森本千絵と見る現代アート『幸福はぼくを見つけてくれるかな?』

「私たちのまわりに / ありふれた言葉を / ありふれた力を」。そんな言葉で始まる「みとめる」という詩があります。沖縄の海を臨む防波堤に大きく描かれたこの詩と絵を、1枚の写真をきっかけに知ったのがアートディレクター・森本千絵さん。実際に描いた姉妹を見つけ出し、一緒に同じ防波堤にMr.Childrenの歌詞を描いた写真が彼らのベストアルバムのアートワークを飾り、森本さんの活躍の出発点にもなりました。

さて、「みとめる」とは受け入れることだけでなく、今まで見えなかった物事や考えに気付くこと、でもあるかもしれません。ある種のアートは、日常の視点をずらし、置き換えることで、世界の未知の姿を認めるきっかけをくれます。そうした表現が、ユーモラスなものから哲学的なものまで揃う美術展が『幸福はぼくを見つけてくれるかな?』。そこで今回、森本さんをお誘いし、会場の東京オペラシティ アートギャラリーでその世界に浸ることになりました。

鑑賞者の意識を変える「わけのわからないもの」とのコミュニケーション

会場に集合し、いざ鑑賞! と入口をくぐると、係員がやおら森本さんに話しかけてきました。「お名前は?」

森本:も……森本千絵ですっ!

こちらも慌てて「しゅ……取材ですっ!(汗)」と駆け寄ろうとしたそのとき、その係員さんはよく通る美声で会場奥に向かって宣言しました。

「森本千絵さま~~!」

ピエール・ユイグ『ネーム・アナウンサー』©Pierre Huyghe, courtesy the artist and Esther Schipper, Berlin photo:Andrea Rossetti
ピエール・ユイグ『ネーム・アナウンサー』
©Pierre Huyghe, courtesy the artist and Esther Schipper, Berlin

実はこれ、最初の作品なのでした。ピエール・ユイグの『ネーム・アナウンサー』は、来場者に名前を聞き、それをアナウンスするというもの。「美術展の主役は作品で、来場者は受け手」と思いがちな関係性をゆさぶる、まさに挨拶代わりの一作です(会期中の火、金、土、日曜日のみ。時間は不規則ですが18:00頃まで体験できます)。

森本:なるほど、たしかに意識が変わりますね! 美術館という場所で自分という存在が何なのか? っていう、ふだん考えないことに気持ちが向くのが面白いです。ところで、さっきの声とは別に、すぐ奥から妙に落ち着く歌声が聴こえてくるけど……。

続く作品も、これまたちょっと人を食ったような島袋道浩の作品『わけのわからないものをどうやってひきうけるか?』。ドイツの女学生に、日本語の歌謡曲を意味のわからないまま歌ってもらう映像です。「ヨーギリヨ~、コンヤモ~♪」という歌声は、どうやら石原裕次郎の名曲の一節。

島袋道浩『わけのわからないものをどうやってひきうけるか?』© Shimabuku, courtesy the artist, Berlin
島袋道浩『わけのわからないものをどうやってひきうけるか?』© Shimabuku, courtesy the artist, Berlin

森本:まさにタイトルの通りの作品ですね(笑)。でも、頭で理解しようとせず歌っているからこそ、音の中に「日本のうた」が持っている記憶みたいなものも感じるし、同時にいろんな国の人々に共通する何か——慕情みたいなもの? もあるのがわかる。だから、可笑しいけどホッとするのかな。

歌声に送られ先へ進むと、さきほどのユイグのもう1つの作品、こちらは長編映像の『未耕作地の場景』が。作家が国際美術展『ドクメンタ13』(2012年)で、会場の公園内に独自の生態系を出現させた試みを、その記録映像で再構成したものです。ピンク色の足をした犬が広場をさまよい、裸婦像の頭に無数のミツバチが群がるなど、美術と自然が入り交じるシュールな世界。

森本:うーん、これはちょっと恐い(笑)。でも、ここまでやると「超自然」と「超人工」はある種、融合するのかも、っていう世界観も感じます。いろんな背景が詰め込まれていそうな作品ですね。

ピエール・ユイグ『未耕作地の場景』© Pierre Huyghe, courtesy the artist, Esther Schipper, Berlin, Marian Goodman Gallery, New York / Paris
ピエール・ユイグ『未耕作地の場景』© Pierre Huyghe, courtesy the artist, Esther Schipper, Berlin, Marian Goodman Gallery, New York / Paris

