連載:あの人と街の記憶

初の中国ツアーでの特別な一夜で「違う人間になった」。音楽家・夏目知幸の記憶

日常が大きく変化するいま、「どこで誰と何をして生きていくか」という話題は、多くの人に共通するテーマに発展したように思います。

知らない街の景色を思い浮かべてみたり、そこに生きる人々の温度を感じたりすることは、これからの生き方を考える、ひとつのヒントになるのかもしれません。

この連載「あの人と街の記憶」では、さまざまな表現者が、思い入れのある街と、そこで出会った人との思い出やエピソードを私的に綴ります。第3回目は、音楽家の夏目知幸さん。「この旅を経験したことで、僕はけっこう違う人間になった」と言うほど特別な、バンド時代に訪れた中国での一夜について。

ツアーコーディネート初めての女性による、初対面で見知らないバンドとの中国巡演の旅

2017年、中国・深圳に住む女の子から届いた一通のメールが僕のその後の運命を大きく変えることになる。それはバンドへの初の中国ツアーのオファーだった。

あとから知ったことだが、彼女はツアーに関してまったくの素人で、コーディネートはこれが初めて。ただただ僕らを呼びたいという熱意ひとつでそれまで勤めていた会社を辞め、退職金を使って興業を行おうとしていた。

友達のバンドが何組か中国でのライブを経験していたから話を聞いてみたが、僕らのような事例は見当たらず参考にならない。大体の場合大きな興業主がいるか、そうじゃなくても個人で海外のバンドの招致を経験したことのある勢いのある若者たちが絡んでいた。彼女もその連中と関わりがあるらしいところまでは知れたのだけど、わかったのはそこまで。

メールでのコミュニケーションや情報の共有はお互い母語ではない言葉でやりとりしているせいか難航し、行くか行かないかの判断はほとんど勘に委ねられることになった。失敗して大きな損害を被る可能性もある。お金のことは置いておくにしても、全然お客さんが集まらないなら意味がない。それでも、バンドの総意は「GO」だった。やってみないとわからない。滅多にないチャンス。行こう。

もともと決まっていた韓国と台湾でのライブと合わせて、合計2週間に及ぶツアーが組まれた。期間の長さも移動距離もバンド史上最大規模だ。

ソウルではストレンジフルーツというハコで、日本でも人気だったParasolとCogasonと対バン。サンサンマダンというライブハウスでは最近兵役が終わって復活したSilica Gelと共演。

台湾ではリボルバーというライブバーでワンマン。翌日は輔仁大学の大教室を使った学祭っぽいイベントに出演した。ライブが終盤に差しかかったとき、それまで緊張した面持ちで運営業務をこなしていたスタッフたちが「もう仕事も終わる! えい!」とフロアに雪崩れ込んできてお客さんと一緒にもみくちゃに踊りだした。美しい光景だった。

ツアー8日目。香港を経由して深圳に入った。初めての中国本土。ここまでは1週間で4公演。体力的には余裕があった。先にも書いたが、当時は日本の若いインディーバンドが中国でのライブをやり始めた時期だった。「東京のいいバンドが一気に見れる!」という売り出し方だとウケが良いらしく、2〜3バンド抱き合わせで訪中してイベントが開かれることが多いと聞いた。

一方僕らはイベントの詳細がまったくわからないままトライすることを選んだわけだが、「とにもかにも行く」という連絡をしたあとに、The 尺口MP(ROMPと読む。漢字を使った遊び表記)という福州出身バンドとのアベックツアーが組まれたことにはさすがに驚いた。

さらに僕らを震え上がらせたのは、3都市を回るツアーだった予定がいつの間にか6都市に拡大され、提示していたスケジュールの中にギュッと詰め込まれたことである。まさかの7日間6公演。それぞれの都市の移動距離は日本の比ではない。果たして体は持つのだろうか? ツアーコーディネート初めての女性による、初対面で見知らないバンドとの中国巡演の旅が始まった。

ここからが面白いところ。しかし、出来事を細かく追っていくには文字数が足りない。今回書きたいのは3日目、The 尺口MPのホームタウンである福州・The Sighでの一夜である。特別なことが起こったわけではない。人が聞いたらよくある素敵な出来事のひとつにすぎないだろう。しかし、あの日あの場所にいた人にとっては一生心に刻まれるかもしれない、そんな夜だった。少なくとも僕にとっては。

僕らはこの夜世界で最高のロックバンドだった

すでに広州と廈門でのライブを経験して、僕は燃えていた。中国のオーディエンスの癖がなんとなくわかってきたからだ。次はホームランが打てる、そう確信していた。疲れも溜まっていたけれど、翌日は移動だけだから多少は休める。The 尺口MPの地元とあって、今日は大入りだと聞いている。気合い一発、すべてを出し切る。

