「常識」をひっくり返す楽しさをレアンドロ・エルリッヒが語る

レアンドロ・エルリッヒといえば、金沢21世紀美術館にある『スイミング・プール』を思い浮かべる人は多いだろう。固定観念を鮮やかにひっくり返す彼の代表作のひとつであり、大規模個展の記憶も新しい。しかし、日本にはもうひとつ、彼とゆかりの深い場所があるのを知っているだろうか。

それは新潟県越後妻有(十日町市、津南町)。『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』の舞台として知られる、山あいの地だ。エルリッヒは2006年の同トリエンナーレで屋外作品『妻有の家』を発表。さらに2012年には越後妻有里山現代美術館「キナーレ」で大型作品『トンネル』を公開、こちらは現在も展示されている。

そして2017年。来年のトリエンナーレより一足先に、彼の最新作が越後妻有に出現した。今度の場所は、元小学校の校舎を改装した宿泊施設「三省ハウス」。トリエンナーレ時期以外も訪問者を迎え入れるこの場所で、エルリッヒが生み出したのは、一見そう言われなければ「作品」と気づかずに足を踏み入れてしまいそうな異空間だった。現地に滞在中だった本人を訪ね、最新作の話から、今につながる少年時代のエピソード、さらにエルリッヒ作品を特徴付ける「常識」と「気づき」の理想の関係性までを聞いた。

物事を既存の枠にはめてわかりやすく考えようとしがちだけど、物事が次から次へ変化し続ける可能性を忘れてしまう。

―『スイミング・プール』をはじめ、エルリッヒさんの作品の多くは、文化や世代を超え、出会った瞬間に感じ、楽しむことのできるものが多いですね。こうした作風に向かったきっかけはありますか?

エルリッヒ:僕は小さな頃から、何かのリミットを超えたものを想像 / 創造することに興味を持っているんです。

レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』(金沢21世紀美術館 / 2004年)。日本における彼の代表作のひとつ。/ ©Leandro Erlich Studio photo: NAKAMICHI Atsushi / Nacása & Partners
レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』(金沢21世紀美術館 / 2004年)。日本における彼の代表作のひとつ。/ ©Leandro Erlich Studio photo: NAKAMICHI Atsushi / Nacása & Partners

―リミットを超えたもの、というと?

エルリッヒ:僕らはついつい、物事を既存の枠やカテゴリーにはめてわかりやすく考えようとしたり、古くから存在するものを当たり前のこととして受け入れてしまいやすいですが、そうすると物事が次から次へ変化し続ける可能性を忘れてしまうこともあります。でも、「考え続けること」も大切ですよね。僕の場合、それがしばしば、リアリティーの追求みたいなこととは別の方向に進むことになるんだけど。

―エルリッヒさんはお父さんが建築家だそうですが、その考えはお父さんからも影響がありますか?

エルリッヒ:あると思います。建築家というのは常に、それまでなかった「スペース」を作り出す仕事ですよね。特に建築でクリエイションするということは、一度作り上げれば、簡単には打ち消せない、影響力のある頑強な場を作るということでもある。でも、そういうのが何にもなかった時代って、一体いつ頃まで遡ればいいんだろうって思うんです。

レアンドロ・エルリッヒ
レアンドロ・エルリッヒ

―エルリッヒさんが今大切にしていらっしゃる「考え続けること」というのも、お父さんから受け継いでいる部分があるのでしょうか。お父さんとのエピソードがあれば聞かせてください。

エルリッヒ:父のスタジオは家の中にあったんです。スタジオの入り口は家の前の道に面していたんだけど、実は家の中からスタジオに入れるドアもあって。それは棚みたいな形だったから、訪ねてきた人はそこに入口があるなんて気づかない(笑)。秘密の抜け道だったんですよね。

子どもの頃は、家に来た友達と、それを使ってかくれんぼをして遊びました。そこに隠れると誰にも見つからなかったんです。一見、「あれ、行き止まりか」ってなるからね。それは僕が父からもらった「遊び心のある装置」というアイデアのかけらだったと思います。空間を活かして、いかにインタラクティブな物語を紡げるかということをそこで学んだ気がします。

レアンドロ・エルリッヒ『妻有の家』(2006年)。地面に寝そべるように作られた家を大きな鏡に映し出した作品(展示終了)撮影:池田晶紀
レアンドロ・エルリッヒ『妻有の家』(2006年)。地面に寝そべるように作られた家を大きな鏡に映し出した作品(展示終了) 撮影:池田晶紀

アートを通じて物事を見ると、すごく自由になれるし、同時に何が起こるのかは予測できない。

―ただその後、なぜエルリッヒさんは建築家ではなくアーティストの道を選んだのでしょう?

