100年近く前のコレクターたちが趣向を競い合った、挿絵本カルチャーの世界

19世紀末から20世紀のはじめにかけて多く出版された、芸術家たちによる「挿絵本」の魅力を探る小旅行へ

冬の箱根はとても静かで、あらゆるものに耳を澄ましたり、目を凝らしたりするのには良い季節だ。東京から1時間半あまり、箱根・ポーラ美術館で開催中の『紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本』展は、美術館のコレクションから、19世紀から20世紀にかけて主にフランスで制作された、「リーブル・ダルティスト」(芸術家による挿絵本)を紹介する展覧会。ガラス張りのエントランスからエスカレーターを下りて行くと、そこには芸術家と職人が作りあげた密やかなイメージの宇宙が広がっていた。


カスタマイズされた豪華装幀本から未綴じ本まで、コレクター心をくすぐるメディア

挿絵本とは、芸術家が詩や古典、あるいは自作のテキストにオリジナルで挿絵を描いた版画による出版物のこと。パリの画商や出版社が、愛書家やコレクター向けに、多くても200部程度の限定本として始め、20世紀半ば頃まで盛んに制作されたそう。お気に入りの装幀家にオーダーした装幀本を書斎に飾ったり、好きなページを選んで額装したり、絵画よりカスタマイズの自由度が高い挿絵本は、美術蒐集家や愛書家たちの絶好のコレクションアイテムだったのだ。当時のフランスを代表する美術コレクター、ジャック・ドゥーセの書斎をイメージした部屋から展覧会は始まる。赤い革の装幀本は、ニューヨークのエンパイアステートビルのようなアール・デコ様式のブックデザインで、今見ても斬新。

ジャック・ドゥーセの書斎をイメージした展示室
ジャック・ドゥーセの書斎をイメージした展示室

アーティスト単独の創作ではなく、当時のクリエイターたちによるコラボレーション

挿絵本の多くは、アーティストが下絵を描き、その下絵を元に職人が版画を制作する共同作業から生まれた。銅板や木版、リトグラフなど版画の中にもさまざまな技法があり、それぞれの技法に長けた熟練の職人が腕を競っていたという。普段は1人でカンバスに向かう画家にとって、腕利きの職人との作業は楽しいものだったに違いない。

8章で構成された展覧会のうち、中でも第2章は、芸術家の好奇心と遊び心が顕著にあらわれた内容となっている。「シンデレラ」の舞台を娼館に置き換えたように描くブルガリア人画家ジュール・パスキンの『サンドリヨン』、作家ルイス・キャロルと挿絵画家ジョン・テニエルによる原作のアリス像とはかけ離れた、おしゃれモードなフランス人画家マリー・ローランサンの『不思議の国のアリス』などは、物語に独自の解釈を加え、まったく別の世界を作り上げている。

ジュール・パスキン『サンドリヨン』より 1929年刊 ポーラ美術館蔵
ジュール・パスキン『サンドリヨン』より 1929年刊 ポーラ美術館蔵

友人の詩人ジャン・コクトーの日本滞在記に、墨の線描で下絵を描いたレオナール・フジタ(藤田嗣治)の『海龍』は、画家のなめらかで繊細な筆の伸びや動きを見事に再現した職人技。それにしても、日本女性の後ろ髪や、まるいお尻をこっちに向けたお相撲さんを彫りながら、パリの職人はなにを思っていたのだろう。ひらがなのかたちがちょっと微妙なところもかわいい。

テキストとイメージが一体化した、新しいメディアとしての挿絵本

会場には、挿絵本とともに同作家の絵画も一緒に展示されており、見応えがある。カラーリトグラフ職人のたぐい稀なる技術を借りて、マルク・シャガールが制作した『サーカス』を始めとした軽快で色鮮やかなシリーズの後は、キリストの受難と第一次大戦の凄惨さを重ねたジョルジュ・ルオーの黒い『ミセレーレ』の部屋へ続く、といったように、歩きながら別の本のページへと入っていくような感覚も楽しい。

ジョルジュ・ルオー《神よ、われを憐れみたまえ、あなたの大いなる慈しみによって》『ミセレーレ』 1948年刊 ポーラ美術館蔵
ジョルジュ・ルオー『神よ、われを憐れみたまえ、あなたの大いなる慈しみによって』『ミセレーレ』 1948年刊 ポーラ美術館蔵

