人生をサバイブする旅人の方法論 DEAN FUJIOKAインタビュー

数年前に日本中を震撼させた殺人犯、市橋達也。千葉県市川市で英会話学校の講師を務めていたイギリス人女性を殺害したあと、整形手術を受けながら2年7か月もの長い逃亡生活を続けた男。この異様な事件が『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』として映画化された。市橋自身による逃亡手記『逮捕されるまで〜空白の2年7カ月の記録〜』(幻冬舎刊)をベースとしつつ、単なる実録物に終わらず、内面の深い闇を抉り出す試みに貫かれた一本である。

この問題作の初監督と主演を兼任し、主題歌“My Dimension”も手掛けているのが、台湾を拠点に活動する日本人俳優、DEAN FUJIOKAだ。香港・台湾の映画やテレビドラマに数々出演し、インドネシアのジャカルタで音楽活動も展開してきたボーダーレスなマルチアーティスト。この注目の才人に、自身の半生も含め幅広くお話を伺った。自由な行動力と鋭い知性で培われた独自の世界観を存分に味わっていただきたい。

自分の中の壁は、努力し続けていけば、いつか乗り越えられるかもしれない。だけど逃げ続けたらどんどん壁が迫ってくる。

―まずは今回の監督・主演映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』の企画の立ち上がりについて教えてください。

DEAN:最初は俳優として市橋達也を演じてみないかというお話だったんです。ただ事件が起こった2007年から2009年当時、僕はもう何年も日本を離れて生活していたので、市橋のことは全く知らなかったんですね。

―活動の拠点を香港から台湾に移されたあたりの頃でしょうか。

DEAN:そうですね。なので、まず事件を調べるところから始めて、その過程で湧いてくるたくさんの疑問や映画のアイデアを、すべて企画者である中沢敏明さん(『おくりびと』などを手がけたセディックインターナショナル代表取締役の映画プロデューサー)にお話ししていたんです。そしたら半年後、中沢さんにいきなり「明日、東京で会えないか」と呼び出され、そのランチミーティングで監督のオファーを受けました。市橋という特異な殺人犯について、彼と同世代の日本人でありながら、日本の外で暮らしている僕に、外部から見る視点で切り取ってくれないか、と。

―ハードルの高い追加依頼ですよね(笑)。

DEAN:ええ、正直びっくりしました。監督の経験もない自分が、この事件を映画化する事に関して真剣に考えました。ただ、役者として市橋に向き合っていた半年間があったからこそ、最終的に前を向けたと思います。その半年間で、市橋という対象に向き合う自分なりの土台ができていた。もし最初から監督のオファーを受けていたら、多分お断りしていたと思います。

DEAN FUJIOKA
DEAN FUJIOKA

―いつか映画監督をやってみたいという希望はありましたか?

DEAN:それはありました。香港で最初の本格的な俳優業、『八月的故事』(2005年)という映画に出た時の体験が素晴らしかったんです。この現場では、俳優としてどうプロジェクトに向き合うかってことだけじゃなくて、フィルムメーカーとしてどう取り組むか、その志向をヤンヤン・マク監督に最初に叩き込まれました。自分が映画学校に入ったみたいで、映画にまつわる多くのことを学んだ現場でしたね。ただ、こんなに早く監督デビューするとは思わなかったです。自分なりに温めていたストーリーも別にあったので。

―なるほど。市橋達也を演じる、あるいは表現するうえでポイントになったのは?

DEAN:一番に彼は殺人を犯した犯罪者であって、絶対に美化したり、ヒーロー化してはいけないということは徹底して作りました。また彼の行動で最初、僕が率直に思ったのは、逃げることに対する貪欲さ、そして強靭なサバイバル能力……そこに対する驚きなんです。

―確かに。彼の逃亡の軌跡には尋常ではない生命力の強さを感じます。

DEAN:「すごい」と言うと語弊がありますが、あらゆる制約を超えていく彼の強さは、俳優として絶対出さなきゃいけないなと。だって2年7か月、財布もIDもなくて助けてくれる友達の数も限られていて、顔を整形しながら日本中を旅して生き延びる……これはちょっと超人的ですよね。

―内面へのアプローチはどのように行いましたか? この作品では、市橋被告の逃亡をロードムービーで表しています。

DEAN:「逃げる」ことのネガティブな部分を表そうと思いました。つまり彼は社会や自分自身と向き合うとき、迫ってくる壁を乗り越えようとせずに逃げ続けた。でも名前を変えて、顔を変えて、逃げ続けても、決して自分からは逃げられないじゃないですか。

