「空想」の力は悲しい過去すらも肯定する フィリップ・ジャンティ

「夢」や「空想」は多くのアーティストにインスピレーションを与えている。夢や空想の中でなら、壮大なイリュージョンも、この世のものとは思えない奇跡も、現実には味わえない幸福も思いのままに描くことができる。人間の暮らしにとって、イマジネーションという舞台は、治外法権であり、特権的な場所なのだ。

フランスの演出家、フィリップ・ジャンティによる舞台『忘れな草』は、彼のパートナーであるメアリー・アンダーウッド(振付、共同演出担当)が見た夢からインスパイアされて創作された作品。ロングドレスを着たチンパンジー「クラリス」が登場し、「夢の配達人」が思い出のかけらを集め、ロマンティックかつ、ファンタジックな意匠がステージを埋め尽くす。俳優たちと人形が織りなす幻想的な舞台は、あたかもディズニーランドのショーのようなスペクタクルを出現させるが、そこには、どこか不穏な死の影もつきまとう……。

本稿では、芸術家フィリップ・ジャンティ、そして約20年ぶりに日本で再演される作品『忘れな草』の魅力を振り返ると共に、彼の創作と深く結びついている「夢」や「空想」について、さらにその背景にある彼の生い立ちにまで遡って考えてみたいと思う。

(メイン画像:カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux)

4大陸47か国の人形劇を採集する旅から始まった、「舞台の魔術師」の芽吹

1938年にフランスで生まれたフィリップ・ジャンティのキャリアは、12歳の頃に初めて手掛けた人形の制作から始まった。もの作りの面白さに目覚めたジャンティは、22歳になるとユネスコ(国際連合教育科学文化機関)から資金提供を受け、手作りのマリオネットを携えて旅に出る。世界各国を巡り、現地の人形劇をフィルムに収録するという活動を開始するためだ。この旅で訪れたのは、日本を含む4大陸47か国。この経験は、若かりし頃のジャンティの芸術観に多大な影響を与えることとなる。

フィリップ・ジャンティ ©Compagnie Philippe Genty
フィリップ・ジャンティ ©Compagnie Philippe Genty

そして、4年にわたる旅を終えて、フランスに帰国するとジャンティは、「人形と人間が共存する奇妙な舞台作品」を制作するようになる。人形劇でもコンテンポラリーダンスでも、あるいはパントマイムでもマジックでもあるような、その空想的で不思議な世界が生み出すスペクタクル。バレエ振付家、ローラン・プティとの共演を機に一躍ショービジネス界で注目されるようになったジャンティは、いつしか「舞台の魔術師」の異名で知られるようになり、40年以上にわたって彼の作品は世界中で上演をされ続けている。

筋金入りの空想少年と、世界中の文化が出会うことで生まれた、独自すぎる作品世界

では、その奇妙とも言われる、独自の創作の原点はどこにあるのだろうか?

自叙伝によると、彼は少年時代から空想の世界と戯れていたことが知られている。寄宿学校時代に「想像の中で」生み出された、「アレックス」と名付けられた彼の分身。その自叙伝『私の中の漂泊の風景―フィリップ・ジャンティ全記憶』には、アレックスと共に空想の世界で過ごした日々が、詩的な言葉によって綴られている。

「私は自分の体から離れていた。すべてがリアルだった。アレックスがついてくるようにと私を誘う……。今浸っている陶酔から、なぜ抜け出さなければならないのだろう……。アレックスについていくと、後戻りできない場所の奥深くに入って行きそうだと感じた。しかし、ついていかなくても同じだという感じもした。このドアをまたぐのか、それともまたがないのか? 私は躊躇した……」(『私の中の漂泊の風景―フィリップ・ジャンティ全記憶』PARCO出版)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux
カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux

ジャンティが戯れていた空想の世界は、か弱いイメージの世界ではない、現実世界と拮抗する、もう1つの世界だったという。そして、この空想の世界に、4大陸47か国への旅で出会ったさまざまなイメージが融合され、その世界観は進化を遂げる。ショービジネスとしてのみならず、アートとしても高い評価を獲得したフィリップ・ジャンティ。1976年には、ピナ・バウシュも拠点としたパリ市立劇場で作品を発表し、『エジンバラ国際演劇祭』『アヴィニヨン演劇祭』など、数々の国際的な演劇祭でも彼の作品は上演されるようになっていった。