エルリッヒ:アートと、それを通じたアクティビティーに、より興味があったからです。人々はアートを通じて、楽しんだり、逆に不快になったりしますよね。そうやってアートは、建築よりもたくさんの人々や物事を巻き込んでいけるように思えたんです。

アートを通じて物事を見ると、すごく自由になれるし、同時に何が起こるのか予測できない。自分自身の亡霊と共に過ごすような体験をするかもしれないし、最終的には、自分自身を表現することになるかもしれない。そういう作品を生んできた先達のアーティストたちを見ると、成功した人も、そうでない人も、その人たちの人生を生きていると感じて、僕もその仲間入りをできたらと思いました。

レアンドロ・エルリッヒ

―エルリッヒさんの作品は、見る側に特定の知識や文化的背景という「垣根」を設けない表現を目指しているようにも思います。この点を自分ではどう捉えていますか?

エルリッヒ:うまく言えないけど、「説明すること」とは違う何かをやりたいんです。だから誰にでも届きやすく、異なる人々、異なる場所でも、子どもからお年寄りまで楽しめる、そういう意味でユニバーサルなものを作ろうとしてきました。

たぶんそのための重要な要素として、人の知覚というものを扱っているんだと思います。僕らは人生のごく初めの頃から、知覚を通じてこの世界を学んでいきますよね。これは人類に広く共通する。だから僕が扱うトピックは、人生 / 生命だとも言えるんです。

―アートで人間の知覚を扱い、人生そのものを表現することの意味とは?

エルリッヒ:僕らをコミュニケートさせてくれるマジカルな感覚は文学や映画にもあるけれど、アートが特別なのは、そこに言語がなくてもいいことじゃないかな。翻訳の必要もないですし。

初めて日本に来たのは、金沢21世紀美術館で『スイミング・プール』を作るためでした。事前に参考にしたくて、たくさんのプールを訪ねて回ったんです。結局、僕が作ったのは典型的な西洋式のプールだったけど、「西洋式」ということは日本の観衆にとって妨げにはならなかったと実感しています。

『Lost Winter』は「別のものを見る」効果を、空間に鏡を交差して立てることで実現しているんです。

―新作『Lost Winter』はどういった経緯で制作することになったんでしょうか?

エルリッヒ:今作は、宿泊施設「三省ハウス」に恒久設置できる作品をという話がきっかけで、以前に作った作品『Lost Garden』(2009年)をベースにして生まれたものです。

今回『Lost Winter』にしたのは、まずこの地域はトリエンナーレなどで多くの人が訪れるようになったけど、冬の妻有を体感してもらう機会は少ないと思ったから。本当は雪景色もとても特徴的な土地なので、その冬のなごりを、季節を問わずお客さんに感じてもらえたらと思って。

レアンドロ・エルリッヒ『Lost Garden』(2009年) / variable dimensions. metal structure, bricks, windows, mirrors, fluorescent lights and artificial plants / MOLAA, Long Beach, California, US © Jon Endow, courtesy of Leandro Erlich Studio
レアンドロ・エルリッヒ『Lost Garden』(2009年) / variable dimensions. metal structure, bricks, windows, mirrors, fluorescent lights and artificial plants / MOLAA, Long Beach, California, US © Jon Endow, courtesy of Leandro Erlich Studio

新作『Lost Winter』の中に入るエルリッヒ。一見ただの中庭だが、杉の木を中心に2枚の鏡が立てられており、中を覗き込むと全ての窓から自分の姿が見える(※実際にはガラス戸があり、中に入れませんのでご注意ください)
新作『Lost Winter』の中に入るエルリッヒ。一見ただの中庭だが、杉の木を中心に2枚の鏡が立てられており、中を覗き込むと全ての窓から自分の姿が見える(※実際にはガラス戸があり、中に入れませんのでご注意ください)

―つららや雪だけでなく、この地域ならではの冬の特徴が盛り込まれている?

エルリッヒ:そうです。当然、ここで作るからにはここにあるものを取り入れたかった。たとえば窓の向こうに見える、薄雪をかぶった1本の針葉樹は、このあたりによくある杉。その根元から、フキノトウが顔を覗かせています。

あと窓の下にある柵は「雪囲い」と言って、この地域で冬の積雪から窓を守るもので、実際に使われていたものです。他にもあまり目立たない、気づかない部分にも、そういう工夫をしています。

―なるほど。「三省ハウス」はもともと小学校だったと伺いました。

エルリッヒ:そう。作品を設置した部屋は、図書室だったらしいです。今も本があって、人々が自由にくつろげる場所になっています。ここで常に冬を感じてもらえたらと、ストーブも置いてあるし、普通の窓もあるから、作品を通じての「雪の残る風景」と、実際の風景とのコントラストも感じられると思います。

レアンドロ・エルリッヒ

―鏡を立てかけた仕掛けがあるのにもかかわらず、一見すると、この地域のごく当たり前の自然の姿があることが面白いです。

エルリッヒ:今、気づいたんだけど、この作品は自然史博物館なんかにある、森と生物たちのいる風景と似ていますよね。違うのは、ここには動物はいないこと。代わりに「自分自身が何かを見つける姿」を見つけることになる。つまり、自然そのものというより、自然と人との関係を見せるものとも言えると思います。

―つまり、そこに「見えている」四角い庭だけではなく、何か別のものを見ることになる?

