TERATOTERAの10年を辿る 自分の価値観の変化こそアートの意味

アーティストも、ボランティアも、鑑賞者も、それぞれが変わること——。JR中央線の高円寺~国分寺間で2010年より展開されている『TERATOTERA』は、作品主義、コンセプト主義とも、まち作り目的とも違う、関わる人の変化にこだわり続けてきたアートプロジェクトだ。

アーティストである作り手と「テラッコ」と呼ばれる市民ボランティアは、一緒に企画を作り、日頃から食事や会話を楽しみ、立場を超えて交流。さらに、そのテラッコがイベントの運営主体となるなど、「ボランティアの顔が見える」特異なアプローチも行ってきた。

今回はそんな『TERATOTERA』の歩みと考え方を、ディレクターで、活動拠点である東京・吉祥寺のスペース「Art Center Ongoing」代表の小川希さんに聞いた。アートの内と外の境界が揺らぎ、互いに滲み出すような、その活動を通して見えてきた景色とはどんなものなのか。

10年前、アートは現在のように社会的な注目を集めていなかった。

―『TERATOTERA』には、アーティストと「テラッコ」と呼ばれる市民ボランティアが非常に近しい関係を築いている印象があります。しかも、その関係性はアート活動の範疇を超えて、普段の飲み会のような場面にまで広がっている。そもそも、『TERATOTERA』の活動拠点である「Art Center Ongoing」(以下、オンゴーイング)も、気軽に集まれる空間を設けることで、作家同士のネットワークを作りたいとの思いから生まれたスペースですよね。

小川:はい。僕が考える「アートセンター」は、アートを中心に人が集まれて、そこに行けば作家にも会えるし、作品も見られる場所。気軽に集まれて、コーヒーやお酒を飲める、会話ができる、知らない人に出会える、そんな場所があった方がいいなと思っていたんです。でも、オンゴーイングを設立した2008年当時、いや、現在でもそうかもしれないのですが、日本にはそういう場所はなかったんですよね。

小川希(おがわ のぞむ)
1976年東京・神楽坂生まれ。2008年に既存の価値にとらわれない文化の新しい試みを恒常的に実践し発信する場を目指して、東京・吉祥寺に芸術複合施設『Art Center Ongoing』を設立。現在、同施設代表。2009年よりJR中央線・高円寺駅~国分寺駅周辺地域で展開するアートプロジェクト『TERATOTERA』のディレクターもつとめる

―以前、小川さんにお話を聞いたとき、「日本においてアーティストは、とくに社会的なリスペクトも集めないし、経済的にも恵まれない。じゃあ、なぜ作家活動を続けるのかと言えば、『隣にいるこいつが続けているから』という部分が大きい」と話されていたのが印象的でした。(参考:東京アートポイント計画通信

小川:本当は美術館のような公共施設に、そういう人と人をつなぐ機能があったらとも思うんですけど、日本の美術館はやっぱり「作品のための空間」。近くのアーティストに出会うことは、オンゴーイングのような場がないとなかなか難しいと思うんです。

実際にそうした空間を作ってみたら、友達だけではなく世代も職業も超えた作家や住民が集まり、ここをハブに新しいことが生まれる場所になっていった。そこには、美術館のような制度から促されたのではない、フラットに物事が生まれてくるリアリティーがありました。

山本篤『祈りのフォーム』展、関連イベント『誠実な暖房とあたたかい時計②「兆」』での様子 / 会場:Art Center Ongoing

小川:2010年に始まった『TERATOTERA』も、都内各所でアートプロジェクト事業を展開するアーツカウンシル東京から、「オンゴーイングのような取り組みを街にも広げてみませんか」と声をかけられたことから生まれた活動です。2011年からは、『TERATOTERA祭り』という大規模展覧会を街を舞台に開催していて、次回で10回目を迎えます。

―アート好きが集まるオンゴーイングだけで活動した方がコンパクトでやりやすい印象もあるのですが、外に出ることのメリットは何だったんですか?

