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Netflixドラマ化『ハートストッパー』が祝福する、「希望」に満ちたクィアな若者たちの生

(メイン画像:Netflix『HEARTSTOPPER ハートストッパー』独占配信中)

4月22日からNetflixで配信がスタートするやいなや、本国イギリスなどでトップ10入りし、大きな話題を呼んでいるドラマ『HEARTSTOPPER ハートストッパー』。原作はイギリスの作家・イラストレーター、アリス・オズマンが2016年から手がけている青春グラフィックノベルで、世界20か国以上で翻訳されているベストセラー作品。日本でも昨年に邦訳版の刊行がスタートした。

ゲイの高校生チャーリーと同級生のニックの恋模様を軸に、さまざまなバックグラウンド / セクシュアリティーの友人や教師たちとの関係性を描く本作。原作がヤングアダルト作品であることの重要性や、作品全体を包む「明るさ」の意義、原作と異なる点もあるドラマ版の魅力などについて、原作刊行時から『HEARTSTOPPER ハートストッパー』を追いかけているセメントTHINGがつづる。

単行本は100万部を突破。イギリスのウェブコミック発の青春群像劇

控えめな文化系の少年チャーリーと、明るく心優しいラグビー部員ニック。あまり接点のない二人の男の子がふとしたきっかけで出会い、お互いのことを知って、ゆっくり距離を縮めていく。アリス・オズマンの『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、そんな二人の関係性を中心に展開する明るく可愛らしい青春群像劇だ。ウェブコミックとして当初発表されたこの作品は、年々熱狂的なファンを増やしていき、単行本売上は今年なんと100万部を突破(*1)。Netflixで実写ドラマ版が製作されるまでとなった。

なぜいま『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、ここまで大きな反響を呼んでいるのだろう? この作品のさまざまな魅力に迫りながら、その理由を探ってみたい。

本作の優れた「レプリゼンテーション」を際立たせる、クィアな観客を取り巻く現状

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』に寄せられる称賛の声で目立つのは、この作品は非常に優れたLGBTQ+の「レプリゼンテーション」を実現しているという声だ(*2)。

「レプリゼンテーション」とは、マイノリティーの多様なあり方を物語のなかに「反映」していく必要性を訴える言葉である。だが、いままでLGBTQ+を描いた作品がなかったというわけではないのに、なぜ特にこの作品は多くの人からそのような反応を引き出しているのだろう?

その理由としては、「当事者のリアルに即した作品の絶対数が少なく、それが多くの人に届くことが珍しいから」というものがまずあげられる。そもそも世の中の作品に出てくる登場人物はほとんどがマジョリティー属性を持っている。たとえ劇中にクィアな人物が出たとしても、偏見に満ちた描写に終始したり、深く掘り下げられずに退場したりすることもしょっちゅうだ。

自分に近い属性の人がさまざまなジャンルで活躍している様子を見たいだけなのに、そういう作品がほぼ見つからない。それがクィアな観客を取り巻く現状なのだ。

さらに大人向けの作品に自由にアクセスできない子どもたちにとっては、事態はいっそう深刻なものとなる。米国図書館協会(ALA)の2021年の調査によれば、学校や図書館において子どもには不適切だと批判を受けたり、禁書にされたりした例が多かった本のトップ3は、いずれもLGBTQ+を描くものだった(*3)。

このような状況は、当事者の若者たちの自己肯定感を確実にすり減らしていく。アメリカのNPO「トレバー・プロジェクト」の昨年のアンケート調査によれば、LGBTQ+の若者の過半数が、全般性不安障害やうつ病の症状を経験したそうだ(*4)。日本においても10代の性的マイノリティー当事者の半数近くがなんらかのいじめを経験するという調査結果があり(*5)、アメリカに比して本邦の状況がましとは決して断言できない状況である。

YA作品としての意義。見る者に「自分は社会の重要な一部分である」と感じさせる、物語の力

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、まさにそんな脆弱な立場にある若者たちのために生まれた。

Aro/Ace(アロマンティック・アセクシュアルスペクトラム)当事者でもある作者(*6)は、この作品はYA(ヤングアダルト)作品(広義には大人と子どもの境目にいるティーンに向けて描かれたフィクション作品のこと)であり、まずティーンの読者に向けて描いたと明言している(*7)。

