「フラカン入門」 フラワーカンパニーズ インタビュー

頻繁にライブ会場に足を運ぶ人であれば、「フラカンのライブがすごい!」という話は、一度は耳にしたことがあるだろう。メジャーからインディー、そしてまたメジャーへ。激動する音楽シーンのなかでも、ライブという最大の武器で確固たる評価を築きあげてきたフラワーカンパニーズ。結成20年の節目にリリースされるオールタイム・ベストアルバム『フラカン入門』(ジャケットは石森プロとのコラボ作!)は、参考までにと募ったファン投票に思わずメンバーも納得してしまい、そのまま獲得票順に人気曲を収録。自他ともに認める名作集であると同時に、彼らの半生が凝縮された自伝のようでもある。波瀾万丈な20年を振り返ってもらった。

(インタビュー・テキスト:タナカヒロシ 写真:柏井万作)

フラカンの結成。その当時の目標って?

―今日は20年を駆け足で振り返りつつ、ターニングポイントになった出来事などをお聞かせ頂ければと思います。結成の話から聞いていきたいと思います。当初はどんなバンドを目指されていたんですか?

マエカワ:最初はみんな自分のバンドが解散したりとかで、とりあえず音を出したいから「スタジオ入らない?」って。それだけで終わる予定だったんだけど…。

鈴木:20年続いちゃった(笑)。

マエカワ:それで「また練習しようか」って言ってるうちに、「曲作ろうか」「ライブしようか」みたいになって。ELLっていう今でもお世話になってる名古屋のライブハウスがあるんですけど、まずそこに出ることが最初の目標だったかもしれないですね。

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左:鈴木圭介、右:グレートマエカワ

―メジャーデビューまでは、どういう感じだったんですか?

鈴木:当時はよくコンテストがあって、とにかく人前で演奏したかったので、コンテストとかにもけっこう出てたんですよね。それで、最初に出たコンテストで賞をもらって、ソニーの新人発掘の人が見に来てくれるようになったんです。でも、実際にデビューが決まるまでは時間がかかりましたね。

マエカワ:当時はまだ大学生でしたけど、そんな感じで1年2年と経っていくうちに、フリーターでもいいからバンドやっていきたいなと思うようになって。それから、東京で勝負したいなとか、だんだん本気度が増してきちゃったんです。そうやっていくうちに事務所に声をかけてもらって。

―こういうバンドになりたい、っていうのはあったんですか?

鈴木:うーん…、エレファントカシマシかな。

マエカワ:フラカンを結成するちょっと前にエレカシがデビューしたんだけど、「うわっ、これはすごい」「こんな感じでできたらな」っていうのは漠然とありましたね。特にファーストは、シンプルなロックンロールに痛烈な言葉が乗ってて、すごくかっこいいと思いました。

―わりと近い世代のバンドに影響を受けてたんですね。

マエカワ:そうですね。ローリング・ストーンズと対バンしたいとか、思ったことないですからね(笑)。

今があるのは、絶対にあの時の出会いがあるからなんですよ。

―1995年に『フラカンのフェイクでいこう』でアンティノス(ソニー系のメジャー・レーベル、後にEPICと合併)からデビューしました。最初のメジャー期はいかがでした?

マエカワ:よかったと思うことばかりですね。テレビに出れたり、ライブをたくさんやらせてもらえたり、こんな衣装もあるよとか持ってきてもらったり。全てが自分らを広げてくれる経験で。

鈴木:20年続けられてるのも、あの時期に色んな経験をして、地盤ができたからだと思うんです。あの時にメジャーデビューしてなかったら、僕らは絶対に食えてないですから。やっぱり聴いてくれる人の数が全然違います。それは大きいですよね。

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マエカワ:周りのスタッフも考え方が合う人ばかりで、恵まれてたよね。揉めて辞めちゃった人の話もけっこう聞いてたから。俺らも知らないところで騙されてたのかもしれないけど(笑)。もしそうだったとしても、そんなのはどうでもいいと思えるくらい、悪いことはほとんどなかったですね。

鈴木:細かく言えば、バンドが大きくなるにつれて、めんどくさいこともありましたよ。でも、アンティノスでの数年間がなかったら、絶対、今ここにいないです。

マエカワ:感覚も磨かれたよね。「ここは主張しなきゃいかん」「ここは主張しすぎちゃダメだ」とか。妥協とかじゃなくて、俺らのやるべきことは、良い曲作って、良いライブすることだっていうのは、そこで学んだ気がする。

―ミュージシャンというよりも、人間としての成長ですよね。

小西:もう20代後半でしたけど、すごく成長させてもらえましたね。本当にいろんな方にお世話になって。今があるのは、絶対にあの時の出会いがあるからなんですよ。それがなかったら、また別の形になってると思うし。

もちろんよかれと思って言ってくれるんですけど、みんな同じことは言わないから。どれが本当かわかんなくなる。

―辛かったことはないんですか?

