メイン画像:© Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.
いつも何かに苛立っている。買い物に行った店の従業員から、声をかけてきた知らない人、親族でも、誰も彼も関係ない。見境なく怒鳴り散らして、当たり散らす。『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』主人公のパンジーは、そんな人間だ。
イギリス映画界の巨匠、マイク・リーが6年ぶりの新作で描いたのは、一見して誰からも疎まれるような存在であり、それでいて心には深い悲しみを抱えた人間。そして、その人を取り巻く人間関係だった。
「そんな人をひとりも知りませんか?」。リーは、突き刺すような問いかけを、本稿の書き手に投げかけた。映画批評家、常川拓也が映画作品を通して社会を見つめる連載コラム「90分の世界地図」第6回目は、そんなリーのインタビューを通して、『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』を紐解き、さらにマイク・リーが映画で表現したい本質的な側面にまで肉薄していく。
映画と同様、少し手厳しいリーは、問いをかわすかのような答えもあった一方で、一貫して「私は人間を、人生を撮っているのだ」と力強く語っている。主人公をどうしてあんな厄介者にしたのか? どんな気持ちであのような結末を選んだのか? 率直に紐解いていく。
あらすじ:パンジーは、夫や息子と暮らす中年女性。いつも何かに苛立ち、身近な人々との衝突を繰り返している。配管工の夫や20代の無職の息子との関係もぎくしゃくする日々。しかし、対照的な性格の妹、シャンテルと母の日に亡き母の墓参りに行った時から、自分の秘められた気持ちと向き合う。その心の奥には、長年、家族に複雑な思いを抱えてきたパンジーの深い孤独や悲しみが浮かび上がってくる……。
ネガティブな姉とポジティブな妹。対峙するのが難しい現実「Hard Truths」とは何だろう
御歳82歳のイギリス映画界の巨匠、マイク・リー。第一作は、「希望のない瞬間」と題された長編映画『Bleak Moments』(1971年)だった。それから50年以上にわたって、ロンドンを中心とした労働者階級の人々の、生活の悲喜劇を辛辣に描き続けてきた。彼の映画は、共感を呼び起こすために感傷に浸らせようとしたり、悲運で涙を誘わせようとしたりはしない。
最新作の題名は、その作風を簡潔に表しているかのようだ。オンラインインタビューに応じたリーは、「『Hard Truths』とは、自分にとって対峙するのが難しい真実を意味する」と説明する。「このことは、本作の結末とも関連しています。まさに、テーマにふさわしいタイトルだと考えました」
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2014年の伝記映画『ターナー、光に愛を求めて』、そして2018年の歴史映画『ピータールー マンチェスターの悲劇』を経て、『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』は、約6年ぶりに舞台が現代に回帰した。本作でリーは、再び庶民が家庭内で起こる問題にどう向き合うかを問う。主人公の主婦であるパンジーを演じたのは、マリアンヌ・ジャン・バプティスト。リーの名を世界に知らしめた1996年の『秘密と嘘』にも出演している。
パンジーは、無口な配管工の夫・カートリーと内向的なニートの息子・モーゼスとともにロンドンで暮らしている。家の清潔さに反して、内部は沈黙か罵倒が支配している。彼女は夫と息子の現状に苛立ち、不平不満を日々容赦なくぶちまけているため、その矢面に立たされるふたりは心を閉ざしてしまっているのだ。夫は過重労働へ、息子はジャンクフードとゲームへと逃げ込むだけ……。まともにコミュニケーションを取ることができず、不和に陥ったひとつの家庭の無力さと根深い孤独を浮き彫りにしていく。
パンジーは家族だけでなく、さまざまな店の従業員や医者など、気に食わないことがあれば手当たり次第に怒鳴り散らす。対照的に、美容師の妹・シャンテルはいつも明るく利他的で、ふたりの娘とも仲がよく、男性不在の彼女の家庭では喜びに満ちた生活が見られる。妹はパンジーの意地悪や愚痴も笑顔で受け止め、なんとか姉の悲観が悪化しないよう、見放さず気にかけている。
