アートで戦争を止めたい 李丞孝×市村作知雄対談

韓国最大の「多元(ダウォン)芸術」の祭典『Festival Bo:m(以下フェスティバル・ボム)』が、韓国・日本で開催されている。国をまたいで1つのアートフェスが開催されるというのは、世界的に見てもかなり稀。2か国で実施されるプログラムは1つもかぶっておらず、観客は自ら国を「移動」してプログラムを観賞することになる。

そんなユニークかつ大胆なディレクションを打ち出したのが、弱冠29歳で大抜擢された新任ディレクター・李丞孝(イ・スンヒョウ)。彼の在籍する大学院の指導教員でもある『フェスティバル/トーキョー(以下『F/T』)』実行委員長・市村作知雄のバックアップによって実現した『フェスティバル・ボム』の日本初上陸は、東浩紀や卯城竜太(Chim↑Pom)、岡田利規(チェルフィッチュ)、サンガツなどを迎え、4月4日~6日の3日間にわたり横浜で行なわれる。

「多元芸術」とは何なのか? 『フェスティバル・ボム』が目指す先にあるものとは? そこには通常のアートフェスのテーマを遥かに超えた、日韓関係や戦争問題までをも見据える、切実な二人の思いがあった。

既存の芸術ジャンルに当てはまらない作家や作品を支援する助成金の枠組みとして「多元芸術」が作られたんです。(李)

―まず、「多元芸術」を紹介する『フェスティバル・ボム』というイベントについて、開催経緯なども含め、教えていただけますか。

:2007年に韓国で行われた、最先端の芸術をジャンルに捉われずに紹介する芸術祭『スプリング・ウェーブ・フェスティバル』が前身で、そのときのディレクターの1人が、2008年に『フェスティバル・ボム』と名前を変えて始めたのが最初です。そこから数えて今年で8年目になります。

『フェスティバル・ボム 2014』メインビジュアル
『フェスティバル・ボム 2014』メインビジュアル

―なるほど。そもそも『フェスティバル・ボム』は、「多元芸術」を紹介するフェスティバルということですが、これは『スプリング・ウェーブ・フェスティバル』の頃から続くコンセプトなのですか?

:そうですね。2005年に韓国で、既存の芸術ジャンルに当てはまらない作家や作品を支援する助成金の枠組みとして「多元芸術」が作られたんです。既存ジャンル以外の芸術はここに集まれ、という目的で作られたのが「多元芸術」なので、そもそもの定義がないんですけど(笑)。

市村:たとえば日本の助成金システムは、「美術」「演劇」「ダンス」「音楽」など完全にジャンルで分けられていて、最終的にどのジャンルで申請するかを選ばなければいけないんです。だからジャンルを横断して表現しているアーティストは、無理矢理どこかに当てはめないといけないという問題が起こるんですね。

:それで韓国では、「その他」のジャンルを作ったわけです。だから、ジャンルに分けることができないアーティストは、自然と「多元芸術」にカテゴライズされることになりますし、「多元芸術」の枠ができてから活動を始めたアーティストの場合は、「『多元芸術』をやっています」と言う人もいたりします。

左から:市村作知雄、李丞孝
左から:市村作知雄、李丞孝

「多元芸術」のことを聞いたときは、世界的に見ても相当先端なことをやり始めたなと思いました。(市村)

―「多元芸術」といった新しいアートの枠組みが行政主導で作られるというのは、かなり革新的な試みだと思いますが、そもそもどういうことが発端となってこの動きが生まれたんですか?