鈴木:規模がどんどん大きくなっていって、何がなんだかわからないうちに、「次はBLITZです」「2DAYSです」「渋公です」みたいな。それについていくことができなかった。その辺が精神的には辛かったかな。あのままメジャーでやってても、確実にクシャってなってたと思う。メジャーの後半は、ライブをしててもなんかおもしろくなかったから。

―そういう話はよく聞きますね。色んなことを言う人も増えてくると思うし。

鈴木:もちろんよかれと思って言ってくれるんですけど、みんな同じことは言わないから。どれが本当かわかんなくなる。自分たちがしっかりしてればよかったんだけど、足場がぐらついたっていうかね。いろんなものが見えなくなってきてた。今思えば、それが重苦しかった原因かもしれない。

―そこに打ち克つ精神力がないと、メジャーではやっていけない?

鈴木:ものすごく感じます、それは。

お客さんの顔がよく見えるようになった。見失っていたものが見えるようになったというか。

―インディーに活動が移ったときは、どんな経緯で?

マエカワ:メジャーで6枚アルバムを出したんですけど、実は7枚目も作ってたんです。でも作ってる途中で、出せないかもしれないって話になって。「すぐに契約切ったらお前ら食えねーだろ。毎月1万ずつ給料少なくして、半年後に契約切るから」みたいな(笑)。

―リアルですね(苦笑)。

マエカワ:それで当時のボスが、「お前らライブライブ言ってるんだから、ライブやってきたらどうだ? 自分らの足で稼いでこいよ」みたいな感じで言ってくれて。そこで気持ちを立て直して、半年間自分らだけでライブやってみたら、思ったよりも手応えがあった。これでやっていこうって。足場が固まりましたね。その半年はデカかった。

―とはいえ、インディーになったことで苦労も増えたんじゃないですか?

マエカワ:苦労したというよりは、なかなか広がらなかった。どんなに良いライブしても、宣伝が行き届かないじゃないですか。当時のインディーレーベルのスタッフができる範囲で宣伝してくれましたけど、メジャーのときとは全然規模が違うんですよね。ただ、今日のライブはこんだけしか入ってなかったよ、お客さんがこんだけ入ったからこんだけ儲かるんですよ、みたいなことが全部わかったから、やりやすい面もありましたね。次の組み方とかも、自分で考えて自分でやるのが一番早いし。

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―音楽で生きていくために、必要なことがわかった。

鈴木:うん。それと、お客さんの顔がよく見えるようになった。数が減ったとか、会場が小さくなったっていうのもあるんですけど、見失っていたものが見えるようになったというか。

マエカワ:自分らでライブをやるようになってからは、ライブハウスの人とかともいろいろ話をしたり、一緒にメシ食ったり、飲んだり。それで、こういう人なんだとか、その土地の特色とか、最近の風潮とか、情報を得ることもできて。それもデカかったですね。

―曲の作り方が変わったりは?

マエカワ:そのメジャーで出せなかった7枚目のアルバムを作るときに、当時のボスから「鈴木中心で作ったらどうだ?」みたいなことを言われて。

鈴木:それまではわりとみんなで作っていくような曲が多かったんですけど。

マエカワ:それをやってみて、良い曲がたくさんできたんですよ。鈴木は当時すごく苦労してましたけど。それで、鈴木を中心に曲を作ったほうがいいなっていう感じになって。今もそれが続いてて。結果的には当時のボスの助言がよかったわけですよね。

友達に「お前らのやってることは肉体労働だよね」って言われて。でも、すごく充実感があった。

―インディー時代、ターニングポイントになった出来事は?

マエカワ:『SET YOU FREE』というイベントがあって、銀杏BOYZ、サンボマスター、ガガガSPとか若いバンドがよく出てたんですけど、2003年に初めてそこに出たんです。それで、その人たちのライブとか、それを見てるお客さんの熱狂ぶりに驚いて。

―刺激を受けた?

