『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和

今回で第10回目となる東京フィルメックスは、節目を記念してシンポジウムを開催した。マスタークラスの北野武監督に引き続き、もはや日本映画の代表となった黒沢清、是枝裕和の両映画監督が登壇し、『映画の未来へ』をテーマにトークを繰り広げた。日本を代表する名匠であるお二人にとって、この10年はどんな意味を持っていたのか。そんな話題からスタートし、映画祭の楽しみ方や、映画制作を「教えること」についてまで話が及んだ今回のシンポジウム。映画ジャンルの魅力を再認識できる、刺激的なトークショーの模様をお届けする。

(テキスト:松井一生 撮影:小林宏彰)

PROFILE

黒沢清
1955年7月19日兵庫県生まれ。立教大学在学中より8mm映画を撮り始め『しがらみ学園』で1980年度ぴあフィルム・フェスティバルの入賞を果たす。その後1983年に『神田川淫乱戦争』でデビューし、『勝手にしやがれ!!』シリーズ(1995〜96年)や『復讐 THE REVENGE』シリーズ(1997年)等を監督。1997年に『CURE』を発表し、その後も『大いなる幻影』(1999年)、『カリスマ』(2000年)、『アカルイミライ』(2003年)などを立て続けに発表し、2008年公開の『トウキョウソナタ』で第61回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門・審査員賞を受賞した。

是枝裕和
1962年、東京生まれ。1987年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出し、現在に至る。1995 年、初監督した映画『幻の光』が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞等を受賞。2作目の『ワンダフルライフ』(1998年)は、各国で高い評価を受け、世界30ヶ国、全米200館での公開と、日本のインディペンデント映画としては異例のヒットとなった。2004年、監督4作目の『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞し、話題を呼ぶ。その他、時代劇に挑戦した『花よりもなほ』(2006年)、自身の実体験を反映させたホームドラマ『歩いても 歩いても』(2008年)、初のドキュメンタリー映画『大丈夫であるように−Cocco終らない旅』(2008年)など、精力的に活動を行っている。


『東京フィルメックス』とは
2000年より始まった、東京で毎年秋に開催される国際映画祭。「作家主義」を標榜し、アジアを中心とした各国の独創的な作品を上映する。映画祭は、審査員によって最優秀作品賞が選ばれる「コンペティション作品」、世界各国の実力派監督の作品を上映する「特別招待作品」、映画人や特定の国などの関係作品を集めて回顧上映を実施する「特集上映作品」の三部構成から成る。作品の選定眼には定評があり、東京のシネフィルを唸らせている。
TOKYO FILMeX

驚きと、混乱の10年(黒沢)
試行錯誤の10年でした(是枝)

―お2人の公式なトークイベントというのは本邦初ですか?

是枝:初めてですね。映画祭を機に、レストランで雑談したりなんかはありますが。こうしていざ対談するとなると…緊張します。

―世界初でもありますね。それでは早速、東京フィルメックスの10年を記念するにあたり、まずは黒沢監督・是枝監督それぞれの10年をお伺いしたいと思います。

『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和左:黒沢清、右:是枝裕和

黒沢:10年というと…ちょうど1999年ぐらいから、自分の映画が海外の映画祭を中心にして紹介され、頻繁に出向く機会もありました。それで、自分の作品そのものを変えられたのかは正直よくわかりません。20年前も同じように、お金もない時間もない中で、コソコソとやってきましたから。

ただ、自分の映画に関心を持ってくれる人は世界にこんなにいるものかと驚き続けた10年ではありましたね。日本で僕の映画を観てる人は、多く見積もって1万人でしょう(会場笑)。それが100カ国あったら100万人ですから。そう思うと、嬉しくなります。でも、それが良くも悪くもプレッシャーになりはしました。ひょっとしてこんなことやったら海外でブーイングの嵐が起きちゃうんじゃないか、とか。そんな恐れ、混乱を抱えた10年でもありました。勿論、それは今でも続いてますが。

―海外の反応が一挙に「(黒澤)アキラ、アキラ」から「(黒沢)キヨシ、キヨシ」になりましたね。

黒沢:新しい出会いもたくさんありました。フランスのプロデューサーが声をかけてきてくれたので、次はパリかなと思いきや、「君の東京が見たい」とか言われたりしましたけど(笑)。「また東京か〜」って。そして『トウキョウソナタ』ができた(会場笑)。

2/4ページ:「国際化」の進んだ日本映画界

日本映画ではなく、アジア映画として(是枝)

―是枝さんはいかがですか? 1995年の『幻の光』がいきなりベネチア映画祭に出品され、それ以来ずっと海外映画祭の常連という感じがしますが。

是枝:振り返る時期…なのかなぁ(笑)。あの頃は、映画祭というものを全く知らない状態で行きましたから、全てが初めてでしたね。評価をいただいても、自分の意図とちょっとずれた受け取り方をされていたこともありました。だから、その溝をどう埋めていくか、試行錯誤の10年という感じですね。でも、映画祭に呼ばれたら「とにかく行こう」とは思っていましたよ。それで鍛えられる感覚がありましたからね。発見する・させられることの圧倒的な多さが、海外映画祭の魅力ですね。

―是枝さんはプロデューサーとしての手腕も発揮しています。香港映画祭に企画を持ち込んでらっしゃったり。そのような、映画祭を使われるべき「場所」として活用しようというエネルギッシュな姿勢には感銘を受けます。

是枝:いい加減な企画ですけど(笑)。黒沢さんが僕の企画を見た時に…。

黒沢:え?

