その仕事、やめる?やめない?

「好き」のために狡猾に生きる。エリックサウス総料理長・稲田俊輔が語る、現実的な仕事論

2011年、東京駅八重洲地下街にオープンした「エリックサウス」は、当時まだまだマイナーだった南インド料理をオーバーグラウンドへと押し上げるのに大きな貢献を果たした名店だ。「本格的なインド料理=カレー+ナン」という認識がまだまだ主流だった時代に、ミールスやビリヤニといったマニアックな料理をスタンドカレー的な気楽さで食べられる同店の登場は、カレー好きたちに衝撃と歓喜をもって迎えられた。

以来、順風満帆に成長を続けてきたエリックサウスだが、オープン前は社内的に期待値も低く、スタッフからも「もっと普通のカレーを出した方がいいのでは」という声も上がっていたというから驚きだ。そうした逆境を乗り越え、押しも押されぬ人気店へと成長できた背景には何があったのか? 

多様なキャリアの選択肢がある現代において、豊かに働くためのヒントを探すための連載「その仕事、やめる?やめない?」最新回では、レシピ本の出版に文筆業など、近年活動の幅をより広げつつあるエリックサウスの総料理長・稲田俊輔さんにこれまでの料理人生を振り返ってもらいつつ、「やりたいこと」を実現するためのシビアで現実的な仕事観に迫った。

「やりたいこと」「安定」、両方を手にしたはずだった……。就職するなり直面した、理想とのギャップ

食い道楽の家庭に育ち、自身も子どもの頃から「食」への関心が強かったという稲田さんだが、「仕事」にすることを考えはじめたのは、じつはそれほど早くはなかったという。

稲田

ぼくは鹿児島出身で、京都大学の経済学部に進学しました。その時点では普通に卒業して、まわりと同じように銀行とかに就職するんだろうな、と思っていました。もちろん「食」には興味があったんですが、別にそれを仕事にしたいとも思ってなかったし、できるとも思っていなかった。

あと、その頃はバンド活動をしていたこともあって、「音楽で食っていく」という選択肢も少しだけ頭のなかにありました。でも、客観的に見て、それを一生続けるような才能は自分には絶対にないということもわかっていたので、早々にあきらめました。

しかし、堅実なライフプランを念頭に就職活動を続けるなかで、思いがけないかたちで「食」というキーワードが蘇ってくる。

稲田

会社で、「食」に関わるというかたちもあり得る、ということがだんだんわかってきたんです。つまり、事業の一環として飲食店を展開するような会社や、レストラン部門を持っている企業に就職する、という道です。これなら、好きなことができるうえに安パイだぞ、と。

そこで、そうした企業のなかで特に有力だった大手飲料メーカーを選び、無事就職することができました。会社には、レストラン部門への移籍希望も理解してもらっており幸先のいいスタートを切ったのですが、その部門での内情を知れば知るほど、そこでの仕事は、想像していたものとはだいぶ違っていました。

ぼくがやりたかったのは、お店のコンセプトやメニューを考えて、なんなら自分がお客さんのところまで料理を運んで「美味しかったよ」と言ってもらう——みたいなことだった。でも、現実はそうした「現場」からは程遠く、自分にできるのはデスクの上で企画を立てるところまでだったんです。

すべては場末の1軒の居酒屋からはじまった。エリックサウス擁する「円相フードサービス」誕生

その頃任されていたのは、新入社員の通過儀礼であるところの営業職だった。この仕事を通して、思っていたのとは違うかたちで、たくさんの「現場」を目にすることになる。そして、これが稲田さんを料理の道へと後押しする契機となった。

稲田

担当の地域の飲食店を回って、「うちのビールを置いてください」とお願いして歩く仕事です。個人店のオーナーシェフや、居酒屋の大将的な人たちと実際に接していくなかで、ちょっと思ったんですよね。「あ、これならおれもできるかも」って(笑)。

