田根剛の頭の中はどうなってる? 古代と未来をつなぐ建築家に訊く

パリを拠点に活動する田根剛は、20代で突然「建築家」になって以来、つねに大胆なアイデアで人々を驚かせてきた。負の遺産の軍用滑走路を再利用した「エストニア国立博物館」。東京のど真ん中に巨大な古墳を誕生させる「新国立競技場」案——。その建築は、土地に埋もれた記憶を徹底的に解読し、一気に発想を飛躍させることで生まれるという。

そんな田根の活動を、『未来の記憶 Archaeology of the Future』を共通のテーマに紹介する展覧会が、東京オペラシティ アートギャラリーとTOTOギャラリー・間の都内2か所で開催されている。会場では、大型模型や多様な資料が空間的に展開され、ひとつの建築がかたちになるまでのプロセスを身体を通して感じることができる。

「建築の仕事は、場所の記憶を作ること」。そう語る田根の口調は、もっとも注目される若手建築家でありながら、とても穏やかだ。展示準備を終えたばかりの彼に、その建築観から設計の具体的な思考、現在の東京についてまで、さまざまな質問をぶつけた。

場所には人の記憶を超えたものが刻まれている。それを掘り起こして、未来につなげたい。

—今回の展覧会タイトルにも示されているように、田根さんはこれまで、「土地や場所の記憶」という問題を建築作りの大きなモチーフとされてきました。建築のテーマとして記憶ということを考え始めたのは、いつごろのことだったのでしょうか?

田根:大きなターニングポイントはやはり、「DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)」というチームで「エストニア国立博物館」の国際コンペに勝ったときだと思います。この博物館は、ソ連から1991年に独立したエストニア民族の記憶を集積する場として計画され、僕らはそこに、旧ソ連時代の軍用滑走路を利用する提案をしました。

博物館は2006年のコンペから約10年を経て完成しましたが、応募当時は記憶という点を強く意識していたわけではなく、ある種、直感的な提案だったんです。そもそも僕には、応募の時点で建築家としての経験がほぼ何もなかった。それ以前は、ある舞台美術の仕事がひとつあっただけで、その次の仕事がエストニアでした。

田根剛

—そのエピソードはたいへん有名ですが、何度聞いても驚きますね。

田根:ちょうど昨日、会場に展示されたタイムラインを見た方も、「処女作が国立博物館って意味不明だよ」とおっしゃっていました(笑)。ある日突然「建築家」になり、自分に何の蓄積もないなかで、建築家として何ができるか。軍用滑走路という負の歴史が残骸として残っている、その状況から考え始めたわけです。

エストニア国立博物館(photo: Eesti Rahva Muuseum / image courtesy of DGT.)

—では、仮に最初の仕事が別の建築なら、異なるアプローチを選んでいた?

田根:かもしれません。そこは結果論ですが、やはりあの仕事が「建築とは何か」ということをもっとも深く考えた時期だったんです。当時はほかに大きな仕事もなく、何しろエストニアのことだけで手いっぱいだった。何とかかたちにしようともがいていたあの日々が、いまでは大事な時間だったと思います。

また、当時は世界的に、「スター建築家」という建築家像が流行った時代だったんですね。スター建築家が世界のどこにでも現れ、コンペを獲り、個性の力でグローバルに活躍する。それに対して、僕らの世代は同じ道に向かうのか、違う未来を作るべきかということを、ヨーロッパで仲間とよく話していました。そんなとき、建築を作る原理として「記憶」という言葉が、僕のなかで強くなっていったんです。

—田根さんはそうした建築の意義を、土地に縛られず、世界各地に展開できるスタイルを理想とした近代のモダニズム建築とも対比させていますね。

田根:モダニズム建築には、もともと、宗教や政治から自由に建築を作ろうとする創造的な意義がありました。しかし、それが幸か不幸か経済と結びつき、ガラスとコンクリートによって誰にでもできる仕組みになった。その結果、とくに大都市はどこも高層化し、抽象的な空間が増えて、街が記憶を失ってしまったんです。そんな時代の次に、僕たちは忘れ去られたものを発掘することで、何か異なる意味を探りたいと考えてきました。

一方で、古代まで遡って考えるなら、建築の基本は「場所の記憶を作る」ことだと思っています。ある場所に記憶を付与して、2つの地点に「ここ」と「そこ」という違いを作ること。

そこで重要なのは、記憶というと人の記憶に寄りがちですが、僕が言うのは、まさしく場所が持つ記憶のことなんです。人は記憶を忘れてしまうし、誰とも共有せずに亡くなることもある。でも、場所には人の記憶を超えたものが刻まれているから、それを掘り起こして未来につなげたいと思うようになりました。

—記憶を掘り起こすことが、未来につながる?