小川:理由の1つは、外に出ることで作家を広く紹介できること。もう1つは、作家たちに経済的な還元ができることです。

オンゴーイングの経営は基本的には赤字続きで(笑)、外の仕事を受けることでギリギリ回している状態。そうしたなかで、オンゴーイングの展示では作家にギャラを出せないけど、外の仕事では制作費やギャラが出せる。作家たちにもさまざまな外の世界とのつながりが生まれる。まずはそれが大きかったですね。

それとオンゴーイングは、作り手が本当に自分の欲望を追求できる場所。僕が良いと言えば、基本的には何をやってもいいんですよ。でも街中に出たら、そうはいかないじゃないですか。もちろん公共性も考えないといけないし、開催地域との関係も出てくる。

東野哲史『a頭かな柔さはら』展、関連イベント『ホネグミ 4th ギグ 4 UWI』での様子 / 会場:Art Center Ongoing

―作家にとっては、「アートの常識」が通用しない世界に触れる場にもなりますね。

小川:そもそも『TERATOTERA』が始まった10年前、アートは、現在のように社会的な注目を集めていなかったんです。多くの人にとってアートなんて「わからないもの」だからこそ、手放しでやれていた部分があった。

それが、昨年の『あいちトリエンナーレ2019』をめぐる騒動をはじめ、この数年で一気に圧力が強まり、むしろアートだからこそ注視されて規制がかかってしまう状態が生まれてきています。でも僕は、そんな厳しい社会環境のなかで作家が自分の活動を考えることは、すごく意味があることだと思うんです。

小川:何でもできるわけではない状況のなかで、自分の活動をどう考えるのか。そこには、閉じられた空間では経験できないダイナミズムがあります。

これは、街の人たちにとっても同じですね。街角で、急にギョッとするものと出会う経験はなかなかない。アートプロジェクトは、住民がその耐性を獲得していく機会にもなります。今後、そうした活動はますます難しくなると思うのですが、この10年は、そんな社会実験が公共空間でやれていたありがたい時期でした。

何かにギョッとし、自分の価値観が変わることこそアートの意味だと思う。『TERATOTERA』はそんな体験をさせてもらった場所だと思います。

佐塚真啓『駅伝芸術祭 リターンズ』での様子(2019年) Photo: Takafumi Sakanaka

その都度どうなるかわからない、予定調和ではない変化こそがアートの面白さだと思います。

―『TERATOTERA』やオンゴーイングに共通して言えることとして、「外から見るとなかなかその活動の目的が捉えにくい」という点があると思います。アートプロジェクトには多くの場合、「過疎化の解決」や「地域の賑わいを作る」といった大義名分がつきものですが、あえてキャッチコピー化を避けているような印象を『TERATOTERA』には感じます。

小川:そうですね。対外的な「課題」があると、僕自身が面白くなくなってしまう。大コケするかもしれないけど、やっぱり、わけがわからない部分をどこかに取っておきたいんです。べつに、「まち作り」がやりたいわけではないですからね。

小川:たとえば、『TERATOTERA』を始めて、ボランティアの「テラッコ」と街で何かを作らざるを得ない状況になったとき、作家自身の活動が否応なく広がったんです。

ギャラリーではできたことが、街に出るとできないから、思い切り尖った表現はオンゴーイングの展示でやるとして、街ではテラッコと新しいことをやってみよう、とか。そういう、その都度どうなるかわからない、予定調和ではない変化こそがアートの面白さだと思います。

山崎皓司+前川遙子『駅伝芸術祭』での様子(2018年) Photo: Takafumi Sakanaka

小川:だから、『TERATOTERA』の目的や見たい風景を強いて言うとするなら、「作る人も、支える人も、見る人も変わること」そのものですね。自分の「当たり前」が変わらなければ、べつに活動の中心にアートを置いている意味がない。

それもあって、僕は「型のある作家」は苦手なんです。「この作家には、あの代名詞になっているスタイルを頼んでおけばいいだろう」みたいな感じで回っているアートプロジェクトも多いけど、やっぱりそれは面白くないですね。

文化や社会を言葉で規定すると、使える知識は増えるんだけど、受ける感動は減っていくんです。

―すでに人気のある作品を置けば、たしかに人は集まるけれど……。

小川:それだと何も変わらないし、ひたすら消費される方向にしかいかない。そうすると、作家も疲弊してしまいます。それって、経済は回るかもしれないけど、じつは何も起きていない。僕はそこに興味がないんです。

―「変わること」の重要性に小川さんが気づいた原体験は何なのでしょうか?

