少女の「自殺動画」が告発する。「表現の不自由」と対峙する映画監督の軌跡

厳格なイスラム法によって統治されている宗教国イランで、国内における社会問題を映画作品によって告発し続けている映画監督、ジャファル・パナヒ。『ヴェネチア国際映画祭』や『ベルリン国際映画祭』などで作品が最高賞を獲得するなど、世界に誇れる栄誉を手にしながら、イラン政府からは弾圧を受けていることでも知られている。そんなパナヒ監督が今回題材にするのは、イランの地方の村における女性の人権問題だ。

メイン画像©Jafar Panahi Film Production

人気女優の元に送られてきた、少女の自殺動画。次第に暴かれる女性差別の現実

本作の物語の発端となるのは、ひとつの動画メッセージ。そこには、イラン北西部の村で女優を目指していたが夢を砕かれたと語る少女が、自分でロープを首にかけて自殺を試みるショッキングな姿が映っている。こんな内容の動画を送られてしまった、イランの人気女優ベーナズ・ジャファリは、映画監督ジャファル・パナヒ(本人)とともに、その動画に映されている事態の真贋を確かめるため、問題の村へと向かう。

『ある女優の不在』予告編

2019年、日本でも大きな話題になった「表現の不自由」。同じ問題とイランで戦い続ける映画監督、ジャファル・パナヒ

パナヒ監督がどういう監督なのかを、簡単に説明しておきたい。彼は、反体制的な映画を撮っているという理由でイラン政府の目につき、その後2010年には国内で逮捕されている。その際、ジュリエット・ビノシュやスティーヴン・スピルバーグら映画人が、これを不当な処分だとして、国際的な抗議を表明。その助力もあって、パナヒ監督は「20年間の映画・脚本製作、出国の禁止」を条件に釈放されることになる。それでは、本作『ある女優の不在』はなぜ撮影できているのか?

パナヒ監督は保釈された当時、自宅謹慎を命じられていたが、彼は自宅で映像の撮影を行っていた。しかし、その内容は、パナヒ自身が映画の構想をカメラに向けて語るというものだった。だからこれは、「映画でもないし、脚本も存在しない」ということなのだ。この作品『これは映画ではない』(2011年)は、それでも各国で上映され、高い評価を得た。

『これは映画ではない』予告編

『人生タクシー』(2015年)は、映画監督を廃業し、タクシー運転手になったというパナヒと、タクシーに乗り込んでくる客たちとの対話を、車載カメラで撮ったもの。そこには、イランの様々な問題が映し出されていく。これもあくまで「車載カメラが偶然写し取ったもの」で、「映画ではない」から、当局に逮捕されることはない。この作品は、カメラが何者かに盗まれるところで途切れている。その後、第65回『ベルリン国際映画祭』で『人生タクシー』は最高賞を受賞することになるが、それはただ盗まれたカメラの映像を、勝手に映画祭に出品した「何者か」のせいであり、パナヒ監督自身は裁判所の決定に背くことは何もしていないという理屈なのだ。

『人生タクシー』予告編

だが本作は、このような表現への弾圧に対する皮肉なユーモアから撮られた映像とは異なり、しっかりとした映画作品としての撮影がなされていて、スタッフの名前もきっちりとクレジットされている。これは、国内外の映画人などの働きかけによって、パナヒ監督を取り巻く状況がゆるやかになってきたことを意味している。イラン政府も、世界から尊敬を集める映画監督を弾圧するという外聞の悪い行為を大っぴらに続けることが難しくなってきたのかもしれない。

本人役で自ら出演するジャファル・パナヒ(右)©Jafar Panahi Film Production

自由を得たパナヒ監督。最新作『ある女優の不在』でも変わらず、イラン社会の歪みに光をあてる

しかしパナヒ監督は、イラン社会の欺瞞を表現することに、一切手を緩めない。今回『ある女優の不在』で描かれるのは、イランの田舎にはびこる人権蹂躙のおそろしさだ。女優を目指していた少女は、保守的な村や家族によって夢をつぶされたことが、ベーナズ・ジャファリとパナヒ監督の調査によって、次第に明らかにされる。

