
音楽プロデューサー木崎賢治が、成功や失敗で気づいた仕事の流儀
木﨑賢治『プロデュースの基本』- インタビュー・テキスト・編集
- 黒田隆憲
- 撮影:山口こすも
「相手の行動を促すには、正しいことを言えばいいとは限らない」ということを学びました。
―もともと曲を作ることが好きだった木﨑さんが、プロデューサーになったのはどんな経緯だったのでしょうか。
木﨑:曲作りは好きだったのですが、自分が作る曲があまり面白くないなと気づいたんです。それでも音楽に携わる仕事がしたくて、採用されたのが渡辺音楽出版(ナベプログループのアーティストの他、多くの楽曲の管理・開発を行っている)でした。
英語が話せたのもあり、最初は海外の取引先とのやりとりをしていたのですが、そのうち「ピアノが弾ける」という理由で楽曲の採譜を頼まれるようになって。気がついたらレコーディングの現場にも立ち会うようになっていました。
木﨑:当時は洋楽ばかり聴いていたので、邦楽はあまり好きじゃなかったですね。「自分だったらもうちょっとこうするのになあ」なんてスタジオの隅で思いながら、でもそんなこと、とても言えないので黙っていたら、色々と聞いてくるんです。「シングルA面にふさわしいのはどっちだと思う?」「この曲のイントロはどう思う?」みたいな感じで(笑)。それで少しずつ意見を言うようになったら、「お前は制作に向いている」と。
―割と行き当たりばったりというか(笑)。プロデュースの仕事って、ただクリエイティブなだけでなくコミュニケーション能力も非常に重要ですよね?
木﨑:自分で作るのはなく、人に曲を作ってもらうわけですからね。「相手の行動を促すには、正しいことを言えばいいとは限らない」ということを学びました。最初のうちは、ヒット曲を出してきた偉い先生に思ったことを率直に言い過ぎてしまい、「二度と書かない」と怒らせてしまったこともありました。
木﨑:でも、自分が夜中まで飲み歩いている間にも、この先生はたった一人部屋に閉じこもって曲を作ってくれていることを思ったら、まずは感謝の気持ちを持たなければと思うようになり、相手を傷つけてしまうことが少なくなりました。
―僕も仕事柄、リライトを依頼されることもあるのですが、その時の編集者とのやり取りはとてもデリケートなものだとどちらの立場からも思います。
木﨑:後から直してもらうのは、最初に作ってもらうよりも倍大変です。一度それを否定して、ここをこうして欲しいと頼むのは二度手間じゃないですか。なるべく最初にどんなものが欲しいのか、どんな路線でいきたいのかを明確に示した方がお互いのためですよね。
―おっしゃる通りです。
木﨑:例えば、あるアーティストのワンマンが2カ月先に決まったとします。大抵のアーティストはその瞬間からセットリストのことを考え始め、実際に作ってきてしまうとそこから変更してもらうのは大変な労力が必要です。スタッフは、アーティストよりももっと早くセットリストのことを考え始めなければダメなんですよ。「今度のライブはこういうコンセプトで、こういうお客さんが来て、こういう部分を見せていきたいから」と。そういう情報をアーティストとしっかり共有しておけば、お互いの考えるセットリストもさほど大きく食い違わない。
―それはつまり、アーティストの孤独や不安を理解するということでもありますよね。
木﨑:おっしゃる通りです。スタッフとアーティストが同じ情報を共有することは、一種のマネージメントだと思いますね。アーティストにはいつも言っているんですよ、「いいことだけじゃなくて、嫌なこともちゃんと言うから」「傷つかないと、いい曲作れないからね」って(笑)。そうすると裸の王様にもなりにくい。とはいえ売れてくると厳しいことが言いにくくなってしまって、裸の王様になってしまうケースはとても多いのですが。
木﨑:僕自身は、多少嫌われてもいいから本当のことをなるべく言うようにしています。その時はムッとされても、数日経てば向こうも落ち着いているから、そこでもう一度話し合うとかね。
書籍情報

- 『プロデュースの基本』
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2020年12月7日(月)発売
著者:木﨑賢治
価格:968円(税込)
発行:集英社インターナショナル
ISBN:978-4-7976-8062-1
C0295 新書判 256頁
プロフィール
- 木﨑賢治(きさき けんじ)
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音楽プロデューサー。1946年、東京都生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。渡辺音楽出版で、アグネス・チャン、沢田研二、山下久美子、大澤誉志幸、吉川晃司などの制作を手がけ、独立。その後、槇原敬之、トライセラトップス、BUMP OF CHICKENなどのプロデュースをし、数多くのヒット曲を生み出す。ブリッジ代表取締役。銀色夏生との共著に『ものを作るということ』(角川文庫)がある。