マルク・シャガール展示風景
マルク・シャガール展示風景

即興的で無邪気な色彩とフォルムが躍動するアンリ・マティスの『ジャズ』は、彼が晩年取り組んだ切り紙絵を元にした実験作だ。老いと体力の衰えに苛まれていたマティスは、色を塗った紙をはさみで直接切り抜くことで、色とかたちを同時に取り出せる切り紙絵の技法と出会い、創作意欲を取り戻したという。マティスにとって挿絵本は絵画の代替物ではなく、テキストとイメージが一体化した新しいメディアだったのだ。

アンリ・マティス『馬、女曲芸師、道化師』『ジャズ』第5図 1947年刊
アンリ・マティス『馬、女曲芸師、道化師』『ジャズ』第5図 1947年刊

アンリ・マティス『ジャズ』をテーマにした「マティスとJAZZセッション」コーナー
アンリ・マティス『ジャズ』をテーマにした「マティスとJAZZセッション」コーナー

挿絵本の宇宙を完成させた? リズム溢れるミロと不可思議なダリ

展覧会の後半はジョアン・ミロとサルバドール・ダリ、2人のシュルレアリストの挿絵本が並ぶ。挿絵本全盛期、文字とイメージが織りなす宇宙をほぼ完成形にまで突き詰めたのがミロだった。詩人ポール・エリュアールとの共作『あらゆる試みに』は、完成までに10年もかかったという、挿絵本の最高傑作の1つ。字体、リズム、記号化されたモチーフが1ページごとに大胆かつ繊細に配置され、ページをめくることで音楽のように一遍の詩を奏でる。テキストは実際に起きた悲劇がベースになっているそうだけど、ミロの絵の中では、世界は明るくリズムに満ちている。抽象的な線やかたち、色彩が踊るミロの世界は、詩やテキストと相性がいい。そして錬金術をテーマにしたダリの版画と、それを収容する本というよりもはや巨大なオブジェで展覧会は終わる。

ジョアン・ミロ『あらゆる試みに』より ©Successió Miró-Adagp, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 E1434
ジョアン・ミロ『あらゆる試みに』より ©Successió Miró-Adagp, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 E1434

ジョアン・ミロ『あらゆる試みに』より ©Successió Miró-Adagp, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 E1434
ジョアン・ミロ『あらゆる試みに』より ©Successió Miró-Adagp, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 E1434

「zine(ジン)」にも通じる、紙への愛着とスピリット

機械化による大量印刷の時代に逆行するように、紙の質感を重視し、芸術家の創造力と職人による技術の粋を結集した挿絵本は生み出され、20世紀中盤まで作られ続けた。それは、デジタルの時代にあえて「zine(ジン)」を発行する現代のクリエイターたちの行為とどこか共通したものを感じる。紙への愛着は、人間の身体に深く刷り込まれた記憶なのかもしれない。

パブロ・ピカソ『20詩篇』表紙 1948年刊 ポーラ美術館蔵
パブロ・ピカソ『20詩篇』表紙 1948年刊 ポーラ美術館蔵

企画者の本への愛情が伝わる、とても丁寧に作られた展覧会。アート、ブックデザイン、グラフィック、イラストレーションに関わる人はもちろんのこと、誰でもはるばる足を運ぶ価値はある。ページに広がる数多の宇宙を、じっくりゆっくり散策してほしい。

イベント情報
『紙片の宇宙』展 ギャラリートーク

2015年2月14日(土)、3月21日(土)14:00~14:40
会場:神奈川県 箱根 ポーラ美術館展示室

浅生ハルミン×東海林洋

「『世界で最も美しい本』のはなし~展覧会<紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本>(ポーラ美術館)開催記念~」
2015年2月24日 20:00~22:00(19:30開場)
会場:東京都 下北沢 B&B

山本容子 銅版画制作40周年&『紙片の宇宙』展開催記念

トーク&レクチャー『山本容子と20世紀の画家たちの挿画の現場』
2015年3月1日(日)13:00~15:00(開場12:30~)
会場:東京都 南青山 青山ブックセンター本店 大教室

『紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本』

2014年9月21日(日)~2015年3月29日(日)
会場:神奈川県 箱根 ポーラ美術館 展示室1、3
時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
出品作家:
エドガー・ドガ
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
ピエール・ラプラード
ラウル・デュフィ
ジュール・パスキン
レオナール・フジタ(藤田嗣治)
マリー・ローランサン
マルク・シャガール
ジョルジュ・ルオー
アンドレ・ドラン
アリスティド・マイヨール
パブロ・ピカソ
アンリ・マティス
フェルナン・レジェ
ジョルジュ・ブラック
ジョアン・ミロ
サルバドール・ダリ
休館日:会期中無休(1月21日は企画展の展示室のみ休室)
料金:大人1,800円 シニア割引(65歳以上)1,600円 大学・高校生1,300円 中・小学生700円
※土曜は小・中学生無料



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