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ネガティブな姉とポジティブな妹は、それぞれリーの過去作『ハッピー・ゴー・ラッキー』(2008年)に登場する偏狭な運転教官と極度の楽観主義者を彷彿とさせる。あるいは、モーゼスは『人生は、時々晴れ』(2002年)に出てきた大柄の少年(ローリー)と同じく、路上でいじめられ、欲求不満を抱えている点で共通性があるようにも見える。しかしリーは、たとえどこか似ていたとしても、自作同士を呼応させているわけでも、探求したい人物像が継続しているわけでもない、ときっぱりと述べた。
「たしかにモーゼスとローリーが大男だというのは間違いない。でも、それ以外はまったく異なる人間です。ローリーはフラストレーションが溜まっていて、怒りっぽく、感情の起伏が激しいが、一方のモーゼスにはそういった感情はあまりない。彼もフラストレーションを感じているかもしれないが、それはすべて内面化されています。異なる物語の別々の人物であって、私の映画に登場する人物同士を比較することはできないと思います。
私の映画は、どれも人生観、社会観、そして生きることの複雑さ、そのほかあらゆるものから生まれています。言うまでもなく、それこそが私の作品の根幹。それぞれ異なる探求を行っているため、私にとっては、個々の作品を具体的に関連づけるのは難しい。どれも同じジャンルではあるが、異なる人々、異なる境遇、異なる種類の痛みと苦しみと喜び、そして生きること、つまり人生について探求しているのです」
「あなたも彼女を知っているはずだ」……誰彼構わず当たり散らす、厄介な主人公を描く理由
家族間の愛憎を描き、リーの名を世界的に知れわたらせた映画の題名──『秘密と嘘』──が象徴するように、家は、人があらゆる秘密と嘘を露わにする場所である。隠された人間性を掘り下げていく彼だが、しかし家のなかで巻き起こるドラマを描くことに特別こだわっているわけではないと強調する。映画同様に、彼の応答は鋭く手厳しい。
「もちろんこの映画は家のなかだけですべてのことが起きているわけではありません。家の外や妹のアパートなど、ほかの場所でも物事が起きている。でも、登場人物たちが体験する場所を一種の舞台として捉えるなら、映画として家がステージという見方も確かにありえます。ただ、私はそういう観点では考えません。それは見方の問題だと思います」
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本作の大胆さは、周囲を誰彼構わず非難するパンジーの言動を、説明することも弁解することもなく提示することにある。彼女の攻撃性の原因をはっきりと特定できれば、観客は安心して物語に身を置くことができるかもしれない。映画は観客の共感を育むことを好む傾向にあるなかで、このような「厄介な」女性像を正当化することなしに構築していくことは、チャレンジングな試みだろう。
しかし、これまでも好感の持てないキャラクターを軸に物語を組み立ててきたリーの卓越した手腕は、セリフによって秘められた背景を詳らかにするのではなく、役者の演技と細部の描写によって、暗示的に彼女の状態を見せていく。このようなリスクの高い課題に取り組むことについて聞くと、リーは「パンジーのような人を周りでひとりも知りませんか?」と逆に問いかけてくる。「おそらく、いや間違いなく彼女のような人をあなたも知っているはずです」
「この映画に入り込んで向き合っていくうちに、パンジーを完全に好きにはならなかったとしても、彼女に共感し、少し理解する機会を得られると思います。なぜなら、次第にパンジーの弱さ、そして抱えている痛みの根源が見えてくるからです。彼女が妹と過去について語り合うとき、変化が起こっているのがわかると思う。人生は複雑なので白黒はっきりしたものではなく、彼女も単に気難しく攻撃的な女性だと片付けられるものではない。パンジーのように気難しい人は世の中にたくさんいます。それが答えなのです。映画を観る時間のなかで、ひとりひとりの観客の反応とともに、彼女への理解は育まれていくと考えています」
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パンジーを蝕む怒りと苦しみの根源には、どうやら5年前に亡くなったシングルマザーだった母への未練があったということが、妹から母の日に誘われた墓参りの際に垣間見えてくる。自宅で母親の遺体を発見したパンジーは以来、そのことに精神を支配され、次第に希死念慮を抱くようになっていたようだ。
