菊地成孔 1万字インタビュー

本インタビューは、「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」の新作を発端に、「わかりたいあなたのためのCINRA的・菊地成孔入門」として構想された。博覧強記の音楽家・菊地成孔の正体を見極めよう、という目論見である。しかし、その狙いは見事に外れてしまった。鋭敏な感性と精緻な知性に裏打ちされた、音楽・ダンス・映画等々に関する膨大な固有名詞を台風の様に巻き込んでいく彼の言葉は、吐き出されるとともに地平線の向こうへと消えていった。あっという間に。彼に追いつくことは生半可ではなかったのだ。それでいて、親しみやすいアニキのような雰囲気をたたえた彼。なぜか「一緒に飲みながら話を聞いてる」錯覚にも襲われてくる本稿、ぜひ「右手に哲学書、左手にビール」をご用意いただきお読みください。

(インタビュー・テキスト:木村覚 写真:柏井万作)

ダンスとダンスミュージックの「特殊域」を模索しています

―菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール(以下「ぺぺ」と略称)の新作『New York Hell Sonic Ballet』が10月28日に発売されました。今日は、この新作をめぐって菊地さんからいろいろなお話が聞けたらと思っております。ぼくはダンス研究が専門なので、とくに「バレエ」「ダンス」について聞きたいことがたくさんあります。また、新作のみならず「菊地成孔」というミュージシャン・著述家のことがよく分かる、若い読者に向けたいわば「菊地成孔・入門」になるようにということも目論んでおります。

早速ですが、新作のタイトルは「New York City Ballet」(世界最高峰のバレエ団のひとつ)にちなんだ、というか、もじりですよね。

菊地:もう字義通りで、ひとつは「New York」、もうひとつは「Hell Sonic Ballet」です。以前『エスクワイア』誌の取材でブエノスアイレスに行ったんですが、そこで出会ったタンゴがこのバンドの出発点でした。バンドの初期設定として、南米やヨーロッパ、アジアのエッセンスはあったんですけど、北米は避けていたんですね。ただそのうち、バンドにありがちな「更新」が起きまして、今度は北米に行ってみようということになったわけです。そこから「New York」が召還するものとして「コンテンポラリー・ダンス」と「バレエ」と「オペラ」があるのでは、と考えていったわけです。

―本作は「ハイブリッドなダンスミュージックアルバム」、「踊れるアルバム」などと謳っていらっしゃいますね。菊地さんにとって「ダンス」とはどんなものなのでしょうか?

菊地:「定義出来ない」という意味では、「ダンス/ダンスミュージックは存在しない」というべきかもしれません。モードでも踊れるし、音楽を無視しても踊れるわけです。「レゲエではタオルを振る」というように音楽とダンスがくっついている場合は中間的で、その両極には無数のダンスがあるんです。

僕は「ジャンル・ミュージックの内に安住しないこと」が自分の仕事だと考えているんですね。例えば、DCPRG(デート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン)では、立った状態で、踊って聴くなんていう聴取スタイルが、生前にされたことはないであろうマイルス・スタイルをクラブでしてみたわけです。DCPRGは解散しましたが、つねにダンスとダンスミュージックの特殊域を模索しているつもりなんです。

「裸の女の人がいるけれども、なにも出来ない」みたいな

―それでは、ペペの目指す音楽とは、どのようなものなのでしょうか。

菊地成孔 1万字インタビュー

菊地:ペペは、基本はシッティング・ミュージックなんです。観客は、踊りやすい音楽を前にしているものの、座らせられているので踊れない。しかもクラシック音楽という設定なので、ドレスアップしている観客は「踊りたくても踊れない」。そんな一種の「拷問状態」を与えるというアイディアで始めました。

「トルメント」はスペイン語の「拷問」という意味で、「ペペ・トルメント・アスカラール」とは「伊達男の甘い拷問」という意味なんですね。「裸の女の人がいるけれども、なにも出来ない」というような。そうした状態にある観客を、今度はフロアに移して「立って踊っていいよ」と言ったらどうなるか? そんなことをやってみたわけですが、今日のクラブカルチャーはとても成熟しているので、どんな音楽でもノるんです。それを見たときに生まれたアルバムの構想は、一個のバンドがフロアでもコンサートホールでも聴ける、というメタな状況を作るということでした。