しかし、どんなに成功を収めても、空想の世界と共に暮らしてきた少年の精神は変わっていない。「アレックス」はいつしか彼の中から消えてしまったそうだが、彼はアレックスを生み出すようなイマジネーションを今でも大切にしており、そんなイマジネーションを働かせることを観客にも求めている。

「私の公演はいずれも、努めて言葉を使わないように、そして観客とともに結社を組んで、ストーリーの意味づけを儚くすることで成り立っています。意味づけは観る人ひとりひとりによって変わってゆきます。私が一番嫌うのは、一義的な定義の中に作品を閉じ込めてしまうことです」(『忘れな草』2014年来日公演に寄せて)

「イマジネーション」という、苦しい人生に向き合うための、切実で実用的な1つの方法

現実世界と拮抗するほどの強い空想世界と共に生きてきた少年時代。そして、自らと同じようにイマジネーションを働かせることを観客に求めるジャンティ。彼がそこまでに強く「空想」というものを信じるのはなぜだろう? その理由は彼の生い立ちともつながってくる。

ジャンティは「苦しくて悲しい」人生を送ってきた人間だ。自叙伝によれば、最初の記憶は6歳の頃(1944年)。当時、対ドイツのレジスタンス運動員であった母の元に生まれたジャンティは、家を焼き討ちにされ、家族と共にドイツの憲兵から逃げ惑う生活を繰り返していた。思春期には寄宿学校の規律正しい生活に嫌気がさして幾度となく逃げ出し、授業では戦争の歴史を習うことに耐え切れず、陸軍時代には手首にカミソリを当て自殺未遂を図った。「とても遠い所へ行きたい」と答えたジャンティを、精神科医は「幼稚症」と診断し、彼の兵役は免除される……。そんなエピソードを連ねた自叙伝内に、ジャンティは「逃避の覚え書き」という章タイトルをつけている。つまり彼にとっての「イマジネーション」とは、苦しい人生に向き合うための、切実かつ実用的な方法の1つでもあったのだ。

カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux
カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux

だから、彼の描くイマジネーションは、健康的なものばかりではない。舞台上で生身の俳優と共存する人形たちは、丁寧な演技で作品に生命を吹き込んでくれるものの、時に放り投げられ、舞台上に叩きつけられてしまう様は残酷そのもの。その打ち捨てられた人形を観るとき、観客は死体を想起せずにはいられないだろう。ジャンティの生み出す幻想的な空間は、どこか死と生とが入り乱れた不穏な様相を帯びている。「夢のような」と形容されるジャンティの作品は、陰鬱な死の影も漂わせるのだ。

夏目漱石が『夢十夜』で描いた「死の影」との共通点

例えば、夏目漱石に『夢十夜』という作品がある。「こんな夢を見た」という書き出しから始まる10作の短編連作には、『こころ』や『坊っちゃん』などで見せる国民的大作家としての姿ではなく、極めてパーソナルで、空恐ろしさをも感じさせる漱石の姿がある。

「そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いてみた。死にますとも、と言いながら、女はぱっちりと目を開けた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる」(『夢十夜』第一夜 岩波書店)
「自分は大変心細くなった。いつ陸へ上がれることか分からない。そうしてどこへ行くのだか知れない。ただ黒い煙を吐いて波を切っていくことだけは慥か(編集部注:たしか)である。その波はすこぶる広いものであった。際限もなく蒼く見える。時には紫にもなった。ただ船の動く周囲だけはいつでも真白に泡を吹いていた。自分は大変心細かった。こんな船にいるより、いっそ身を投げて死んでしまおうかと思った」(『夢十夜』第七夜 岩波書店)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux
カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux

『夢十夜』は、明治41年の夏に『朝日新聞』にて連載された。怪談・奇談的なニュアンスが強く、そこには随所に死の影が忍び寄っている。評論家の吉本隆明は、かつてこの作品を漱石による「宿命」の物語であると読んだ。