それまでは、料理の世界で働く人は、みんなすごい特殊な技術を持っていて、自分とはまるで違う世界の住人だと勝手に思っていたんです。中学を出たらすぐ店で修行をする、調理専門学校に行って腕を磨く、みたいな道を逃してしまった自分には無理なんじゃないか、って。

でも、けっこう適当な感じでやっている人も少なくなかったんですよ。彼らは、自分が毎日つくっているものについては熟知していますが、意外と基本的なところが抜けていたり、料理に関する全般的な知識がないことも珍しくなかった。こういう感じでいいなら、ぼくも自分なりの料理との関わり方を見つけていくことができるんじゃないか、と思えたんです。その目算がついたときに、会社を辞めました。就職して4年ほどが経った頃のことです。

こうして、飲食の世界へと一歩踏み出した稲田さんに声をかけたのが、友人であり、現在所属する「円相フードサービス」の社長でもある武藤洋照氏だった。

稲田

かつて板前経験のあった武藤も、やはり自分で飲食に関する仕事をしようと、似たタイミングで務めていた会社をやめていました。彼は、地元の岐阜で自分の店を持つことを決めていたので、最初だけでも手伝ってくれないかと頼まれ、引き受けました。1997年のことです。

最初は軌道に乗るまでという話だったのですが、居心地がよくてそのままズルズルと居座ってしまい、気づいたら店も会社になっていた。それが、エリックサウスを擁する円相フードサービスのはじまりです。いまでこそ和食や南インド料理を中心にいくつもの店を展開していますが、そもそもは場末の1軒の和食居酒屋からはじまっているんです。

「エスニックやっているなら、カレーもできるでしょ」

そして2002年、円相フードとして4軒目となる店が、稲田さんにカレーを「仕事」として手掛ける契機をもたらす。

稲田

1店目、2店目と順調に軌道に乗り、岐阜の大垣市というところに、3店目をオープンしました。同じタイミングで隣のテナントがたまたま空いて「何か店をやってくれないか」と話を持ちかけられたんですね。それまでは全店和食だったのですが、隣りで似たような店をやってもしょうがないので、エスニック店をやることにしました。

じつは最初の店のときから、イタリアンやフレンチ、エスニックなどジャンル関係なく出していたんですよ。ぼくらは料理に関してオーセンティックであることに強いこだわりを持っていたので、こう言うのも何ですが、なんちゃって創作料理とは違う、どのジャンルにおいても専門店レベルの料理を出せなければやる意味がないと考えていました。

そんなわけで、専門店で出してもおかしくないレベルのエスニックを出すノウハウは確立していたので、大丈夫だろうと。そして、その店をはじめたら、今度は「エスニックやっているなら、カレーもできるでしょ」と、知り合いから声がかかったんです(笑)。それがいまも続いている川崎のテイクアウト専門のカレー店「エリックカレー」です。

シェフが逃亡。再建と支店づくりで模索した「南インド料理」

エリックカレーは、円相フードが一から立ち上げた店ではない。いわば、コンサル的なスタンスで介入したが、とあるトラブルをきっかけに、全面的に経営に参画することになったイレギュラーなケースだったという。

稲田

当時のエリックカレーは、美味しいし人気もあって、売れ行きも好調でした。でも、毎月締めてみると、ほとんど利益が出ていない。これをどうにかしてほしいという依頼でした。

ぼくはこれまでの経験から、調理のオペレーションとかも含めて「こうすれば利益を出せるんじゃないですか」みたいなアドバイスをしていたんですが、そういうのが、職人気質のシェフには相入れないところがあったようで、ある日何の連絡もなく突然来なくなってしまったんです。

レシピはそのシェフしか知らないし、もうつくれません……という事態に。「お力になれなくてすいませんでした」と岐阜に帰るつもりだったんですが、「じゃあ稲田さん、やりません?」「カレーであれば、あとは好きにしていいです」という話になりまして。これはちょっとこれ面白そうだぞ、と思い自分でやることにしました。

