「人生の模索時代」を過ごす若者へエール マキノノゾミ×茂木令子

どんな時代も「自分のカタチ」を見つけるまでの若い人たちには、苦い葛藤がつきものだ。そんな将来への不安を抱え、もどかしい日々を送る若者の日常を描いた2014年『ピュリツァー賞』受賞作が、今月、新国立劇場で上演される。彼らと同じ年代を過ごす人にとってこの苦悩は手に取るような感覚だろうし、かつての若者が見れば、覚えのある過ぎた時間はまぶしく映るだろう。

マサチューセッツ州の寂れた映画館の情景、アメリカ青年二人と女の子一人の軽妙な会話、人間関係にまつわる面倒な問題とその可能性——複雑で細やかな心理のあやに彩られたこの戯曲の筆致は、目の前でこの風景に立ち会っているかのような感覚に誘う。そんなリアリティーで綴られた舞台の演出を手掛けるのは、小劇場から商業演劇まで幅広いフィールドで活躍し、繊細かつ洒脱なウェルメイド芝居を作り続けているマキノノゾミだ。

マキノと『フリック』担当プロデューサーの茂木令子に、日本初演を迎える話題作の魅力、同時代翻訳劇を上演することで立ち上がる普遍性、そして自身の模索時代や若者たちへのエールを聞く。

男には誰しも、間違いなく自分のことを「宇宙で一番不幸な男、それは俺」って思う時代があるものなんです。(マキノ)

―『フリック』の主な登場人物は映画館で働く若者三人、大学休学中で映画狂のエイヴリー、いつも恋愛関係が続かないローズ、いつか映写係になりたいと夢見るサム。全員が若さゆえの不器用さや焦燥感を抱いています。

マキノ:彼らの苦しみはどれも身に覚えがあるし、生き方を模索する彼らの気分一つひとつが、すごく良く分かります。エイヴリーは間違いなく自分のことを「宇宙で一番不幸な男、それは俺」って思っているけれど、男には誰しもそういう時代があるものなんです(笑)。

茂木:あるんでしょうね。そういう感じの男の子、現実世界にもいますもんね(笑)。

「マキノさんの後ろにいます」と隠れる茂木令子とマキノノゾミ
「マキノさんの後ろにいます」と隠れる茂木令子とマキノノゾミ

マキノ:俺も20代前半はこんな感じだったしね。学生時代に演劇は始めたけれど「芝居で食っていこう」なんて思っていなかったし、将来は見えないし、彼女もいない。酔っぱらっては、溝にはまってましたよ。

茂木:溝にはまりながら「今、宇宙で一番不幸なのは俺」と思っていたと(笑)。

マキノ:そうそう、あの時は間違いなく宇宙で一番不幸だったよ!(笑)

―「演劇で生きていこう」と決意するまでは長かったんですか?

マキノ:そもそも演劇を始めたのがたまたまでしたから。大学に入って一番最初に知り合ったやつが演劇サークルに入っていて、手伝っているうちに取り込まれていたんです。ぬるっと始めたらいつの間にか演出もやっていて……という感じ。

マキノノゾミ

茂木:でもどこかのタイミングで「就職しないで演劇をやろう」という決意をされたわけですよね?

マキノ:劇団を一緒に始めたやつが先に就職したんだけど、「お前が劇団を作ったら俺は会社を辞める」と言ってきたんですよ。俺は俺で「お前が劇団を作ったら就職しない」って言って……ただのチキンレース状態(笑)。

―「どっちがギリギリまでいくか」みたいな(笑)。

マキノ:そうそう。で、向こうが「会社辞めるからやろうぜ」ってなった。でもその時も、「歳取ったら演劇なんてできないだろうし、若いうちにやっておかないと!」なんて言い訳付きだったと思う。いわゆるモラトリアムですな(笑)。

―茂木さんの「人生の模索時代」はどんな感じだったんでしょうか?

