連載:あの人と街の記憶

バンドを結成しつつも将来が見えず、不安を抱えながら過ごした五反田での思い出。川辺素の記憶

日常が大きく変化したいま、「どこで誰と何をして生きていくか」という話題は、多くの人に共通するテーマに発展したように思います。

知らない街の景色を思い浮かべてみたり、そこに生きる人々の温度を感じたりすることは、これからの生き方を考える、ひとつのヒントになるのかもしれません。

この連載「あの人と街の記憶」では、さまざまな表現者が、思い入れのある街と、そこで出会った人との思い出やエピソードを私的に綴ります。9回目は、音楽家の川辺素さん。20代前半を過ごした五反田での記憶を綴ります。

20代前半を過ごした五反田。バイト先のまかないと、自作の釜玉うどんでお腹を満たす日々

五反田に大学2年生から住みはじめて、卒業してもしばらくいた。初めての一人暮らしだった。バンドの練習やライブが終わったあと重たい機材のカートを引き中原街道を登って帰っていたことをよく思い出す。

五反田を選んだのは、2つある大学のキャンパス両方に通いやすかったからという理由ただ一つで、入学時に学校まで少し距離のあった吉祥寺に父と同居していた時は朝起きられず単位を落とし放題で、4年間再履修に苦しめられることになった。

五反田のアパートから自転車で少しの距離の武蔵小山に、ナカヤーンをはじめとする友達が数人住んでいたものの、近所にはお勤めの人が多く、友達や大学生に会わないところが気に入っていたし、同時に寂しい気持ちにもなっていた。そういうどっちにも振れるような感情を、行動によって操縦するのがいまよりずっと下手だった。夜の帰り道、暗く人気のないオフィスビル、街灯が少なかったところはシンプルに嫌だった。

就職せずに、というかできずに大学を卒業してからは西口を出てすぐのイタリア料理屋でアルバイトをしていた。閉店後はよく店のバーカウンターで店長が酔いつぶれるまで酒を飲んだ。店長は当時40代、長身で営業中は寡黙、面倒見のよい人だった。その店の好きだったところの一つは、店のメニューから好きなものを自分で選んでまかないとしてつくってもらえるところで、気に入ったメニューばかりお願いしていた。

しばらくして店長から、お前には勉強のためにいろんなメニューを食べる発想はないのか? と軽く叱られた。俺はバイトとしてあまり察しの良い人間ではなかった。その当時はけっこう金がなく、かといって頑張って自炊するほど食に興味もなく、冷凍のうどんを茹でて卵と調味料を適当にぶっかけてつくった釜玉うどんばっかり食べていたので、まかないは毎回本当に楽しみにしていた。

ちなみにそのうどんをこの前つくってみたら、ノスタルジーを感じる間もなく不味かった。かつては動けなくなるほどの空腹に襲われるまで何も食べないことが習慣になっていたからか、つくるたび美味く感じて満足していた。

「だいたい路上か人の家、あとはライブハウスしか行っていなかった」

定期的に会う歳の離れた大人は店長ぐらいだったので、自分や周囲の友達と視点の違う話を聞いているのが面白かったし、自分の進路の不安をよくなだめてもらっていたように思う。そして日頃の言動やふるまいから店長は人格者だなと思っていた。

そんな彼に、俺がメディアを賑わせていた芸能人の不倫かなにかのニュースを見て「本人の勝手なのにくだらないですね!」と言った時の返答が予想外だったのでよく覚えている。彼は「多くの人は他人の後ろ暗い部分を見て安心し、それに助けられているし、自分もそう」と言ったのだ。

そもそも心優しい人間はきっとこんなニュース嫌いなはず、と俺が勝手に決めつけていただけの話だが、真面目が故に自分のおかしてしまった罪に心を痛めている人にとって、ゴシップによってみんな完璧じゃないんだと知れるのはたしかに救いになるのかもしれないとその時思った。それまで俺は芸能ゴシップは断罪したり糾弾したい人に向けてのコンテンツだと見なしていたが、人格者だと思っていた店長の口からそう聞いて、存在の理由が妙に納得できた。叩かれる本人はたまったもんじゃないと思うので肯定しないが。

だんだんバンドが忙しくなってきて、夜のシフトに入ることが難しくなってきたタイミングで辞めた。それから店長には会っていないが元気だろうか。正確な時期はぼんやりしているが2013年くらいの話だ。バイトに入ってきた青年と折り合いが悪かったのをよく覚えている。やる気がある彼からすると俺はひどく無気力なのにプライドの高い厄介者に見えていたことだろう。

日常はバンドのことばかりで、バイトを除けば帰路にある駅前のツタヤでレンタルDVDを100円で頻繁に借りて見ていたことぐらいしか習慣的にやっていたことがなかった。ナカヤーンが引っ越すまではよく家までWiiをしに行ったことや、缶ビールを買ってもらって昆虫キッズの高橋くんと駅前の暗い水辺を眺めながら話したりなどなど、人と遊ぶことももちろんあったが、思い出すことの大体がお金があんまりなかったこととセットになっている。

最近、人との会話で昔しばらく五反田に住んでいたと言うと、おすすめのお店についての話題になるのだが、そのたびに白紙の店リストが頭に浮かぶ。だいたい路上か人の家、あとはライブハウスしか行っていなかった。そんな20代前半だった。バンドマンと括られるのがあまり好きではなかったが、こう書くとすごくバンドマンっぽい。俺は本当にわかりやすく近親憎悪に囚われがちである。いまに至るまでミツメを中心にした生活を続けられているのは本当に良かったなとしみじみ思う。

大学生の頃の記憶と強く結びついている、サニーデイ・サービス

2014年に初めてリキッドルームでワンマンライブをして、プロとしてバンドをこれからやっていけるかも、と漠然と感じた。その会場でこの前サニーデイ・サービスと2マンライブをした。通学時に聴いたり、学祭でコピーバンドをやったりとサニーデイ・サービスは大学生の頃の記憶と特に強く結びついている。ミツメをはじめた時からいくつかある憧れのうちの一つ、ああいう風になりたいなと思うバンドである。終演後曽我部さんと話していて、いまの川辺くんの年齢の時ぐらいはギター1本身ひとつで全国を回っていたと聞いて、なんとなく自分もそうしたいなと思った。何かが一周したなという感覚を掴んだこの頃である。

バンドを結成しつつも将来がまったく見えず、漠然とした不安を抱えながら五反田で過ごした時期は大変だったなと暗いトンネルを覗き返すようなつもりで書きはじめたこの原稿だったが、うだうだ言いながらも客観的に見れば楽しんでいた姿が思い出されて、自分はいい加減で都合の良い人間だなと思った。足が遠のいていたが、五反田に今度飲みに行ってみようと考えている。

川辺の選曲による、この街の記憶に結びつく4曲
リリース情報
ミツメ
『mitsume Live "Recording"』


2022年8月3日(水)発売
価格:2,640円(税込)
PECF-1190

1. Fly me to the mars
2. number
3. トニックラブ
4. Shadow
5. 停滞夜
6. モーメント
7. cider cider
8. 恋はかけあし
プロフィール
川辺素
川辺素 (かわべ もと)

4人組バンド、ミツメのボーカルギター。東京を拠点に活動。これまでにミツメは6枚のアルバムと8枚のシングルをリリース。最新作は2021年3月発売のアルバム『VI』。ソロではin the blue shirtと共作のデジタルシングル『Swim』をリリースし、最近はボーカルとしてパソコン音楽クラブのアルバム『See-Voice』に参加。リミックスやプロデュース、楽曲提供など様々な形で音楽制作に関わっている。



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