:それに関しては自分なりの説があります。韓国では1987年に独裁政権が終わって、現在に繋がる全ての文化が1990年代に作られました。たとえば映画だったり、アイドルだったり、ネットだったり、それらが1990年代後半に爆発的に普及して、2000年代以降まで続いている。そんな状況の中で、初めからいろんな文化を取り入れて表現するアーティストたちが生まれ、そういう人たちへの支援をどうすればいいのかという議論が、2000年代前半に起こりました。ちょうどその頃、アジアの若手芸術家たちによるアートフェス『ソウルフリンジフェスティバル』なども立ち上がったり、いろいろなことが同時多発的に生まれて、「多元芸術」の発生に繋がっていったと思います。

―それにしても、韓国では新しい枠組みを作るという動きが、ものすごく速いスピードで実現化されていると思うんですが。

市村:ものすごく速いし、ものすごい勢いで日本を追い抜いていったなって(笑)。李くんから初めて「多元芸術」のことを聞いたときは、世界的に見ても相当先端なことをやり始めたな、と思いましたね。

:そのプライドは持っていますね。でも、「多元芸術」が一番すごいということではまったくないんです。たとえば、ヨーロッパではさらにジャンルが厳格に分かれているから、美術は美術で形式を壊しながら進化を繰り返し、ダンスや演劇なども、それぞれが同じように進化を繰り返しているわけです。ただ、「多元芸術」に関わるクリエイターの中には、演出家もデザイナーもアーティストも何でもいる。つまり、そういう状況になってしまったということ自体が、世界で一番進んでいるのかなと思っています。

「多元芸術」が重要なのは、関わった人々に発見やコミュニケーションのきっかけを提供し、ひいては社会全体にも影響を与えうる「活動」である、ということです。(李)

―「多元芸術」について、もう少し詳しくお伺いしてもよろしいですか?

:「多元芸術」を知ってもらうためには、『皆のためのピザ』という作品をご説明するのがいいと思います。キム・ファンというデザイナーの作品で、彼は「クリティカルデザイン(批評的デザイン)」という手法のデザイン活動を行なっている方です。

―どういった作品なのでしょうか?

:2008年、平壌に北朝鮮初のピザ屋がオープンしたんです。でも特権階級の人しか行けないようなレストランだから、一般の人たちはそのピザの味を知らない。そこで彼は、ピザの作り方を短編映像として記録したDVDを500枚作り、中国の密輸業者に依頼して、北朝鮮で流通させたんです。そしたら、それを見た平壌の人たちから「ピザ食べました!」っていう写真や手紙が届くようになって……。その過程を記録した映像作品や、実際の脱北者による手紙の朗読公演なども含めて『皆のためのピザ』という作品なんです。

李丞孝

―ドキュメンタリー作品のようなものなのでしょうか。

:ドキュメンタリーでもあるし、映像作品でもあるし、クリティカルデザインでもあるし、パフォーマンスでもあるし、いろんな要素が入っているんですけど、そもそもキムさんは「アート作品を作ろう」という目的で始めたわけじゃなくて、北朝鮮の人たちと交流をしようという目的で始められたものなんですね。僕としては、そこに「多元芸術」の本当の意義があるんじゃないかと思っていて。もともとはジャンルに分けられない「その他」という枠組みだから、「多元芸術」には、いわゆるマルチメディア的な作品とかも入ってくるんですよ。でも、『フェスティバル・ボム』として注目していきたいのは、キムさんみたいなアーティストなんです。

―ユーモアのある社会活動とも言えますか?

:ユーモアはあってもなくてもいいし、それが社会活動でもいいし、表現活動であってもいい。「多元芸術」に対して、「芸術なのか / 芸術じゃないのか」って問うこと自体、あまり意味がないと思っています。重要なのは、関わった人々に発見やコミュニケーションのきっかけを提供し、ひいては社会全体にも影響を与えうる可能性を持つ「活動」である、ということではないでしょうか。

市村:僕が作品を観て衝撃を受けたのは、我々は韓国や北朝鮮のことをあまりにも知らなさすぎるという現実だったんですよ。韓国と北朝鮮は敵対していて、韓国では北朝鮮の人と話しただけで犯罪になる。でも、そういうことすらも知らなかった。我々が知っている北朝鮮って、今にもみんな飢え死にしそうで、「DVDなんて渡したって再生できるの?」っていうイメージでしょう。どうやら、日本での北朝鮮のイメージって相当作られていて、まだ本当の姿は見えていないと思うんですよね。

