菊地成孔×湯山玲子対談 「文化系パリピ」のススメ

菊地成孔がペペ・トルメント・アスカラールと共に提供する『晩餐会 裸体の森へ』が、昨年に引き続きモーション・ブルー・ヨコハマにて開催される。

本イベントは、主催者でありバンドのリーダーでもある菊地自らが、シェフとコラボレートして、食材やレシピ、ワインの選定に至るまで統括するという、ジャズ史上でもほとんど例を見ない珍しい晩餐会だ。音楽と、食事と酒、そしてエロス。それらが混じり合う空間を、なぜ彼は必要としているのか。

菊地とは『不道徳音楽講座』を共催し、自らも『爆音クラシック』など様々なイベントを仕掛ける著述家、湯山玲子とともに、本イベントへの意気込みや「大人の贅沢な遊び方」について語ってもらった。

不道徳は、文化系男女にとって上位の価値基準だった。(湯山)

―菊地さんと湯山さんは、渋谷のユーロスペースで『不道徳音楽講座』というイベントを不定期で行なっているそうですが、これはどのようにして始まったのですか?

菊地:湯山さんは『爆音クラシック』(以下、『爆クラ!』)という、クラシックを爆音でかけるイベントを長くやっていて、他にも『美人寿司』とかね、複数掛け持っている「元祖文化系パリピ」なんです(笑)。如何せん、「快楽系パリピ」にはなれない。僕はというと、そんなパリピではないのだけど、たとえば『HOT HOUSE』という、ジャズで踊るパーティーを4、5年主催していて、そこに湯山さんも来ていただいていて。

湯山:そうそう、言わば私はダンスフロアの指導的立場にいるんですよ(笑)。

左から:湯山玲子、菊地成孔
左から:湯山玲子、菊地成孔

菊地:最近は不景気やSNSの普及で、クラブ界隈もだいぶ様変わりしていて、あまり夜遊びもしなくなってきている。でも僕らはずっと夜遊びしてきた世代だし、いま言ったようなイベントを各々で作ってきたわけ。

その延長線上で、パーティーとまではいかなくても、音楽つきのトークイベントを「一緒にやりませんか?」と湯山さんが誘ってくださって。不定期で始めたのが『不道徳音楽講座』なんです。

湯山:だいたい3か月に一度くらいのペースでやっていて。イベント名は、もちろん三島由紀夫の『不道徳教育講座』からのサンプリングですよね。

いまの世の中で、「不道徳」は非常に重要なワードだと私は思っている。なぜなら、この管理社会において、不道徳や不良であることは、少なくとも私や菊地さん世代の文化系の人間にとって、上位の価値基準だったと思うんです。それがいまでは、急速に無くなってきているんですよ。不道徳や不良をカッコいいもの、憧れる目線はなく、いけないもの、日常のペースを崩される“悪”でしかない、という。

菊地:僕もそう思います。ただ、イベント自体はそんな高尚なことをやっているわけでもなくて。トークというより「放談」ですから、テーマを決めてもその通りに進むとは限らない。音楽も、試しに流してどう聴こえるか楽しむ遊びなんですよね。

とはいえ、クラシックDJとしての湯山さんの手腕がすごいんです。さすが『爆クラ!』を長くやってこられただけあって、たとえばユーロスペースの大きなスクリーンに女優の顔を大写しにして、そこに湯山さんが選曲したクラシックを当てるとメチャクチャ合うわけ。いつも「すごいな」と感心させられます。

菊地成孔

湯山:そう言ってもらえるのは光栄ですよ。これまでクラシックの聴き方って、まず教養を備えて知識を構築してはじめて、愉しんでよし、という不文律があった。そういうアカデミックな聴き方ではなく、もっと斜めからの切り口……「このオペラの声がやばい」とか、「このティンパニーの音がグッとくる」とか、官能的な感覚だけで聴くのもアリだと思うわけです。

菊地:いわゆる「DJとしての眼差し」ですよね。

湯山:そう。でも、クラシック畑の人たちはそれが出来ない。知識が増えれば増えるほど、感覚的な聴き方を抹殺しちゃう人が多いんですよね。私が『爆クラ!』を始めたのは、ある意味、自分の教養を誇ったり、そういうことがアイデンティティーにすらなっているクラシックを「マトモな音楽」に戻してあげたいという思いからなんです……って、また不遜なこと言ってるなあ。

湯山玲子

菊地:(笑)。微細な違いはありますが、僕も湯山さんも大雑把に言ってしまうと、理念的で文学的で面倒臭い、ジャズやクラシックの教養主義的な聴き方もできて、その一方で、美味しいメシを食べるのが好きだとか、クラブやディスコやレイブが好きだという、非常に快楽的側面もあって。