―映画自体はある種、自問自答的な構成になっていますよね。逮捕のシーンから映画が始まって、市橋の堂々巡りする内面を常に捉えている。

DEAN:人には誰しも、なかなか乗り越えられない自分の中の壁がありますよね。それは努力し続けていけば、いつか乗り越えられるかもしれない。だけど逃げ続けたらどんどん壁が迫ってくる。現実において市橋が檻の中で狭い四方を壁に囲まれているのは象徴的だと思います。

―今回の映画はロードムービーになっていますし、その壁から逃げることの繰り返しになっていますよね。

DEAN:くるくる回って、どこにも行けない……そういうループ感を観る人に体感してもらいたいなと思ったんです。観ている人がもしかしてどこかで壁から逃げていたら、悪循環にハマってしまったとしてもおかしくない。でも、決してそうなっちゃいけない。だから最後に希望を持たせるような形にはしたくなかったんです。逃げた先にはどこにも出口がない、そういった心理状態の描写に徹しました。

自分が続けていく行動の積み重ねのうちに、「好き」とか「やりたい」以上につながる感覚を持てるかどうか。

―今回、主題歌(“My Dimension”)も担当されているのはどういう経緯があったんでしょう?

DEAN:音楽に関しては、2008年くらいからインドネシアのジャカルタで制作を続けているんです。DJ Sumoというアレンジャーと二人でアルバムを完成させたんですけど、その中に今回の“My Dimension”もあって。だからこの曲は、2009年の段階で形になっていました。

―そうなんですね。

DEAN:今回、主題歌が最後の最後まで決まらなくて、結局、“My Dimension”がこの映画に合うんじゃないかという話に転がっていきました。この曲に関しては、僕の自己紹介みたいなものなんですけど、確かに映画にハメてみて世界観と合っているなと思えたので。

―曲作りを始められたきっかけはなんなんですか?

DEAN:母親がピアノ教師で、僕の最初の夢は音楽家になることだったんです。子どもの頃からずっと音楽には親しんできたんですが、仕事という面ではなかなか縁がなくて。結果的に俳優の仕事が生活の糧であり、自分の表現手段になっていったんですが、そんな折、今年6月に日本でも公開になった『夢の向こう側〜ROAD LESS TRAVELED〜』というロックバンドの映画を2008年に台湾で撮ったんですよ。役者としてギタリストの役を演じてみた中で、すごく込み上げてくるものがあったんですね。それで、ずいぶんと俳優の仕事もやったし、映画もテレビドラマも1回ストップして、本格的に音楽をやり始めたんです。もの作りのうえで自分のステートメントをはっきりさせたいと思って。

DEAN FUJIOKA

―その流れでお聞きしたいんですけど、DEANさんはまずは日本の高校を卒業後、アメリカに留学されるんですよね。

DEAN:はい。子どものときから、コンピューター関係の仕事をしている父親の関係で自宅に海外の人が来ることが多かったし、お土産で買ってくるレーザーディスクとか、ビデオとか、本や音楽がたくさん身近にあったんですね。その家庭環境の影響もあって、シアトルの大学に進みました。そしてITを専攻して。

―留学先にアメリカを選んだのは?

DEAN:僕がまだ幼かった1980年代って、アメリカがすごい輝いてた時代だと思うんですよ。当時の子どもにとっては「外国=アメリカ」だった。いま考えると、おバカなんですけどね(笑)。でもあの時代、日本に育った子どもなら、素朴にアメリカがスーパーヒーローに見えたと思うんです。だから、とりあえず一度行ってみようと思って、結局シアトルに5年間住みました。そのあとアジアを中心に各国への旅に出かけるんですが。

―その転換点は何だったんでしょう?

DEAN:いろんなサインはあったんですけど、シアトル在住中に9.11が起こって、あれがハッキリ1つの切り替わりになっていますね。自分が移民だから、僕とアメリカとの関係の本質がぼんやりとわかってきた。じゃあ、別の社会体制の国にはどういう人たちがいるんだろう? と思って。大学のクラスにはいろんな国の留学生がいたのですが、その人たちのリアルな世界を見たくて、中国やロシア、タイ、ベトナムなどを廻っていったんです。

―そんな中、まずは香港でモデルや俳優の仕事に就かれたわけですよね。

DEAN:最初から香港に移住しようとは考えてなかったですね。「バックパッカー以上、移住未満」のようなテンションで、香港のワンチャイに流れ着いたときに、たまたま『オープンマイク』という音楽のイベントがあって。そこに飛び入り参加してフリースタイルのパフォーマンスをやったんです。アメリカ西海岸の男の子は完全にヒップホップが生活に染みついていて、僕もその環境の中にしばらくいましたからね。そうしたら、偶然フロアに香港のファッション雑誌の人がいて、話しかけられて。「モデルやってみないか」と。