:僕も初めて『皆のためのピザ』を観たときは衝撃的でしたね。韓国人でありながら、北朝鮮のことを何にも知らなかったので。

市村:それぞれが置かれている状況がだいぶ違うということをまず理解しないと、この作品の話はえらく表層的な話になっちゃうので、それが「多元芸術」を紹介するときの難しさでもあるんだけど……。李くんが言っていることのキーポイントは「『多元芸術』が、もはや『芸術か / 芸術じゃないか』を区別することに意味がない」というところまで行っている、ということだと思うんですよね。でも、それを言い切れるかはまた微妙で、あくまでも「多元『芸術』」ですからね。

:「多元芸術」が始まったときは、枠が作られただけだったので、最先端の演劇やダンス、美術作品などが全部混ざっていたんです。その中にはドイツの「ポストドラマ演劇」や、フランスの「ノンダンス」、社会活動的な現代美術もありました。でも、彼らはあくまでも演劇やダンス、美術であるということを主張しているわけで、それすらもなくそうとしたのが「多元芸術」だったんです。さらに今では、アートの枠組み自体もギリギリで、社会活動なのかアートなのかよくわからない作品もたくさんありますよね。

左から:トークイベントに出演するChim↑Pom(Photo by Leslie Kee)、岡田利規
左から:トークイベントに出演するChim↑Pom(Photo by Leslie Kee)、岡田利規
※トークイベントには東浩紀、韓国のミュージシャンのジョン・ジンファ、ハン・ユンヒョン、人工衛星の制作と打ち上げという一大プロジェクトをやり遂げたソン・ホジュンらも出演する

「作品を作らない」っていうことの意味は相当大きくて、1000年以上のアートの歴史が変わってきていると思います。(市村)

―李さんは大学院の修士論文で「多元芸術」について論じられたそうですが、それはどういった内容だったんですか?

:僕は、「芸術であるか / 芸術でないか」は、作る人や観る人の認識次第だと考えているんです。誰か専門家に「芸術であるか」を認めてもらう必要はあまりないのかなと。社会活動をしている人でも、誰かが「彼はアーティストだ」と言えばアーティストだし、その境界線自体が曖昧でもそんなに重要じゃない。だから、『フェスティバル・ボム』で「多元芸術」を紹介する際も、「作品」とは呼ばず、「活動」と言うことが多いんです。作品を紹介するんじゃなくて、「活動している人」をプレゼンテーションすることが大事だと思うんですね。

―市村さんは、今の話についてどう思われますか?

市村:多様化するこれからの芸術のあり方について、考え方は大きく2つあると思うんです。「芸術という領域をどんどん拡大していく」という考え方と、「芸術という領域から外に出る」という考え方。日本の場合はどちらかというと「拡大していく」ほうが主流だけど、もうそれも広げきれないんじゃないかと思いましたね。

左から:市村作知雄、李丞孝

―「多元芸術」は「芸術」という名前こそついているものの、その境界に意味がないと言ってしまうならば、もうまったく別のものが生まれてしまったわけですよね。

市村:美術業界の方とも「もう作品作る奴いないよ」って、話したりするんですけど、「作品を作らない」っていうことの意味は相当大きくて、1000年以上のアートの歴史が変わってきていると思いますね。どんなに変化していっても「作品があって、鑑賞者がいる」という構造は変わらなかったわけで、「多元芸術」では、それが「作品ではない」ってことになってくると、根底から変わるだろうと。方法論を変える話ではなくて、あり方を変える話だと思いましたね。

僕が活動する全ての理由は「戦争をやめよう」という思いなんです。(李)

―今回『フェスティバル・ボム』を日本で開催するにあたってのテーマとして、「作品の移動ではない観客の移動」というのをあげていますが、これはどういうことなのでしょうか?

