人は老いるとセックスをしなくなるのか? ダレン・オドネルの問い

1981年に公開された『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』という映画がある。ウディ・アレン監督らしい風刺の効いた人間と性に関するコメディ映画だが、このタイトルには私たちが否応なく持ってしまう「性」への下世話な好奇心が反映している。

さて、それから約40年後。2021年現在の東京で、同様のイメージを喚起させる舞台作品が『True Colors Festival』(主催:日本財団)のプログラムのひとつ『True Colors DIALOGUE』で上演されることになった。5人の高齢者が登場し、これまでに経験したセックスについて振り返っていくという異色の作品だ。同作を構想・演出するのは、カナダのアート&リサーチ集団「ママリアン・ダイビング・リフレックス」を主宰するダレン・オドネル。俳優としてキャリアをスタートさせた彼は、いささか変わった手段で社会に介入するプロジェクトを行なってきた人物。なぜ「セックス」をテーマにしようと思ったのか? そんな疑問を赤裸々にぶつけてみた。

※この記事の取材は2020年1月に実施しました。

(メイン画像:©︎Katsumi Omori)

人は老いていくとセックスすることを止めてしまうと考えがちですが、それは本当なのか?

―今回の作品、『私がこれまでに経験したセックスのすべて』(以下、『セックスのすべて』)ですが、タイトルからしてちょっと驚いてしまいます。複数の高齢者が自身の性にまつわる体験を赤裸々に語っていく……という刺激的な内容は、いったいどのように着想されたのでしょうか?

オドネル:私が新しいプロジェクトを始めるときの第1段階は「その場所を訪れる」ことなんです。『セックスのすべて』はドイツの北西部にあるオルデンブルクという街に招待されたときに作った作品なのですが、街を散歩していて「ここでは、おばあさんたちが平気で自転車に乗っている!」と、気づいたんですね。私の故郷であるカナダでも自転車に乗るおばあさんはいますが、1年365日、日常的に乗っている人はきわめて稀です。ところがオルデンブルクでは、どこに行ってもみんな自転車に乗っている。そこから「高齢であること、年齢を重ねていくとはどういうことなのか」を考えるようになったんです。

続く第2段階として、より深くリサーチに入っていくわけですが、自分が高齢者に対してもっとも理解していないことは何かを考えていくと、それはやっぱりセクシャリティについてなんですよ。私たちは、人は老いていくとセックスすることを止めてしまうと考えてしまいがちですが、それは本当なのか? こういったプロセスを経て『セックスのすべて』のテーマが決まりました。

ダレン・オドネル
1965年カナダ出身。作家、脚本家、パフォーマンス・アーティスト。都市計画の学位。1993年にアート&リサーチ集団「ママリアン・ダイビング・リフレックス」を設立。ヨーロッパ最大規模の芸術祭ルール・トリエンナーレで大型の教育普及プログラムを担当するなど、「社会の鍼治療」という独自メソッドが世界的に評価される。ユニークなアート表現で国籍、言語、世代や立場を越えた人々との創作を続ける。(©︎Nicole Bazuin)

―たしかにセックスについての先入観や偏見ってたくさんあります。

オドネル:そうですよね。そこで65歳以上の男女に集まってもらってセクシャリティや年齢を重ねていくことについてのディスカッションを重ねました。さらにそこから面白い発見をしたのですが、当時65歳以上の世代というのは大半が1930~40年代に生まれて、1960年代にセックスのピークを迎えた人たちなんです。生まれたときはセクシャリティについておおっぴらに語れるような時代ではなかったけれど、第二次世界大戦が終わり、民主化と市民による政治運動やカウンターカルチャーが花開きはじめた1960年代には、あらゆる場所でその議論や試みが展開されていく。そのような強いコントラストの時代を生きてきた人たちのセックスにまつわるエピソードは非常に興味深いものでした。

―1960年代というと、フリーセックスや新しい家族形態の模索などを謳ったヒッピーカルチャーをはじめ、カウンターカルチャーが世界的に盛り上がった時代ですね。

オドネル:その潮流はヨーロッパだけでなくアメリカやアジアでも共時的に見られるものです。同時に1960年代は革命と運動の時代でもありますから、この激動の時代を生き抜いた人たちの人生に何が起こったかについて、セクシャリティを介して知ることができると感じました。個人ごとに経験は異なりますが、そこには家族、夫や妻であること、それにまつわる失望など、さまざまな物語があります。この変遷を出演する各人が1年ごとに振り返っていくというスタイルをとるのが、この『セックスのすべて』という作品なんです。

例えば、シンガポールのような居住空間の狭い国であれば、セックス事情も大きく変わってきます。

―まさかセックスの話が、戦後の歴史や文化の変遷につながっているとは思いもしませんでした! しかし、どうしても下世話な興味がわいてしまうのですが、セックスについて語り合うことについて、出演する一般からの募集に応じた高齢者のみなさんは抵抗や恥じらいを感じなかったのでしょうか?

