島が同作で試みようとしていたのは、ヌード=エロ、というイメージを脱臼させること、そしてありのままの両親や兄弟の姿から「家族ってなんだろう?」という問いを投げかけることだったのではないのか?

『Self Portrait(Mother#36)』 1993年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
『Self Portrait(Mother#36)』 1993年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵

野村:当時の有里枝ちゃんの社会に対する憤りだとか、言葉にできない衝動が自己表現としてかたちになっているのが、すごくわかります。写真の中の有里枝ちゃんと比べて、今の本人はとても穏やかだけど、でもどこかで常に戦っている人でもある。世の中に対して納得できないこと、怒っていることをまっすぐに話し合えるから、一緒にいて気持ち良いんですよね。

「Self-Portrait」は1995年にも別のかたちで発表されている。写っているのは長島一人だけ。フラットな印象のあった1993年版と比べて、こちらはメイクをしたり、女子高生風のコスプレをしたり、意図的にセクシャルな要素を強めている。これは成人男性向け雑誌のグラビアなどのパロディーとして撮られたもので、女性の身体に好奇の眼差しを向ける男性消費者を、被写体である女性が批判的に見返す、という意識で作られた。

しかし、同作が写真集『YURIE NAGASHIMA』として発売された際には、帯に「初めてのセルフヌード写真集」と記され、「女子大生ヌード」として宣伝されるなど、作家の意図はまったく理解されなかった。この理解の「ねじれ」は、彼女にとって大きな課題として残ったのだった。

 

「楽しい人たちと一緒の時間を過ごすためにはどうすればいい?」という問いかけが、今の料理の仕事につながった。

四半世紀に及ぶ長島のキャリアのなかで、「家族」と並ぶもう一つの主要なテーマが「友人・知人との関係」だ。次に紹介する「empty white room」には、友人のパンクバンド、美大の同級生、当時のユースカルチャーの寵児たちが、とても近い距離感で写し取られている。

野村:じつは私も若いころに写真に夢中になっていたことがあって、弟や彼の友だちと遊んだり写真を撮ったりしていたんですよ。みんな自分がやりたいことを中途半端に投げ出さず、いつもキラキラしていた。でも、そういう瞬間って人生の中のほんの一瞬なんですよね。だから写真に撮っておこうと思ったんです。このシリーズを撮っていたころの有里枝ちゃんもそう考えていたところもあるんじゃないでしょうか。

私と写真の関係は長くは続かなかったけれど、「楽しい人たちと一緒の時間を過ごすためにはどうすればいい?」という問いかけが、今の料理の仕事につながったんだと思います。料理をして、それをみんなに食べてもらえば「場」ができて、いろんな人たちが集まってきてくれる。それぞれに職業も目指しているものも違うけれど、私はキッチンで料理を作って、カウンター越しに話を聞いたりしゃべったりできる。その関係性が心地いいんです。

「empty white room」を見る様子
「empty white room」を見る様子

『Self-Portrait(Full-Figured,Yet Not Full-Term)』発色現像方式印画 2001年 東京都写真美術館蔵
『Self-Portrait(Full-Figured,Yet Not Full-Term)』発色現像方式印画 2001年 東京都写真美術館蔵

野村の母(野村紘子)も料理や家のしつらえを通して人をもてなす専門家として知られている。若いころから母親がたくさんの人に料理を振る舞い、会話を交わす風景を見てきた経験が、野村さんを料理の道に導いたのかもしれない。

野村:家には毎日のようにお客様がいらっしゃいました。そして母が料理でもてなす。すると、普段そんなに真面目な話をするキャラじゃない方も、母を介して家族のこととかぽつぽつと話されるんです。そういう打ち解けた雰囲気が好きで、それができる時間を作りたくて、料理に進んだんです。

野村友里

「empty white room」を眺めながら、料理や家族・友人との関係を振り返る野村。同作の被写体になっている人の中には、見覚えのある顔もちらほらあるとのこと。学芸員の伊藤も大ファンだという1992年結成のパンクバンド「Abraham Cross」の若かりし日の姿も作品の中に発見し、しばしの間、二人はハードコアパンクの話題で盛り上がっていた。

お互いのプライベートの話をするようになって仲良くなって、そして彼女の写真もどんどん好きになっていった。

主に家族、友人にカメラを向けてきた長島は、1995年にアメリカへと留学し、それまで接点のなかった西海岸スケーターのコミュニティーなどと接していく。それとほぼ同時期に、当時のパートナーの男性を継続的に撮影した「not six」が始まる。それは、写真界においても実社会においても、「見られる性」としてカテゴライズされがちな側にいる女性が、逆に男性に眼差しを向ける試みでもあった。

 

「not six」より
「not six」より

しかし同時に、同作の被写体であるパートナーが、「恋人」から「夫」に変わり、そして子どもの出産を経て「息子の父親」へと変化していく変遷の可視化は、人や物事の関係が連続性をもって続いていることの再確認であったのかもしれない。それは、2007年にスイスのアーティストインレジデンスで制作した「SWISS」へとつながっていく。

