『たとえば檸檬』公開記念トークセッション 監督:片嶋一貴×主演:韓英恵 母は娘を支配する。では、娘は母をどうすればいいのか。

チマチョゴリを着た姉を不良に殺された在日朝鮮人の少女が、旧日本軍が製造したマスタードガスを盗んで無差別テロを繰り返す『アジアの純真』。前作に続きコンビを組んだ監督・片嶋一貴×主演・韓英恵による映画『たとえば檸檬』の公開前トークショーに足を運んだ。本編をこれから観るお客さんに向けて丁寧に語られた映画の輪郭を頭に残しながら、後日、本編を観た。なるほど、答え合わせのように映画の真意が見えてきた。


カオリと香織、同じ名を持つ二人の女性が主人公。彫金の学校に通いアクセサリーデザイナーになる夢を持つ20歳のカオリ(韓英恵)は、母親(室井滋)からの暴力、過干渉に悩んでいる。「私の人生から出ていけ!」と喚き、夢も希望も根こそぎ奪おうとする母親の支配から抜け出す手段を探しあぐねているカオリ。一方、秘書として大企業に勤めながら、万引きを繰り返し、場と人を選ばずセックスに溺れ、境界性パーソナリティ障害に苦しむ40歳の香織(有森也実)は、引きこもりの娘をかかえている。やがて、カオリは謎めいた石山(綾野剛)に出会い喪失感を塗り付け合い、香織は刑事の河内(伊原剛志)に出会い心の淀みを消し去ろうとする。しかし、分かりやすい闇に分かりやすい光は射さない。二人の辛苦はいつしか交錯し、愛憎は、ある形となって表出する。


トークショーの質疑応答で「タイトルを『たとえば檸檬』とした理由は?」と問われた片嶋監督は「物語を作るにはきっかけが必要で、それが今回は檸檬だった。劇中で檸檬は色々な象徴になっているが、別に林檎でも良かった」と語る。「別に林檎でも良かった」、これは嘘だ。嘘をついている。この作品は檸檬でなければならなかった。真っ二つに割られた檸檬を見ただけで、口内の奥から唾液が抽出されてくるあの生理現象を思い起こす。母娘の間に放られた愛憎が、あたかもあの生理現象のように、本人には感知できぬまま抽出される。愛憎がどこから来るのかは分からない。分からなくとも、とにかく抽出されていく。気付けば、唾液には、紅いものが見える。檸檬の酸っぱさに血が混じっていく。

母親による子どもへの過干渉が軸となった本作、片嶋監督は「人間関係の最小単位としての母と子、ここから全てが始まる」とする。さらに、現代の世相を見つめ、「娘は母を殺さない。縛られているからだろうか。でも、これからは娘が母を殺すことが増えてくるのかもしれない……」とも投げかける。呪縛から放たれるときに、加害が付随するかもしれない。あらゆる暴力は、加害者と被害者だけでは整理できない。この映画では、加害と被害の順序は混沌とし、マグマのようにうごめきながら母娘双方を粘着質に痛めつけていく。母親から暴力を受けるカオリの強ばった表情からは、そのうち立場が反転しかねないことへの恐怖が漂ってくる。


片嶋監督は、助監督として故・若松孝二のもとで働き、巨匠の背中を見続けた。当日司会を務めた『アジアの純真』の脚本家であり『戦争と一人の女』の監督でもある井上淳一もまた、若松孝二に師事していた。若松から「映画を作る覚悟」を学び、その具体的な作法のひとつとして、「誰かをイジメ抜いて現場を引き締めていた」ことを挙げる。片嶋監督の作品では「女優が暴れられる」そうだ。しかし、暴れられるのは、イジメ抜かれてからなのだろう。本作では、27テイクに及んだシーンもあったという。イベントの模様をメモした自分のノートには「27テイク、これこそ過干渉じゃん」とつまらぬ突っ込みが殴り書きされている。会場に来ていた『アジアの純真』に出演した笠井しげと韓英恵が、それを聞いてはにかんでいた。

「若松さんはとにかく低予算で映画を作る人だった。晩飯前に終わらせて晩飯代をカットしようとしたし、弁当を余らせようものなら烈火の如く怒った。夜の11時を過ぎると、出演者をタクシーで帰すのが業界の通例なんだけど、そのタクシー帰りを嫌がった若松さんはとにかく11時前に撮影を終わらせようとした」と片嶋監督が笑う。その若松は、今年10月、新宿の路上でタクシーに跳ねられ死亡した。死亡記事をあたると、タクシーにはねられたのは午後10時15分ごろ、病院で死亡したのは5日後の午後11時5分だった。「タクシーと午後11時」を恨んだ若松は、逆に「タクシーと午後11時」に恨まれてしまったのだろうか。なんとなく書き記したくなる事実である。「シネコンに大手配給会社の映画がずらりと並ぶだけの現在の映画界を前にいかに抗っていくか」と述べる片嶋監督を支えるのは、「なぜ映画を撮るか」との問いに「金を儲けるためではなく、自分の好きな映画を撮るため」と明快に答えた若松の言葉だ。反体制を貫いた若松イズムを継承するであろう片嶋監督は、「こういう小さな規模でも映画は作れる。この存在をいかに知らしめるかが重要になってくる」と決意を強める。


『たとえば檸檬』の中で印象的なシーンがある。香織がチュッパチャップスを執拗に舐め回すシーンだ。その形状は性器のよう。しかし、その味覚としての甘美は、性器には携わっていない。では、その甘美はどこから来るのだろう。やがて、カオリと香織の交錯の謎が解ける。二人の人生を縦軸にし、くっ付け合わせる。そこでようやく、甘美が立ちこめてくる。そのとき、「この映画は韓英恵と有森也実で撮ろうと初めから決めていた」と言い切った片嶋監督の思惑が解ける。この映画は、近しい間柄ゆえの干渉が産み落とした苦しみが、あちこちに放り投げられている。放り投げられたまま、そのまんまにされる。しかし、「ここには苦しみがある」と生臭く認識させられることに、時として豊かさを覚えてしまう。この豊かさは奇妙だ。だが確実に中毒性を持っている。

映画情報
『たとえば檸檬』

2012年12月15日(土)よりシネマート六本木にて公開
監督:片嶋一貴
脚本:吉川次郎
韓英恵
有森也実
綾野剛
内田春菊
古田新太
室井滋
伊原剛志
配給:ドッグシュガームービーズ
配給協力:プロダクション花城
宣伝:ネイキッド



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