オドネル:もちろんあります! ですから最初は、一緒にカラオケやミニゴルフで仲良く打ち解けるところからスタートしています。でも、基本的に「あなたのセックスについて聞かせてください」という応募に対して志願しようと思ってくれる、新しい経験に対して強い好奇心を持った人たちが大半ですから、抵抗の感情のハードルはけっして高くはないですね。

―『セックスのすべて』はドイツでの初演を経て、じつに多くの国々で上演されました。日本の近くだと台湾でも上演されたことがありますが、国や地域ごとに性に対する意識や社会規範も大きく違うと思います。そういった違いは作品にも反映されていきますか?

オドネル:例えば、シンガポールのような居住空間の狭い国であれば、セックス事情も大きく変わってきますからさまざまな差異が見えてきます。しかし、上演する土地が保守であってもリベラルであっても私たちが目指すことは一貫しています。

つまり、コミュニティに内在するある種の壁を突き崩すような野心的なプロダクションを出現させることです。国ごとにセクシャリティに関する距離感は違いますから、土地土地の文脈にもっともフィットするような語り方を模索しつつ、目標を達成できる構造を探っていくというのが、本作のみならずママリアン・ダイビング・リフレックスが創造してきた「方法」と言えます。

シンガポール公演の様子。都市の文脈を加味して出演者、スタッフ、観客の全員が女性に限定された。
『私がこれまでに体験したセックスのすべて』過去公演の様子(©︎Nada Zgank)

暗い客席に観客がいて、舞台上に照明を浴びたパフォーマーがいる、といった一般的な上演に疑問があった。

―ママリアンは『セックスのすべて』以外にもさまざまなプロジェクトを手がけてきました。これまで日本では、子どもたちがVIP審査員になってアーティストの作品を選考する『チルドレンズ・チョイス・アワード』や、子どもたちが美容師になって大人の髪を自由にカットしていく『子どもたちによるヘアカット』などを行なっていますが、こういった特殊な方法による社会介入こそ、ママリアンの大きな特徴だと思います。当初、ダレンさん自身は一般的な演劇をしていたそうですが、なぜ現在のようなスタイルに変化していったのでしょうか?

『チルドレンズ・チョイス・アワード』の様子。8~12歳の子供たちがフェスティバルの正式な審査員を務めるプロジェクト。すべての公演を見た子供たちがオリジナルの賞を考え、ノミネート作品を決める。日本では2017年の『KYOTO EXPERIMENT』にて実施。(©︎Yoshikazu Inoue)
『子どもたちによるヘアカット』の様子。約10歳の子供たちがヘアカットの基本的な研修を受け、実際に大人のヘアカットを行うプロジェクト。ヘアスタイルを委ねられた子供たちが、大人たちを前に自身の想像力を発揮する。世界各地の地域の学校や団体の子どもたちとコラボレーションしている。日本では2017年に実施。

オドネル:このカンパニーが始まったそもそもの理由の一つは、じつは経済的な理由なんですよ(笑)。私はもともと俳優をやっていていろんな人のプロジェクトに参加してきたのですが、舞台芸術の環境では俳優個人のクリエイティビティを発揮する場がとても少ないことに気付いたんですね。しかし、1990年代前半のカナダではアーティスト個人が助成を受けるような仕組みがほとんどなかった。そこで、ママリアンというカンパニーを立ち上げて、同じ名前で銀行口座を作ったんです。すごく具体的な理由でしょう?

―たしかに(笑)。

オドネル:と同時に、暗い客席に観客がいて、舞台上に照明を浴びたパフォーマーがいる、といった一般的な劇場で上演することにも疑問があったんですね。個人として、作品を通して直接的に観客に働きかけようと思ったときに古典的な演劇の構造のなかで形成される関係性では、自分のやりたいことが実現できない。そこで、例えばヘアカットやパフォーマーと観客が面と向かってディスカッションするような形式へと繋がっていったわけです。これは『セックスのすべて』も同様で、観客に質問を投げかけるようなシーンを多く設けています。

日本人は独自のセクシュアリティを持っていると思うんですよ。

―ここ数年で日本のアートシーンでも言及されるようになった、いわゆる「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」、あるいはそれ以前の「リレーショナル・アート」の発想に近いですね。