DEAN FUJIOKA

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―すごい話ですね! 旅先の香港でパフォーマンスしている最中にスカウトされたと。

DEAN:はい。ちなみにその当時は、ゲストハウスにインド人の宝石商みたいな胡散臭い人たちと一緒に住んでました(笑)。ずっと貧乏旅行をしていたから、お金が必要だったし。それでまず雑誌のモデルをやって、スタジオのつながりでショーのモデルをやったり、広告に出たりしているうちに、自分で家を借りられるようになるじゃないですか。すると今度は家賃を払い続けていかなくちゃならない。だからモデルと並行して、グラフィックデザインやウェブデザインの仕事もやってました。食べるためにいろいろなことをやって、最終的には俳優が一番形になっていったんです。

―それは、ご自身も俳優業に興味があったからなんでしょうか?

DEAN:いえ、もともとモデルや俳優になりたいと思ったことは一度もないんです。最初は撮られるのも、お芝居するのも恥ずかしかったし(笑)。

―そうなんですね。コンピューター系のデザインの仕事もされていたということは、大学でITを学ばれたことも役に立っていますよね。

DEAN:アートやソーシャルカルチャーにはすごく興味があって。ITが先なのか、新しいアートの作り方や見せ方が先なのかわからないんですけど、例えば、1970年代にはフォークミュージックが若者のすがる表現手段だったとしたら、今のサンプラーを使ったハウスやヒップホップ、エレクトロニックがあの時代のフォークミュージックみたいなものだと思うんですよ。家で手軽に使える楽器として、ギターの代わりにラップトップがあるっていう。時代によって使う道具と広がるジャンルが完全にリンクしている。

―表現においてはハードとソフトの関係が同時に進行していますものね。

DEAN:あと僕が大学にいた当時、録音や編集にコンピューターを使う人はいたけど、楽器として使う人はまだそんなにいなかったと思うんですよ。でもシアトルって雨ばっかり降ってるから意外とオタクの街で(笑)、家やガレージでラップトップの音楽バトルとかやってるんですよ。2000年頃の段階から。そのラップトップバトルに、ラッパーやダンサーがカブせていくパーティーシーンがあって、それにものすごく衝撃を受けたんですね。

―そうやって行く先々のものをスポンジのように吸収されて、糧にしてきたんですね。

DEAN:「やらなきゃ生きていけない」っていうことが原動力でしたね。生活していくためにはお金が必要だし、そのためにキャリアアップしなくちゃどうしようもない。もちろん言葉も覚えなきゃいけない。そうやって、そのつど必要な技術を身につけていった。

―必要に迫られて身につけた技術のおかげで、活動できる範囲が広がっていったのは面白いですね。

DEAN:今は「ノマド」って言葉を世間でも普通に使うようになりましたけど、僕の場合は当時、ITのノウハウを使いこなせないと移動しながら仕事できないんじゃないか、ってことは直感で察していました。ちょっとした疑問や、風向きみたいなものを、そのつど自分の中で咀嚼して、力にしていく。すると、また違うステージが待っていると思うんです。

―全部「旅」ですね。

DEAN:そうですね(笑)。だから僕の場合、「こうなりたい」っていう目標や理想が先にあるんじゃなくて、「こういう風になりたくない」っていう想いの方が強いと思うんですよ。それに、やっぱり1回しかない人生の中で、自分がどこまで何をできるか知りたくないですか? どの回路からでもいいから、自分が続けていく行動の積み重ねのうちに、「好き」とか「やりたい」以上につながる感覚を持てるかどうか。そういう基準で、自分の道先を決めてきた気がします。

―「何かをめざす」のではなく、必然性が積み重なっていく。それは表現者として、むしろ強度のあるものですよね。

DEAN:だと嬉しいですね。

経済状況も含めて世界はどんどん変化し続けるから、その中でどう自分はサバイバルしていくのか。

―お話を聞いていると、ご両親から始まって、実際に会われた身近な人や環境からの影響が大きいですよね。その他に影響を受けられたアーティストって誰かいらっしゃいますか?