その後、見事再生させたエリックカレーの好調を受けて、稲田さんはさらに支店の出店を手掛けることになる。

稲田

調子に乗って、エリックカレーの支店を西新橋と岐阜に出店しました。でも、これが全然うまくいかなくて……。どうしたらいいか打開策を考えたのですが、そこで思いついたのが「ひたすら本格的なメニューを導入する」という方針でした。というのも、その時点でぼくはすでに南インド料理のマニアだったんです。その視点でシーンを見渡すと、東京を中心に、本格的な南インド料理店というものが少しずつ、しかし確実に増えつつあった。

時は、2000年代半ば。カレーファンである筆者も、確かにその頃から徐々に南インド料理がメディアに注目されはじめ、新たなムーブメントとして盛り上がを見せつつあったのを記憶している。

稲田

でも、当時はまだマニア以外が行く感じではなくて。だからこそ、本格的であればあるほど褒められたし、認められた。じゃあ、自分たちもそうすりゃいいじゃん、というわりと安易な発想ですね(笑)。それで、西新橋店に、本格的な南インド料理を少しずつ導入していきました。でも、途中からというのは、やはり限界がありました。それ以外はこれまで通りのメニューだし、取ってつけた感じというか、中途半端になってしまった。思ったような成果も得られず、現場にもフラストレーションが溜まっていましたね……。

エリックサウス名物のビリヤニ。いまは大人気のビリヤニだが2000年台はまだまだ普及していなかった / エリックサウスのInstagramより
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表向きは「カレー屋やります」、でもじつは……。密かに進めた「エリックサウス 南インド料理店化計画」

そんなある日、デベロッパーから「東京駅八重洲地下街で、エリックカレーみたいな店をやってもらえないか」という打診があったという。これが、いまや南インド料理の大人気店「エリックサウス」誕生のきっかけだ。しかし、ここでひとつ疑問が浮かんでくる。エリックカレーは「カレー」のテイクアウト専門であり、エリックサウスのように「南インド料理」を全面に押し出してはいなかったはずだ。

稲田

「エリックカレーみたいな店ですね。はい、わかりました」と言いながら、裏で全然違う企画を進めていたんですよ(笑)。「南インド料理を中心にすえる」という方向性を打診したかったんですけど、当時はまだマイナーすぎて、説明しても伝わらないだろうな、というのもあって。

本格的なカレーといえば、「濃厚な北インドカレー+ナン」というイメージがまだまだ主流だった当時、粘度の少ないシャバシャバの液体を、カレーに類するものとして認識できる人はたしかに少数派だったと思う。いまやエリックサウス監修で、コンビニ商品化されるほどポピュラリティを獲得したビリヤニに至っては、いわずもがなだ。

稲田

デベロッパーには「カレー屋さんをやります」ということにしていたのですが、頭の中では最初から、ミールスやビリヤニといった南インド料理を中心にすえつつ、そこにみんなが認識するカレーらしいカレーを共存させるようにパズルを組んでいました。カレー屋さんであることには間違いないから、嘘はついていないじゃないですか(笑)。カレー以外のものもありますよ、というだけで。

だから、デベロッパーさんにも会社にも、すべては語らないまま進めていましたし、オープン直前になっても、社内では「え、なんでそんなことやるんですか?」「普通にカレー屋さんやればいいじゃないですか」みたいな反応も少なくありませんでした。いざとなったら普通のカレー屋にする準備もあるし、とりあえず1回やらせてみて! というスタンスではじまったのが「エリックサウス」だったんです。

ギフト用の冷凍カレーの販売も行っている / エリックサウスのInstagramより

「ただ好きだっただけ」で、いつの間にか仕事になった。稲田俊輔の仕事論

しかし、不安は杞憂に終わる。八重洲のエリックサウスは、序盤から好評をもって迎えられ、その後の南インド料理ブームや、カレーのファン層の拡大を追い風に人気店へと上り詰めていった。現在では、支店を含め全国に10店舗構えるに至る。まさに「先見の明」という言葉が似つかわしいが、実際のところ、どの程度「これから来る」という打算があったのだろうか。