市村:これまでにもパフォーミングアーツを中心とした国際交流をさんざんやってきて、もっと違った形で国を越えて、一緒に何かできないかと思っていたんです。作品を移動させて、いろんな国の人たちに観てもらったとしても、表層的なコミュニケーション以上に発展するのは難しい。それなら、日本と韓国なら地理的にも近いので、「1つの地域」という括りでフェスティバルをやって、お客さんが国を行き来しながら作品を観に行く。そんな「日韓共催フェスティバル」ができないか、ずっと李くんと話し合ってきたんです。

:つまり韓国も日本も、国境を越えた「1つの地域」として考えるということです。僕は実際に日本に留学してみて、韓国と日本は全然違うんだなと痛感しました。文化も、人との関係も、生き方も全然違っていて、それが辛い時期もありました。想像していた日韓の関係と違ったし、僕が考えていた日本人とも違った。そういうギャップを乗り越えるためには、ただ「韓国の新しいアートフェスティバルです」と言って、作品を持ってきてもしょうがないと思います。普段から韓国と日本の人たちの両方と触れ合っていないと、わからないものがあると感じたんです。

市村:現実的には国という枠があるので難しい部分もあるのですが、僕はたとえ国家がなくなったとしても、都市や街はなくならないと考えています。いくら国同士がぶつかりあっても、市民レベルでは絶対に交流を閉ざしちゃいけないというのが根本にある。それを閉ざしちゃうと、本当に戦争になってしまうと思うので。

李丞孝

―そのあたりが「観客の移動」というテーマに繋がってくるわけですね。

:そうです。僕は韓国人なので、日本に来る前は兵役で軍隊にいました。実際の戦闘は経験していないけれど、僕にとって戦争はリアルな問題で、韓国と日本の間でも戦争が起こる可能性は高いと感じています。よくヨーロッパの話をするのですが、ドイツやフランス、イギリスも、決して国家レベルで仲が良いわけじゃない。でも、実際に戦争をするには、家族や友達、仕事や経済など、すでに絡んでいるものがあまりにも多すぎて、現実味がないと思うんです。そういう意味では、今の韓国や日本、中国は人や文化の繋がりが薄いから、戦争の可能性が高いと言えるんです。

―日本人として耳の痛い話です。

:だから、キム・ファンが『皆のためのピザ』を作った目的が、北朝鮮の人たちと交流することだったとしたら、僕が『フェスティバル・ボム』のような活動をする全ての理由は「戦争をやめよう」という思いなんです。実際に戦争が起こるのが先なのか、こういった地道な交流を続けることで、戦争が起きたらいろいろややこしくなるから止めようとなるのが先なのか。それぐらいの危機感を持ってやっています。

―ただ、「芸術を使った交流」というのは、なかなか難しい問題でもありますよね。

:これまで言われてきた「交流」というのは、「仲良くなろう」ということだった思うんですけど、いきなりそんなこと言っても難しいですよね。だから、違うやり方でやるしかない、つまり「慣れるしかない」と思うんです。もし家族だったら、多少嫌いな部分があっても「仕方ないか……」って気持ちで一緒にいたりするじゃないですか(笑)。僕にとっては、韓国も日本もそういう存在です。好きなところも嫌いなところももちろんあるけど、それは当たり前のことで。国境なんて何の意味もなくて、ふらっと日本に来て友だちとご飯食べて、仕事で韓国へ戻るくらいの気持ちだし。そんな感じで韓国と日本が自然に繋がっていければいいと思うんです。

市村作知雄

今回の『フェスティバル・ボム』の大事なテーマの1つに「客観的にいいと思うものをやるのはもうやめよう」というのがあって。(李)

―なるほど。お話をお伺いしていて、そもそも『フェスティバル・ボム』というイベント自体が、「多元芸術」を体現しているのではないかという気もしてきました。ちなみに、「多元芸術」の概念がない、他国のアーティスト選定はどういった基準でされているんですか?