エルリッヒ:そう。お客さんは窓の向こうに「あ、小さな中庭がある」と覗き込むんだけど、ふと気づくと、斜め前にある別の窓からも、自分自身が庭を覗き込んでいることに気づくんです。

レアンドロ・エルリッヒ

―「Winter」の前にある「Lost」も気になります。

エルリッヒ:これはコンセプト上の遊びという面もあって。まず元になった作品『Lost Garden』には、アダムとイブの「失われた楽園」というイメージがあります。かつては存在したけれど今はない、またはそこから出ていかねばならない場所。

さらに、『Lost Winter』はさっき話したような「別のものを見る」効果を、空間に鏡を交差して立てることで実現しているんです。つまりこの四角い庭の4分の3は実際には存在していない。その「ないもの」を見ているという点も、タイトルとつながっています。

―展示室にある電気ストーブは水蒸気に赤い光があたり、まるで本当に燃えているように見えますね。これも作品?

エルリッヒ:いや、それは去年、六本木で見つけて購入しました(笑)。部屋全体の冬の演出にはぴったりだと思って。作品自体は、じつはさらに手を加えようと思っています。まず、杉の枝葉が、風を受けているみたいに静かに揺れるようにしたい。

あと、ここに泊まる人たちが楽しめるよう、夜が近づくと庭の光が夕陽になったり、フクロウの声が聞こえたり、そんなことができたらいいなと思って。今のこの中庭はまだ時間が止まっているけど、その時間を流してみたいと思っています。

奥に見えるのが電気ストーブ
奥に見えるのが電気ストーブ

―今作が展示されているのは美術館などの施設ではなく、言われなければ最初はアート作品だとさえ気づかないかもしれない。そのことが、見る者の驚きを一層増すようにも感じます。こうした環境での作品作りに、どんな可能性を感じますか?

エルリッヒ:美術館に展示してあるものは、みんなもすぐわかると思うけど、誰に言われなくても「これはアートです」って受け取られますよね。その意味では美術館って、作品をいろんな意味で「守る」ものだと思うんです。

だけど同時に、それがお客さんとある種の距離を生んでしまう可能性もある。モノとしてすんなり向き合うというより、作品と人との間に、何かのフィルターがあるみたいな。でも僕は、そういう体験より、一瞬にして感じてもらえる体験、その楽しさを大切にしたい気持ちが強いです。

楽しい体験って、あることについての知識が人それぞれで違うことを知るときの「驚き」ともつながっている。

―今話してきたような特徴を活かしたエルリッヒさんのアートについて、一方では、遊園地などにあるアトラクションとどう違うのか? と問う人もいると思います。エルリッヒさんはこれまで「自分の作品からメタファーを感じたり、哲学的な思考を引き出されることもあり得る」とおっしゃっていますが、そこは今も一貫していますか?

エルリッヒ:僕がこの場所から去り、またはこの世界から去った後には、作品は一人で歩き出し、語り続けると言えます。僕の視点から言えば、自分の作品は世の中のいろんなものから着想して生まれたものだし、結果的に多様なメタファーや投影にもなっていると思う。

ただ、全ての人がこうした世界の解釈を受け取るとは限らないですよね。シンプルに体験そのものを楽しんでくれるだけかもしれない。でも同時に、何かのインスピレーションを得たり、彼ら自身の物語に引きつけて感じることに興味を持ってくれる人もいると思っています。

レアンドロ・エルリッヒ

―そういった出会いを模索する中で、越後妻有には長い期間関わり続けていますね。アーティストとして、ひとつの場所に関わり続けることの魅力や可能性とは?