―なるほど。観客の聴取スタイルに対するアプローチがまずあったんですね。

菊地:ゆらめくようなロックな踊りってあるじゃないですか。ぼくはあれ、「海藻」と呼んでいるんですけれど、それからブラックミュージックのインターロック(体幹運動)を前提とするリラックスした踊りがありますね。いまのフロアには、この二つのダンスしか基本的には無いと思うんです。黄色人種である日本人が、自分を白人であると考えるか黒人であると考えるかという違いで分かれるんですけれど、この二つの中間項が抜けちゃっている気がします。この、中間層にして最高層であるのが、じつはクラシック・バレエを基礎にするものだとか、コンテンポラリー・ダンスを基礎とするようなものなんですね。初期のぺぺはタンゴをやっていたので、その頃は「フロアの中で社交ダンスが起こったらいいな」、なんて妄想していました。

妄想出来るものは、いつか現実になるって信じているんですよね

―観客が、誰にいわれるのでもなく勝手に社交ダンスを始めるっていうことですか?

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菊地:そうです。ダンスが発生するということですね。社交ダンスが発生してもいいだろうと妄想したわけです。もちろん、社交ダンスを趣味とする方たちをお招きしてコンサートをすれば、当然可能だろうけれども、普段はフロアでタコ踊りしている人たちが、この曲には社交ダンスが合うと思って勝手に始めるなんてことがあればいいなと。

―とてもクリエイティヴですよね。

菊地:そういうSFみたいなことが起こるといいなと思ったんだけど、起こらなかったわけです。発端が妄想だから、べつに起こらなくてもいいんだけれど、むしろいまは自分の妄想がネクスト・レヴェルにあって、コンテンポラリー・ダンスとかバレエとか、そういった白人的な踊りを、フロアでみんなで踊るといったことを想像しています。いま、マイケル・ジャクソン(以下「MJ」と略称)が死の数日前まで行っていたコンサート・リハーサルを収録したドキュメンタリー映画『THIS IS IT』が公開されていますが、若いバックダンサーたちはバレエもジャズもヒップ・ホップも踊れなきゃならないわけです。そんなマルチカルチャーにおいて、体の施し方がマルチジャンル、ハイブリッドになってきているときに、「いまクラブで、ミニマルやクラシックかけて踊るのが流行っているらしいよ」なんてSFがあれば、面白いじゃないですか。まあ、そんなものないんですけれど、でもぼくは妄想出来るものはいつか現実になるって信じているんですよね。そこにぼくのアイデンティティはかかっていて、妄想したってそんなこと起こりっこないよって思ってしまったら、音楽をやる意味は無い。「うっそー、マジ、面白いね」って、妄想が現実になっていくのがぼくの活動のエネルギー源になっているんですよ。

「この人はカリスマなんだ」と衝撃を受けた伝説のダンサー

―宣伝のノーツに、「MJ」「ピナ・バウシュ」(ドイツのバレエダンサー、バレエとコンテンポラリー・ダンスの振付家。独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」と呼んだ)「マース・カニングハム」(アメリカの振付家。チャンス・オペレーションと呼ばれる手法で、「偶然性」という方法的概念をダンスに取り入れ、いわゆるポストモダンダンスと呼ばれるダンス言語の新しい領域を切り開いた)という名が並んでいるのを見たときに、「いったい菊地さんは、ピナ・バウシュにどういった思い入れを持っているのだろう?」とぼくの妄想が激しく膨らみました。「ピナ・バウシュ」の名には、どんな思いが込められているのでしょうか。

菊地:ぼくはコンテンポラリー・ダンスについては無知無学だということを表明する者ですけれども。なにせリバーダンス(アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品のこと。アイリッシュ・ダンスの中でも特に、体幹や腕を使わずに足の動きだけで踊るアイリッシュ・ステップダンスと呼ばれる舞踊を元にしている)とローザス(ベルギーを名実共にリードするダンス・カンパニー。常に音楽的構造と身体的構造の関係を深求しつつ、意欲的に作品の発表を続けている)の区別がつかないくらいで。

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―でも、だからこそ「ピナ・バウシュ」について膨らむ妄想というものがある気がするんです。