田根:じつは「未来」という言葉をなかなか使えずにいたんです。だけど、エストニアにミュージアムができたことで、本当に土地の人々の人生が変わり、街が明るく変わっていくのを見ました。建築は、完成した瞬間に未来に向かっていくんだということを、とても強く感じることができたんです。

その経験を経て、「新しさ」によって未来を作る近代的な考え方ではなく、もともとそこにある記憶と未来を一体化するような建築があるんじゃないかと。今回の『未来の記憶 Archaeology of the Future』というタイトルには、そんな思いを込めました。

何かを建てるにはいろんな制約があって、僕たちに唯一許されている自由は、「建築を考えること」なんですね。

—会場では、田根さんが建築を作る際、場所に関する膨大なリサーチから始めることが紹介されていました。この方法論は「Archaeological Research(考古学的リサーチ)」と呼ばれますが、具体的なプロセスとはどのようなものなのでしょうか?

田根:じつは、とてもシンプルなんです。たとえば今年、世田谷区の等々力に「Todoroki House in Valley」という住宅を作りました。そのときの依頼は、基本的に「等々力に家を作ってほしい」と、ただそれだけです。でも、物事には意味がある。そこで「等々力」という意味を解体していくと、ここには渓谷があり、湧き水があり、という地形や地質学的な特徴が見えてくる。そこで、世界各地の渓谷の環境を調べるわけです。

ジメジメした環境ゆえに独自の植生があり、多摩川が近いので上空にいつも風が吹いている。木がずっと揺れている光景が印象的でした。それで今度は、いろんな湿地帯や、拡大解釈で乾燥地帯も調べる。……するともう、止まらないんです(笑)。

Todoroki House in Valley(photo:Yuna Yagi)
リサーチ中の様子。湿地帯と乾燥地帯を比較している

—ですよね(笑)。

田根:調べれば調べるほど発掘できるものがあり、あるいは迷走していくわけです。

—その意味の探求と拡大を通して、何を掴もうとされているのですか?

田根:何かを建てるにはいろんな制約があって、法律や施主の要望や予算もあるなかで、僕たちに唯一許されている自由は、「建築を考えること」なんですね。ただ依頼された場所に建物を建設する、ということではない自由が、そこにある。

—なるほど。つまり、そこでは「建物」と「建築」を分けている。

田根:そうですね。依頼されてすぐ設計するのでは、いままでの僕らが蓄積してきた情報量でしか考えることができない。時間や空間、ミクロからマクロの世界まで広げて考えることによって、自分たちの知らない世界に入っていける。そこで初めてクリエイティブな建築ができると思っています。

好き嫌いや文化的な背景に回収されない価値基準に、いかに表現がたどり着けるのか。それをいつも、模索しています。

—リサーチの際は、マケット(建築模型のこと)の制作など、同時に手も動かすんですか?

田根:いや、リサーチだけに集中します。そこは重要で、チームで2週間ほどじっくり調べる。そうすると、同じ時間を共有しているので、いざアイデアを出そうとしたとき、個人で考えるものより、強いものが出るんですね。

—いったん共有感覚を作り上げてから、具体的な思考に移ると。

田根:とくに僕らはインターナショナルなチームなので、文化的な背景による見方の違いがある。それを認識したうえで、議論を通してより強いメッセージを考えていくんです。

—とはいえ、蓄積したものを多くの人でひとつのかたちにするとき、ジレンマは起きないものなのでしょうか?

田根:そこで大切なのは、「論理的飛躍」なんです。飛躍して、意味が一度解体され、不明なものが出てこないといけない。

—というのは?

