山崎ナオコーラが、「ブス」に対する社会の歪みを問う

『人のセックスを笑うな』でデビューして以来、小説やエッセイを通じて山崎ナオコーラは社会と人のかかわりをさまざまに描いてきた。そこでは恋愛や結婚、その後に続く生活などが主題になってきたが、そこに登場する人々の多くは、社会のなかで「当たり前」とされる社会的役割や性的役割から曖昧に距離をとりつつ、浮遊するような人間のあり方を示している。そこには、山崎が考える「社会」に関する思考の断片を感じることができる気がする。

だが、最新エッセイ『ブスの自信の持ち方』は、これまでの山崎作品とは少し異なる質感を持つ内容になっている。褒められた表現とは言いがたい「ブス」という言葉をめぐって綴られた全30回のウェブ連載をまとめた本書は、これまでになく直球な作家の声が記録されている。なぜ山崎はブスに悩み、ブスについてのテキストを書こうと思ったのだろうか?

「私はブスです」というセリフが、「死にたいです」「ダメ人間です」と勝手に変換される社会。

―『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社、2019年)では、びっくりするぐらい「ブス」という言葉が飛び交います。なぜ、そんなにもブスについて書こうと思ったのでしょうか?

山崎:そもそもは、『人のセックスを笑うな』(河出書房新社、2004年)で作家デビューしたときです。純文学の雑誌でのデビューでして、作品内容は淡々とした恋愛小説で、たいしてエロくはないんですが、タイトルに刺激を受ける人がたくさんいたんでしょうね。

今の私は世間から注目など全然されていませんが、そのデビュー作の本はけっこう売れた(33万部)ということもあって、当時は注目されまして、バッシングが起こりました。新聞に載った写真がネットのあちらこちらに貼られ、「ブスは作家になるな」「セックスできるわけがない顔を持つ作家がなぜセックスについての小説を書くのか」「たとえ仕事で成功しても、ブスは人間として下位」といった、容姿差別、職業差別、人権を踏みにじる文章を書かれました。

作品批判に腹は立ちません。誤読もスルーできます。どう読むかは読者の自由ですし、批判や誤読が起こるのは私の力不足です。でも、容姿差別は、どうもおかしい。いや、写真に関し、「容姿が悪い」等の感想が出るだけなら構いません。でも、顔を理由に、「その職業に就くな」「違う場所へ行け」と言われたり、性的に陵辱する言葉を連ねられたりするのは、差別を受けているわけですから、反駁したいです。それ以来、「ブスとは?」と考え続けました。

最初は素直に「自分側に問題があるのではないか」と思ってしまいましたが、「いや、いじめと同じ、レイプと同じ。加害者に問題がある。そして、ブスが性的にいじられることは、美人が性的なものを求められるのと同様に、セクハラ被害だ。どう考えても私は悪くない。社会が変わるべき事案だ」と気がつきました。

山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
1978年、福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』が文藝賞を受賞し、作家デビュー。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。妊娠中のため腹がでかい。

―ブスと言う人、人にそう言わせてしまう社会に問題があると。

山崎:誹謗中傷を受けていることを、編集者や家族、友人などに相談したところ、「自分のことをブスなんて言っちゃダメだよ」みたいな回答がけっこうありました。

―ブスと言われた側が、自分のことをブスと言うこともNG?

山崎:どうも、ブスで悩んでいる、きれいになりたくて悩んでいる、劣等感で悩んでいる、顔を気にしている、と勘違いされてしまうんですね。いや、ブスで悩んでるんじゃなくて、被害で悩んでいるんですよ。こちらは、差別を受けているんですよ、と。加害者に問題があるのに、被害者に対して「気にするな」「ブスと言うな」と意識変革を求める。おかしいですよね。「ブス」という言葉が、大きく響きすぎるというのも問題です。「私はブスです」というセリフが、「死にたいです」「ダメ人間です」と勝手に変換される社会。

こっちは、「ブス=人間として下位にいる」なんて思うわけがない。私は生き続けますし、自分をダメ人間とは思いません。人間として自信があります。つまり、自分の顔を悩んでいるのではなく、「ブスは隅っこへ行け」といった発言を受けて場所を移動させられたり、仕事を妨害されたり、性的に愚弄されたりといった、不当な差別に悩んでいるだけ。でも、そういう話をさせてもらえるところまでなかなかいけない。「ブス」って言葉を狩られて終わってしまう。

―つまり、一方的にレッテルを貼って議論しようとしない人が多い、と。どうしたらいいでしょう?

山崎:もっとフラットにブスって言葉を使ったらいいんですよ。だから本のなかでは、ブスって言葉がなるべく平らになるように、ガンガン使っていこうと。そしてブスについての議論をいっぱいしてほしいと思いました。

「ブス」っていう言葉が出ただけで、大きくリアクションしていたら、議論が成り立たない。普通に「ブス」という言葉を使えるようになった方が、容姿差別はなくなっていくと思います。美人も同様です。「私は美人です」とフラットに言える社会にしたいですよね。障害者差別の場合も、「障害」という言葉をなくしてしまったら、議論ができなくなって、より差別が深刻化すると思います。まずは、みんなで話せる空気を作った方がいい。

「山崎ナオコーラ」で検索したら誹謗中傷しか出てこない。これは営業妨害と捉えてもいいんじゃないか、と。

―「ブスという言葉を平らにする」というのは、けっこうラディカルな手法だと思いますが、その考えに至ったのはかなり昔からでしょうか?