菊地:妄想というよりは、ぼくはフェリーニストなので、最初の出会いはフェデリコ・フェリーニ(イタリアの映画監督。二〇世紀を代表する巨匠。代表作に『道』『81/2』など)の映画『そして船は行く』にピナ・バウシュが出演していたことに始まります。観たときに「この人はカリスマなんだ」と思って、その後、ペドロ・アルモドバル(スペインの映画監督。アカデミー賞を複数回受賞する、実力派。代表作に『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥー・ハー』など)の『トーク・トゥー・ハー』を観て、ピナ・バウシュの公演が扱われていたシーンに異様に感動して、それで友人に聞いたりして調べ出したんです。ローザスも好きで、かつてテレビコマーシャルで踊っているのを観たときに、「こうなっているのか、ダンス界は!」なんて思ったことがあります。ローザスは、あくまでも作品として好きなレヴェルでしたが、ピナ・バウシュの場合には、魂が揺さぶられるような感動があったわけです。

―ピナ・バウシュのダンスの、どのあたりに惹かれたんでしょうか?

菊地:ぼくはフロイディアンで、すべてを精神分析的に見るところがあるんですが、その分析フォームにバウシュの作品は適合したんですね。とくに『カフェ・ミューラー』では転移とか愛の不毛という問題や、痛みを痛みとして感じないとか、そういう精神分析的な衣装がはりめぐらされている。それは、六〇年代型フロイディアンのような、いわばヒッチコック的なものではなくて、アルモドバル・フロイディアンだと思っているんです。アルモドバルは、ヒッチコックみたいにサスペンスや感動を通して共通の物語を観客の内に強烈に植えつけることはせず、むしろユング(カール・グスタフ・ユング。スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学の理論を創始した)-フロイトというか、フロイディアンでありながらユング的な広がりを感じるんですね。ピナ・バウシュもそうで、ユング的な集合的無意識の底から突き上げるような、震えるような感動とともに図式で全部理解できてしまう。そういったユング的なものとフロイト的なものが合一されている舞台なわけです。

サラリーマンの父を持つ団地の息子でも感動出来るダンス

―なるほど。『カフェ・ミューラー』だと、目をつむったスリップドレス姿の女が、両腕を前に差し出した状態で進みますね。彼女をフォローしようとして、男は椅子などをどかして進路を作ってあげるんだけれど、椅子が倒れる暴力的な音が響いたりする。

菊地:そこでは「愛」というものがやりとりされているわけですよ。最初に男女が抱き合う、けれども相手を落としてしまう。抱きしめることも出来ないんだ、というところからすべてがはじまっている。ところで、愛というものが実は暴力と紙一重である、愛というものは不可避的に暴力を生むし、暴力の中に愛がさまよっているなんていう表現は、きわめて図式的なわけですよ。子供でも分かるような暗喩で表現されているわけだけれど、じゃあ図式的だから感動しないかっていうとむしろ逆で、そのダンスは圧倒的な感動とともに迫ってくる。そこに、フロイト的なものの限界というか、この感動は集合無意識的なところから迫ってくるものではないか、と感じるんですね。つまり、ピナ・バウシュの内にユング-フロイト的なものを感じるわけです。

あとは、ピナ・バウシュが飲み屋の娘で、ちっちゃい頃から大人が飲んで喧嘩するのを見てきたというバイオグラフィーが、ぼくのバイオグラフィーと重なるということがあって。

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―『カフェ・ミューラー』は「まさに!」な作品ですよね。

菊地:そう、ぼくが『カフェ・ミューラー』に感情移入する理由は明白なわけです。つまり、それはぼくがバウシュと同じような幼少期の経験を共有しているので感情移入しやすいという、あまりにも分かりやすい図式ですね。

それから、『カフェ・ミューラー』がすごいのは、サラリーマンの父を持つ団地の息子でも感動出来るところにあるわけですよ。フロイディズムのいう、共通の経験があるから共通のトラウマがあり、共通の感動が発生するのだ、という枠を超えている。そこに二重に感動したんです。