是枝:「あんまり具体的に考えてないですよね?」って(会場笑)。思いつきで出した企画だったんですけど(笑)。国際共同制作へと広げていくために、良い態勢かなと思って書きました。日本映画ではなく、アジア映画として作る可能性があった方がいいのではないかと。

―確かに、ここ10年で、映画の「国際化」は急速に進んだ気がします。それは外国人監督が日本で撮ったり、また、黒沢さんの映画の出演者でもあった浅野忠信さんやオダギリジョーさんといった日本人俳優が外国映画に出たりということにも顕れています。それとは逆に、外国人俳優・スタッフが日本映画に協力する例としては、是枝さんの最新作『空気人形』(2009年。ぺ・ドゥナ主演、リー・ピンビン撮影)が挙げられますね。これにはどういった意図があったのでしょうか?

是枝:特に「国際化」というものを考えてやったわけでもないんです。実はただ…ぺ・ドゥナのファンだったという(会場笑)。いつか使いたいなとずっと思っていたんですが、『空気人形』の作風なら、言葉の壁もさして問題にはならないだろうなと。リー・ピンビンさんとは以前に『珈琲時光』(2004年。ホウ・シャオシェン監督)の撮影現場にお邪魔した際に「いつかご一緒したい」という話をしていたんです。実際、2人ともあまりに優秀だったんで、言葉の問題もさしてなかったんですよね。

―黒沢さんの場合は、何か海外の俳優・スタッフと一緒にやることはありましたか?

黒沢:随分前に、特殊メイクスタッフとしてなどはありましたが、近年は全くないですね。ただ、『トウキョウソナタ』の原案は(オランダ人プロデューサー)バウター(・バレンドレヒト氏)でした。ちょうど僕も、しばらく立て続いていたホラーとは全くかけ離れたものをやりたいなぁと思っていて、それを周りに吹聴していた頃に彼が声をかけてくれました。バウターには、かなり好きにやらせてもらいましたね。

3/4ページ:フィルムとデジタルの映画って、何が違うの?

フィルムであろうとデジタルであろうと、ある対象物を映すことを映画だと思って作ってきた(黒沢)

―それでは次は、「国際化」とはまた別に、ここ10年の「フィルムからデジタルへの移行」に関してお二人の意見を伺いたいのですが。2000年カンヌ国際映画祭のオープニングシンポジウムでは、世界各国の監督たちによる「デジタル化により映画の美学は失われるのか」という議論も起こりました。黒沢さんも出席されていたのですが、終始発言されないかと思いきや、最後に素晴らしい一言を放ったのですが…覚えてらっしゃいますか?

黒沢:いや、全然(会場笑)。何かを言った記憶はあるんですけどね、人いっぱいいたので圧倒されちゃって…自分が何を言ったのかは記憶にないです。

―私の記憶に間違いがなければ、黒沢さんは「目の前のものをどう撮るかが問題なのであって、フィルムであろうがデジタルであろうが、何で撮るかは問題ではない」ということ。

黒沢:そんな生意気なことを…(会場笑)。

―いやいや(笑)。

『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和

黒沢:確かにフィルムとビデオで画質は違う。違うのはわかるんですけど、ビデオなんてじつは昔からあって、僕も『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年)の頃からビデオを使っていましたし、ビデオはビデオで面白いものだと考えています。とはいえ、一個の作品が「モノ」(フィルム)として存在しているのか「データ」(デジタル)として存在しているのかでは、何やら根本的に違うのかもしれませんね。ただ、そうなると作者や現場を遥かに超えたデカい話になってくるので、僕にはちょっとわからないんですが。

―劇映画で本格的にデジタルを用いられたのは、どの作品が最初でしたか?

黒沢:『アカルイミライ』ですね。あの当時は、デジタルで撮影し、最終的にはフィルムにするということをやっていました。それなら最初からフィルムでも構わないなと、その後またフィルムに戻っていきました。でも、今は最終的にフィルムにする必要もないんですよね。全てがデジタル化されていく…。如何にデジタルで撮影してフィルムの質感に近づけるか、なんてやっている様子は、微笑ましいと言えば微笑ましいですよね。

―是枝さんの場合、劇映画は全部フィルムですよね。なぜフィルムにこだわるんでしょうか?