マエカワ:うん。それと、『SET YOU FREE』はチバ君っていう人が中心でやってて、もう実質ひとりイベンターなんですよ。「うわっ、ひとりでこれをやってるんだ」って。あそこで考え方が変わったかもしれない。もう30代半ばでキャリアもそれなりについてるし、ここからは20代みたいに暴れられないかな、って思ってたところも少しだけあったんですよ。だけど、それを見てこんなことじゃダメだって。解き放たれた一日でしたね。

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ミスター小西

竹安:メジャーの頃は実感がなかったんです。もちろんライブに来てくれるお客さんとか、ありがたいなとは思ってたけど、俺らのことなんか誰も評価してくれてないんじゃないか、くらいに思ってて。でも『SET YOU FREE』とか色んなイベントに出て、若いバンドが「ライブすごいっすね」って言ってくれたり、やっぱり評価されるとうれしいんですよね。なかには「中学のときに聴いてました」とか、CDを持ってきて「サインください」とか。そこで初めて、伝わる人には伝わってたんだなって再確認できた。

―必要な時期だったんですね。小西さんは?

小西:メンバー4人だけでまわるツアーって、それまでほとんどやってなかったんです。当時も全国を車でまわってるバンドはいましたけど、僕らには想像できない世界で。メジャーデビューしてからは新幹線で移動したり、それはそれでよかったけど、本当の意味でのツアーを経験できたのは大きかった。みんなで荷物運んで、本番やって、片付けて、物販売ってって。友達に言われて印象的だったのが、「お前らのやってることは肉体労働だよね」って。でも、すごく充実感があって。今も同じようなこと続けてますけど(笑)。

フラカンのことなんて終わったような言い方してるけど、今のライブ見たことあるのかよって。

―『フラカン入門』でも、このインディーの頃の曲が比較的上位に多いですよね。そのなかでも僕は“東京タワー”のパワーというか、生命力みたいなものにすごく感動して。この曲ができた経緯って?

鈴木:この曲を作る半年くらい前に、扁桃腺の手術で東京タワーの近くにある病院に入院したんですよ。しばらくすると昼間ならちょっと外出できるようになったんです。だけど、3〜4時間しかないから、東京タワーくらいしか行けそうなところがなくて。じゃあ一回登ってみるかと思って、初めて行ったんです。それで近くで見たら、これはバカにできないな、すごいなと。

―どこがすごいと?

鈴木:勝手なイメージで「どうせしょぼいんだろ」と思ってたんですけど、間近で見たら大迫力だった。近くで見たらこんなにかっこいいのに、みんな東京タワーのことをダサいとか、時代遅れだと思い込んでるんですよね。登ったこともないくせに。それを自分らのバンドと重ね合わせたんでしょうね。フラカンのことなんて終わったような言い方してるけど、今のライブ見たことあるのかよ、みたいな感じで。

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―精神的にも落ち込んでいたんですか? 落ちてるときほど生命力のある曲が生まれるのかなって。

鈴木:落ち込んでたと思いますよ。その入院前後は。もともと波があるタイプだから、珍しいことではないですけど。でも、本当に落ちてるときは、曲を作るのは絶対に無理なんですよ。本当に落ちて鬱から躁に変わる瞬間、そこが一番ハイになりやすいんですけど、その時に書きましたね。ドーンと落ちたときの思いのたけが曲に詰まったんでしょうね。

半径15cmくらい。そういうことを歌うほうが、より伝わるっていうのもよくわかった。

―2008年に再びメジャーに戻ってきました。なぜもう一回メジャーでやろうと?

マエカワ:ライブも確実に良くなってるし、良い曲もたくさんできた。でも、それがなかなか広がらなくて、ジレンマになってきたんですよね。自分ら4人だけとか、当時のレーベルのスタッフだけでは、これ以上は無理だなと思って。それと、やっぱり4人だけじゃない、色んな人のアイディアもほしいんですよ。

鈴木:やり尽くしたっていうかね。そこでできることは。

マエカワ:それでレーベルを探してたら、色んな人が紹介してくれて。今一緒にやってるアソシ(ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ)の人と話をしたら、この人たちはわかってくれてるな、お願いしたいなって。「またメジャー入るの? せっかく自分らだけで活動できてるのに」って言う人もいたけど、自分らの考えを持ってのことだから。

鈴木:メジャーに戻ったから、昔みたいに事務所もついて、ある程度は保証されてるように思われがちですけど、全然そうじゃないんですよね。自分らが食いっぱぐれないためのライブ活動がメインにあることは変わってないから。

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―改めてメジャーの環境に身を置いたわけですけど、20年もやると、歌いたいことは歌い尽くしてるんじゃないかと思ったりもするんですが。

鈴木:そこまで考えたことはないですけど、最初の段階である意味歌い尽くしていて、同じようなことしか歌ってないのかもしれない。でも、昔のほうが歌詞で煮詰まることは多かった。30歳くらいまでですかね。そこからは曲で煮詰まることはあっても、言葉はいくらでも出てくる。短くするほうが難しいくらい。

―その歌いたい中身は?