田根:やっぱり、「分かっちゃいけない」ということだと思うんです。「これはこうだよね」と単純化できないものがある。だけど、そこにはすべてが詰まっていて。たとえば「古墳スタジアム」ですが、東京オリンピックの新国立競技場のコンペに、僕らは「古墳を作りたい」という提案をした。これってじつは意味不明なんです(笑)。

—たしかに(笑)。神宮外苑と古墳には、本来何の関係もない。

田根:支離滅裂なんだけど、そこには膨大なメッセージが詰まっていて。神宮外苑の本来の意味が失われ、かたや内苑では100年の森が生まれようとしている(1920年に創建された明治神宮は、外苑にはスポーツや文化芸術の普及のための施設が作られ、内苑には創建時、約10万本の樹木が植林された)。

また、大陸の文明が到来する以前の古代の日本における、最大の建造物として古墳がある。世界で知られていない、古墳というピラミッドのような鎮魂の場を作ることが、21世紀の世界に対するメッセージになるのではないか。そういう思いがありました。

田根による「新国立競技場」案。中央のスタジアムを森が囲み、まるで古墳のようなかたちを作っている(image courtesy of DGT.)

—そのとき、「飛躍」というものには、異質なものを組み合わせるコラージュ的な感覚も含まれているのですか?

田根:コラージュ的と言えなくもないのですが、単純な組み合わせというよりも、もう少し多層的な意味を持たせたいと思っています。解釈がどんどん連続したり、造語のように意味が突然接続されたり。空間や時間が多角的に連続している感じ、と言うんですかね。

飛躍には、「衝動」という大きな力が必要だと思っていて。リサーチは「誰が何と言おうが作りたい」という衝動を見つけるための、発掘作業でもあるんですよね。ここで求められるのは僕が「こうだ」と思い込めるための何かなのですが、それを確かめるために最初に試す相手が、スタッフなんです。彼らに分かるものは、ある種、グローバルな力があると思っている。好き嫌いや文化的な背景に回収されない価値基準に、いかに表現がたどり着けるのか。それをいつも、模索しています。

日本では仕組みだけがものを決めていくようなところがあって、それを誰も否定できない。その状況とは闘わないといけないんです。

—古墳スタジアムのお話が出たのでぜひお聞きしたいのですが、現在の東京の街の変化や再開発は、田根さんの目にどのように映っていますか?

田根:うーん……東京については、「ふーん」って感じですかね(笑)。

—(笑)。そのココロは?

田根:やっぱり、東京、好きなんですよ。故郷でもあるし、18歳まで暮らした場所。だから、あまり悲観はしていないのですが、かといってワクワクもしないなと。正直、いろんな街の変化を見ていると「そっちにいっちゃうんだ」と感じる部分もあります。

高層ビルが建てられると空間の量が増えるけど、人が入らないと生き生きしないので、どんどんいろんなものを吸い上げるでしょう。そうしたことが何を生み出すのか分からないまま進んでいくのは、危険だなと思います。

—その東京へのモヤモヤは、拠点であるパリとの比較からもきていますか?

田根:そうですね。一番感じる違いは、日本には議論がないこと。気が付いたら物事が決まっている。震災のあと、いろんなことを考えて挑戦したのですが、何をしても全然変わらないんですよね。それがいまの日本。

—新国立競技場のコンペのあり方についても怒られていましたよね。

田根:まだ怒っています(笑)。あれは絶対に誰も決めていないんです。日本では仕組みだけがものを決めていくようなところがあって、それを誰も否定できない。既成事実や経済性や時間が、優先順位の一番になっていると感じます。僕らの世代が変えられるかは分からないけれど、その状況とは闘わないといけないんです。

一方で、具体的な建築のアイデアが物事を動かすこともある。僕はいま、そのアイデアの力に賭けたい思いです。建築の面白いところは、従来の「いい建築」が必ずしも世界を変えるわけではなく、ときに、建築的な価値が不明なものが何かを動かすこと。たとえば安藤忠雄さんの「住吉の長屋」は本当にコンクリートの塊ですが、あのインパクトはすごいじゃないですか。

安藤忠雄「住吉の長屋」(提供:Нет architecture)

—そうですね。安藤さんといえば、いまだにあの住宅が大きく語られる。

田根:「ストーンヘンジ」なんて、石ですもんね(笑)。でも、古代に作られ、いまだにあそこに建築の原点があるとも語られるわけで。そこが建築の力ですし、ものを作る人間としては、作り続けることによって思いを示していこうという気持ちです。

建築において、「未来を作ること」と「新しいこと」は違うと思うんです。

—あらためて、展覧会について聞かせてください。これまで田根さんは『建築家 フランク・ゲーリー展 “I Have an Idea”』(2015)など、ほかの建築展の会場構成も手がけてきましたが、今回、ご自身の展覧会を作られてみて、いかがでしたか?