僕の音楽には一貫してエロティシズムの要素が入り込んでいるのですが、それは知識や教養を備えた上で、「快楽を大切にしましょう」というキメラ……混血種だからなんです。この混血種は、最初に言った「文化系遊び人」「文化系パリピ」というスタイルを標榜する、ほぼ絶滅種に近い生き物なんです(笑)。

対象にのめり込んで、すべてつぎ込むのが「21世紀の遊び人」なのかな。(菊地)

―なぜそういう遊び方が衰退してきてしまったのでしょうか。

菊地:湯山さん、『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話―』(劇団雌猫著 / 2017年 / 小学館)っていう本読みました? 去年のコミケでものすごく話題になった本で、20代から40代くらいまでの女子が、可処分所得を全て何かにつぎ込んで浪費する姿を紹介しているんです。その人たちって、絶対に他ジャンルへの越境はしない。たとえば宝塚が好きな人なら宝塚、ジャニーズが好きならジャニーズ、K-POP好きはK-POPに、惜しみなくお金をつぎ込む。ある意味では信仰に近いんだよね。

菊地成孔

湯山:昔からそういうお金のつぎ込みかたをする人は、一定数いましたよ。宝塚ファンとか。いまとは何が違うんだろう。

菊地:以前なら、自分とは別ジャンルにお金をつぎ込む人を、異教徒と見做してバカにしていたところもあったと思うんです。でもいまは、「何がカッコよくて何がカッコ悪いか?」という価値基準もなくなってきているから、「本気で入り込んでいる人は美しい」っていう感覚。

とはいえ自分たちのしていることは浪費だから、隣で別ジャンルに浪費する異教徒を「悪友」と呼んでいる。あまりにも面白いから小学館から出版されたんです。ここ数年で読んだ中でも一番面白かったな。

―菊地さんは、その悪友たちのライフスタイルをどう思われましたか?

菊地:人生の空いている時間を全て趣味につぎ込んでいて、狂気が入っていると思う。もちろん差別するつもりなど全くないんですけど、「遊び方」がタコツボ化していますよね。全く余裕がない状態が信仰っぽいのかも。そして、それが「21世紀の遊び人」としての姿なのかなとも思う。

湯山:信仰だから「滅私」するのよね。自分を殺し、対象に依存もするし、犠牲も払うし、アイデンティティーと同一化してしまう。とはいえ、ジャズはそれじゃ演奏できないでしょう? クラシックも同じはずで、ウィーンフィルをはじめ海外のオーケストラは、演奏者一人ひとりに個々の自分がありながら、目標に向かう総意として一体感を作り出すことができる。でも、日本のオーケストラは演奏者が滅私して、指揮者や過去の素晴らしい演奏を「信仰」する形になっているところもある。

湯山玲子

菊地:食事に関しても、悪友的なスタイルが増えていますよね。食べている人が減っているんじゃなくて、食べ方が変わってきている。いま、「食べるのが好き」って言う人たちは、「食べログ」とか読み漁って、ラーメンならラーメン、カレーならカレーのタグをひたすら追っているし、それって昔の遊び人のグルメとは全然違うじゃないですか。でも彼らからすると、僕らみたいな文化系パリピはチャラい人で、命がけで対象につぎ込んでないダメな人になるらしい(笑)。

僕の場合は音楽があって、すげえ演奏をすればそこは認めてもらえるけど、「菊地という個人はチャラい」って認識(笑)。いまは、信仰しているくらい対象にのめり込んでいる方が、「エモくて最高」って思われがちなんだよね。チャラくしてると嫌われる。

菊地成孔

日本人がタコツボ化しやすいのは、フードコートのカルチャーがないから。(菊地)

―対象にのめり込み、タコツボ化していく現象はなぜ起こるのだと思いますか?

菊地:日本人がタコツボ化しやすいのは、「夜市」、つまりフードコートのカルチャーがないというのが大きいのかもしれない。東南アジアや韓国、ハワイなんかへ行くとフードコートがあって、だだっ広いところに色んな食べ物屋さんがあって、メニューを色々チョイスできる。外国人が日本に来て百貨店のレストランフロアに行くと、フードコートと間違えて、隣の寿司屋で買ってきた寿司を蕎麦屋に持って行って食べて、お店と揉めることもあるらしい(笑)。

最も「夜市」に近いお祭りの屋台でも、結局歩きながら食べるじゃないですか。いろいろ寄せ集めて一箇所に座って食べるということは、あまりやらない。日本でも最近は遅まきながらフードコートも出来ているけど、ビュッフェのように好きな料理をチョイスして、皿に盛りつけて食べる文化は、あまり習慣化されてないですよね。

