『リリイ・シュシュ』との共鳴も。A24『アフター・ヤン』監督が語る、現代の孤独と「つながり」の重さ

社会のなかで生きるということは、つねに葛藤をはらんでいる。人は自分の人生しか生きられないが、他者と関わらなければ生きていけない。他者と生きることは心強くもあるが、同時にわずらわしくもある。

そうした葛藤と向きあって生まれた映画が『アフター・ヤン』だ。本作は、「テクノ」と呼ばれる人型AIが普及した世界を舞台にしたSF作品。茶葉の販売店を営むジェイクは、妻と中国系の養女ミカ、テクノのヤンとともに暮らしていた。しかしヤンが突然、故障する。ヤンは単なるAIなのか、それとも家族の一員なのか。

本作を手がけたのは、『コロンバス』やドラマ『Pachinko パチンコ』も評価の高い映画監督のコゴナダ。韓国で生まれ、幼少期にアメリカに家族と引っ越し、長い人生をアメリカで過ごした韓国系アメリカ人だ。それも関係してか、作品内には中国茶やラーメン、コチュジャン、さらには日本映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年、監督は岩井俊二)の楽曲“グライド”のカバーが流れるなど、さまざまなアジアの要素が散りばめられている。また、人型のAIヤンもアジア系の設定だ。

『リリイ・シュシュのすべて』の楽曲を劇中で使用した理由からはじまったコゴナダ監督へのインタビューは、家族や他者と生きることで生まれる葛藤について、展開されていく。その作品同様に、穏やかで繊細なコゴナダ監督の心情に触れていただきたい。

作中で引用された『リリイ・シュシュのすべて』から、監督はなにを受け取ったのか?

―今作では岩井俊二監督の映画『リリイ・シュシュのすべて』にちなんだTシャツや楽曲が劇中で引用されていますね。まずこの作品を引用した理由から教えていただけますか?

コゴナダ:『アフター・ヤン』を制作する何年か前に『リリイ・シュシュのすべて』を見たんです。登場人物たちが抱える孤独感や、「人とつながりたい」という気持ちが伝わってくる作品でした。

『リリイ・シュシュのすべて』は公開当時の人々の心情を描いていますが、現代はこの時期以上に人々の気持ちが切り離されているし、若者たちは「お互いを慰めあえる場所がほしい」と願っているように感じます。

映画『リリイ・シュシュのすべて』スポット映像

コゴナダ:『アフター・ヤン』の脚本を書く途中でヤンに感情移入してきて、ヤンが抱える孤独感や人とつながりたい気持ちを考えているあいだに、この作品を思い出したんです。

自然な流れで頭のなかに『リリイ・シュシュのすべて』の音楽が浮かんできて、その要素を『アフター・ヤン』のなかに入れようと考えました。将来的に、このフィクションのミュージシャンにちなんだバンドが生まれたら面白いと思って(笑)。

―“グライド”のカバーの歌い手として、Mitskiさんに依頼したのはなぜでしょう?

コゴナダ:『リリイ・シュシュのすべて』に登場する若者たちは、「この世界に存在している実感がほしい」とあがいていますよね。それは『アフター・ヤン』の物語にも深く通底する感覚であり、私たち現代人に共通するストーリーでもあります。

現代に生きる人たちはみんな孤独感や、世の中から疎外されたような感覚を感じていて、なにかに帰属したい気持ちを抱いていると思うんです。人とのつながりは、自分の存在を確認させてくれる側面もありますから。“グライド”はそういう思いにあふれているし、映画を見てしばらく、この曲は私の頭から離れませんでした。

Lily Chou-Chou『呼吸』(2001年)収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

コゴナダ:Mitskiは、特にアメリカの若者たちのあいだでリリイ・シュシュみたいな存在の人なんです。生々しい感情をとらえることに長けていて、オーセンティシティー(本物らしさ)が高い。そんな彼女がカバーをやったら素晴らしいだろうなと以前から思っていました。

Mitskiにアプローチしたらこの曲の存在はもちろん知っていて、彼女にとってもパーソナルな点で大きな意味を持つ曲のようでした。私は彼女の大ファンだったので、実現して本当によかったです。

“グライド”が使用されている『アフター・ヤン』本編映像。Mitskiのカバー音源を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

他者とのつながりは、この世界を生きる命綱にもなるが、同時に苦しみにもなりうる

―『アフター・ヤン』はSFでもありながら、コゴナダ監督らしい家族の話になっています。コゴナダ監督にとって「家族を描くこと」にはどんな意味があるのでしょう?

コゴナダ:家族を描くことには、私が人生で葛藤してきたことが表れているんだと思います。

私は、この世界から切り離されているような孤独を強く感じて生きてきました。世界をひとりで漂っているような気分になることが多くて、自分の心を安心させてくれるような命綱がないと感じるときがある。だからこそ、誰かとつながる感覚を求めているのだろうと思います。

一方で、誰かとつながっていることで生じる苦しみもありますよね。つながりを持つと安心感を得られるだけではなく、責任感も伴ってきますし、将来、大切なものを喪失する苦しみも味わうことになります。

この世界にひとりで存在することと、そのなかでつながりを強く求めることによって生じる苦しみ――これは私が現在進行形で抱える葛藤です。

映画『アフター・ヤン』予告映像

コゴナダ:私は小津安二郎の映画作品に深く共感しているのですが、その理由は自分のそうした葛藤からきています。この世の中でひたすら苦悩しながら、自分が共鳴できるアートを探し続けているのです。

