レビュー

「繕い」と無縁のふたり―写真の鼓動・音楽の瞬き

内田伸一
2012/07/09
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「繕い」と無縁のふたり―写真の鼓動・音楽の瞬き

東京都写真美術館における川内倫子展の関連イベントとして実現した、ふたりの対談。原田さんと川内さんはもともと親交があり、東日本大震災後、クラムボンが初めて作った曲“ある鼓動”では、CDジャケット写真とPVを川内さんが手がけています(その経緯は下記レポート参照)。
CINRA.NET > 原田郁子と行く『川内倫子展 照度 あめつち 影を見る』

この日はまず、“ある鼓動”でのコラボレーション後に、同作品とは逆のプロセス――つまり川内さんの映像に原田さんが音楽で参加する、という形で生まれた約4分の最新短篇が上映されました。

川内さんいわく「個展で上映している映像版『Illuminance』のアザーサイドみたいなもの」だという作品。初夏のささやかな風景日記的な映像に、原田さんのピアノとハミングがつかず離れずで重なります。子猫が登場するシーンで「ミャ〜」と聴こえてくる遊び心も。その原田さんは「最初に無音でこの映像を見たとき、そこにすごく細かい瞬きみたいなものを感じました。川内さんには感覚的にそれが見えているんじゃないかなって」と語ります。

左:川内倫子、右:原田郁子
左:川内倫子、右:原田郁子

ふたりがリラックスして楽しんだ様子も伝わる作品でしたが、これに先立つ“ある鼓動”でのコラボレーションは、より切実な想いが両者を引き寄せました。原田さんが「川内さんの感覚による『言葉じゃないもの』がどうしても必要だった」と語れば、その川内さんも「映像は(曲を聴いて)半泣きしながらつくりました」「写真を15年やってきて、どこか麻痺してしまった『つくる喜び』が生々しく出てきた体験。水が溶け合うような感覚だった」と振り返ります。

“ある鼓動”は、原田さんが2011年に歌詞を書いた唯一の曲です。東北から始まる全国ツアーを直前に控えて発生した、東日本大震災。それでも彼らは、不透明な状況の中で会場ごとに工夫をしながらライブを敢行しました。「当時は、何か言うよりとにかく動く、それで精一杯でした」という原田さん。“ある鼓動”は、そんな中でも「新しい曲をつくりたい」との想いから生まれたものです。

川内さんは「だからこそ、あの曲にはリアリティがあると思った」といいます。等身大のシンプルな言葉たちが、手をつなぎ合うように大きな世界観へ広がるこの曲。歌詞は震災に直接ふれる内容ではありませんが、あの日を境に起こった混乱や苦悩、迷いの中から踏み出そうという原田さんの「鼓動」は、聴く者にまっすぐ響いてきます。


いっぽうで川内さんは、最新個展にまつわる自らのリアリティについてもふれました。今回は、繊細さと力強さが共存する代表的シリーズ『Illuminance』などに加え、新作『あめつち』では雄大なスケールの表現にも挑んでいます。「『Illuminance』の展示が私の内側の世界だとしたら、そこから外に出た感じを『あめつち』の部屋では見せたかった」と告白。モチーフになった阿蘇の野焼きについては、そこで得た「地球の上に立っている実感」に魅せられて何年も通っているそうです。「(個人の)欲求から離れて初めて、開かれていくものもあると思う」との言葉も印象的でした。

無題 シリーズ《あめつち》より 2012
無題 シリーズ《あめつち》より 2012

こうした話題を交わす中で、原田さんからは「川内さんはずっと『見えないもの』を撮っている」との言葉もありました。これには川内さんも「確かに」と同意。「逆説的だし、それゆえに堂々巡りもするけれど、その矛盾のせめぎ合いの中でこそ見えてくるものに近づきたい」とのことでした。

聴衆との質疑応答では、ふたりの近年の表現に、単なる「音」や「被写体」を超えた志向があるのでは? という趣旨の質問がありました。川内さんは「写真だけど写真じゃない、というような表現でもいいと思っている。考えすぎると(視野が)狭くなるから、今後はよりシンプルに反射神経でやっていけたらいい」と回答。呼応するように、原田さんからもセッションにおける「居合いのような感覚」「無心」といった言葉が繰り出されます。また「クラムボンを始めた当初は、メンバー3人ともコンプレックスの塊みたいな状態でした。でも少しずつ自分たちの音が作れるようになり、周りに向けて目を開き、つながれるようになったと思う」とも答えていました。