茂木:高校生ぐらいの時はモヤモヤしていましたかね。『フリック』にも「人間は誰しも、ステレオタイプを演じているんだ」というセリフがありますが、「どれが本当の自分だか分からない」みたいな感覚でした。でも10代の終わりに「とにかく、演劇をやるのだ!」って前のめりで決めちゃったんですよ。

本当は歌舞伎の大道具になりたかったけれど、当時は女子が入れる世界ではなかったので、「小劇場なら女子でも裏方ができるらしい」と知り、大学に入ってすぐこの世界に入りました。ひょんなことから新国立劇場に入って、あっという間に10年経っちゃって現在に至る……という感じです。

茂木令子

マキノ:まあ、「自分に何が向いているんだろう?」なんて、いつの間にか考えなくなるよね。

茂木:「他にやれることないし」ってなりますからね。

マキノ:続けるうちに「おい、つぶしがきかないぞ、これで食うしかない」になる(笑)。

―人生の方向を探して、必死にもがいたとかっていう感覚は……。

マキノ:そんなかっこいいもんじゃないけど、当時の心境は「不幸だ、先が見えない、どうしたらいいのかも分からない」ってもがいてたよね。外からみたら、ダラダラしているように見えたと思うけど。

茂木:ダラダラと言いながらも、マキノさんは演出だけではなく、戯曲も書かれますよね。どういうきっかけで書き始めたんですか?

左から:茂木令子、マキノノゾミ

マキノ:29歳で初めて書いたんですよ。当時の小劇場は劇団の代表が戯曲も書くし、演出もするし……というところが多くて「マキノ、お前が書けよ」となった。それで書いてみたら「意外とできるな」って(笑)。

でも同年代の作家は20歳ぐらいから書いているわけだから、俺にとっては「失われた10年を取り返そう!」ですよ。コメディー、西部劇、チャンバラ、文芸ものと、作品ごとにジャンルを決めて書き始めました。

結局は、人と人との関係をちゃんとできるかどうかでしか、世界って変わらないということが見えてくる。(マキノ)

―そうやって目の前の表現をやり続けていたら、モヤモヤ時代をブレイクスルーしていた……という感じなんでしょうかね。

マキノ:そうかもしれない。そのころに多分、「知らなくて何が悪い」って開き直ったんでしょうね。僕らの上の世代は学生運動やその挫折体験を持つ団塊の世代で、そのさらに上は戦争体験者。

表現の核となりうる「語るべき体験」が僕らにはないというコンプレックスを、常に感じていたんですよ。ほら、俺ら『なんとなく、クリスタル』(田中康夫の小説。モデルもこなす女子大生を通して1980年代の流行などが描かれた)な世代だから(笑)。

マキノノゾミ

―そこからどう開き直ったのでしょうか?

マキノ:「なにもない」が武器になると気付いたというか、そこを逆手にとって、「じゃあ想像してやろう」と切り替えたんだよね。自分の体験じゃなくても、フィクションという想像力を発動すればいいじゃないかと。今では当たり前だけど、当時の僕にとっては一大転機でした。知っていることはリアルな再現で終わってしまうだろうけれど、知らないからこそ「こんなものじゃないはずだ」と、状況や心情を想像することができるんじゃないかという発見をしたわけです。

―『フリック』の登場人物たちはまさに「転機前夜」というか、痛々しいほど真っ暗なトンネルの中という感じです。

マキノ:エイヴリーは恋人も友達もいないし、家族関係は複雑だし、人とうまくしゃべれない。どうにかそんな状況から抜け出したいと思っているその感じは……とにかく愛おしいですね(笑)。

彼がカウンセラーと電話で話す場面があるんですが、笑っちゃうぐらい、カウンセラーがエイヴリーのことを分かってくれないんですよ。彼の状況としては、大好きな映画のことをしゃべりあえるサムと出会い、「友達になれるかもしれない」と気持ちが上向きになっているのに。

左から:茂木令子、マキノノゾミ

茂木:「サムと友達になりたいんだけれども、どうしたらいいでしょう?」って相談したら、「友達になりたいって言いなさい」って言われたり(笑)。

―それが言えたら、カウンセラーに相談しないですよね(笑)。

マキノ:おそらく彼の悲惨な現状はカウンセリングでは突破できなくて、この作品の舞台となる映画館で描かれる体験こそが、彼をたくましくすることができるんです。

基本的にこの戯曲は、しゃべったり、掃除したりと、ダラダラとバイトしているヤツらの話ですからね。かっこいいことも言わないし、本当の日常会話がひたすら続いていくだけ。そんな中に、ハッとするような、きらりとした言葉やセリフがひそんでいるんですよ。