小川:僕、10代の頃は頭でっかちで、哲学書とか読んで、社会はこういうものだと決めてかかる人間だったんです。でもいつだったか、それが愚かなことだと気づいた瞬間があったんですよね。

文化や社会を言葉で規定すると、使える知識は増える反面、受ける感動は減っていくんです。それより、変化を前提に社会を捉えた方が健全だなと。

もう1つ、高校でバンドをやっていて、「それしか認めない!」ぐらいに、1960年代の音楽がすごく好きだったんです(笑)。でもそれだと、自分の音楽の幅が広がっていくことはない。そこにこだわっていても、偏屈なオジサンになってしまう感覚に気づいてゾッとしたんです。「変わらなければ」と思いましたね。

淺井裕介、遠藤一郎『TERATOTERA祭り2016 Involve』での様子 Photo: Hako Hosokawa

―実際、新しいものの価値に気づき、世界が広がる瞬間というのは、気持ちの良いものですよね。『TERATOTERA』の約10年間で、「変化」という意味で一番印象的なことは?

小川:一番大きいのはテラッコの変化ですね。『TERATOTERA』には、登録者数では200人から300人ほどのテラッコがいます。コアに活動しているのは20人から30人ほどです。エンジニアやプログラマー、新聞記者、主婦、行政関係者など立場はバラバラですが、その人たちは最初、流行りの現代アートのボランティアとして入ってくるわけです。

でもそこで、作家という出会ったことない人種と出会い、お金にもならないその活動の面白さを感じる。いつの間にかそこから逃れられなくなり、価値観やライフスタイルまで変えていく人が多くいる。これはすごいことだと思います。

テラッコの活動の様子

小川:そこで重要なのは、作品との出会いより、やっぱりアーティストとの出会いなんです。作家の世界の見方や考え方、言動がとても新鮮に映る。

「こんなルールもない、見返りもない世界で生きている人がいるのか」という驚きですね。いわゆる「普通の職業」についている人が変わっていくそんな光景は、『TERATOTERA』がなければ見られませんでした。

―感覚的なことも多い作家同士の議論に、テラッコがついていくのは大変そうですね。

小川:たぶんいまも、チンプンカンプンな部分は多いと思う(笑)。でも、言語的に理解できなくても、飲み会なんかで制作について聞くうちに、面白さは伝わるんです。

社会的に見たらまるで意味がわからない、価値もなさそうなものなのに、参加してみると自分の信じていた従来の常識よりそっちの方がワクワクすると。賃金も出ず、週末も潰れてしまうのに参加するのは、そうした価値観の転換の気持ち良さがあるからだと思います。

永畑智大『日本一ヘタな芸術家の悩み』(『Civic Pride わたしたちのマチ・わたしたちのアート』)Photo: Hako Hosokawa

僕はそもそも作家が「偉い」とは考えていないんです。

―『TERATOTERA』では2018年、テラッコのコアメンバーによる「Teraccollective(テラッコレクティブ)」という組織も生まれました。その後、『TERATOTERA祭り』のコンセプト作りや出品作家選び、運営も、Teraccollectiveが主体となって行われていますよね。これは、ボランティアの存在を監視係や案内係など、匿名的な「人手」として捉えがちな日本の芸術祭やアートプロジェクトのなかで、特異な動きだったように思います。

小川:テラッコに対して、「ただ会場に座っていて」などと言うことは、本当にやらないようにしてきました。それだと参加した意味がないし、むしろその人たちが「出しゃばってきた」方が良い場所になるんですよ。