「漱石は『夢十夜』のなかでひとつとして、気持ちのいい夢を描いていないとおもいます。いずれも受け身であるとか、不安であるとか、恐怖であるとか、どこかすごく深いところで原罪につながっていくみたいな、そういう夢を描いているとおもいます」(『夏目漱石を読む』ちくま文庫)

フィリップ・ジャンティの作品もまた、観る者に「恐怖」や「原罪」につながった負の感覚を与えている。彼は『忘れな草』の再演にあたって、こう綴っている。

「この戯曲は、ロマンティックな空想の物語ではありません、人間の内面世界や、自身の中で対立するものとの葛藤を探っていく作品です。ここで言うのは、現実の世界で起こっている社会的な葛藤ではありません。人は心の中で、不安や怖れ、恥辱、欲望、破滅、強迫観念といった感情と向き合っているのです」(『忘れな草』2014年来日公演に寄せて)

苦い過去を「遺物」ではなく「生きた素材」として肯定的に捉え、イマジネーションと掛け合わすことを試みたオリジナル版『忘れな草』

では、今回来日公演が実現するリニューアル版『忘れな草』は、どのような制作過程で生み出された作品なのだろうか?



オリジナル版『忘れな草』の創作において、ジャンティに深いインスピレーションを与えたのが、パートナーであるメアリー・アンダーウッドが見た夢だった。そして、メアリーがつけていた夢日記に、ジャンティ自身の少年時代の記憶が重なり、「一人の女性」と「夢の配達人」が登場する作品の枠組みが構想されたのは1992年のこと。ただし、記憶に基づくそのクリエイションは、ともすれば「懐かしき良き時代を振り返る」という懐古趣味に堕してしまうおそれもある。特に自由なイマジネーションを大切にするジャンティにとって、記憶とはあたかも墓場のような場所でもあったかもしれない。しかし、アーティストとしての長い時間を経て、幼い孫に向かい合いながら「思い出を、遺物ではなく、生きた素材とみなすようになった」と言うジャンティは、過去を肯定的に捉え直し、思い出や抑圧された記憶の中に価値を見出そうと試みたのだ。完成した『忘れな草』を観たジャンティは、あらためて以下のような感想を述べている。

「初めて見る風景なのに、ずっと前からここにいるような気もする。まるで風景が、秘められていた親密なモチーフを繰り返しているかのようだ」(『私の中の漂泊の風景―フィリップ・ジャンティ全記憶』PARCO出版)

初演から20年後、ノルウェーの学生の「若さ」によって生まれ変わったリニューアル版『忘れな草』

翌1993年には来日公演も実現し、商業的な成功を収めた『忘れな草』の公演。しかし、ジャンティは、この作品の仕上がりに最大限の満足をすることはできなかった。父の死や寄宿舎を脱走した記憶などが取り込まれ、陰鬱とも言えるこの作品に、彼はもっと不条理さやユーモアを取り入れたいと考えていた。そして、リクリエイションのチャンスは、思わぬ場所で実現する。初演から20年を経た2012年、ノルウェー演劇学校に招聘されたジャンティは、学生たちの授業プログラムとして、この作品を再演することになったのだ。ノルウェーの白い雪景色が見せる美しさは、舞台美術に新たな可能性を与え、何よりも、未熟さを情熱によって補う若者たちのエネルギーは、慣れない人形操作や新たに組み込まれたタップダンスのシーンも我がものにし、ある意味、『忘れな草』をほとんど別のものに変えてしまった。新たな生命を吹き込まれたリニューアル版『忘れな草』は、演劇学校の授業という枠を超え、昨年にはフランスでの公演も実現。各紙の劇評でも絶賛をもって迎えられた。

カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux
カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux

「我々は幼年時代からの一人の女の記憶の中へ“フラッシュ・バック”しながらそして自然の広大さの中にあって入り込んでいくのだ。そして人間の中に埋もれた動物性を取り戻すがごとく、人間的行動を前に、動物的な驚きを取り返してゆくのである」(フランス『ユマニテ』紙)

フランスでの再演初日を終えて、安堵と共にジャンティはこう語っている。

「観客のうちの何人かは、自分にとって一番素晴らしい作品だと言ってくれた。しかし私は違うと言いたかった。これは私たちにとって一番素晴らしい作品だった。その製作に皆が最も力を合わせたからだ」(『私の中の漂泊の風景―フィリップ・ジャンティ全記憶』PARCO出版)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux
カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』過去公演より ©Claire Marie Leroux