―確かに。

菊地:まあ、こう話していくとキリがないんだけど、「20世紀的な夜遊びをする不良」っていうのはいつのまにか絶滅種になり、悪友のような新種の遊び方が主流になり始めた。そこまで吹っ切れてはいない人でも、ベクトルは新種の方に向かっているわけだから、これからの日本人にとって「快楽」とは悪友的な遊び=信仰でしかなくなってしまうのかもしれない。

ただ、絶滅種とはすなわち保護指定動物でもあるわけだから(笑)、「ちゃんと保護していきましょう」というのが今回のイベント『晩餐会 裸体の森へ』の趣旨なんです。

『晩餐会 裸体の森へ 第二回』ポスタービジュアル
『晩餐会 裸体の森へ 第二回』ポスタービジュアル(詳細はこちら

―つまり『晩餐会 裸体の森へ』は、信仰ではなく遊べる場としてのパーティーということですね。

菊地:ええ。まず、通常のコンサートやディナーのみのレストランとは違って「晩餐会」ですから、音楽と料理がセットになっている。そこまでは通常ですが、画期的なのは主催者の音楽家が、ディナーの内容まで統括していること。そういうイベントは世界でも珍しいと思うんですよね。

今回、ワインの種類や価格帯、料理の食材からルセット(レシピ)まで、シェフやクラブマネージャーと話し合っているんです。もちろん、僕はあくまでディレクションの立場であって、考案しているわけではないですが。

『晩餐会 裸体の森へ 第二回』演奏前の乾杯酒
『晩餐会 裸体の森へ 第二回』演奏前の乾杯酒

『晩餐会 裸体の森へ 第二回』アミューズの「トリュフクロケット(竹炭を使ってトリュフに見立てたコロッケ)」
『晩餐会 裸体の森へ 第二回』アミューズの「トリュフクロケット(竹炭を使ってトリュフに見立てたコロッケ)」

湯山:前回の『裸体の森へ』には私もお邪魔しました。グルメな菊地さんのことだから、手の込んだことをしてくるのだろうとは思いつつ、正直なところ「そこまで大層なものではないだろう」とタカを括っていたのね。シェフとは言え、ライブハウスのレベルだろうとも思ったのですが……。まあ、すごかったんですよ。ワインのマリアージュも素晴らしく、料理も「これやっときゃおしゃれでしょ」という類のものと違って、クリエイティブなソウルがある。それで思わずブログに料理の感想ばかり書いちゃったくらい(笑)。

ペペの音楽を聴くと、「これは恋だ!」と思う。(湯山)

―「夜会服でご参加を」としている点も、「大人の遊び場」というイメージがあります。が、ちょっと躊躇してしまう人もいるかもしれません。

菊地:「大人の遊び場」といっても、排他的な高等遊民の遊びにする気はもちろんなくて。何か一点でもルールを決めてオシャレして来るのは、その場を一緒に作り上げている感じもあって楽しいじゃないですか。

それに、カジュアルではなくフォーマルであることは、僕は地球環境にもいいと思っているんですよ。何故なら、人間は品位を失ってしまうとどこまでもエゲツなく不潔になってしまう生き物だから。

湯山:それは本当にその通り。

『晩餐会 裸体の森へ 第二回』前菜の「タスマニアサーモンのミキュイ オレンジの香り」
『晩餐会 裸体の森へ 第二回』前菜の「タスマニアサーモンのミキュイ オレンジの香り」

菊地:たとえば、引きこもって家が片づけられなくなり、ゴミ屋敷になるという悪循環が始まるのは、品位を失っているんですよ。そういう人が増えれば街も自ずと汚くなっていく。そういう意味で、フォーマルであることは、地球環境に最も必要なことだと思っていて。

湯山:フォーマルであること、すなわち品位を保つことは、実は「心の体力」が要るのよ。なぜなら、この装いは絶対に「他人に自分がどう見えるか」というコミュニケーションやサービス精神が必要だから。ここがコスプレと違う。コスプレは「自分が楽しければそれでいいじゃん」という子どもの欲求。フォーマルはそことは違うんですよ。

湯山玲子

菊地:そう。それにカジュアルウェアばかり着ていると、単純に姿勢が悪くなりますよね。フォーマルでいると姿勢も良くなるし、健康にもいいんです。

―湯山さんは、ペペ・トルメント・アスカラールの演奏についてはどのような印象をお持ちですか?