というのも、ボランティアの人は、普段の生活のなかでそれぞれ何かしらのプロではあるわけですね。そこには、僕や作家が知らないような知識や経験がたくさんある。

小川:もしかすると僕が采配をふるった方がイベントはスムーズに進むかもしれないけれど、テラッコの経験に預けた方がおかしなことが起こる。作家も従来の常識が通じず、思い通りにならないからこそ、新しいことを考え始めるんです。

―エンジニアや主婦の知恵が入ってくることで、アートの側も変わらざるを得ない。

小川:そう。そっちの方が圧倒的に面白いんです。作家のなかには、その旨味に気づいているヤツらもいますね。

たとえば、テラッコに整体師の女性がいるのですが、和田昌宏という作家はその仕事自体に面白さを見出して、展示空間のなかに実際に彼女に整体を行ってもらうブースをインスタレーションとして組んでいました。身の回りの関係性だけで制作を行うより、そうした外部性を利用する利点を積極的に生かす作家もいるんです。

和田昌宏『コブ』(『TERATOTERA祭り Encounter - 邂逅 -』)Photo : Hako Hosokawa

小川:そうしたことは、ほかのアートプロジェクトではあまり起きないと思います。だいたい作家が一番偉くて、その活動に必要なボランティアが集められることが多いわけですが、僕はそもそも作家が「偉い」とは考えていないんです。

お互いに気を使い合うことは、作家もボランティアも同じであって、両者の間にヒエラルキーはない。そのなかで、僕の役割というのは、両者の関係が放って置いてもうまくいく場合は放置して、何かトラブルが起きそうになれば間に入るということ。そのバランスを俯瞰で見るということなんです。

KPR / 開幕ペナントレース『移動式トイレ、宇宙おにごっこ』(『パフォーマンス・デイ - 秋のカラダ収穫祭』)Photo : Takafumi Sakanaka

―コンセプトを推し進めるタイプのディレクター像とはだいぶ違いますね。

小川:僕は、自分のことを「良い塩梅」という意味での「テキトー」だとよく言うんです。そういう構え方が、多くの立場の人が関わる場では必要だと考えてきました。

逆に言うと、作家から「『TERATOTERA』はきちんとキュレーションされていない」と批判されることもあるのですが、自分的には「そもそもしていないよ」と。べつに、自分の思い描く世界を実現したいわけではない。その場自体がうまく機能することの方に関心があるんです。

宮内優里ライブ(『TERATOTERA WEST 途中下車の旅12』@武蔵小金井「納涼の音」)

小川:……と言っておいてアレですが、今秋の『TERATOTERA祭り』では、テラッコではなくふたたび僕がディレクションを行います。理由の1つは、アーツカウンシル東京との共催が2020年度で終わり、現体制の『TERATOTERA』が最後であること。

もう1つは、テラッコたちに任せた過去2回には、さまざまな刺激があった一方で、市民目線からどうしても定番の作家やすでに見たことのある作品が挙がるようになり、変化や驚きが少なくなってきたからです。それをこの最後の年に、僕主導でふたたびアンコントローラブルな状態にしていきたい。

―あくまでも、新たな変化のために。

小川:そうですね。あえて高いハードルを用意して、大変だけどギリギリ会期までには成立させるという展覧会作りには、やっぱり経験値がいる。僕自身、『TERATOTERA』の主体をどこに設定するのか、いまも悩み続けています。でも、そんな悩みに素直に、体制を大胆に変えながら模索できることは、『TERATOTERA』らしいあり方だと思っています。

岡田裕子『ナニカヲイワウ』(『TERATOTERA祭り2019 ~選択の不自由~』)Photo: Takafumi Sakanaka

―—今後の『TERATOTERA』の活動はどうなるのでしょうか?