オドネル:まさにそうです。2000年代初期に現代アートの世界では、キュレーターのニコラ・ブリオーが「関係性の美学」を提唱したことでこの潮流が始まりましたが、同様の変化を演劇でも実現できないかと思ったんです。当時のアーティストたちが、劇場や美術館だけではなく、現実的な世界でリアルな人々がリアルに出会う、という試みをごく当たり前に行なっていて、それを演劇の世界においても起こそうというわけですね。

そこから活動をはじめて、自分なりのアイデアをまとめた書籍『社会的鍼治療(Social Acupuncture)』を2006年に発表して、さらに都市計画の修士号を得て……そうやって、よりマクロなレベルでパフォーマンスが都市に与える影響を研究・実践してきました。結局のところ、僕が働きかけたいと考えるオーディエンスというのは、一緒に都市を作り上げるための市民であるわけで、この流れは自分にとって必然的なものでした。

『Promises to a Divided City』の様子。トロントの若者たちが主体となり、経済的・生態的なリサーチを基に、都市の中に潜在する格差を見つめ「都市と身体の関係性」を探ったパフォーマンス。2014年初演。(©️Michael Barker)

―しかし、「鍼治療」と表現するのはけっこう挑発的ですよね。実際、大人たちは子どもたちの手で髪を虎刈りされたり、めちゃくちゃなカラーを入れられたりしていましたし(笑)。

オドネル:私自身は、そこで体験する居心地の悪さをそんなに過激だとは思っていないんですよ。だって、初対面の人と時間をともにするときの微妙な沈黙自体、ちょっと居心地が悪いじゃないですか。つまり、それはあって当たり前の普通のこと。

往々にして私たちは、社会的な知識を得ていくプロセスや、話したことのない相手と話すタイミングで、必ずこういった居心地の悪いフェーズを通らなければなりません。でも、それは一瞬のことで、そこを通り過ぎれば人間関係にしてもその場の状況もオープンになって、そこは自分にとって安全なんだ、居心地のいい場所なんだ、と思えるように変化していきます。そしてその先にあるのは、例えば私のプロジェクトであれば参加者からの拍手喝采なわけです(笑)。

―たしかに、京都で見た『チルドレンズ・チョイス・アワード』でも会場中が拍手喝采で、とても肯定的な空気感が共有されていました。しかし、今回はテーマが「セックス」です。日本人は他と比べてもシャイですから、さすがに難易度が高い気もしています。

オドネル:私自身が本格的に日本でクリエーションするのは今回が初なので見えていないことはたくさんありますが、日本のスタッフから届いている情報や感触からすると、大丈夫だろうと思っています。

それから、これも私個人の印象ですけど、日本人は独自のセクシュアリティを持っていると思うんですよ。例えば日本ではセックスに関わるショップがいたるところにあるし、日本製のローションやセックス人形は世界的に見ても圧倒的に良質です。私たち西洋人の知らないようなセクシュアリティに対するオープンさを感じるんですね。そういった部分のオープンさ、これは「リベラルさ」と言ってもよいものですが、それが日本人の日常生活にどんな影響を与えているのかを、今回のプロジェクトでは発見したいと思っています。

「解釈する」ことには、対象の意味や価値を固定化したり、ときに誰かを蔑んだりすることにもつながるから非常に難しい。

―今日のSkype取材は渋谷という東京の繁華街から行なっているのですが、例えばここにもセックスショップや風俗店があって、ある種の日本を体現していると思います。だからオドネルさんの把握は的を得ていると思うのですが、一方で日本には「本音」と「たてまえ」に代表されるような二面性、一人の人間が持っている多面性を分断して成立するような日常もあります。そういった部分も見えてくるとよいな、と思いました。

オドネル:そうですね。そして、それを乗り越える試みでもありたいと思っています。ふだんは表立って語られることのないセクシュアリティを日常のなかに持ち込むために、稽古の段階からさまざまな仕掛けを用意していくことになるでしょう。ある意味でセクシーな環境を作ることで、そこに招かれた参加者を、まるでイケイケなロックスターのように扱うだとか(笑)。そうすることで、自分のセクシュアリティを語ることを楽しい体験として認識できるようにしたいですね。

『私がこれまでに体験したセックスのすべて』過去公演の様子

―日本でも「#MeToo」現象の盛り上がりでセクシュアリティについて声をあげやすい状況が生まれた反面、とくにSNS上で女性に対してバッシングを加えるような反動も起こっています。そういった難しい状況に対して、このプロジェクトが活路を拓くようなものになれば、それこそ冒頭で触れたような革命的なことだと思います。