三人が立て続けに亡くなった夏に偶然思い描いていたのが、「New York」というイメージでした。

―なるほど。

菊地:公演を足繁く追いかけたわけではないですけれど、ぼくにとってピナ・バウシュは天使的な意味をもった存在でした。今度来日したら観に行こうと思っていた矢先に、逝去のニュースが入った。MJが亡くなって一週間ばかりの間に、今度はピナ・バウシュが亡くなった。それでびっくりしている内にマース・カニングハムが亡くなった。この三人は、ダンスの神様の媒介者みたいな人たちで、そんな三人が立て続けに亡くなった夏に偶然思い描いていたのが、「New York」というイメージでした。ストラビンスキー(イーゴリ・ストラビンスキー。ロシアの作曲家で、初期の3作品『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、指揮者、ピアニストとしても活動した)がいた、『春の祭典』が初演されたニューヨークですね。彼のような亡命芸術家たちがヨーロッパから流れてきて活動していた時代というのは、いわば黄金時代ですよね。ビーバップもあって、チャーリー・パーカーが住んでいた家の近くには、ヒンデミット(ドイツ出身の作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者。ロマン派からの脱却を目指し、新即物主義を推進した)もストラビンスキーも住んでいた。そこにはバレエがあり、オペラもあった。そうした時代は、ぼくにとってはNO NEW YORKみたいなパンク・ムーヴメントと繋がっているんですね。

今回のアルバムは、マサカー(元ヘンリー・カウ他のフレッド・フリス、マテリアル他のビル・ラズウェル、スクリッティ・ポリッティ他のフレッド・マーの3人から成るロックバンド)に関連する“Killing Time”からはじまり、コンテンポラリー・バレエの音楽めいたストラビンスキー・リスペクトの温熱が全体に漂っています。しかもサルサも入っている。ぼくがやるから奇数拍子になるんですけれど。奇数拍子だから踊らないよっていうんじゃなくて、サルサなんだから焚きつけられて踊ってしまうっていう状態を想像して作りました。

―謳い文句にあがった「MJ」「ピナ・バウシュ」「マース・カニングハム」というダンサーの名前について、彼らがみな死んでしまった者たちだということに興味を持ちました。とくにMJに強く思うことなんですけれど、ぼくたちは生前彼の存在を忘れていて、死によって突然思い出したわけです。こうした「死」の問題について、菊地さんの考えをお聞かせください。

菊地:今年の夏『アフロ・ディズニー』という本を出したんですけれど、「アメリカ黒人も幼児化しているのではないか」というのが、テーマのひとつとしてありました。アメリカ黒人とオタクは、ともにその文化が社会的に評価を受けていながら差別され続けているという意味において、イコールで繋げられるんじゃないかと考え、この本のタイトルを、最初は「オタク=黒人」にしていたんです。出版社側から「さすがにそれは止めて下さい」と言われ、現タイトルになっているのですが。

亡骸になってはじめて、マイケルの弾むようなダンスを全世界が思い出した

―帯にはありますね、「オタク=黒人」の文字が。

菊地:『アフロ・ディズニー』は、慶應大学で行った講義をまとめたものなんですけれど、授業のときに共同著者の大谷(能生)君が話していたのは、「幼児退行して構わないんだよ」という日本的な思考が世界中に伝播されてゆくなかで、その思考と最も親和性が低いと思われていたパリ・コレとヒップ・ホップさえもが、その考えに感染してゆく過程についてでした。パリ・コレに触発されて、ファレルとカニエ・ウエストには言及したのに、なぜかMJについてはまったく言及しなかったんです。原稿を直している間も思い出すことがなく、本が出版される間際というタイミングでMJが亡くなった。そして死によって一気に想起したと。ぼくらは講義という相当な注意力を傾けた1年の間、まったく忘れていたわけです。MJについての抑圧がはたらいたまま、黒人が幼児化するという問題を話し続けていた。ヨーロッパの幼児化といえるアメリカについて語り続け、日本がそれに呼応して、日本型の幼児化が逆輸入みたいなかたちで欧米に入ってゆく、この文化の幼児化という問題をマイケル抜きでしゃべってしまったわけです。そこで、ぎりぎり、私たちはマイケルのことを忘れていたということを献辞に書いたんです。亡骸になってはじめて、マイケルの軽い、弾むようなダンスというものを全世界の人たちが思い出したんですね。

―死の報道以来、全世界の人がYou Tubeをチェックしまくったわけですね。そして、初めてマイケルを見た。

菊地:見た。そう。九〇年代にNIRVANAやビョークが出てきてから、マイケルや八〇年代のハイプなものを聴くなんてくだらないという動き、音楽好きはマイケルなんて聴かないよっていう動きがずっとありました。しかしマイケルの死を通じて、死んだことによって爆発的に支持されるという、キリストのようなことが起きたわけです。