小川:僕がディレクターを行うのは2020年度が最後ですが、活動はテラッコが何とか引き継ぎたいと言ってくれています。約10年の間に、この場所はテラッコたちにとってなくてはならないものになっていった。

テラッコの人たちは、この活動とは何の関係もなく、地方や海外の芸術祭をみんなで一緒にツアーしたりしているんです。お金が得られるわけではないけれど、築いた関係性を大事にしたい思いがあるようですね。

―「自分たちの場所」という意識があるんですね。小川さん自身の今後は?

小川:2021年3月から、文化庁の助成を受けて1年間、オーストリアのウィーンに行きます。だから、オンゴーイングも一度閉める予定です。そこには僕なりの危機感があって、現在はこんな風に行政の仕事もやらせてもらって活動を回してきましたが、今後、おそらく行政がアートにお金を出すことは減っていくと思う。

そうしたときに、『TERATOTERA』やオンゴーイングのようなわけのわからない場所を、いかに持続的に続けていけるのか。行政に頼らないで回していけるシステムを、今後の10年間は模索していきたい。そこで重要になるのは、各国でDIYな活動をしている人たちとのネットワークだと思っています。

『コレクティブ フォーラム vol.02 -サスティナビリティの獲得-』 / 複数のアーティストが共同で恒常的に表現活動を行う際に使われる「コレクティブ」に焦点を当てた連続トークイベント

―小川さんは、2016年に東南アジア9か国、83か所のオルタナティブスペースやアートコレクティブの拠点を回りましたね。そこで受けた刺激もあったのですか?

小川:そうですね。もともとこの旅は、オンゴーイングのようなオルタナティブな場所が東南アジアには多くあると人から聞いたことから始まったものでした。「どんな風に活動を回しているんだろう?」と思って、現地を回ったら、家賃が安いという前提もあるのですが、みんな友達同士で回しているんです。

小川:作家友達で仕事を回したり、ワークショップを開催したりして、相互扶助的に場所を維持している。その活動をそのまま日本で行おうとしても難しいのですが、自分の活動はそこで見たものとつながっていると思います。そうした拠点はヨーロッパにもたくさんあるので、今度はその人たちの活動を見てきたい。

友達は、どんなクライシスが起きても友達であり続ける。自分の培ってきた関係性は、どんなときでも残り続けると思います。自分の持っている関係性を使って、サバイブしていく。そのネットワークが、とても重要なんだと思っています。

プロジェクト情報
TERATOTERA

東京都とアーツカウンシル東京と、吉祥寺に拠点を置いて現在進行形の芸術をフィーチャーしている一般社団法人Ongoingが協働して、平成21年度よりJR中央線高円寺駅~吉祥寺~国分寺駅区間をメインとした東京・杉並及び武蔵野、多摩地域を舞台に展開する、地域密着型アートプロジェクト。

主催:東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、一般社団法人Ongoing
※本事業は「東京アートポイント計画」として実施しています。

Art Center Ongoing

いまの時代を担う必見アーティストを紹介するギャラリースペース、新旧アートブックの閲覧も可能な交流の場としてのカフェ&バースペース、そして独自のネットワークにより編纂した広範なアーティスト情報を提供するライブラリーブースを併設する芸術複合施設です。シンポジウムやライブ等のイベントも積極的に行い、現在進行形の表現の可能性を探っていきます。いまアートに何が起きているのか? 新しいつながりから表現の未来を開拓するArt Center Ongoingに、ぜひご来場ください。

プロフィール
小川希 (おがわ のぞむ)

1976年東京生まれ。2001年武蔵野美術大学映像学科卒業。2004年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。2007年東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。2002年から2006年にわたり、東京や横浜の各所を舞台に大規模な公募展覧会『Ongoing』を企画、開催。2008年に既存の価値にとらわれない文化の新しい試みを恒常的に実践し発信する場を目指して、東京・吉祥寺に芸術複合施設『Art Center Ongoing』を設立。現在、同施設代表。また、2009年よりJR中央線・高円寺駅~国分寺駅周辺地域で展開するアートプロジェクト『TERATOTERA』のディレクターをつとめる。



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