―作家のアニー・ベイカーは、1981年生まれの若手劇作家です。セリフや戯曲構成には、「若者の青春時代と鬱屈」というある意味ありふれたモチーフを、瑞々しく、切実に見せるテクニックとセンスを感じます。

マキノ:三人の若者がちゃんと、別々の身体感覚と思考を持ってしゃべっていて、すごく達者な作家だと思いますね。日常会話って普通、とりとめもなかったり、スムーズに流れなかったり、しゃべりたいことを途中で忘れちゃったりするものじゃないですか。

そんな現実で起こりそうな会話を巧みに入れ込んで、いっぱい無駄話をしながらも、それが無駄ではないことが段々と分かってくる仕掛けになっている。リアルな手触りを持つ会話のクオリティーが高いのは、鋭い人間観察ができている証拠だろうと思います。

マキノノゾミ

―後半、エイヴリーの「世の中なんて最低だし、変えられないんだ」みたいなセリフは、絶望がデフォルト設定の現代の日本の若者と近い感覚だと感じました。でも、この戯曲ではその先に希望が置かれる。作家の現実を見据える胆力を感じますし、日本の若い劇作家が、果たして今、リアリティーを持ってこの希望が書けるんだろうか? と思います。

茂木:アメリカが、さらに過酷な状況だからこそ描ける領域かもしれないですよね。

マキノ:うん。よりその希望を持ちにくい世界だからこそ、かもね。劇中、映画『パルプ・フィクション』(1994年)でサミュエル・L・ジャクソン演じる殺し屋が言うセリフが引用されるでしょ? 「世界は邪悪で利己的でヒドいところだが……必死こいて頑張ってんだ」っていうセリフ。彼はあの日あそこに至るまで、最低のものを見ているんだよね。

それがエイヴリーたちがぶちあたる状況と重ねられるわけだけど、結局は目の前の人間を信じられるかどうか、人と人との関係をちゃんとできるかどうかでしか、世界って変わらないということが見えてくる。人として生きる限りは必ず他者と出会うけれど、その他者を信じることができるんだろうか。これって実は現代の問題ではなくて、どんな時代でもそこは危機で、常に試され続けている課題のような気がします。

不自由さや不便には、おそらく幸せの鍵がある……このことは、知っておいたほうがいいですね。(マキノ)

―『フリック』は2014年『ピュリツァー賞』受賞作です。新国立劇場では、ユダヤ人とパレスチナ人青年の友情を描いた『負傷者16人—SIXTEEN WOUNDED—』(2012年)、戦場カメラマンを主人公にした『永遠の一瞬—Time Stands Still—』(2014年)、イラクでアメリカ兵が動物園のトラを射殺したという実在の事件をもとにした『バグダッド動物園のベンガルタイガー』(2015年)と、近年、現代欧米戯曲の日本初演に取り組んでいます。ニュースの見出しのような事柄も、目の前で登場人物たちの息遣いを感じる芝居を通せば、当事者たちと対話をしているような、身近な問題になるんですよね。

左から:『負傷者16人—SIXTEEN WOUNDED—』『永遠の一瞬—Time Stands Still—』『バグダッド動物園のベンガルタイガー』のパンフレット
左から:『負傷者16人—SIXTEEN WOUNDED—』『永遠の一瞬—Time Stands Still—』『バグダッド動物園のベンガルタイガー』のパンフレット

茂木:明確なシリーズ名が付いているわけではないのですが、新国立劇場の演劇芸術監督である宮田慶子が、日本で上演されていない欧米の同時代戯曲に取り組みたいと立ち上げた企画です。現在はニューヨーク、ロンドン、韓国の海外調査員が定期的に戯曲やレポートを送ってくれて、宮田監督が上演戯曲を選んでいます。

これまで取り上げた作品は、戦争が背景だったり、イスラム社会とどう生きるかを問うといった硬派な視点の戯曲が多かったので、コメディータッチの会話劇『フリック』はこれまでとはちょっと違う路線です。とはいえ『フリック』にも「現代」がしっかり織り込まれていますし。これまでの戯曲も名作ぞろいでしたが、実は『ピュリツァー賞』を受賞しているのは、この中では『フリック』だけなんですよ。

茂木令子

―格差社会、ジェンダー、人種差別と、まるでアメリカ大統領選の争点のようなモチーフも織り込まれていますが、あくまでさり気ない。終始、時給8ドル25セントで働く子たちのリアルな視点なんですよね。