作者はティーン向けの真摯なレプリゼンテーションを実現するため、自身の学生時代の体験も加味しながら綿密なリサーチを行ない、10代のクィアな若者が直面するさまざまな偏見や圧力を誠実に描くことにこだわった(*8)。このようなクィアなYA作品が存在することが、どれだけ当事者を勇気づけるかということは、強調してもしきれない。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』1巻の邦訳刊行にあたって寄せられた、作者アリス・オズマンのメッセージ

2017年、パキスタン系イギリス人の俳優リズ・アーメッドは、マイノリティーが自身の体験を「反映」していると感じられる描写や登場人物が物語に登場することの重要性をイギリス議会下院でスピーチした(*9)。彼はフィクション内でより多様な立場・属性の人々が描かれることは、当事者に対しあなたの存在は重要な社会の「一部」であるというメッセージを伝えることにつながると自身の体験を例に挙げながら語った。まさにそれは、『HEARTSTOPPER ハートストッパー』を読んだ当事者たちが受け取ったメッセージでもあったに違いない。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、クィアな生の現実に即したレプリゼンテーションを堂々とYAジャンルにおいて展開し、大きな人気を得ることに成功した。それは多くの人が思う以上に、とても特別なことなのである。

これまでフィクションにおけるクィアな登場人物は、悲劇的な運命を迎えることが多かった

ここまで『HEARTSTOPPER ハートストッパー』がクィアの「レプリゼンテーション」としていかに希少なものであるか解説してきた。だが、それだけではこの作品の特異性を語り尽くしたことにはならない。この作品の魅力に大きく寄与している「明るさ」についても、言及する必要があるだろう。

「明るい」ことが特別? と思う人もいるかもしれない。だが幸せな結末を迎えるクィアを描いた作品というのは、最近まで本当に珍しいものだったのだ。

クィアな登場人物は、悲劇的な運命を迎えることがあまりにも多い。

カミングアウトした直後、何らかの理由でその命を落とす。差別からくる暴力に晒され、深く傷つく。社会制度から取りこぼされた結果、生活が崩壊する。家族や社会が存在を受け入れず、共同体から残酷に追放される。まるでシスジェンダーの異性愛者でないならば、不幸になることは避けがたいかのようだ。そのような作例がありすぎるため、英語圏においては「Bury Your Gays(ゲイを葬れ展開)」(*10)というシニカルな表現があるぐらいである。

もちろん、そうなるのはつくり手が過酷な現実を反映しようとした結果だ。フィクションにおいて、光が当たりにくいマイノリティーの苦境や葛藤を表象することは重要である。だがマジョリティーの表象と比べたとき、全体として悲劇的なトーンに傾きすぎているのは、それはそれでバランスの悪い状態だとはいえないだろうか。クィアな人々の生に悲しみがあるならば、喜びだってあるはずだ。フィクションは、本来そのどちらも「反映」してよいはずである。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』の「明るさ」、そして「幸せ」なクィアの物語を描くことの重要性

クィアな若者たちの生を明るく前向きに描いた『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、そんな状況における一つの選択肢を提示したといえるだろう。

この作品におけるクィアな登場人物は、自身に向けられる偏見や圧力に苦しむことはあれども、それによって悲劇的な結末を迎えることはない。むしろ作品が焦点を合わせるのは、クィアな登場人物たちが周囲の大人たちの温かいサポートのもとで、自身と他者に向き合い成長していく姿だ。ここではクィアな生は庇護されるべきもの、喜びに満ちたものとして描かれている。

フィクションのなかで幸せなクィアの姿を描くことには意義がある。たとえそれがいまの社会においてはやや「都合が良すぎる」ものだったとしても、そのようなレプリゼンテーションが増えることは、「あなたには価値がある」「理解してくれる人はいる」というメッセージを受け手へと送ることにつながるはずである。

ドラマ版でチャーリーを演じたジョー・ロックの言葉を借りれば、「クィアであることをポジティブに描く、愛情に満ちた作品」は「クィアであることで起きるさまざまな困難を描いた作品」と同じくらい重要だ(*11)。そうでなければ、どうやって「クィアな若者たちに、自分たちもきっと幸せになれると感じさせる」ことができるだろう?