『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和

是枝:僕はテレビからキャリアをスタートしたので、フィルムには憧れがありまして、それを今も引きずってるんじゃないかな。そうえば今の黒沢さんの話で思い出しましたが、(現在『ノルウェイの森』を撮影中の)トラン・アン・ユン監督が「デジタルがフィルムに近づこうとするのは間違っている。デジタルには、フィルムにはない質感がある」というようなことを言っていたんです。「デジタルの奥行のないベッタリとした画の方が、今僕らが見ている風景にむしろ近いはずだ。そういう表現をする方がずっと効率的なんではないか」と。

黒沢:それは興味深いですね。フィルムの質感を誰もが忘れてしまうのは寂しいと思うんですが、全く違う質感を持つデジタルに「映画の未来」があるような気もします。ただ、大混乱してくるのは…僕なんかは、フィルムであろうとデジタルであろうと、ある対象物を映すことを「映画」だと思って作ってきたと実感しているのですが、コンピューターグラフィックスやアニメーションといった、対象物が無い作品になると、それは「映画」なのか、ちょっとわからなくなってくる。

是枝:確かにそうですね。それと、上映がデジタルになってしまうと、フィルムでは見えなかったものが見えてしまうんですよ。自分に見えていなかったものを、観客が見ている。作り手としては、そのような進歩とどうやって付き合っていくのか、考えどころです。

黒沢:そういえば、テレビで観た『エイリアン』(1979年。リドリー・スコット監督)も随分とクリアでしたね。せっかく暗闇に潜んでいるエイリアンも、どこにいるのかわかっちゃうから全然恐くなかった(会場笑)。

4/4ページ:若い彼らに「映画の未来」があるなと、実はかなり期待しています(黒沢)

若い彼らに「映画の未来」があるなと、実はかなり期待しています(黒沢)

―それでは、お二人に次の質問です。ここ10年間で、映画は作りやすくなっていますか? そして、映画業界の現状をどう受け止めていらっしゃいますか?

黒沢:自分が経験していることしかわからないので、映画業界全体に関しては何とも言えませんが…。ただここ数年で、娯楽作品と作家性の強いアート系作品が、どんどん遊離してきている気はします。僕も、「次に作る作品はどっちだろうか」と、何となく迷ってしまっている。昔の日本映画は一緒クタだったんですよね。これは、新しい監督にとって辛い状況なのかもしれません。以前のように「やってみなきゃわかんないよ」と言う可能性の時代でもないようですし。

是枝:僕としては、作りたいものを作らせていただける状況に置かせてもらっていて、ここまで何とかやってこれたなと思っています。自分が作っているものをアートだと思ったことは無いのですが、いざ作品なのか商品なのかと考えてみると、その両方でやっていかなければなぁ、とは考えますね。自分を含め、インディペンデントの映画を商品としてどうやって観客に届けたらいいのか、そのシステムがここ10年で壊れた、という気はしています。それをどういう風に再構築していくのかが問題ですね。

―しかし、これだけ映画界の状況が厳しくなっている中でも、映画学校があり、映画を志す生徒達も増えているようです。

黒沢:僕も東京藝大で教えていますからね。最も驚くのは、ビデオカメラの普及です。これによって、監督を目指している生徒も、既に「監督」なんですよね。ただ、彼らは「商業映画というシステムに、どう食い込んでいけばいいのかわからない」と僕に聞いてきます。それに対する僕の答えは、「教えてあげない」です(会場笑)。「40過ぎてからだよ、そんなもんは」ってね。20代で、自分の作品を商業映画に食い込ませようなんて冗談じゃない、自分の映画を作りながら過去の映画でも観ておけと。でも、彼らはすごく才能があるので、将来が楽しみですね。彼らの中に「映画の未来」があるなと、実はかなり切実に期待しています。でも彼らの出る幕はまだ与えてあげない(会場笑)。で、いざすごい作家として世に出たら、「彼を発見したの、俺だよ」って言いますけどね(会場爆笑)。

映画を「観る」目を養っていきたい(是枝)

是枝:僕は、まだ学びたい思いの方が強いんですよ。黒沢さんと食事する時にも「ロケハンの時は何を第一に考えますか?」なんて聞いたりしてます。そしたら黒沢さんが「それは企業秘密ですよ」って(笑)。

映画を「観る」目を養っていきたいというのは、僕もあります。これだけ観ること、撮ることが身近になった今だからこそ。そういう面でも、海外の映画祭は面白いです。フランスのある映画祭で、地元の高校生がクラスでチームを作って監督にインタビューをするという授業がありました。夏休みを利用して、子どもと2人で取材する親もいましたね。映画祭が色々な世代に開かれていて、そこで映画を観るという習慣作りに非常に積極的で…これが日本で出来たら素晴らしいなと思いました。

黒沢:ロッテルダムやトロントの映画祭では、昼間は教養を高めつつ、それに落ちこぼれたりした人たちのために、深夜とにかく変な映画をやっていたりする。そこに僕の『CURE』もかかっていて、すごく嬉しかったです(会場笑)。お利口にも落ちこぼれにも開かれた映画祭って、素晴らしいですね(笑)。

―聞きたいことはまだまだありますが、続きはセッション2でお伺いしたいと思います。最後まで貴重なお話、ありがとうございました。



『東京フィルメックス』シンポジウムレポート第3弾、西島秀俊さん、寺島進さん参加のセッション2は、1月1日に公開予定です!



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