一転、開けた大部屋に入ると、大壁に貼り付けられた1対の大きな目玉と眉毛が、森本さんのほうへキョロっと視線を向けてきました! コミカルな目つきで訪問者の動きを追うように動き続けるこの作品は、ライアン・ガンダーの作品『マグナス・オパス』(ラテン語で「最高傑作」の意)。森本さん、この作品がいたく気に入った様子です。

森本千絵とライアン・ガンダー『マグナス・オパス』© Ryan Gander, courtesy the artist and TARO NASU
森本千絵とライアン・ガンダー『マグナス・オパス』© Ryan Gander, courtesy the artist and TARO NASU

森本:かわいい~~! タイトルとのギャップがまた気になりますね。これが「最高傑作」って何なんだろう。観ている私たちのことか、それともこうして作品と人が見つめ合ってる状況のことかな……? ただこちらを見つめてくるだけじゃなく、逆に目の前にいても視線が合わなかったりするのも面白い(笑)。

壁の後ろで誰かが操作を? という気にもなりますが、センサーで制御しているのだとか。そのつぶらな瞳には、美術とは、また美術館や展覧会とは何か、という問いも宿るようです。しばし、無言のコミュニケーションを試みる森本さんでした。

800本の矢(!)というエネルギーに囲まれる体験

ガンダー作品は隣にもあり、こちらは空間全体を使ったインスタレーション。800本の矢が部屋中に突き刺さる大作の名は『ひゅん、ひゅん、ひゅうん、ひゅっ、ひゅうううん、あるいは、コンテンポラリーな振る舞いの発生の現代的表象、傾斜の動的様相についてのテオとピエトによる論争の物質的図解、百個の映画背景のためのクロマキー合成の試み、この三つの間』。な、長いっ(汗)! しかし森本さんはとにかく身体で感じようと、果敢に矢の中へ。

ライアン・ガンダー『ひゅん、ひゅん、ひゅうん、ひゅっ、ひゅうううん、あるいは、コンテンポラリーな振る舞いの発生の現代的表象、傾斜の動的様相についてのテオとピエトによる論争の物質的図解、百個の映画背景のためのクロマキー合成の試み、この三つの間』© Ryan Gander, courtesy the artist and TARO NASU
ライアン・ガンダー『ひゅん、ひゅん、ひゅうん、ひゅっ、ひゅうううん、あるいは、コンテンポラリーな振る舞いの発生の現代的表象、傾斜の動的様相についてのテオとピエトによる論争の物質的図解、百個の映画背景のためのクロマキー合成の試み、この三つの間』© Ryan Gander, courtesy the artist and TARO NASU

森本:風とか視線、時間……そういう何かの勢いを感じるなぁ。瞬間をとらえたようで、映像的でもある。モノそのものがどうっていうより、エネルギーや関係性みたいなものが見えてきそうです。

「関係性」といえば、この展覧会をとらえる上でもキーワードの1つかもしれません。前述のユイグらはかつて、キュレーター・批評家のニコラ・ブリオーによるエッセイ『関係性の美学』にて、「リレーショナルアート」の担い手として論じられました。そこではモノとして独立した作品自体を超え、そこにいたる状況やプロセス、参加者との関係にも焦点が当てられます。と書くと難しそうですが、続く壁面に現れるリアム・ギリックの作品が、それをシンプルに体現しています。

森本:壁に大きく「The anyspace whatever…」の1文……。意味深だけど、これはやっぱり、下に人が立ったり眺めたりしている状態が映えそうな作品です。これを見上げている人を、また遠巻きに見る体験とかね(笑)。

リアム・ギリック『任意空間』© Liam Gillick, courtesy the artist and TARO NASU
リアム・ギリック『任意空間』© Liam Gillick, courtesy the artist and TARO NASU

日本語でいうと「任意空間」。哲学者ジル・ドゥルーズの言葉で、映画の演出において、それ自体では明確な空間や意味も持たない断片的な要素が、他の要素との関係で多様な意味と空間を実現させる場合、それらは「任意空間」と見なされます。この展覧会全体が、そんな「任意空間」とも言える?