ところで、アルバムに二曲アリアを入れることになっていて、一曲は書き下ろし、もう一曲は誰かの曲を使おうということになっていたんだけれど、決まらぬまま時間が流れているときピナ・バウシュが亡くなったんです。その瞬間『カフェ・ミューラー』の冒頭に流れる曲を取り上げることになりました。「アリア 私が土の下に横たわるとき」というこの曲には、パーカッションの乱れ打ちが入っていますが、これは『カフェ・ミューラー』で椅子が倒れるシーンの音をイメージしているんです。

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「八〇年代」は、ワンプレートランチの時代

―なるほど、面白いです。アルバムタイトルには「Sonic」(聴覚)と「Ballet」(視覚)と二つの感覚が出てきます。ただしCDである限り、基本的に聴覚の作品ではあるわけです。とはいえ、視覚的なものを強烈に感じさせるアルバムでもあって、いまの「パーカッション=椅子の倒れる音」というお話からも明らかなように、菊地さんは聴覚的な音楽の内に視覚的な感覚を持ち込もうとしているように思います。

菊地:ぼくは最近、「共感覚」というもの、例えばある数字に固有の色が見えるといった、脳のなかでは視聴覚的な感覚が分離していないんじゃないかという考えに興味を持っています。そもそも、ぼくには曲を作るときにもビジュアルが見えているんですよ。ストラビンスキーがかかっているクラブで、満載の豆を茹でているようになりながらフロアのなかで踊る観客、といったイメージを思い描きながら作曲しているんです。そしてそれは、ジャンルが崩壊してポストモダン状態になった、八〇年代ニューヨークの状況とも似ているんじゃないかと思うんですよね。曲の制作中に、全部ビジュアルが見えているんですよ。映画を撮っているみたいにね。

―いま、不意に「ポストモダン」という言葉が菊地さんの口から出てきました。八〇年代的・ポストモダン的なものについては、頻繁に質問されてきていると思うのですが、あえてこの点について、本作との関わりでお話しくださいませんか。

菊地:八〇年代は「マルチカルチャー」ですよね。情報が整理されていて、収まるべきところに収めないと大変なことになると考えるのがいまの時代だとすれば、八〇年代は、それ以前の情報に飢えている時代、情報という宝物をトレジャー・ハンティングしていた時代と、現在の情報の飽和状態の中間に位置していたと思うんです。ブュッフェみたいに、いろいろな情報を取りやすい時代というか。それを「かっこいい」と思っていたのが八〇年代だったと思うんです。

経済に還元すると景気/不景気の二元論になっちゃうんだけれど、情報に還元すると三段階で説明が出来ます。飢餓状態、ブュッフェ状態、それからヘルシー・ダイエット状態。このうちのブュッフェの状態が八〇年代なんだと思っています。「なめねこ」があって「ニューアカ」があって「アース・ウインド&ファイヤー」があってテクノがあってノイズがあって、それらをひとりの大学生が担っていても全く問題なかったのが八〇年代だった。綺麗に物事が整理されて、いわば身の程を知ってしまった現代から見れば、ワンプレートランチで汚くて、皿の上でいろいろな料理が一緒くたになって食えねえじゃんみたいな、そんな卑猥な感じがあったんですね。

消費したと思っても、消費され尽くされることのない側面が残る

―『アフロ・ディズニー』では、強シンクロ(過剰な同期)/ズレ(揺れ)といったシンプルな二元論が提起されていますよね。前者は、いまの整理されすぎている社会になぞらえることが出来ると思うと同時に、後者にこそ菊地さんが音楽を通じて聴き手を導きたいポイントが示されているとも思いました。それでこの二元論のことですが、いままさに名のあがった「ニューアカ」のキーワードである、パラノ/スキゾ(パラノはパラノイア、スキゾはスキゾフレニーの略。浅田彰のベストセラー『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』で論じられた言葉。パラノ人間はひとつのことに熱中して、ほかのことは全く考えない人。スキゾ人間はいろいろなことに興味をもち、ひとつのことにこだわらない人をそれぞれ指す)と大いに重なるように感じられるのですが。

菊地:ぼくはディケイド(10年)で分ける考え方というのは、流行りものだと思っていると同時に人間の根源的な側面を示しているとも思っているんです。だからパラノ/スキゾのような二元論が、なかば亡霊が復権するように復活しても何ら不思議ではなくて、二度と人の口に上らなくなっても何ら不思議ではないわけです。