おそらく、パンジーは何か精神疾患を抱えているのだろうと感じる。痛みを紛らわせるかのようにふて寝を繰り返し、絶叫とともに目を覚ます。家中を消毒用アルコールで拭き、何も侵入してこないように頑なに窓を閉ざす。不安が増幅されていった結果、外界を脅威とみなし、汚染される恐怖に苛まれる強迫観念を抱えている。劇中では心理的な説明は避けられているが、こういった防衛本能を感じる言動からそう推察できる。
「彼女が精神疾患を抱えていると考える人もいれば、そう思わない人もいるでしょう。もし彼女がセラピーを受けたとしたら、きっと助けになることは間違いない。そういう意味では、たしかに彼女は何らかの精神疾患を抱えていると思う。しかし、この映画は病状について描いた作品ではありません。これは、一般的に多くの人々が抱え込み、苦しめられている感情についての物語です。それは、彼女たちの辿ってきた人生、彼女たちの人生が向かう方向、そして彼女たちの生き方や暮らしている場所から生じる抑うつ状態であり、そのなかでどう生きるかを描きたいと考えていました」
リーは「ハッピーエンド」をどう思っているのか?「すっきりしない」結末に委ねられた解釈
舞台演出の出身であるリーは、独特な撮影手法でも知られる。俳優たちと数か月におよぶリハーサルを行い、細部まで議論していきながら、それを脚本に落とし込み、物語とキャラクターをかたちづくっていくのだ。本作も3か月半のあいだリハーサルを重ね、人物像をつくり上げていったという。このような手法を自作に取り入れているのが、『ANORA アノーラ』(2024)のショーン・ベイカーだ。以前、ベイカーにインタビューした際にも、リーからの影響を公言してはばからなかった。そのことをどう思うかと問うと、「大変うれしく思うよ」と、リーの威厳ある表情がやや緩む。
「『ANORA アノーラ』は素晴らしい映画でした。その彼が私に何らかのインスピレーションを求めてくれていることは、本当に光栄なことですよね。彼には心から幸運を祈っています」
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イギリス文化では伝統的に、チャールズ・ディケンズ(※)をはじめ、庶民の生活や苦悩を現実的な視点で見つめる潮流がある。映画界でも1950年代後半から60年代前半まで、労働者階級の日常的な問題を探求するリアリズム映画が意欲的につくられるようになった。マイク・リーは、同世代のケン・ローチとともに、「ブリティッシュ・ニューウェイヴ」と呼ばれる、その伝統を踏襲する代表的な映画作家として知られる。たしかに両者とも社会の不平等に敏感である一方で、彼らの政治へのアプローチには違いがある。
マイク・リーは、ケン・ローチと比べて、社会 / 政治的なメッセージは意図的に曖昧にしてあって、社会状況よりも人間そのものに興味を持っているように見えるのだ。アフリカ系の家族を観察した本作でも、人種差別が直接的に言及されることはほとんどない。
※イギリスの小説家(1812年〜1870年)。主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を発表した。代表作に『クリスマス・キャロル』などがある。
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「いい質問ですね。ケン・ローチと私は長年の知り合いで、友人でもあります。私たちの映画をともに観る人もたくさんいて一緒くたにされがちですが、私たちの映画は実際はまったく異なります。あなたが言う私たちの違いはまさにその通りだと思います。ケン・ローチの映画は、非常に明確でシンプルな政治的メッセージがある。『 こう考えろ!』とね。それが彼の映画のテーマであり、その点で非常に優れています。一方、私は 『 こう考えろ!』とは決して言わない。私はプロパガンダ映画はつくりません。
ただ、唯一の例外は実際に起こった虐殺事件を扱った『ピータールー』で、あの映画には明白に政治的なメッセージを込めていたと思う。なぜなら、その題材自体が、本質的に政治をテーマにしていたから。それ以外の私の映画は、人生や社会、そして人間のあり方について暗示的に語っています。すべてメッセージがないわけではなく、観客に人生や社会、自分自身、人間関係、そのほかあらゆることについて、暗黙のうちに感じ取り、考えてみてほしいとうながすのです」