DEAN:それはたくさんいすぎて難しいですね……(笑)。特に音楽は挙げたらキリがないです。例えばシアトル時代は、クラブミュージックの人気レーベルだったNinja TuneやMo'Waxのアーティストが大好きでした。シアトルの景色にハマったのがトリップホップだったんですよね。そういうトラックを気持ちよく展開させていくのが、当時ものすごく好きで。ちょっと空気が冷たい感じの音色が好きですね。でもラジオとかマスメディアを通して影響を受けたのは、もっとウエッサイな感じですよ(笑)。Jurassic5とか、Peanut Butter Wolfとか。

―いろいろな分野を経験されている中で、やっぱりDEANさんにとって音楽は特別なもののようですね。

DEAN:音楽は、形がないからじゃないですかね。目に見えるものはもっと効率的に対処できると思うんですけど、見えないものだから、最も掴みがたいものですよね。あと、自分は聴覚が異常に発達しているな、っていうのはハッキリ自覚しているんです。音で嫌な気持ちになったり、嬉しくなったり、メロウな気分になったり、メンタルに影響を受けやすいんです。だから自分が音楽を作るときも「気持ち悪い」っていうのを全部排除していって、「これだったら聴けるかな」みたいな感じで完成させているところがあります(笑)。

―DEANさんにとって音楽は、基本であり究極の表現である、と。

DEAN:今回、映画を作ってみて思ったのは、音もストーリーや空気を作るものだっていうこと。それはやってみて、本当に身に染みました。音なしの編集の段階と、音をつけたものだと全然違いますからね。そこで音楽の経験が活きたのはよかったです。

―DEANさんがそもそも旅に出られたのも、異国に文化人類学的な興味を持たれているからですよね。音楽を聴くことを通して、文化を感じているという側面はありますか?

DEAN:ありますね。その通りだと思います。例えばジャカルタの話をすると、インドネシアって世界で4番目に人口の多い国なんですね。国の中にたくさんの人種がいて。第二次世界大戦が始まるまで、四世紀弱くらいオランダの植民地だった。もちろんインドネシアの経済や政治を回しているのは福建華僑なので、チャイニーズの影響もすごく強い。インドとかパキスタンのヒンドゥー文化もすごく残ってる。その象徴がバリ島ですよね。かつ国民の大半がイスラム教徒なんですよ。そうした文化の混在が音楽にも流れ込んでいるんです。ジャカルタに行ってから出会った音楽に「ファンコット」っていうジャンルがあって。コタ地区っていうアンダーグラウンドな歓楽街で誕生したダンスミュージックなんですけど、そのエリアはもう無法地帯ですよ(笑)。でも無法地帯じゃないと、新しいサブカルチャーって生まれないじゃないですか。その土壌がジャカルタにはある。その音楽がかっこいいか、好きか嫌いかは別にして、そういう土壌があるっていう懐の深さを、ジャカルタに感じていますね。

―とっても興味深いお話ですね。最後に今後の展望をお聞きしたいんですけど、やはりこれからも各地で、自分を固定せずに活動されていく?

DEAN:そうですね。仕事があればそこに行って、生活してっていうのをずっとやってきているので。日本人である自分っていうのもそこで対象化されるというか、国によって日本に対するイメージも全然違いますし、受け止め方も全然違う。経済状況も含めて世界はどんどん変化し続けるから、その中でどう自分はサバイバルしていくのか。何事も、「やってみなきゃわかんない」ですよね。

リリース情報
DEAN FUJIOKA
『My Dimension』

2013年11月6日からiTunes Storeでリリース

作品情報
『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』

2013年11月6日(水)からネット配信、11月9日(土)から一部109シネマズ、新宿ミラノで公開
監督:ディーン・フジオカ
原作:市橋達也『逮捕されるまで 〜空白の2年7ヶ月の記録〜』(幻冬舎)
エンディングテーマ:DEAN FUJIOKA“My Dimension”
出演:ディーン・フジオカ
配給:セディックインターナショナル 電通

プロフィール
DEAN FUJIOKA(でぃーん ふじおか)

日本生まれ。父親から語学、母親から音楽を学ぶ。高校卒業後、アメリカへ渡り多文化が混じり合う環境で感性を大きく刺激される。カレッジ卒業後アジアのさまざまな国々を旅をし、多様な人種、文化、言語に触れながらそれらを詩や写真として残す。旅の中で香港と出会いモデルとして活動を開始する。その活動が注目を浴び、映画「八月的故事」の主演に抜擢され俳優としてのキャリアがスタートする。その後活動拠点を香港から台湾へ移す。映画、TVドラマ、PV、CMなどでの演技が評価を受け中華圏エンターテイメントの新星として旋風を起こす。



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