ドラマティックな作品に裏切られ、問いかけられる

ドラマティックなストーリーを予感させるものもあります。小泉明郎の『僕の声はきっとあなたに届いている』や、オマー・ファストの『コンティニュイティ』がそれ。前者は、都会暮らしの若者が、電話で母親を温泉旅行に誘うものの、後半、電話の向こう側が明らかになると……という衝撃作。後者は、戦地から戻った息子を迎えた夫婦が夕食を共にしますが、同じパターンで何度も繰り返される映像をよく見ると……という、やはりインパクトの強い奇作。詳しくはぜひ会場で。

森本:小泉さんのは、観る人の気持ちを巧みにどこかに運んでおいて、ポンッと突き放す感じ。ファストの作品は……恐い! 重い! けどすごい。観る人は物語がここに至るまでの大きな時間を受け取ることになる、そんな作品だと思いました。アートを見るとき、どこかで都合のいい「よき展開」を勝手に想定してしまうところもあるけど、いずれもそこを裏切ってくる作品ですね。

オマー・ファスト『コンティニュイティ』 courtesy the artist, gb agency, Paris, Arratia, Beer, Berlin, Dvir Gallery, Tel Aviv
オマー・ファスト『コンティニュイティ』 courtesy the artist, gb agency, Paris, Arratia, Beer, Berlin, Dvir Gallery, Tel Aviv

続いて、この展覧会のタイトルのもとになった作品を体験。ペーター・フィッシュリとダヴィッド・ヴァイスの『無題』は、暗がりにさまざまな質問が4か国語で現れては消える、詩情あふれる作品です。『幸福はぼくを見つけてくれるかな?』の1文はここから採られました。ふつうは人間のほうが幸せを見つけようと努力するのでは? など、問いがまた新たな問いを呼び起こすような空間。

森本:言葉がすごく面白いですね。「コレ見て下さい!」というだけの作品とは違うかたちで惹き付けられる。この2人組は今回の出展作家の中では最年長だそうで、だからという訳でもないけど、彼らの表現はこの展覧会全体に、いろんなかたちでつながっているような気もします。

ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイス『無題』©Peter Fischli David Weiss, Zürich 2014, courtesy Sprüth Magers Berlin London, Matthew Marks Gallery, New York, Galerie Eva Presenhuber, Zürich
ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイス『無題』©Peter Fischli David Weiss, Zürich 2014, courtesy Sprüth Magers Berlin London, Matthew Marks Gallery, New York, Galerie Eva Presenhuber, Zürich

僕は世界を救わないことにきめた?

自身の出自との関係を暗示しつつ、より広い感性につなげるような作品を見せるのは、ヤン・ヴォーと、グレン・ライゴン。故郷ベトナムからボートピープルとしてオランダに亡命したヴォーは、ベトナム戦争に絡む事物——当時の米大統領や国防長官の遺品、後に反古にされた和平協定の場にあったシャンデリアなど——を、自らオークションで落札して無造作に展示。またアフリカ系アメリカ人のライゴンは、スイスの小村を黒人として初めて訪れた小説家のエッセイ『村の異邦人』のテキストを、キャンバス上に解読不能になるほど塗り重ねます。

森本:本人たちの気持ちを私たちがどうとらえるか、は難しいですよね。安易に「共感した」と言えば嘘になる。彼らがどれだけのものを背負うことになったのか、また、それらをいったん普遍性でドライに上書きしたうえでの作品なのか……。全然違うんですけど、私、子どもたちとのワークショップで「大切なもの交換」をやったことがあって。1周目は、ただ何も言わず交換。「何だこの紙切れ?」みたいのも多いんだけど(笑)、2周目にそれがどう大切なものかのストーリーを伝え合う。すると同じものでも全然、手にする重さが変わる。そのことをちょっと思い出しました。

手前:ヤン・ヴォー『セントラル・ロトンダ / ウィンター・ガーデン』© Danh Vo 奥:グレン・ライゴン『ストレンジャー#67』© Glenn Ligon
手前:ヤン・ヴォー『セントラル・ロトンダ / ウィンター・ガーデン』© Danh Vo 奥:グレン・ライゴン『ストレンジャー#67』© Glenn Ligon

展示の最後は、余韻を味わうような映像の小品3点。フィッシュリ&ヴァイスの『子猫』『犬』(どちらもタイトルそのまま、カワイイだけで事件は何も起きません!)、そしてミルチャ・カントルの『僕は世界を救わないことにきめた』(この言葉を幼な子が笑顔で宣言するだけ)。

森本:展覧会後半がちょっと重めのディナーみたいなシリアスさだったから(苦笑)、これはさっぱりしたデザートみたいでいいな。映像としてのオチは何もないけど、じっと観てしまう。『僕は世界を救わないことにきめた』は、この子の母国語でない英語で読んでいるから、意味深なメッセージにもあざとさがない。子どもの素敵さと恐さ、両方が出ているのかな。

「コンセプチュアル=頭でっかちな表現」とは限らない?