山崎:いや、作家になってバッシングを受けたあと、ゆっくりですね。

―自分のなかで理屈を組み立てていくまでのステップは、かなり険しかっただろうなと、本を読んでいて思いました。

山崎:いや、険しくはないですよ。考えをゆっくり進めただけです。10年目くらいから、エッセイ執筆の際、ちらほら「ブス」という言葉を出すようになりました。

―今年で作家デビュー15年目ですから、わりと最近ですね。

山崎:デビューから5年ぐらいして、新聞社に「ネット記事にある私の写真を消していただけませんか?」とお願いしました。それが第一歩ですかね。5年ほどの作家経験で、相手が大きい組織だからといってペコペコする必要はない、一緒に文学シーンを盛り上げる仲間じゃないか、と思うようになっていましたし、顔写真は顔の持ち主のものだ、とも考えるようになっていました。

もともと、その写真は勝手に撮られ、私の許諾なしに新聞掲載されたものでしたし、消去のお願いはそこまで失礼じゃないのでは、と。でも、「撮った側のもの」と主張され、すぐには削除してもらえず、何度かやりとりをして、やっと、という感じでした。

―作品のなかでは、全30回のうち「新聞様」シリーズとして5回を割いてそのことについて書いていましたね。Y新聞の記者と取材で会ったことから始まる、写真消去運動。突然ストロングスタイルなドキュメンタリーになって、現場感に溢れていました。熱かったです。

山崎:15年前、私がデビューしたころは、今のようなネットリテラシーが共有されておらず、新聞のネット版も過渡期でしたし、市井のみんなもネットと現実をどうつなげていいのかわからなかったみたいで、簡単にコピペしたり、過激な言葉を使ったりしていましたね。

―まだ「2ちゃんねる」が活発だったころですね。

山崎:普通の個人ブログでもそうです。新聞の顔写真をみんな簡単に転載して、卑猥な言葉やグロい言葉、人権を踏みにじる激しい言葉を、普通の人が書いていました。

私が新刊を頑張って出したところで、作品を気に入ってくれた奇特な人が「山崎ナオコーラ」の名前でネット検索してくれても、そういうブログやまとめサイトしか出てこなくて、作品情報はない。これは営業妨害と捉えてもいいんじゃないか、と。

―作家として、何とかしなければ、と思ったわけですね。

山崎:現状のシステムに従順になる必要はないな、と。私は、もう働き盛りの年代で、自分で社会を作っている。新しい社会システムや新しい価値観は自分で作っていこう、と。

「容貌障害」という言葉を知ったとき、ぱあっと道が開けた気がしたんです。

―これまでの小説やエッセイと比べて、『ブスの自信の持ち方』はかなり直接的で温度感の違う仕上がりになっていると感じます。このスタンスの違いの理由はなんでしょうか?

山崎:「ブス」というテーマだからじゃないですか? この本は、とにかく自由に書きたいと思いました。

―それはなぜでしょう?

山崎:多くの人が、「ブス」という言葉に何かしらのものを抱いている。「ブス」という言葉自体に抵抗を持つ人もいれば、「もしも『ブス』について書くならば『こういう書き方であってほしい』」みたいな感情を抱く人もけっこういます。そういったもろもろから自由でありたい、と思っていました。

―本作の冒頭で、ブスキャラ芸人の多様化が、個性としてのブスを多様化して「私らしいブス」として社会に関わる土壌を作ったのだ、という記述がありますね。おおまかに言えば、この本は「自分に自信を持つこと」を推奨する内容だと思うのですが、多くの人はそこに至るかなり前段階で足踏みしてしまう気がします。

僕自身も容姿に自信はまったくないですから、読んでいて面白みを感じながら困惑するところもありました。山崎さんが今のような考えに至ることができた秘訣って何でしょうか?

山崎:そうですね……デビュー後にさんざんブスと言われたときに、この悩みを解消してくれる本がないだろうかといろいろ探していたんですよ。そのなかで出会ったのが「容貌障害」に関する本でした。

―病気や事故によって顔かたちが変わることですね。そのことで差別される例は多くあります。

山崎:生まれながら、あるいは後天的に、世間で「普通」とされがちな容姿とは違う容姿を持つことになって、「見た目問題」に苦しむ人たちがいるんですね。そういった「容貌障害」の当事者の方からは、私の解釈を間違っていると思われるかもしれないんですが、私としては、「容貌障害」という言葉を知ったとき、ぱあっと道が開けた気がしたんです。障害というのは、精神的なものでも肉体的なものでも、そして容貌でも、本人に問題があるのではなく、社会の側に問題があります。変わるべきは、本人ではなく、社会です。

しかし、同じ顔のことでも、「障害」ではなく「ブス」をテーマにした本の場合は、結局は本人が努力すればよい、化粧やダイエットを頑張って見返せばよい、あるいは性格美人を目指せばよい、って話が多いようでした。