この作品は、もはやジャンティの空想だけの産物ではない。ジャンティの記憶に、メアリーの夢、そしてノルウェーの学生たちの熱意が折り重なって成立したものだ。そして、何よりもこの作品に大切なものが、観客の眼差しだろう。なぜなら作品はそれを見る人が存在して、初めて意味を帯びてくるからだ。そしてジャンティは観客に、こんなことをリクエストしている。

「夢の世界に飛び込み、連なる空想のイメージに身をゆだねる用意があなたにあれば、この作品を通して、心躍る驚きの旅が、そしてあなた自身の想像力を映し出す鏡となる何かが、きっと待っているはずです」(『忘れな草』2014年来日公演に寄せて)

いったい、フランスからノルウェーに場所を移した配達人が届ける夢は、どのような姿をしているのだろうか? そして、それを目撃したときに、日本の観客たちはどんなイマジネーションを描くことができるのだろうか? 10月から11月までの1か月間、夢の配達人は日本全国10か所に現れる。

イベント情報
カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』

作・演出:フィリップ・ジャンティ 振付・共同演出:メアリー・アンダーウッド 音楽:ルネ・オーブリー 出演:カンパニー・フィリップ・ジャンティ

東京公演
2014年10月16日(木)~10月26日(日)全13公演
会場:東京都 渋谷 パルコ劇場

名古屋公演
2014年10月28日(火)全1公演
会場:愛知県 ウィンクあいち 大ホール

京都公演
2014年11月1日(土)、11月2日(日)全2公演
会場:京都府 京都劇場

仙台公演
2014年11月4日(火)全1公演
会場:宮城県 仙台 イズミティ21 大ホール

盛岡公演
2014年11月6日(木)全1公演
会場:岩手県 盛岡劇場 メインホール

大阪公演
2014年11月8日(土)全1公演
会場:大阪府 森ノ宮ピロティホール

山口公演
2014年11月11日(火)全1公演
会場:山口県 山口市民会館 大ホール

広島公演
2014年11月12日(水)全1公演
会場:広島県 アステールプラザ 大ホール

北九州公演
2014年11月16日(日)全1公演
会場:福岡県 北九州芸術劇場 大ホール

東京凱旋公演
2014年11月19日(水)全1公演
会場:東京都 新国立劇場 中劇場

関連チケット情報
2014年10月16日(木)〜10月26日(日)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:PARCO劇場(東京都)

2014年11月4日(火)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:イズミティ21 大ホール(宮城県)

2014年11月1日(土)〜11月8日(土)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:京都劇場(京都府)

2014年11月6日(木)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:盛岡劇場 メインホール(岩手県)

2014年11月12日(水)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:アステールプラザ 大ホール(広島県)

2014年11月16日(日)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:北九州芸術劇場 大ホール(福岡県)

2014年10月28日(火)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ 「忘れな草」
会場:愛知県産業労働センター 大ホール(愛知県)

2014年11月19日(水)

カンパニー・フィリップ・ジャンティ「忘れな草」
会場:新国立劇場 中劇場(東京都)

書籍情報
『私の中の漂泊の風景-フィリップ・ジャンティ全記憶』

2014年10月3日(金)発売
著者:フィリップ・ジャンティ
日本語訳:プジョー友子
価格:未定
ページ数:304頁
発行:PARCO出版

プロフィール
フィリップ・ジャンティ

フランス・サヴォア地方出身。12歳で初めて人形を作って以来、その手は休むことなく物を作り続けている。パリのグラフィック・アートスクールを経て、20歳のときに友人と手作りのマリオネットを車に乗せ、4大陸47か国を訪問。世界の人形劇をフィルムに納める。この旅の途中で日本にも立ち寄り、1年間を文楽の師匠のもとで過ごした。フランスに戻り、旅で得た数々のイメージを基に、人間と人形が共存する独特の舞台作品を確立。国内外に活動の場を広げ、主宰するカンパニー・フィリップ・ジャンティでは、パリ市立劇場を拠点に2、3年ごとに新作を発表し続けている。



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