展示を観終えた森本さんに、あらためてお話を聞きました。まず、この展覧会の成り立ちを簡単に補足説明させてもらうと、実は出展作品はいずれもあるコレクターが収蔵しているものです(あの入場アナウンス作品も)。その人とは、ファッションブランド「earth music & ecology」で知られるクロスカンパニーの代表でもある石川康晴さん。ゆくゆくは故郷・岡山に美術館を設立して地域活性化に貢献したいという目標もあるとか。そんな彼が愛するのは、モノとしての目に見える魅力だけでなく、思想や意味を扱うコンセプチュアルなアートのようです。

森本:どれもその背景にあるものを知ると面白い! という作品でした。一見するとユルい感じだったり、ものすごく当たり前の日常を扱っていても、実は針の穴に糸を通すような緻密さがあると感じたり。こっちが気を抜いていたな、って思う瞬間もありました。しかも特別な世界のことじゃなく、普通の暮らしの中で見えていなかったものにゾクっとしたり。そういう意味で、特定の答えが差し出されるというより、観る側の内側に溝が刻まれるような体験です。

森本千絵

森本さんは、同世代でもあるライアン・ガンダーの作品には特に惹かれた様子。そういえば、目玉の作品と見つめ合ったり、矢であふれる空間にしばし浸っている姿が印象的でした。

森本:いろんなアイデアやメッセージにあふれた作品がある中でも、矢の作品は、いきなり強い空間の力に浸れる体験でよかった。コンセプチュアルといっても、実際に会場にきてナンボという作品もあるんだっていうのが発見でしたね。全体的には、ピリっとした刺激の効いたものが多かったです。小泉さんやファストの映像作品は、いわばウソが自分の体の中でホントになる瞬間っていうか。あれは相当な緻密さで完成しているとも思う。

「ピリっとした刺激」。それはユーモラスなものから皮肉の効いたもの、はたまたシリアスな問題提起までさまざまです。森本さんにとっての「ピリッ」の素になるものとは?

森本:目の前のものがたとえ作りものだとしても、そこで表現されたことによって、自分との間に摩擦が起きるっていうこと。しかも、描かれたものだけじゃない、目に見えているものだけじゃないところで起こる。手ではさわれないし、でもその部分ごとが実は真(まこと)であるっていうか……ある意味では写し鏡みたいなものなのかな。

ライアン・ガンダー展示風景 © Ryan Gander, courtesy the artist and TARO NASU
ライアン・ガンダー展示風景 © Ryan Gander, courtesy the artist and TARO NASU

アートとの出会いや発見の中で結ばれる「ご縁」

森本さんはアートディレクターとして広告やミュージシャンのアートワークを手がけ、近年は舞台美術やアート作品も手がけています。多くは「かたちあるもの」ですが、そこに至るプロセスでさまざまな人との関わりを生み、発表後も物語が広がっていく表現が森本流。たとえば過去には商業施設とのコラボレーションで、何の変哲もないコインロッカーを使って、見知らぬ誰かとプレゼント交換をするイベント「present→present」などのアイデアも実現しています。個人の作品では、大木から垂れる無数の受話器を手に取ると、離れた電話ボックスで誰かが話したメッセージが聞ける『受話樹』なども。

森本:小さいころから「相手があってこそ自分が見える」みたいな関係性、またそれを通して何かを「想像する / してもらう」っていうことが好きでした。広告のお仕事をする際も、そういう部分は必ず1つ、しっかり点を置いてやっています。それを基点にいろんなものを釣って広げていくような感じかな(笑)。

グレン・ライゴン『ストレンジャー#67』© Glenn Ligon
グレン・ライゴン『ストレンジャー#67』© Glenn Ligon

「関係性」という目に見えないものから発想が生まれ、それが何かの力と掛け算されて、世に出せることは多いという彼女。ある場所に何かをそっと置いた瞬間、何かが照らされたり、人の意識がちょっと変わる、そんなアイデアを考えるのが好きだそうです。その点では、表現者としても今日見てきたようなアートに共感するところはあるでしょうか?