―自分を「美」の方向に持っていくことで、悩みを昇華しようという理屈ですね。

山崎:私はその理屈に馴染めなかった。差別的な現状のシステムに迎合するのは納得できない。

「容貌障害」の本を読んで、私も自分ではなく社会の側に問題があるんだと捉えてもよいのだと気づかされました。「ブス」も、現状のシステムのなかでなんとか生き抜こう、という話ではなく、システムを疑おう、社会を変えよう、という話を考えていいはずです。

それから、私が注意しているのは、ブスを女性だけの問題と捉えないようにしようということでした。男性が加害者で女性が被害者、とは決まっていません。

―男性について言えば、「ハゲ」「デブ」「チビ」といった言葉が鋭く突き刺さることは多くありますね。

山崎:「ブス」って言葉自体も、最近のお笑い番組なんかでは女性だけでなく男性にも使う例をけっこう見ますし、実際、男性にも容姿で悩んでいる人はけっこういます。特に「ハゲ」や「デブ」は、軽く扱われてしまっているじゃないですか。それを笑いで返せない人に対する、周囲からの圧力もある。性別の問題でないんですよね。

望んでいるのは、社会の変革。

―『ブスの自信の持ち方』と題されていますが、この本はけっしてHOW TO本ではないように思います。後半になるほど、ブスという言葉と概念をめぐる社会的な意識や規範についても話は枝分かれしつつ広がっていきます。そこが個人的にいちばん共感を持てる部分でした。

山崎:共感を求めようという気持ちはないんですよ。それは啓蒙的なものとつながっている気がしますから。もちろん本を作るってことは、他のあらゆる文化や営為と同じように社会作りです。ただ、私は作家です。何よりも大事なのは、これが面白く読める本であるということ。

この本はウェブ連載をまとめたものですが、かなり自由に書かせてもらいました。1回分を2000文字くらいで書くつもりが、初回から8000文字くらいになってしまい、その勢いで毎回豪速球のストレートを投げ続けました。たとえ「ブス」に興味がない人でも、するする読める文章になっていると思います。

―書き終えてみて、あるいは連載を進めるなかで気づきはありましたか?

山崎:連載のなかで、これは自虐やコンプレックスについてのエッセイではない、と何度も書きましたが、いくら書いてもやっぱり「ブスキャラ」という自虐的なキャラ作りの文章だと誤解されてしまう。

社会について書いているんだ、ってことをもっと明確にしなければいけない、というのは今も思っています。

―なるほど。

山崎:それから、男性に対する文句を期待している読者がけっこういるんですよね。でも、先ほども言ったように、私は男性を加害者にして、男性側の変革を望んでいるのではないんです。望んでいるのは、社会の変革。

もちろんこれは相当に難しいことで、ことによると自分が加害者や社会的強者になってしまうこともあると思うんですよ。というか、実際にそうです。たとえば私が作家として尊重されるってことは、編集者や周囲の人に対してある面では強者になってしまう。だから、私がブスだからと言って、必ずしも被害者側からの文章を書いていてはダメなんです。

「自分は強者でもある」という自覚も持って書いていかないといけないし、たとえば「おじさん」に対して自分が差別をしている、差別意識を持っている、という自覚も持たないといけない。「弱い側から吠えてます」という文章になってしまってはダメなんです。

―でも、人間ってどうしても差別意識を持ってしまう生き物でもあると思うんです。「差別はいけない」とわかりつつ、どうしても拭えない差別意識というのがある。それに自分で気づくときもあれば、気づかないときもある。少なくとも僕が過ごしてきた40年間弱の人生はそうだったと思います。それを変えていきたいと思いながら、変えることの困難さに直面してきたし、今も直面しています。

山崎:私がやりたい仕事は「差別をなくそう!」っていうシュプレヒコールをあげることじゃないんですね。私自身、「おじさん」差別をしてしまっている。誰もが、差別の心は持っている。

そうして、差別をし合い、自信を奪い合い、フラストレーションを溜め込んで、ネット等でいろいろ吐き出し合うわけですが、誰だってスケープゴートになってあげる必要はない。被害を受けたら、「嫌だ」と言っていいし、「私はこう思う」「いやいや、僕の場合は……」と議論していい。「自分は差別の心を持ってしまっていて、加害者として悩んでいる」と言ったり書いたりしてもいい。

問題にしたいのは、差別の根絶ではなくて、「どうして、私たちは差別してしまうんだろう?」ということを考えていくことです。そのための議論を交わすこと、うやむやにしてしまいわないこと。それが大事なんです。

書籍情報
『ブスの自信の持ち方』
山崎ナオコーラ

発売日:2019年7月10日(水)
価格:1,620円(税込)
発行:誠文堂新光社

プロフィール
山崎ナオコーラ (やまざき なおこーら)

1978年、福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』が文藝賞を受賞し、作家デビュー。小説に、『美しい距離』『趣味で腹いっぱい』など。エッセイには『指先からソーダ』『ベランダ園芸で考えたこと』『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』などがある。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。



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