エルリッヒ:ちょうど今日ここに来る車の中で、そのことを考えていたんです。これまで越後妻有には何度も訪れてきていて。同じ年の違う季節とか、数年ぶりにとか。目的も仕事だけじゃなく、観光もしたし、地元に暮らす人々との出会いもありました。

その全てが、僕にとって新しい体験だったんです。同じ土地でも、いつだって学びがあった。そうして今は、前よりもこの場所のことがだいぶわかってきたように思います。それは、たとえば一人でこの土地のどこかにこもり続けるより、ずっといい体験だったと思うし、作品作りに限らず、たくさんのインスピレーションをもらいました。

レアンドロ・エルリッヒ

レアンドロ・エルリッヒ『トンネル』。越後妻有に実際に存在するトンネルからインスパイアされ制作された。Photo:Osamu Nakamura
レアンドロ・エルリッヒ『トンネル』。越後妻有に実際に存在するトンネルからインスパイアされ制作された。Photo:Osamu Nakamura

―固定観念をひっくり返すような作品作りにおいて、逆にそういう「古いもの」の存在が、エルリッヒさんの創作に欠かせない条件とも言えませんか? また、古いもの=悪い、新しいもの=いいと単純に言えない関係があるように思います。

エルリッヒ:その通りですね。これは僕の個人的な感覚で、多分みんなも一緒じゃないかと思うんだけど、楽しい体験って、あることについての知識が人それぞれで違うことを知るときの「驚き」ともつながっていると思うんです。僕らがこの世界で巡り会うものって、実は既存の知識の振り返りや参照であることも多い。でもそうしたときにも、驚きや反転の瞬間は訪れる。

たとえば象徴的な表現だとか、古くからある知識やリアリティーも、実は僕らの理解の範疇よりずっと広い可能性を持っていると思う。そして、そのことに向き合えたとき、僕はハッピーになれるんです。

僕らは「何もかも悟った人間」という理想像を追い求めるけど、同時に「未知のものがあってほしい」と願っている。

―エルリッヒさんの作品は、単に「古い物事」への揺さぶりではないということですか?

エルリッヒ:僕ら人間はずっとこの世界を理解したい、理解しようと努力し続けてきたけど、未だに知らないことがたくさんありますよね。でも同時に、僕ら自身が「まだ知らないこと」の存在を期待してもいる。

「何もかも悟った人間」という幻想みたいな理想像を追い求めるけど、同時に「まだ未知のものがあってほしい」と願っている。これは物事の表と裏みたいな組み合わせだと思います。それは人類の歴史の中で、宗教や科学を通じて続いてきた営みとも言えますよね。

―確かにそうですね。それにわかっているようで、本当はわかっていないことも多い気がします。

エルリッヒ:たとえば、僕は宇宙の果てしなさを頭では理解しているつもりだけど、少なくとも今のところ、それを実体験できるわけじゃない。こういう世界って完璧な正解が出せるものではないと思うんです。

一方で、僕らにはまた、日々の暮らしもある。スーパーで買い物して、ご飯を作り、子どもが生まれたら世話をして、ときどきは散歩もしたい。そうした中で、それでも「新しい未知のスペース」を探しているんじゃないかな。

―エルリッヒさん自身もそういう旅の途中ということですね。

エルリッヒ:もちろん僕も、そういった世界のうごめきの中にいます。人生はいつも、僕らに新しい信念、新しい挑戦を与えるものですから。僕らが何を知っていて、何を知らないかってことでいえば、この間こんな話をしていたんです。

地球が丸いことは今や常識だけど、もし誰かが今「地球はフラットで、水平線のところで切れている」と信じたとして、それはその人の日常生活に何か影響を及ぼすかな? って。

レアンドロ・エルリッヒ

―地球のかたちに関わる強い宗教観とかを持っていなければ、意外とそんなに変わりはないかもしれませんね。

エルリッヒ:人類は科学技術を通じて大いに進歩したし、今はスマホもネットもあって、未来に住んでいるような気もするけど、ふだんの生活体験は昔からそれほど変わっていない部分も多い。時代を問わない、人生につきもののテーマもありますよね。食、愛、自然と人間の関係などなど……。

僕の作品がボーダーレスだと言ってくれたことにつなげると、僕の作品はそうした誰もが持っている世界とつながる空間です。そこに、体験する人々の過去の知識や個人的な知識もつながって、それぞれの体験になっていくと思っています。

イベント情報
『「大地の芸術祭」の里 越後妻有2017夏』

2017年8月5日(土)~8月20日(日)
会場:新潟県 越後妻有エリア各所
料金:共通チケット 大人2,000円 小中学生500円

プロフィール
レアンドロ・エルリッヒ

1973年ブエノスアイレス(アルゼンチン)生まれ、モンテビデオ(ウルグアイ)在住。2000年の『ホイットニービエンナーレ』をはじめ、2001年、2005年の『ヴェネチア・ビエンナーレ』、サンパウロ、リバプール、イスタンブールといった多くの国際展に出展。世代や国境を超えて人々が共有できる体験の場を創造してきた。日本国内では美術館のみならず、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭』などでも作品を発表。



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