森本:コミュニケーションデザインみたいな部分では、どこか重なるところもあるように感じました。広告では、たまたまそこを通った人の目を一瞬で惹き付けなくてはいけない点で、ある種の「裏切り」で目を引く方法もよく用いられます。でもどうせ裏切るなら、何か価値のあるもの、単なる刺激を超えてその人の内側に響くものを残したい。ここにある作品はアートの世界でそういう力を発揮していて、しかも難解すぎない感じがいいですね。観て回るうちに、こちらの見方が鍛えられる感じもする(笑)。

森本千絵

たしかに、この展覧会の作品は「どう観てもいいですよ」という投げっぱなしの態度ではなく、かつ「唯一の模範解答」には落とし込まない幅を持って設計されているように思えます。人々とのワークショップを通した活動も多い森本さんは、表現におけるコミュニケーションの枠組み作りの点でも感じることはあったのでしょうか。先日、『日本建築学会賞』を受賞したシティホール「アオーレ長岡」のお仕事にも絡めて聞いてみました。

森本:気付いてほしいポイントはちゃんとあって、でも答えが万人共通でもない、そんなコミュニケーションデザインができたらいいと思うし、そういうアートも素敵だと思う。アオーレ長岡の例で言うと、ワークショップを通して市民参加者の意識が変わっていったのがすごく印象的な体験でした。それぞれの思い出がつまった元公園の敷地に新しいホールが建つので、みなさんいろんな思いがあったようです。それが、いろいろ話し合ったり、市民の方がダンスするPR映像を自作したりする中で、新しいホールが各々の未来を詰め込む装置なんだな、と気付いていった。そこからいろいろな物事の関係が変わっていって。私にとってはそれが一番大きかったです。

ちなみに、森本さんのデザインカンパニーの名前「goen°」は、人との縁、円などを連想させる言葉。取材時に名刺と一緒に、1枚の手作りコイン(五円玉風?)もいただきました。出会った人々に手渡したり、素敵な風景に出会ったときはそこに思いっきり投げ込んでみたり、ジャンベ(太鼓)の音調節用にちょうどいいとか、手にした人それぞれの使い方で広がっているそうです。1枚のコインをきっかけに新しい窓が開かれ、さらにいつか点と点がつながっていく。これも人々を介して育っていく作品?

『goen°玉』
『goen°玉』

この展覧会場で、訪れる私たちを「見つけてくれる」のは、「幸せ」とは限らないかもしれません。畏れ、疑問、クスリと漏れる笑い、などなど。ただいずれにも言えるのは、それは目に見えるかたちで来場者を待ち構えているというより、各人がアートと出会う中で、見えない点と点がつながったとき成立する関係だということ。そんな「ご縁」を結べるかどうかは、あなた次第なのです。

イベント情報
『幸福はぼくを見つけてくれるかな? ─ 石川コレクション(岡山)からの10作家』

2014年4月19日(土)~6月29日(日)
会場:東京都 初台 東京オペラシティ アートギャラリー
時間:11:00~19:00(金・土は20:00まで、最終入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(4月28日、5月5日は開館)
料金:一般1,000円 大・高生800円
※ 中・小学生以下無料

関連企画
島袋道浩アーティストトーク『わけのわからないものをどうやってひきうけるか?』

2014年6月7日(土)15:00~16:30(開場14:45)
会場:東京都 初台 東京オペラシティビル7F 第二会議室
料金:無料(展覧会の入場料は別料金)
定員:80名(要予約、詳細はウェブサイト参照)

プロフィール
森本千絵 (もりもと ちえ)

コミュニケーションディレクター・アートディレクター。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科客員教授。1976年、青森県三沢市生まれ。1999年、武蔵野美術大学卒業後、博報堂入社。2006年、史上最年少で東京ADC会員となる。2007年、独立。「出逢いを発明する。夢をカタチにし、人をつなげていく。」集団、「goen°(ゴエン)」を設立。企業広告はもとより、松任谷由実らミュージシャンのアートワーク、動物園のディレクションや保育園の内装などを手がける。東日本大震災復興支援CMサントリー『歌のリレー』で『ADCグランプリ』初受賞。他、『日経ウーマンオブザイヤー2012』『2014年日本建築学会賞』『第4回伊丹十三賞』など多数受賞。



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