―ぼくはいま38才で、お兄さんたちが味わったブュッフェ・バブルをちょっとかじった世代なんですけれど、ぼくより若い「ロスジェネ」は、ほとんどかじることのなかった世代ですね。CINRA読者の多くが含まれる世代、いまの二〇代というのは、このバブルの存在も知らないわけです。そんな彼らに、例えば「スキゾキッズたれ!」と無理強いしても、ほとんど無意味だと思うんです。『アフロ・ディズニー』のなかで、聴講していた学生が「ぽわーん」としていたという言葉がありましたが、まあそうだろうなと。ぼくも大学講師をしているのでよくわかります。

ただし、いまの若者はなにも考えていないのではなくて、むしろシビアな状況を模索しながら生きている気がします。周りに大人らしい大人も居らず、「アンチ大人」を標榜する子供っぽい大人ばかりの中、成長のモデル無きまま成長しなきゃならないわけです。

菊地:自殺した加藤和彦(音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト、歌手。日本のフォークソングやロックの発展において多大なる貢献を果たし、長年にわたり日本のポピュラーミュージック界をリードし続けたミュージシャンの一人)を聴き直したら、かつてあんなに「大人の音楽」だと思っていたのに、小沢健二みたいだったんです。加藤和彦がしたことというのは「大人」というより「大人の素振り」、つまり演技的なものだった。あるいは「大人のパーティ」というのがありましたけれど、結局日本で定着しませんでしたしね。いまの若者は、ファンタジックにしか「大人」をイメージ出来ないに違いありません。46才のぼくは、何をやっても自然と若い人からは大人に見えるから、「どうだ、俺は大人だろ」でも「大人じゃありません」でもない「これが等身大の自分だから」と振る舞っても、それだけで大人に見えるのかもしれませんね。僕と同い年の松本人志さんなんかもそうでしょうけれど。

―「大人を齧る」というように、フロアで菊地さんの音楽を聴く若い人は、踊りながら大人を味わうわけですね。けれども、大事なのはパラノイアティックに「大人」を経験することより、スキゾ的というか菊地さん的ハイブリディティを味わって、ブュッフェ的快楽を経験することなんじゃないでしょうか。

菊地:もちろんそうです。マルチカルチャリズムもある意味ではいまやノスタルジアなので、同世代からは最近、僕の音楽は「よく分かる」といわれたりします。同世代にとっての「懐メロ」、一種の癒しにさえなっているのかもしれません。ただ、どんなに消費されたと思っても、消費され尽くされることのない側面が残るとも思っています。こじあければいつでもフレッシュだ、と。“ポリリズム”ひとつとっても、まだみんなの知らないことだらけなわけだし。「エッジ」で居続けようなんて無理をしないで、マルチカルチャリズムにレイドバックしながらも、40代には40代なりに、20代には20代なりに響けばいいんじゃないかな、と思っていますね。

リリース情報
菊地成孔とペぺ・トルメント・アスカラール
『New York Hell Sonic Ballet』

2009年10月28日発売
価格:2,500円(税込)
ewe records EWCD 01

1. キリング・タイム
2. ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ
3. アリア 私が土の下に横たわる時〜オペラ「ディドとエネアス」より
4. 行列
5. 儀式〜組曲「キャバレー・タンガフリーク」より
6. 時さえ忘れて
7. 導引
8. 嵐が丘
9. 暗くなるまで待って

プロフィール
菊地成孔

1963年6月14日、千葉県出身。音楽家、文筆家、音楽講師。 アバンギャルド・ジャズからクラブシーンを熱狂させるダンス・ミュージックまでをカバーする鬼才。1984 年プロデビュー後、山下洋輔グループなどを経て、「デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」「スパンクハッピー」といったプロジェクトを立ち上げるも、2004 年にジャズ回帰宣言をし、ソロ・アルバム『デギュスタシオン・ア・ジャズ』、『南米のエリザベス・テイラー』を発表。2006 年7月にUA×菊地成孔名義で発表したスタンダード・ジャズ・アルバム『cure jazz』が大ヒット。2007年12月には初のBunkamuraオーチャードホール公演を成功させ、2008 年からは菊地成孔ダブ・セクステット、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールで活動中。最新作は菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール『New York Hell Sonic Ballet』(ewe)。



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