昼過ぎに会場入り。The Sighは福州の歴史的に価値のある古い居住エリアを商業地区にリノベした一角にあるカフェバーだ。インポートビールの品揃えが抜群。働いているスタッフはみんな若く溌剌としていて、英語が上手だった。「ビール、めちゃありますね。好きなんです。あとで飲みますね」と伝えると、「いまでもいいし、いくらでも飲んでね!」と店長が笑って答えてくれた。

差し入れのチキンバーガーを食べたあとリハーサル(ずっと中華料理が続いていたから久しぶりにジャンクフードが出てきて大はしゃぎした。福州のソウルフードだよと言って渡された)。きのう・おとといとリハでかなりストレスを抱えていたのだけれど、小さいハコだとやれることも限られているし、自分たちでなんとかするしかないから逆にスムーズに終わった。PAは大変だったと思うけど。

僕はライブハウスではない場所でライブをするのが好きだし、ステージがない平場でライブするのも好きだから、この日の環境は自分にとって最高だと感じていた。いつでもどこでも場所さえあれば最高なものを見せられる、ロックバンドはそうじゃなくちゃいけない。真骨頂をかましてやれ。そんな腹。

リハ終わりにバルコニーでタバコを吸っていると、店長が出てきた。何を話したかは覚えていない。彼は「中華」というタバコをくれた。高いタバコだ。中国はタバコの銘柄による値段と質の幅が日本に比べて大きい。僕はそのとき中南海という安いのを吸ってたから、こっちうまいから吸いなよと渡してくれたわけ。もったいないから、すぐに吸わずにとっておくことにした。天気は、曇っていたと記憶してる。周りの建物もみんな灰色。なんでもない風景が目の前に広がっていた。

夜、イベントがスタートした。オープンしてすぐに満員になった。さすが地元、この日のThe 尺口MPは抜群だった。グルーヴがあったし、色気もあった。自信に満ちたパフォーマンスにオーディエンスがどんどん引きこまれていた。熱気が増していくステージの横で、僕は自分の準備を始めた。こういうハコではよくあることだけれど、楽屋に機材を置くスペースがないから、ちょっと影になったところにエフェクターなどを溜めておくのだ。

ひとしきり確認が終わって、バルコニーに出てまたタバコ。一息入れていると元気な女の子が寄ってきて「セッティング終わった? バンドのスタッフでしょ? 楽器いじってたよねいま?」と話しかけてきた。「スタッフじゃなくて、僕は次に出るバンドで歌うんだ」と答えた。彼女は驚きながら「あーごめん! 私、Spotifyで聴いていいなって思って見に来ただけだから顔は知らなくて!」と謝った。「イッツオーケー」と適当に返してライブに挑んだ。

思った通り、最高のパフォーマンスができた。全部がバシッと決まって、僕らはこの夜世界で最高のロックバンドだった。僕らだけではなくて、The 尺口MPもお客さんも最高だった。みんなで一緒につくった夜だ。

汗びっしょりの僕。疲れ果てた。けど、まだまだ遊びたい、心の火種が燃えたまま。消さなくちゃ、あ、そうだ店長、ビールください。お疲れ。みんなお疲れ。楽しかったね、ありがとう。ありがとう。

気温と湿度を増した終演後の会場。なんとも言えない狂熱の残り香。みんないい顔してた。僕らも、お客さんも、会場のスタッフもみんな。

2杯くらいだろうか一気に飲み干して、一旦落ち着くためにまだまだ騒がしいフロアを抜けバルコニーに出た。もらった高いタバコに火をつけて吸った。うまい。うますぎる。夜の街がとてもキラキラして見えた。外から見ればここも小さな灯りの1つに過ぎない。けど、すごくいい時間を僕たちは過ごしたよと心のなかでつぶやいた。

僕を追ってきたんだろう、さっきの女の子がまた話しかけてきた。彼女はすごく興奮した様子で「本当に本当にすっごくよかった!!! あなたすごい人だね!!! スタッフと間違えてごめんね!!!」と言った。僕は笑ってしまった。「こちらこそありがとう、この街で演奏ができて本当に良かった!」と答えた。彼女も笑っていた。名前も知らないし、多分一生会うこともないだろう。

この旅を経験したことによって、僕はけっこう違う人間になったと思っている。大切なことにいっぱい気づける旅だったから。そのひとつを紹介した。

今夜もきっと世界のどこかで素敵なことが起こってる。音楽が何のためにあるのか、僕らはなぜ出会うのか、言葉にならない答えを教えてくれる夜。忘れられない夜。まだまだいっぱい欲しいから、まだまだ頑張ろうって思ってます。

夏目知幸の選曲による、この街の記憶に結びつく6曲
リリース情報
Summer Eye
『人生』


2021年12月16日(木)配信
プロフィール
夏目知幸
夏目知幸 (なつめ ともゆき)

東京在住のミュージシャン、コラージュアーティスト。2020年に解散したシャムキャッツのボーカル&ギター。ソロ名義Summer Eyeとして12月16日に『人生』をリリースした。音楽活動の他、コラージュ作家としての個展や執筆などでも活動中。



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