稲田

いや、全然ですよ。身も蓋もない話ですが、本当にただ好きだっただけで。でも、後づけとして、人に聞かれたときの答えとして「ヘルシーだし、見た目もきれいでしょ」ということは言っていましたけどね。それこそ、「映え」という概念が出はじめた時代でもあったので、これをみんながネットに上げてくれたら絶対目立つよね、って。

南インドならではのカレーやティファン(軽食)が丸ごと入ったスペシャルセット / エリックサウスのInstagramより

そして、これまでの料理人生を振り返り、「結局、いつもそうなんですよ」と笑う。

稲田

最初の居酒屋のときから、ずっと一緒です。本当は和食をつくってお酒だけ出していればよかったのに、「自分がつくりたい」というだけの理由で、イタリアンやエスニックを出していた。で、それがきっかけとなりエスニック料理店を、延いてはカレー店をやることになった。誰にも頼まれてないのに、好きで勝手に南インド料理の試作をやっていたら、それがエリックサウスに繋がった。

その後も、出店の計画もないのに個人的にフレンチを勉強し直していたら、フレンチビストロを岐阜の方に出店することになりましたしね。さらに、渋谷のエリックサウスマサラダイナーで展開しているモダンインディアンコースという、コースでスパイス料理を提供するスタイルも、思えばそのときのフレンチの経験とエリックサウスでの経験が重なった結果です。あ、それで言えば、飲食業の合間に、誰にも頼まれてないのにネットに文章を書いていたら、いつの間にかそれも完全に仕事になってしまった。……本当に、人生ずっとこんな感じなんです(笑)。

好きなことをやるためにズルく立ち回ってきた。「そのためにこそ知恵を絞るべき」

しかしこれは、正確に言えば「なんとなく好きなことをやっていたらうまくいっちゃった」という話ではない。

稲田

普通の人とちょっと違うのは、ぼくの場合、仕事と趣味の境目が曖昧なので、その点ではラッキーだったし、環境に恵まれていたのも間違いありません。

でも、好きなことをやるための努力は怠らなかったという自負はあります。言い方は悪いですけど、ずっと狡猾に立ち回ってきましたからね。それこそエリックサウスをはじめたときのように、決して嘘はついてないけど、でも本当のことも言わずに、うまくみんなを出し抜く、みたいな(笑)。

ぼくは、自分がやりたいことを正当化するために、みんなもっともっとズルく立ち回るべきだと思うし、そのためにこそ知恵を絞るべきだと、わりと本気で信じているんです。

お金になるもの / ならないもの、どちらも「自分の仕事」と考える

人は往々にして、仕事を「やりたい仕事(でも、あまりお金につながらない)」「やりたくない仕事(でも、お金につながる)」という具合に分けて考えがちだ。そして、二者択一的に、そのどちらを選ぶかに悩む。稲田さんは、こうした傾向に対して「並行して、どちらもやればいいのでは」と提案する。

稲田

普通に、好きならやればいいじゃん、と思うわけです。それと同時に、稼がなきゃいけないんだったら稼ぐ仕事も両方やればいいじゃん、と。

ぼくは、早々に音楽で食っていく道は諦めてしまいましたが、飲食の仕事をはじめてからも、しばらくは音楽活動も並行してやっていました。当時、その活動によって生じるギャラや印税も多少はありましたけど、機材代だスタジオ代だといろいろかかるので、収支としてはマイナスです。でもぼくは、飲食業はプラスの収入をもたらす仕事で、音楽はマイナスの収入をもたらす仕事だと考え、どちらも自分にとって正当な仕事であると認識していました。

このスタンスは、飲食業に専念するようになってからも変わっていません。和食の居酒屋でエスニック料理を出すのも、出す予定のない南インド料理やフランス料理を勉強して自作するのも、ベースは一緒です。