鈴木:ずっと自分のまわりのことだけですね。半径15cmくらい。そういうことを歌うほうが、より伝わるっていうのもよくわかった。視野を広げれば広げるほど、僕の場合は伝わりづらくなっちゃう。曖昧なものになるっていうか。人によって違うと思うけど、地球規模の歌を僕が歌っても、何も伝わらない気がするんです。

―僕は一番新しいアルバムの“この胸の中だけ”を聴いて、鈴木さんは10年20年先の自分や、10代の頃の自分に対して、胸を張れる曲を歌い続けていきたいのかなと思いました。

鈴木:それはありますね。やっぱり、あの曲はもう歌えないなっていうのは、ないほうがいい。

―昔の曲って、当時と今とでは歌う気持ちが違ってきたりするんですか? 例えば“深夜高速”は、たくさんの人から評価されて、色んなアーティストが”深夜高速”だけをカバーするコンピレーション・アルバム(『深夜高速 -生きててよかったの集い-』)まで出ました。そうなると曲が持つ意味も変わると思うんです。

鈴木:“深夜高速”に関しては、カバーしてもらったことで、客観的に聴けるようになりましたね。

マエカワ:自分らの曲を別の人が演奏しているのは初めて聴いたから。めちゃめちゃ良い曲だなと(笑)。そこで初めて思ったくらい。あそこからちょっと変わりましたね。

明確に言いたいこと、歌いたいことがあって、それがはっきりしてたら迷わないし、言葉もすっと降りてくる。

―みなさんにとって「良い曲」とは?

マエカワ:まずは、この4人が気に入ることですよね。歌とか歌詞がグッとくるっていうだけではないと思う。ライブでやって4人がすげー楽しくなる曲とか、絶対にそれも良い曲だと思うし。喜怒哀楽が全部突出してるような曲ですね。

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小西:僕は感情が込めやすい曲というか。ストレートに気持ちを入れられる曲がきたときは、だいたい仕上がりもよくなって。

竹安:今『フラカン入門』の曲目を見てたんですけど、どれも作ってるときに煮詰まってないですね。アレンジが二転三転して、結局アルバムに入らない曲もあるけど、『フラカン入門』の曲は全部パッとできた。それぞれが自分のやりたいことをパッと思いついた曲かもしれない。

鈴木:俺もそうかな。時間がかからずに出てくるもののほうが、良い曲が多い。明確に言いたいこと、歌いたいことがあって、それがはっきりしてたら迷わないし、言葉もすっと降りてくる。

―僕はフラカンの人生が詰まってるなと感じる曲が、フラカンにとってのいい曲なのかなって。『フラカン入門』にも入っていますが、“サヨナラBABY”を聴いたときに、別の人が歌っていたとしたら、良いと思えないかもしれないと思ったんです。シンプルな曲だけど、フラカンが歌ってると、ものすごく色んなものが詰まってる感じがして。

マエカワ:他の人がやったら良い曲じゃないかもって思うということは、そういうことなんでしょうね。そうじゃないとバンドでやってる意味もないし。それは“深夜高速”の色んなカバーを聴いたときに、俺らは俺らのできることをやらなきゃいけないなって思い知らされました。

自分らのやりたいことと、お客さんの聴きたいものがズレてないと思えたから。まずその事実がうれしかった。

―『フラカン入門』って、フラカンの歩んできた道が滲み出た曲が多いと思うんです。だから、ファンの人たちも選んだんじゃないかと思って。みなさんにとって『フラカン入門』はどういう作品になりました?