この作品が映像化され、より多くの人々に届くことは、だからこそとても大きな意味があるのだ。世界中で自身のあり方に思い悩むクィアな若者たち、そしてかつてその「若者」だった人々。この作品は、そんな人々に寄り添い、その生を明るく祝福するためにつくられたものなのだから。

ドラマ版における脚色の魅力。多様なセクシュアリティーの10代の経験を探究する

2022年4月22日、とうとうドラマ版『HEARTSTOPPER ハートストッパー』シーズン1がNetflixを通し全世界に配信された。すべてのエピソードの脚本を手掛けたのは原作者のアリス・オズマン(エグゼクティブプロデューサーも兼任)。製作はシーソー・フィルムズ。『デアデビル』などを手掛けたユーロス・リンが監督を務めた。

「熱狂的なファンを抱える作品の映像化」ということで、映像化発表直後から期待の声が飛び交っていたわけではあるが、結論からいえばそれに応えるような見事な仕上がりだったといってよい。大筋としては原作2巻までの内容がベースになっているが、ドラマ版においてはそれに加え主要人物の背景描写が増えており、映像化にあたってより幅広いレプリゼンテーションを目指したことが感じられる。

実写ドラマ版『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は2022年4月22日からNetflixで配信。イギリスを含むヨーロッパのさまざまな国のNetflixでトップ10入りした

悩みながらオープンリーレズビアンとして関係を公にすることを選び、偏見に揺れ動きつつも二人でそれを乗り越えていくタラとダーシー。男子校から女子校へと転校し、さまざまな関係からの孤立を経験するも、周囲の助けを得て新しい環境に馴染んでいくトランス女性のエル。男性に恋したことをきっかけに自身のセクシュアリティーを見つめ直し、「体育会系の人気者」としてのプレッシャーに苦しみつつも、自分がバイセクシュアルであることに徐々に気づいていくニック。いろんなクィアな10代の経験を、より踏み込んだかたちで探究している。

また、映像のスタイルやサウンドトラックにも注目すべきものがある。原作の構図やコマ割りを適宜引用しつつ、アニメーションや漫画の枠線などを取り入れた演出は、原作のムードを違和感なく映像へ移し替えることに成功している。

Baby Queenやbeabadoobee、リナ・サワヤマやgirl in redなど、クィアなアーティストの曲を多く使用したサントラは、当事者の声がよく反映された極めて質の高いものだ。脚本・演出・音楽どれも原作の雰囲気を尊重しながら、クィアなレプリゼンテーションを実現するためのさまざまな工夫が凝らされている。

やさしく温かい視線でもって、「希望」に満ちたクィアな若者たちの生を描く『HEARTSTOPPER ハートストッパー』。そんな作品がいま、より多くの観客を獲得しつつあることを喜びたい。クィアな生が単一のイメージに回収されない多様な角度から描かれ、当事者が自分に近い存在を簡単にフィクションのなかに見つけることができる。この作品は、そんな未来に向けての、大きな一歩になるはずだ。

Netflixドラマ『HEARTSTOPPE ハートストッパー』公式プレイリスト

*1:作者アリス・オズマンのTwitterより(外部サイトを開く
*2:REFINERY29 “Heartstopper Has A 100% Rating On Rotten Tomatoes”(外部サイトを開く
*3:Banned & Challenged Books | Advocacy, Legislation & Issues “Top 10 Most Challenged Books Lists(外部サイトを開く
*4:The Trevor Project National Survey (外部サイトを開く
*5:ライフネット生命保険株式会社「第2回LGBT当事者の意識調査」(外部サイトを開く
*6:Julia's Bookcase “An Interview with Alice Oseman, Author of Loveless”(外部サイトを開く
*7:National World "Alice Oseman: ‘I hope Heartstopper puts a smile on your face’"(外部サイトを開く
*8:Sean Z Writes “Alice Oseman Discusses 'Heartstopper', Romance, and Fandom”(外部サイトを開く
*9:Riz Ahmed - Channel4 Diversity Speech 2017 @ House of Commons | Facebook(外部サイトを開く
*10:参考:wezzy「レズビアン死亡症候群、サイコレズビアン…ステレオタイプなマイノリティ描写はなぜ問題?」(外部サイトを開く
*11:The Upcoming “Ten years ago, this series wouldn’t have been made”: The cast of Heartstopper on Netflix’s new LGBTQ+ teen drama(外部サイトを開く

作品情報
『HEARTSTOPPER  ハートストッパー』

2022年4月22日(金)からNetflixで独占配信
書籍情報
『HEARTSTOPPER ハートストッパー』3巻

2021年9月16日(木)発売
作者: アリス・オズマン
訳者:牧野琴子
価格:1,320円(税込)
発行:株式会社トゥーヴァージンズ


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