:今回の『フェスティバル・ボム』の大事なテーマの1つに「客観的にいいと思うものをやるのはもうやめよう」というのがあって。これまでは、「今、世界ではこれが一番新しくて、素晴らしいから観るべきだよ」というものを紹介してきたんですが、そもそも「客観的にいい」という基準自体がどこから来たんだ? と疑問に感じたんです。

―たしかに客観的といっても、何らかの文脈を基準にしていることがほとんどだと思います。それはヨーロッパ中心の芸術かもしれないし、何かによって作られたものかもしれない。

:そうです。だから、そういった基準を全部フラットにして、今回は僕にとって一番面白い作品、つまりこれまで見たこともないような表現や、社会問題を扱ったものなどを中心に作品を選びました。これからも、あえて個人の主観が集まるようなフェスティバルを作りたいと思っています。あと、韓国と日本では、少し選定基準が異なっていて、韓国では「多元芸術」を中心に選んだのですが、日本ではアーティストを選ぶというよりは、「急な坂スタジオ」だったり「さくらWORKS」といった、場所を中心に選びました。韓国から連れて来たアーティストやお客さんを、そういった場所の人々に紹介することがコンセプトでもあるので。

―最後に、今後の『フェスティバル・ボム』の展望を聞かせてください。

市村:まだ、発表できないことが多いんですけど(笑)、今年は東京藝大の仕事と『F/T』をやるだけでも精一杯で、それに加えて『フェスティバル・ボム』というのは本当に大変で……(笑)。ただ、『F/T』のディレクターはどんどん若い世代に譲っていきたいと考えているので、任期は3年のつもりでいたのですが、来年以降は共同ディレクター制にしていくつもりです。『フェスティバル・ボム』もここまで携わってきたので、並行してどこまでできるかというところですが。

:僕もディレクターの任期が3年なので、その間に少なくとも自分なりの『フェスティバル・ボム』を定着させて、韓国人と日本人の心理的な距離を縮めていきたいですね。僕は政治も含めて、韓国と日本の社会に興味を持っていて、「多元芸術」とは、社会に対する態度でもあると思っています。だから、日韓の問題解決を考えたときに、「多元芸術」のアーティストたちがキーとなって、既存の業界やジャンルの繋がりを超えた、いろんな日韓の具体的な繋がりが生まれていくことを期待していますし、今回の『フェスティバル・ボム』がそのきっかけになれればと思います。今年、お互いの国を訪れた人々が、それぞれ今後何かを始めると思うんですよ。それであと5年くらい経ったときに、活動や表現として見えてきたとしたら嬉しいです。

イベント情報
『Festival Bo:m in Yokohama』

2014年4月4日(金)~4月6日(日)
会場:神奈川県 横浜 急な坂スタジオ、さくらWORKS<関内>、寿町エリア、三渓園、STスポットほか
参加作家:
内藤正雄
サンガツ
ケイト・マッキントッシュ
神村恵カンパニー
アムンド・ショレー・スヴェン
ク・ホンジュ
オイチイチ
ほうほう堂
ドゥイ
ハン・ユンヒョン
岡田利規
市村作知雄
イ・スンヒョウ
ジョン・ジンファ
ソン・ホジュン
卯城竜太(Chim↑Pom)
東浩紀
パク・ダハム
カン・ムンシク
ほか

プロフィール
李丞孝(い すんひょう)

1984年ソウル生まれ。2009年から東京に滞在しながら『フェスティバル/トーキョー』や「十六夜吉田町スタジオ」のアジア関連事業に関わる。韓国の多元(ダウォン)芸術とアートフェスティバルをテーマとする研究者としても活動中。2013年7月に『フェスティバル・ボム』の第2代目ディレクターに就任し、韓国と日本を拠点に活動している。

市村作知雄(いちむら さちお)

1949年生まれ。アート制作者。アート制作者の地位向上とスキルアップのための活動を続ける。特定非営利活動法人アートネットワーク・ジャパン会長、『フェステイバル/トーキョー』実行委員長、東京芸術大学音楽環境創造科准教授、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団評議員、企業メセナ協議会交流部会員など。



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