田根:いやあ、一言では言い表せない(笑)。オペラシティのような大舞台で展示ができるなんて想像できないことでしたし、ギャラリー・間は、建築を学んだ学生時代から通い詰めた場所です。その2つで同時にできるなんて、あってはならないようなことでした。

何より、自分自身に向き合うこと、これは苦痛でした(笑)。誰かの展覧会の見せ方は好奇心で突き進めるので比較的考えやすいのですが、自分の展示となると真っ白でした。膨大な準備期間には何度もプランを出したんですけど、そのたびにキュレーターと繰り返し話し合いながら内容を決めていきました。プロジェクトとして、本当にチャレンジングでしたね。

東京オペラシティ アートギャラリーでの展覧会(photo: Keizo Kioku)

—ギャラリー・間では、たくさん並んだ各棚に、それぞれの建築の模型とリサーチに関わった資料がマトリクス状に収められていました。一方、オペラシティでは、資料がより線的に並び、物語のように建築へと至るあり方が示されていましたね。

田根:建築の専門ギャラリーと、よりいろんな人がくるアートギャラリーで見せ方を変えました。

ギャラリー・間の場合、鑑賞者の多くは建築言語を知っている。僕たちがいつもいったりきたりを繰り返している模索を、生の状態で味わってほしいなと。棚同士にも複合的なネットワークが感じられると思います。

ギャラリー・間での展示。オペラシティの『Digging & Building』に対し、『Search & Research』をキーワードにしている。© Nacása & Partners Inc.

田根:オペラシティでは、建築の深みについて、さまざまなプロセスや背景、あるいは古代の建築があって、初めてこの建築があるという時間軸まで辿れるような道筋を置きました。模型とその周囲に置かれた資料の関係や距離も調整しています。やはり、距離を変えると情報が変わるんですね。模型も、純粋な空間体験ができるようなスケールを設定しました。

—もうひとつ、圧巻なのは「記憶の発掘」と題された部屋です。

田根:この部屋では、記憶というもの自体を12のテーマに分けて見せています。たとえば「象徴(SYMBOL)」や「差異(IRREGULARITY)」「衝撃(IMPACT)」など、人はどのように物事を記憶するかを、キーワードを読み解くように見せている。これは僕たちのリサーチの姿でもあります。こうして関係のあるものと関係ないものが集まり、意味によってつながることで、ときにバクテリアと宇宙をつなぐような意外な連結が見えるんです。

—最初はその量に圧倒されますが、じっくり見ると、それぞれの資料が具体的なつながりを持ちながら広がっていることが分かる。田根さんがさきほど言った、「リサーチを始めると止まらない」という言葉の意味が、よく分かる空間でした。

田根:やはり、いつも見過ごしている何かがあるんです。場所の記憶を見ていくと、よく分からない現象や転換があるけど、それを調べると、何かしらの背景が必ずあって。現実の歴史は変えられない事実ですが、記憶は忘れられたり変容したりして、そこには現代につながるメッセージがあったりする。

建築において、「未来を作ること」と「新しいこと」は違うと思うんです。新しいものを作ることによって物事は綺麗になるし、改善するかもしれない。でも、未来という時間軸はずっと続いていく。そのなかで、建築がどれだけ永続的に長い時間の記憶を受け入れられる力があるのか。その力量が今後、建築には問われていくだろうと思っています。

イベント情報
東京オペラシティ アートギャラリー
『田根剛|未来の記憶 Archaeology of the Future―Digging & Building』

2018年10月19日(金)~12月24日(月)
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー

TOTOギャラリー・間
『田根剛|未来の記憶 Archaeology of the Future―Search & Research』

2018年10月18日(木)~12月23日(日)
会場:TOTOギャラリー・間

プロフィール
田根剛 (たね つよし)

1979年、東京生まれ。Atelier Tsuyoshi Tane Architectsの代表としてフランス・パリを拠点に活動。現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行している。主な作品に〈エストニア国立博物館〉(2006–16)、〈LIGHT is TIME〉(2014)(以上DGT.)、〈Todoroki House in Valley〉(2017–18)、〈Furoshiki Paris〉(2018)、〈(仮称)弘前市芸術文化施設〉(2017–)など。フランス文化庁新進建築家賞(2007)、フランス国外建築賞グランプリ(2016)、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞(2017)など受賞多数。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。



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