オドネル:いま挙げていただいたような抑圧や搾取の問題をこのプロダクションのなかでいかに防いでいるかというと、5人の参加者が語るストーリーに対して、何らかのイデオロギーや意見によって解釈することを決してしない、という点があります。つまり、事実だけを述べていく。「解釈する」ことには、対象の意味や価値を固定化したり、ときに誰かを蔑んだりすることにもつながりますから非常に難しい。ですから、事実の言及に徹することで、私たちははじめてオープンな会話ができるようになるのだと思っています。

もちろん、とくに女性の参加者のなかにはセックスやセクシュアリティに関して悪い体験をした人もいると思いますし、そういった話も出てくるでしょう。しかし、それに対してそれ以上深く言及することはしない。そこから、作品が終わったあとにも個々に続いていくであろう、意義深い会話を発生させていくということをやりたいのです。

―つまり、オドネルさんはこの作品の経験を他者に委ねる、観客に委ねることをもっとも大事にしているんですね。

オドネル:まさにそうです。本当に、徹底的に、それをやっていきます。この作品では、出演者へのインタビューをもとに脚本も作るのですが、証言のなかで出ていた「自分はどう思っていたか」という振り返っての感情もすべてカットしています。起こった事実だけが脚本になるんです。それを観客に示すことで、観客は自分自身の結論に至ることができ、そして自分の意見を形成することができます。そういった余地、スペースを十分に作っておくことはすごく大事なポイントです。

街で高齢者を見て、そこに彼らのこれまでの人生の多様さに心が向かうようにする。そうやって光を当てることが一つの意図。

―いまの話を聞いて、『セックスのすべて』の根底には社会や人に対する信頼があると感じました。

人は歳を重ねるほど、自身の弱みや本当のきもちを受け入れ、傷つくリスクを侵してもなおそれらを飾らずに伝える勇気を持つ。これは、人生の苦労や悲劇に耐えて来て、隙だらけの本心こそが普遍的かつ永続的だと理解していく過程によって生まれる勇気だ。人生はクソ野郎だ、そして私たちはそう簡単に死なない。そう、生き続けて、生き続けて、視力は衰え、髪は薄くなり、筋肉も関節も神経も末期を迎えて、そして愛する者たちは塵となる。こんなクソみたいなこと、度胸のない奴には向いてない。だがしかし、私たちの世界は無防備な本音なんて評価しない、なぜなら、人の弱みを見ることは居心地が悪くてやっかいだから。まず自分の脆さを認め始めることによって、私たちは他人の脆さをも認める勇気を持てるようになる、それがたとえ最初は侮辱のように見えてでも。

オドネル:そうですね。もちろん、既存のヒエラルキーや既存の価値観を逆転させることがママリアンの根底にはありますし、『セックスのすべて』では、過去の子ども時代から、昨晩何が起こったかという現在まで順番に話を聞いていくことによって、最初に述べた「高齢な人はセクシャルな存在ではない」といった既存の価値観が反転されることを狙っています。

しかし、歳を重ねていくことを新しい側面で見ていくと、ある意味での「ひらめき」のような気づきがもたらされる。それを経験したあとに街を歩いて高齢者をパッと見て、そこに彼らがこれまで歩んできた人生、いろんなトラブル、楽しかったこと、そういった個人の人生の多様で複雑な側面に心が向かうようにする。そうやって光を当てていく、明るく照らしていくことが、このプロダクションの一つの意図なんです。

―このインタビューも、最後に「反転」して、上手く最初のところにぐるっと戻って着地してきた感じですね(笑)。

オドネル:たしかに!

イベント情報
True Colors DIALOGUE ママリアン・ダイビング・リフレックス / ダレン・オドネル
『私がこれまでに体験したセックスのすべて』

東京公演

2021年4月8日(木)/ 4月9日(金)/ 4月10日(土)/ 4月11日(日)
会場:東京都 青山 スパイラルホール

プロフィール
ダレン・オドネル

1965年カナダ出身。作家、脚本家、パフォーマンス・アーティスト。都市計画の学位。93年にアート&リサーチ集団「ママリアン・ダイビング・リフレックス」を設立。ヨーロッパ最大規模の芸術祭ルール・トリエンナーレで大型の教育普及プログラムを担当するなど、「社会の鍼治療」という独自メソッドが世界的に評価される。ユニークなアート表現で国籍、言語、世代や立場を越えた人々との創作を続ける。



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