無題 シリーズ《あめつち》より 2012
無題 シリーズ《あめつち》より 2012

ここで僕自身の感じたことも、書いておきます。この日のトークの締めくくりには、“ある鼓動”のPVが上映されました。僕はそれを見ながら、この映像を初めてみたとき、その力強さと同時に自分が感じたある違和感の謎が少し解けた気がしていました。

“ある鼓動”における川内さんの映像は、動画ではなく写真を中心にしたものです。花々・昆虫・鳥といった小さな命、子供たち・大人たちの日常、のどかな田園風景や都会の夜景。そこには命の力強さと儚さ、また無数の営みが移ろう生死観も感じ取れます。その写真群と音楽が、川内さんのいう「比べられないそれぞれの良さ」で融合していく感覚がありました。

いっぽうで正直に言えば、各写真が移ろっていく独特のリズムは、予定調和的なミュージックビデオを見慣れ過ぎた目には、一見するとぎこちなく、どこか引っかかるものを感じたのです。しかし対談を聞いて改めて気づいたのは、川内さんが目指したのは、いわゆる「よくできたミュージックビデオ」とは違う作品なのだろうということです。

川内さんは原田さんが「新しい言葉を探して」つくったこの曲に対し、心のカメラを向けるように、互いを照らし合う中での「反応」で誠実に答えたのではないでしょうか。以前の取材で原田さんが語った「川内さんの映像のリズムは、彼女と話すときのことを思い出させる」との言葉も頭をよぎりました。

もうひとつ思い出したのは、冒頭でふれた記事のために、今回の川内展を原田さんとご一緒したときのことです。作品を見ながら感想を述べてもらう様子を記事にまとめて提出した数日後、原田さんが電話をくれました。「私はこんな風にはすらすら話せていなかった。だから記事でもそれをそのまま伝えてくれませんか」というのが彼女のリクエストでした。

ライター稼業を続けていると、ともすれば出来事を綺麗にまとめ、わかりやすくしようとする癖がついてしまいます。彼女の言葉は、「簡単には言葉にできない体験」も大切だと改めて考えさせてくれました。そしていま目の前で流れる川内さんの“ある鼓動”の映像も、同じ誠実さゆえに、それを受け取った原田さんを涙させたのではないか――。

わかりやすく伝えようという想いが「上手く繕う」行為に変質してしまったとき、手元からすり抜けていってしまうものがあります。そしてそれは、いま起こっている様々な事柄にも通じるのかもしれません。

なお“ある鼓動”には数ヶ所、映像(動画)も登場します。特に印象的なのは冒頭とラストに現れる、山あいのトンネルを行く電車から撮ったシーン。やがて暗がりの向こうに、光と新緑が開けていきます。手持ち撮影のせいか頼りなげに揺れながら、しかし何とか前を向き、見つめ続けようとするカメラ。それもまた、日々消費される非現実的な「美麗映像」よりずっと、今の自分たちに共感できる美しさだと感じます。

温かい拍手に包まれて対談と上映が終わり、満員の聴衆がドアをくぐってそれぞれの暮らしに戻っていきます。その風景は、どこかあのトンネルの映像とも重なって見えました。目には見えないひとりひとりの「ここにある鼓動」がつながり、穏やかに広がっていくような一夜でした。

光が降り注ぐように
ささやかな営みが
とぎれることなく
つづくように
(クラムボン“ある鼓動”より)

イベント情報

『川内倫子展 照度 あめつち 影を見る』展

2012年5月12日(土)〜7月16日(月・祝)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館

プロフィール

川内倫子

1972年滋賀県生まれ。1993年成安女子短期大学卒業。1997年よりフリーランスとして活動開始。2001年11月写真集三部作『うたたね』『花火』『花子』を同時発表。翌年『うたたね』『花火』の二冊が第27回木村伊兵衛写真賞を受賞する。2009年には、 ICP(International Center of Photography)主催の第25回インフィニティ賞芸術部門受賞。主な個展として『AILA + Cui Cui + the eyes, the ears,』 カルティエ財団美術館(05年・パリ)他、サンパウロ近代美術館などを巡回、『Rinko Kawauchi』 The Photographers' Gallery(06年・ロンドン)、『Cui Cui』ヴァンジ彫刻庭園美術館(08年・静岡)などがある。2011年5月に米Apertureとの共同で写真集『Illuminance』を世界五カ国で同時出版した。

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