湯山:ペペのライブを観ると、いつもエロスを感じるんですよ。最近、「セックスがオワコン」と言われて形骸化していく中で、恋愛は消滅の一途をたどっていますよね。もう私なんて恋愛戦線からは完全に離脱しているんだけど、ペペの音楽を聴いていると、「ああ、ここにあるのは恋だ!」って私でも思うわけ。少子化が問題とされているならカップルはみんなペペを観に行って、欲情すればいいんですよ(笑)。

はっきり言って、菊地さんという音楽家の集大成はペペにあるんじゃないかと思ってる。もちろん他のプロジェクトもいいけど、ペペは別格で世界でもこの境地をこのスタイルでやっている音楽家はいないのじゃないか、と。かつてはセルジュ・ゲンスブールのような人もいたけど、現存するミュージシャンで音楽を使って、「恋愛や性愛についての快楽の手触り」をここまで描いたのは、ペペしかいないんじゃないかしら。

菊地:ありがとうございます。もちろんペペの音楽には知的興奮を焚きつけるような教養的な要素は嫌が応にも入り込んでいるけれど、「ペペを聴いたら恋をしたくなった」とか、「美味しいご飯が食べたくなった」とか、「セックスしたくなった」とか思ってもらえたら何よりです。

『晩餐会 裸体の森へ 第二回』メインの「キジ肉のバロティーヌ 牛蒡のコンフィとヴルーテと共に」
『晩餐会 裸体の森へ 第二回』メインの「キジ肉のバロティーヌ 牛蒡のコンフィとヴルーテと共に」

恋愛用、セックス用のBGMがチャラいと思っていない。(菊地)

―先ほど『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話―』や「食べログ」の話を聞いていて思ったのですが、ストイックに対象を追求する行為に、エロティックな要素を個人的にはあまり感じなくて。

菊地:そう、信仰になっちゃうとね。

―エロティックであることって、おっしゃっていたフードコート的な、ジャンルを越境していくスタンスが必要なのかなと思ったんです。ジャズやポップス、ヒップホップそしてクラシックまで取り込んだペペの、雑多な猥雑さが、湯山さんの恋愛感を焚きつけるのではないでしょうか。

菊地:そうですね。いま言ったように、音楽オリエンテッドな人がペペの音楽を、アカデミックに楽しんでくれても僕は一向に構わないし、それをやめさせるつもりもない。だけど僕は、恋愛用、セックス用のBGMがチャラいとも思っていないわけです。むしろ最高級の音楽がセックスやラウンジのBGMとして鳴っていて、みんながそれを斜め聴きしている。それこそがジャズの歴史だと思うんですよ。

そして、『裸体の森へ』はそんなジャズの歴史を体現したイベントなんです。リズムのこと、和声のことなど分からなくても全然構わなくて、とにかくいい気分になって、飯が美味くて恋愛したくなってくれたら最高。恋愛や性愛を焚きつけるためのBGMになれたら本望だなと思うわけです。

昨年の『晩餐会 裸体の森へ』の様子
昨年の『晩餐会 裸体の森へ』の様子

―それって最高に贅沢な遊びですよね。

菊地:そう。食事も飯も、デートの媚薬でしかない。ただ、「媚薬なら媚薬でいいだろう」って、手っ取り早くコストパフォーマンスだけ考えちゃうと、芯がなくなっちゃうんですよね。

ともあれ、すでに遊び慣れている人たちだけでなく、若い人たちにも是非このイベントを経験してほしいですね。クリスマスはクリスマスでやることがあるだろうから、日程は12月初旬に設定しておりますので、可処分所得はこのイベントとクリスマス、両方に満遍なくお使いください(笑)。

左から:湯山玲子、菊地成孔

イベント情報
『晩餐会 裸体の森へ 第二回』

2017年12月1日(金)、12月2日(土)
会場:神奈川県 モーション・ブルー・ヨコハマ
料金:18,000円(ムニュ、食前酒、乾杯酒付き)

プロフィール
菊地成孔 (きくち なるよし)

1963年生まれの音楽家 / 文筆家 / 大学講師。音楽家としてはソングライティング / アレンジ / バンドリーダー / プロデュースをこなすサキソフォン奏者 / シンガー / キーボーディスト / ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。

湯山玲子 (ゆやま れいこ)

1960年生まれ、東京都出身。著述家、ブロデューサー。文化全般を独特の筆致で横断するテキストにファンが多く、全世代の女性誌やネットマガジンにコラムを連載、寄稿し、最近ではテレビのコメンテーターとしても活躍。著作は『四十路越え!』『ビッチの触り方』『快楽上等 3.11以降を生きる』(上野千鶴子との対談本)『文化系女子の生き方 ポスト恋愛時宣言』『男をこじらせる前に』等々。クラシック音楽の新しい聴き方を提案する『爆クラ!』と『美人寿司』主宰。



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