表面上は気のいい村の男たちだが、少し腹を割って話すと、女性への偏見や蔑視的な考え方を露わにしていく。女優ジャファリもまた、パナヒ監督が離れたところで、さっそくセクシャルハラスメントの「洗礼」を受ける。ここで生まれ育った女性たちは、こんな環境で生きていかなければならない……その事実に、ジャファリは慄然とする。

そんな状況が描かれていくなか、思い出すのは、ふたりが村に着いて間もなく、墓穴の中に入って「お迎え」が来るのを待っていた老女だ。身体は動くのに、心はすでに死んでいる……。それは、村に住むすべての女性たちの心情の象徴ではなかったか。

©Jafar Panahi Film Production

イランの小さな村における現実は、女性差別に関わる諸問題を抱える世界全体のミニチュア

パナヒ監督の『オフサイド・ガールズ』(2006年)は、サッカーが好きな女性たちが、ワールドカップ出場をかけた予選を見るために、女性が入ることを禁じられている試合中のスタジアムに潜り込もうと画策する痛快な作品だった。このように不自由な状況に女性が置かれているという事実は、首都テヘランであっても変わらない。

イランにおけるイスラム法は「シャリーア」と呼ばれ、そこでは女性の命は男性の命の半分の価値だとされている。だから女性を殺害する罪は男性殺害よりも軽くなるし、男性一人の証言に対抗するには、女性二人の証言が必要となるという。このように、そもそも国の法律自体に人権的な問題があることは、国際的な視点から明らかである。

©Jafar Panahi Film Production

本作で描かれた村は、都会と田舎で程度の差はあれ、イラン全体の現実だともいえよう。さらに、そのように考えるならば、この構図は女性差別を背景にした様々な問題をいまだに解決することができない、世界全体のミニチュアにも見えてくる。パナヒ監督は、イランのみならず、「世界」を「あの村」のなかに封じ込めているのだ。

そして本作で暗示される、イラン革命後に役者として演じることを禁じられ、村にひっそりと住んでいる往年のスター女優、シャールザードの存在。自己を表現する道が絶たれた彼女の境遇は、自殺動画を送った少女にも、墓穴に入っていた老女にも重なる。力を持った者からの抑圧によって、「自分が自分らしく生きられない」という状況は、映画製作を禁じられたパナヒ監督が味わった事態でもある。

©Jafar Panahi Film Production

日本も例外ではない。自由に行動することを萎縮せざるを得ない空気を変えていけるのは誰か

女性差別問題はもとより、このような表現における同様の問題は、日本の映画の状況においても見られる。日本人の過去の英雄的行為を描いた映画を、首相が鑑賞し絶賛する一方で、政権と日本の戦争犯罪を擁護する団体とのつながりがあることを指摘したドキュメンタリー映画『主戦場』が、映画祭で一時上映を取りやめるという決定がなされたり、政治家の汚職などを追及する実在の記者の奮闘を、フィクションを交えて映画で表現した『新聞記者』のプロデューサーの他作品が助成取り消しになるという事態が問題になった。そこには、政権による判断や影響が働いているのではと見る向きがある。確実に言えるのは、作品の送り手を萎縮させるような空気が濃くなってきているということだ。そして、もちろんこの問題は映画だけに収まるものではない。

本作の舞台となる村は、女性が偏見にさらされているという意味で、そして表現の範囲が限定されているという意味で、われわれの住む場所に似ている。また、自殺を試みる少女は、そこで生きる子どもたちの未来の姿である。果たしてわれわれは、自分の「村」で「未来」を救うことができるのだろうか? パナヒ監督が世界の映画人から支援を受け、自らも状況を改善するべく努力しているように、一人ひとりが「村人」としてできることを考えることが必要なのではないだろうか。

作品情報
『ある女優の不在』

ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国で公開中
監督・脚本:ジャファル・パナヒ
出演:
ベーナズ・ジャファリ
ジャファル・パナヒ
マルズィエ・レザイ
上映時間:100分
配給:キノフィルムズ



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