だからこそ、リーは映画にすっきりとしたハッピーエンドを用意しない。一般的な映画であれば、パンジーのなんらかの精神疾患や恐怖症が何かしら改善して終わるだろう。しかし、本作ではすべてが解決したかどうかは定かではない。パンジーはようやく呪いのスパイラルから抜け出せたかと思いきや、再び部屋に閉じこもってしまうのだ。あの攻撃的な物言いがあらためられるわけでもない。
古典的な三幕構成の慣習に縛られないリーは、わかりやすい「変化」や「成長」を描かない。映画の最初と最後にパンジーの家の外観を捉えたショットが映されるが、あたかもそれらは何も変わらないかのように見える。リーは、ハッピーエンドという概念についてどう考えているのだろうか。
「もちろん冒頭と結末で何も変わっていないわけではありません。映画の冒頭では、パンジーは夫のことを心配する必要がまったくありませんでした。なぜなら、彼は毎日ただ仕事に出かけ、帰宅するだけだから。日頃から夫を激しく罵倒しているが、彼女はその責任を感じることがなかった。しかし、映画の終盤、潜在的な進展が見られるような出来事が起こります。夫は事故で負傷してしまうのです。
夫は苦痛に苛まれ、パンジーもそれに対してどうしたらいいのかわからず、苦悩に苛まれます。これまで心配する必要のなかった責任を負わなければならなくなるのです。それは些細で小さなスケールのことかもしれません。しかし、微妙かもしれませんが、感情面でも関係性においてもたしかな変化が生じています。それがネガティブな変化なのか、ポジティブな変化なのかはわかりません。ここで映画は終わります。
問題は解決せず、心地よい安易なハッピーエンドにも、何らかの完結した結末にも至らないのです。なぜそのように映画をつくるかと言えば、私は観客にこの結末を受け止め、持ち帰って考え続けてほしいと委ねているからです」
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そのなかで、唯一、リーは無気力な息子モーゼスには前向きな兆候を示している。肥満のためにいじめられ、いつもノイズキャンセリングヘッドホンをつけて町を徘徊している彼が、空の旅を夢見ているのは、プレッシャーからも逃れてここではないどこかへと羽ばたきたい願望の表れだろう。噴水が有名なロンドンの広場ピカデリー・サーカスで、彼にささやかな恩寵を与えるのである。
「モーゼスが有名なあの広場に座っていたら、たまたま若い女性が話しかけてきて、親切にしてくれた。別に、彼が若いからちょっとした幸運を描いたわけではないですが、誰であれ、可能性が未来に開けていて、希望を感じられることは重要なことだと思っています」
- 作品情報
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『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』
全国公開中
監督・脚本:マイク・リー
出演:マリアンヌ・ジャン=バプティスト、ミシェル・オースティン
- プロフィール
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- マイク・リー
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1943年、イギリス出身。英国を代表する巨匠のひとりであり、60年におよぶキャリアにおいて、これまで7回、アカデミー賞候補となり、3つの英国アカデミー賞(BAFTA)も獲得。カンヌ、ヴェネチア、ベルリンと3大国際映画祭での受賞歴もある。96年の中年のシングルマザーの再出発を描いた『秘密と嘘』はカンヌ国際映画祭のパルムドール賞を受賞。アカデミー賞では、作品賞・監督賞など主要5部門にノミネートされ、英国アカデミー賞の英国映画賞と脚本賞も獲得した。現代女性の日常を見つめた『ハッピー・ゴー・ラッキー』(2008年)、続く『家族の庭』(2010年)は、それぞれアカデミー脚本賞候補となる。『ターナー、光に愛を求めて』(2014年)では英国を代表する風景画家、ターナーの人生を見つめ、『ピータールー マンチェスターの悲劇』(2018年)では19世紀の悪名高い虐殺事件を描いた。6年ぶりの新作『ハード・トゥルース』は英国アカデミー賞の英国映画賞候補となっている。
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