マエカワ:お客さんに選んでもらったベストと、今自分らが考えてるベストが合ったんですよね。答え合わせじゃないですけど、その意見が合ったことはやっぱりうれしいよね。自分らのやりたいことと、お客さんの聴きたいものがズレてないと思えたから。まずその事実がうれしかった。

鈴木:こっちの想いも汲んでくれてる、良いお客さんだなと思いましたよ。これはちょっと…みたいな曲を入れてこなかったから。

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竹安堅一

小西:昔に出たベストとかって、なんか古いから なとか、なかなか手を出しにくいと思うんです。このタイミングで3つのレーベルに渡る作品を出せるのはすごく良いことですよね。前のベストを出すときにも言ってたけど、これをきっかけにもっと広がってほしい。

竹安:今までベスト盤って、出すなら勝手にどうぞみたいな感じだったんですよ。今回はね、コンセプトがしっかりしてるし、本当にお客さんがいいバランス感覚で作ってくれた。今までのベストとは全然違う。もうベストって言いたくない。『フラカン入門』っていう作品ですね。石ノ森章太郎さんの作品とコラボできたアートワークも含めて全部、本当に良い作品ができたと思います。

フラカンにとってのゴールは?

―それでは最後に、「フラカンにとってのゴール」とはなんでしょうか? 最終的にこうなったら、思い残すことはないなみたいな。

鈴木:どんだけ売れても、どんだけ売れなかったとしても、思い残すことは絶対にあると思います。満足しきるってことはないんじゃないですかね。

―それがエネルギーになってる?

鈴木:うーん、それだけじゃないですけど。なんかのためにやってるわけでもないから。〜ingでずっと続けることがゴールかな…決まった?(笑)

―(笑)。60歳になってもこの4人でバンドやってるみたいな。

マエカワ:それはちょっと思ってて。

鈴木:続けていられるってことが。

マエカワ:ほんと言うと、誰かが死んだときにゴールになるんだろうなっていうことだけど(笑)。

鈴木:ほんとのゴールになっちゃうからね(笑)。

マエカワ:人生のゴールがフラワーカンパニーズのゴールになれば、それが近い将来じゃなければ最高じゃないかと思います。

リリース情報
フラワーカンパニーズ
『フラカン入門』(初回盤 CD+DVD)

2010年1月27日発売
価格:3,300円(税込)
Sony Music Associated Records AICL-2079〜2080

[DISC1]. 深夜高速
2. 吐きたくなるほど愛されたい
3. 恋をしましょう
4. はぐれ者讃歌
5. 東京タワー
6. 孤高の英雄(ヒーロー)
7. 真冬の盆踊り
8. 夜明け
9. 冬のにおい
10. この胸の中だけ
11. 元気ですか
12. 俺たちハタチ族
13. 発熱の男
14. サヨナラBABY
15. 脳内百景
16. 虹の雨あがり
17. YES, FUTURE
(Bonus Track)
18. 東京タワー(LIVE)

[DISC2]
1. 小さな巨人(1997年5月5日@日比谷野外音楽堂 SPACE SHOWER TV Sweet Love Shower’97より)
2. 深夜高速(2004年8月27日@川崎 CLUB CITTA’ SET YOU FREE~SUMMER FESTA 2004より)
3. 終身刑|NUDE CORE ROCK’N’ROLL|YES,FUTURE|真冬の盆踊り(2009年4月23日@京都 磔磔 フラカン生誕20周年記念祭より)
4. 東京タワー(2009年10月17日@日比谷野外音楽堂 フラワーカンパニーズ20年だョ!全員集合より)
5. 深夜高速(2009)(MUSIC VIDEO)

フラワーカンパニーズ
『フラカン入門』(通常盤 CD)

2010年1月27日発売
価格:2,800円(税込)
Sony Music Associated Records AICL-2081

[DISC1]. 深夜高速
2. 吐きたくなるほど愛されたい
3. 恋をしましょう
4. はぐれ者讃歌
5. 東京タワー
6. 孤高の英雄(ヒーロー)
7. 真冬の盆踊り
8. 夜明け
9. 冬のにおい
10. この胸の中だけ
11. 元気ですか
12. 俺たちハタチ族
13. 発熱の男
14. サヨナラBABY
15. 脳内百景
16. 虹の雨あがり
17. YES, FUTURE
(Bonus Track)
18. 東京タワー(LIVE)

プロフィール
フラワーカンパニーズ

89年、名古屋にて鈴木圭介 (Vo)、グレートマエカワ(B)、竹安堅一 (G)、ミスター小西 (Dr)の4人で結成。95年にアンティノスレコードよりメジャーデビュー。01年、アンティノスレコードを離れ、自らのレーベルTrash Recordsの立ち上げに参加。アーティスト達から絶大な支持を集め、再び注目を集める。08年夏、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズと契約し、メジャー復帰。09年9月には、コンピレーションアルバム「深夜高速 -生きててよかったの集い-」をリリース。男40歳!結成20周年にして快進撃を続ける、スーパーライブバンド!



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