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あがた森魚が語る「ベルウッド・レコード」と、伝える技術の話
インタビュー・テキスト:金子厚武 撮影:田中慎一郎(2012/10/09)
「ベルウッド・レコード」をご存知だろうか。もしもあなたがその名前を知らなかったとしても、はっぴいえんどの諸作や、細野晴臣と大瀧詠一の最初のソロ作品、後にムーンライダーズへと発展するはちみつぱいの唯一の作品、高田渡、遠藤賢司、小室等らの作品を世に送り出したレーベルだと言えば、その功績の大きさは伝わるだろう。1972年、キングレコードの社員プロデューサーだった三浦光紀によって設立され、岡林信康を輩出したURC、吉田拓郎を輩出したエレックと共に「3大フォークレーベル」と呼ばれた。中でも洋楽のロック的な感性を取り込み、洗練された音楽性や芸術性を備えた作品を数多く世に送り出したベルウッドは、今で言うニューミュージックのシーンを牽引する役割を果たしたという意味で、非常に特徴的なレーベルであったと言える。
そのベルウッドからの第1弾リリースとなったシングル『赤色エレジー』の大ヒットによって、一躍時の人になったのがあがた森魚である。作品性を重んじ、今も第一線で活躍を続ける彼は、「朝起きると、地球上の森羅万象が僕の中に詰まってると思う」といった独自の感性の持ち主。今回ベルウッドの40周年を記念し、過去のカタログが一挙再発されるにあたって、ベルウッドと共にキャリアをスタートさせたとも言えるあがたに、レーベルと自身の歴史を紐解いてもらった。彼の言葉は、40年の時間の重みを感じさせ、表現することの奥深さを感じさせるものばかり。今ここから世界の見え方が変容するような、貴重な取材となった。
あがた森魚
1948年北海道生まれ。1972年『赤色エレジー』でデビュー。 当時、アメリカのコンテンポラリーなフォークロックやヒッピームーブメントなどに強い影響を受けながらも、その影響下に留まらず、 日本の大正や昭和のロマンティックな大衆文化を彷彿とさせるオリジナリティーあふれる音楽世界を創り出していった。 デビューアルバム『乙女の儚夢』以降、『噫無情』『日本少年』『永遠の遠国』と、あがた森魚世界観をはらんだアルバムを発表しながら70年代を駆け抜けた。映画製作や文筆活動等々多岐にわたりながらオリジナルアルバムを次々とリリース。 デビュー40周年を迎える2012年はアルバムリリースや記念コンサートの開催など引き続き意欲的な活動が続いている。10月3日、ベルウッドの創立40周年を記念して「Bellwood 40th Anniversary Collection」と銘打って51タイトル再発されたコレクションには、あがた森魚の初期3枚のアルバムが含まれる。
あがた森魚OS
当時は早く世に認められたいというか、ともかくみんなの前で歌いたいっていう、それだけだったんですよ。
―あがたさんはどのような経緯でベルウッド・レコードから作品をリリースすることになったのですか?
あがた:ベルウッドの第1回のリリースが1972年で、その前の年の1971年にあった『中津川フォークジャンボリー』(1969年から1971年まで3回にわたり開催された、日本初の野外フェスティバル)に僕がたまたま出演していたときに、ディレクターの三浦光紀さんと出会って、彼の推薦で出すことが決まったっていうのがそもそものきっかけですね。
―それ以前から三浦さんとの交流があったわけではないんですか?
あがた:全くないですね。その日は鈴木慶一くんたちと始めたはちみつぱいというバンドと一緒にサブステージで演奏したんですけど、当時は早く世に認められたいというか、ともかくみんなの前で歌いたいっていう、それだけだったんですよ。ちょうどその頃早川義夫さんや遠藤賢司さんとの交流も始まりかけてたんですけど、僕は僕なりのアンテナで音楽を始めていたところで、できたばかりの“赤色エレジー”っていう歌もあって、それが特に三浦さんの印象に残ったのかもしれないですね。

―当時は歌謡曲とかアイドルが全盛で、それに対してフォークやポップ、ロックといった、いわゆるニューミュージック的なものを広めたいという考えがベルウッドの理念としてあったのでしょうか?
あがた:そういう風に解釈しますね。三浦さん一個人というよりは、URCとエレックという当時数少ないインディーズレーベルがあり、その流れで日本にフォークとかニューミュージックといわれる機運が生じ始めてたんです。そのタイミングで各メジャーのメーカーから一斉にフォークとかニューミュージック系のレーベルが発足して、ソニーからは吉田拓郎さんのオデッセイが、キングからはベルウッドが始まったんです。当時は新人がほとんどそこでデビューする4月25日っていう発売日の設定があったんですよ。毎年の年中行事というか、始業式のようなもんだね(笑)。

あがた森魚
―その4月25日にベルウッドの第1弾として発売された『赤色エレジー』が、いきなり大ヒットを記録したわけですよね。
あがた:僕はその前の年までどこのガキかもわかんないような感じだったのが、次の年には吉田拓郎とか新しい傾向で出てきた色んな中の一人としてパッと注目を浴びるようになって。僕自身心して「よっしゃ」って頑張った部分もあったけど、でも青天の霹靂なわけだよね。三浦さんが後々「あのヒットがあったからやっていけた」みたいなことをおっしゃってて、もちろんそれだけじゃないにせよ、自分がそれを請け負えたことだったり、「誰かに聴いてほしい」という願いが叶って、それは得難い経験ではあったね。そこから僕の今日に至る色んな歴史があるわけだから。















