稲田さんのTwitterより

稲田

収入をもたらさない仕事が無益かといえばそんなことはなくて、お金の上では「マイナス」でも、楽しければ精神的な面では「プラス」をもたらしてくれますからね。それに、いまはお金にならなくても、将来への投資になるかもしれない。ただ、ここで大事なのは、「運がよければ何か返ってくるかもしれない」くらいに思っておくことではないでしょうか。投資だ、きっといつか役に立つ、みたいなことを過剰に考え出してしまうと、本来の「楽しい」から離れていってしまいますからね。

華やかな時は一瞬。20%の楽しい仕事のために、80%のやりたくない仕事を引き受ける

ここまでの話から、用意してあった「いまの仕事をやめたいと思ったことはありますか?」という質問をすべきか、逡巡した。仕事を楽しめるように仕向けていくのが稲田さんの流儀なのだとしたら、答えは自ずと「ないです」に違いないからだ。でも、敢えて投げかけてみると、華やかさと現実との狭間にある、飲食業者の「本音」が見えてきた。

稲田

やめたいと思ったことは、ご想像のとおり、ないですね。でも、そうは言っても本当に楽しい部分は、じつは全体の一部分でしかないという現実もあって。飲食業なんて、店で普通に働いている場合は、やっていることの80%は名もなき雑用ですから。でも、その80%を我慢するおかげで、残り20%の楽しい仕事ができる。

ぼく個人のことで言えば、ルーティンワーク的な事務処理がとんでもなく苦手で、ついつい後回しにしてしまう。でもやらなきゃ他の楽しいことが滞ってしまう。飲食業に夢を持って入ってくる子たちの多くが、華やかな2割の部分しか見ていないんですよね。そして現実を知り、心折れてやめていく——これは本当に飲食業あるあるです。

そうした挫折系の「やめる」もあれば、ステップアップのため、自身のやりたいことを追求するための「やめる」も、またある。料理長として、店を統括する立場ともなると、ともに働く仲間が去るのを見送らなければならない局面も多々あるのではないか。

稲田

一番頭が痛いのはそこですね。ぼくとしては、一緒に働くスタッフには誰もやめてほしくないし、叶うならずっと一緒に働きたい。そのために、自分がやれることはひとつしかないと思っていて。それは、「ぼくという人間と一緒に働くことにメリットを感じてもらう」ということです。つまり、早くやめればやめただけ、その後得られたかもしれない知識やノウハウを、お前はみすみす逃すことになるんだぞ、と思わせるわけですね(笑)。

ぼく自身、自分にとってのメリットの有無で仕事をしたり、しなかったりしてきた人間なので、そのへんはシビアに見ています。「お前が必要なんだ、頼む!」みたいな人情に訴えても、やめようとしている人の心は変えられないし、そんなこと絶対したくないですしね。だからこそぼくは、新メニューをつくったり、新業態のお店をはじめたりと、日々新しいことに積極的に挑戦しているのだと思います。

それはもちろん、お客さまの目線に立って「飽きさせない」「驚きを与え続ける」ということでもあるのですが、同時に会社のため、自分のためでもあるわけです。そのためにぼくは、これからもボロボロになるまで新しいもの考え、提供し続けていくことを自分に課したい。もちろん、それでもやめていく人はいる。そうなったら、その人の門出を祝いますし、全力で応援もします。「こいつにとって、俺はもう利用価値のない人間なのか……」というショックを必死に隠しながら(笑)。

プロフィール
稲田俊輔 (いなだ しゅんすけ)

鹿児島県出身。京都大学卒業後、大手飲料品メーカーに就職し、営業職を経験。4年後に退職し、円相フードサービス、代表取締役の武藤洋照に声をかけられ、和食居酒屋の立ち上げに携わる。その後、多くの飲食店の立ち上げに携わり、2011年には東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。近年では飲食業だけでなく、執筆業も行っている。主な著書に『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社)など多数。



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