野村:ちょうど私が有里枝ちゃんに出会ったのがスイスに旅立つ少し前で、はじめて目にした作品も「SWISS」でした。

ある雑誌の企画で料理と器の写真を撮ってもらったんですけど、有里枝ちゃんは「なんて美味しそうなの!」と感動しながら食べて、また撮って……っていう感じで(笑)。やっぱり私は、きれいに写真を撮ろうとしてくれるよりも、美味しく食べてもらうことの方が嬉しいから「気持ち良い!」というのが第一印象でした。

それが雑誌『Hanako』の連載(eatlip gift COOK BOOK for COOKING PEOPLE)につながるんですね。連載を口実に共通の友人とか、お互いのプライベートとかの話をするようになってどんどん仲良くなって、そして彼女の写真もどんどん好きになっていった。料理だけじゃなくて、料理のある空間、空間のなかに存在としてある料理を有里枝ちゃんは撮ってくれる。料理写真の王道ではないかもしれないけど、作品として、私は彼女の写真がとても好きなんです。

野村友里

「SWISS」は、作家の祖母の遺品から始まったシリーズだ。「花」とぶっきらぼうに一文字書かれただけの淡いピンクの紙箱には、祖母が育てていた庭の花々を撮った写真が入っていた。それを一枚ずつ見返していた長島は、3枚のバラの花の写真に目を奪われる。その時の感情を、自著『背中の記憶』でこのように記している。

バラの咲き始めから満開までを順にうつした写真に、わたしは興奮した。(中略)家族の誰もが単なる趣味だと思っていた祖母の園芸は、実は自己表現の手段だったのかもしれないと私に思わせた。

『背中の記憶』所収「a box named flower」より

ここでの気づきは、長島にアートとしての表現と、生活の中で積み重ねられる営みの区別を考えるきっかけを与えたのかもしれない。2009年に発行された『背中の記憶』は、三島由紀夫賞の候補にエントリーされ、講談社エッセイ賞を受賞するなど高い評価を得た初の著作だったが、彼女がそれまで手を伸ばしてこなかった文章に関心を寄せたのには、出産や子育てが大きな理由としてあった。

自分は子育てだけでも大変なのに、周囲の写真関係者の男性たちは「作品がんばって」と呆気なく言ってくる。自分と周囲との意識のギャップに困惑を感じた長島は、子育てしながらでも続けることのできる文章に専心していった。

夫婦共働きのスタイルが一般的な現在になっても、家事や子どものめんどうは女性が見るもの、という意識は根深く残っている。そんな社会の中において、女性にとっての表現は、日々の雑事の連続の中に立ち現れてくることがしばしばある。長島が祖母のバラの写真に感じた「表現」の手触りは、それに起因するものだったのかもしれない。

 

野村:私にとっての「食」がそうなんですが、いろいろな条件や環境の中で「これしかできない」ってものがあると思うんです。アーティストになる人もいれば、そうでない人もいるけれど、見方の切り口を変えれば誰もがアートを作る人とも言えるわけですから。それはちょっとかっこいい言い方になりすぎちゃうけど(笑)、毎日料理を作って、掃除をしているお母さんたちもとても大きなことをしていると思うんです。

有里枝ちゃんの作品も「家族をヌードで撮ったらどう見えるか?」っていう視点の提示。自分が身を置いている社会を受け入れるだけじゃなくて、疑問を投げかけることができるかもしれない。もちろん、有里枝ちゃんはそのパワーが人よりも強いから世の中に出て来たのだと思うけれど、多くの人が抱いている作品への共感の理由は、きっとそこにあるはず。

 

2016年に発表した「家族について / about home」シリーズで、長島は「パリでお針子になりたい」という夢を持っていた実母と共作し、古布を縫ったテントを発表した。そして、同じ年の神戸での滞在制作では、現在のパートナーの母親と一緒に、タープ(キャンプなどに使われる日よけ)を共作した。じつの母である女性と、限りなく母娘の関係に近い女性との協働は、長い歴史の中で紡がれてきた女性たちの継承性・連続性を想起させる。

『tarp』 From the series 「家庭について / about home」2016 より
『tarp』 From the series 「家庭について / about home」2016 より

『tent』「家庭について / about home」2016 より
『tent』「家庭について / about home」2016 より

1995年の「Self-Portrait」以降、個としての立場から社会との関わりに疑問を投げかけてきた長島有里枝。それから約20年を経た「端境」の時に彼女が見い出しつつあるのは、人と人が結びつくもっと大きな共同体の可能性なのかもしれない。

イベント情報
『長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。』

2017年9月30日(土)~11月26日(日)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌平日)
料金:一般800円 学生700円 中高生・65歳以上600円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生、障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料

プロフィール
野村友里 (のむら ゆり)

フードディレクター。フードクリエイティブチーム「eatrip」を主宰。長年おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。母からゆずり受けた、日本の四季折々を表す料理やしつらえ、客人をもてなす心、をベースに食を通じて様々な角度から人や場所、ものを繋げ、広げている。初の監督作品となる食のドキュメンタリー映画『eatrip』は2009年公開、現在はDVD化され販売中。著書に『eatlip gift』(マガジンハウス)がある。



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