茂木:「職場で事件が起きると、まっさきに黒人が疑われるんだよな~」みたいなシビアなことがさらっと書かれていて、「そういうことが私たちの日常では普通なんです」というリアリティーに根付いていますよね。

マキノ:見掛けがのんきだし、問題やメッセージを声高に叫ぶ作品ではない。そして過酷なことが日々起こる世界で、映画というフィクションが人を癒したり、誰かとつながるきっかけになるという、芸術への讃歌もまぶされているし。その感じも含めて、この戯曲は程がいいんだな。先鋭ではないけど「賞あげとこうよ」ってなったんだろうね。

左から:茂木令子、マキノノゾミ

―劇中では、デジタル化による35mmフィルム上映時代の終わりも描かれ、アナログへの郷愁も重ねられています。日本でも、フィルム上映をすれば若者も見かけますし、今、若い人の間ではレコードの人気も復活しています。周期的にやってくるブームかもしれませんし、少数派かもしれませんが……。

マキノ:デジタルを否定するわけではないけれど、フィルムに愛着を持つエイヴリーのように、アナログ回帰する若者の気持ちは良く理解できます。人は、無駄なものに愛着を持つ生き物だから。どんなに時代が変化し便利になっても、愛着がわくのは不自由なことなんですよね。

「便利イコール幸せです」って宣伝しないと物は売れなから巷にはそういう言葉が溢れているし、それはコストパフォーマンスがいいかもしれないけれど、幸せとは直結しない。不自由さや不便には、おそらく幸せの鍵がある……このことは、知っておいたほうがいいですね。

左から:マキノノゾミ、茂木令子

―コツコツと自分で探っていったほうがいいと。

マキノ:そう思うと、演劇なんてアナログの極致ですよ。翻訳劇をやることだってかなり無茶で、「なんで日本人がアメリカ人の芝居を、こんなに一生懸命やってるんだ?」って感じですよね(笑)。お客さんもこの愉快さを共有してくれるといいんだけど。なんだったら、アメリカ人に見せたいぐらいだよ!

茂木:そうですよね(笑)。でも、大人になってみると、若い人こそ、もっと無駄なことをしたらいいのにな~と思いますよ。童話の『青い鳥』とか『母をたずねて三千里』とか、若者の現代感覚からすると、キョトンって感じなんじゃないですか? あんないろんな土地や国をまわって、実は自分の家に幸せがありましたよ……なんて(笑)。でも、効率や正解を求める前に「もうちょっと自分で探してみたら楽しいのにな」と言ってあげたいです。

マキノ:大人が答えを言うことはできるかもしれないけれど、「それであなたは幸せですか?」ってことなんだよね。答えは結局、自分で探す方が幸せなんだもん。

イベント情報
『フリック』

2016年10月13日(木)~10月30日(日)
会場:東京都 新国立劇場 小劇場THE PIT
作:アニー・ベイカー
翻訳:平川大作
演出:マキノノゾミ
出演:
木村了
ソニン
村岡哲至
菅原永二

プロフィール
マキノノゾミ

1959年生。1984年劇団M.O.P.を結成し、2010年の解散公演まで主宰を務める。1994年『MOTHER』で『第45回芸術選奨文部大臣新人賞』、1997年『東京原子核クラブ』で、『第49回読売文学賞』、1998年『フユヒコ』で『第5回読売演劇大賞優秀作品賞』、2000年『高き彼物』で『第4回鶴屋南北戯曲賞』、『怒涛』で『第8回読売演劇大賞優秀演出家賞・作品賞』、2008年『殿様と私』で『第15回読売演劇大賞優秀作品賞』など、受賞歴多数。劇作、演出にとどまらず、NHK朝の連続テレビ小説『まんてん』のほか、テレビ作品も手がける。

茂木令子 (もぎ れいこ)

東京都生まれ。大学在学中より小劇場の裏方として活動。ク・ナウカ、遊◎機械/全自動シアター、ナイロン100℃などに舞台スタッフとして参加。2000年より制作者としても活動を開始、二足の草鞋生活を送る。2005年、新国立劇場制作部に入職。2016 / 2017シーズンは『フリック』のほか、『白蟻の巣』『マリアの首 -幻に長崎を想う曲-』を担当する。



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