―コゴナダ監督は過去にもさまざまな場所で小津安二郎作品のファンであることも公言されていますね。

コゴナダ:初めて小津作品を見たときから、深く共感したわけではありませんでした。若い頃、多くの人に「小津は見ておくべきだよ」と言われて見たのですが、すぐに猛烈に惹き込まれたわけではなかった。

でも1週間後、小津の映画のことばかり考えている自分がいたんです。それが3週間経っても、自分のなかに残っていて、すごく興味深く、深遠な気がしました。なぜ1本の映画がこれほど深く残るのかわからなくて、それからは彼の映画をたくさん見るようになりました。

だから小津の映画は、アカデミックな興味や、テクニカルな側面で好きというわけではないんです。たしかに様式や題材も関係していると思います。作品に惹かれてからは、彼の脚本に出てくるセリフを自分の台本に転記してみたり、どこでカットを割っているか探ったりして小津作品について研究もしました。

『東京物語』(1953年)予告映像。小津の形式をまとめたコゴナダ監督によるビデオエッセイ「Way of Ozu」を見る(Vimeoを開く

「『家族が単なる重荷ではない』と気づかせてくれたのも、小津安二郎の映画だった」

コゴナダ:現代に生きる私にとって、小津の映画は他のどの映画とも異なる感じがあるんです。一見シンプルに見えるけれど、「家族」というコンテクストのなかで「時間」を経験させてくれる気がする。

小津は自分を豆腐屋にたとえて、「カレーやとんかつはうまくつくれない」という趣旨の発言をしていますよね(※)。すごく謙虚で、独特の地味さがあるけれど、小津の作品には家族を描くなかでも「人間の孤独さ」が根底にある気がするんです。

※小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』(2010年、日本図書センター)参照

―たしかに、人間の孤独とともに家族を描いている面は、コゴナダ監督の作品にもありますね。日本、韓国にも共通していますが、アジアでは家族のつながりが強いようにも感じられます。アメリカで育ったコゴナダ監督にとってもそのような感覚はありますか?

コゴナダ:ありますね。私自身、家族のつながりを重荷のように感じていた時期がありましたよ(苦笑)。

ただ、大人になっていくにつれて、家族とのつながりは、私とこの世界を結びつける錨(船のいかり)のひとつだと気づきました。これは普遍的なことだと感じます。アジアにおける「家族」の概念は、たしかにアメリカやヨーロッパとは違う気がしますが、同時にユニバーサルなものでもあると思うんです。

家族とは、人が初めて接触する他者であり、初めて帰属する共同体である、そのことはどの社会でも変わりませんから。だからこそ家族が崩壊したり、家族の一員を喪失してしまったりすると大きな苦しみや悲しみを感じるのでしょう。

コゴナダ:じつは「家族が単なる重荷ではない」と気づかせてくれたのも、小津安二郎の映画だったんです。

私の両親はとてもアジア的な人なんですが、小津作品の持つなにかが、アメリカ社会のなかで孤独を抱えてきた私に「家族」というコンテクストを思い出させてくれたのです。

あと祖父母がアメリカに一度だけ遊びに来てくれたことがあって、このときのことは私のなかにいつまでも残っています。小津作品など特定のタイプの映画に出会うと、いつもその思い出が私のなかで思い起こされるんです。

K-POPやアニメが北米で受け入れられる一方、「アジアらしさ」は「商品」のようになっている

―『アフター・ヤン』では、ジェイク(コリン・ファレル)が茶葉を販売していたり、夫婦でラーメンを食べる場面があったりするなど、白人男性・黒人女性の夫婦がアジア文化を好んでいました。監督のアジアに対する視線が反映されているものなのでしょうか?

コゴナダ:そうですね。私は人生の大半をアメリカで過ごしましたが、アメリカでは「アジア的なもの」というのは、ある種の「商品」のような位置づけになっていると思います。「アジアらしさ」という曖昧な概念は、具体的なアジア人の生活、アジア人がつくりあげた文化を指すわけでなく、「つくりもの」のようにもなっています。

そうした環境のなかで、小さな頃から「自分のなかにあるアジアらしさとはなんなのか?」と悩みながら生きてきました。いまでこそ、K-POPや、アニメといったアジア圏の文化は影響力を増していて、アメリカに入ってきやすくなっています。アメリカ人もごくごく普通に生活の一部として消費していますね。

コゴナダ:一方で、アジア文化のユニークさを明確にするのが難しくなってきている。『アフター・ヤン』には、そうした考えが反映されているシーンが散りばめられています。

たとえば、冒頭でコチュジャンなどを使った韓国料理を家族で食べているシーンの食卓には中国茶がありますね。アジアといっても多くの国や文化がありますが、この作品で登場するアジアの要素はひとつに絞りたくなかったんです。アメリカで「アジア的なもの」を構築している、さまざまな要素を散りばめたいと思いました。

この映画における「ヤン」は、その究極のかたちだといえます。AIであるヤンは本来アジア人ではありませんが、AIメーカーが「アジア人の兄」という言葉から連想するもので構築されていますから。そういう要素のすべてに、私自身が共感しながら、私自身「アジアらしさ」について思いを巡らせていたんです。

―今回、音楽を担当されたAska Matsumiyaさんや坂本龍一さんは、Mitskiさん同様にアメリカでも活躍されるアジア出身の音楽家たちです。この人選は作品のテーマに従って選ばれたんでしょうか?

コゴナダ:私は坂本やMatsumiyaのファンで、その曲に心を動かされてきました。3人とも、孤独さや社会から外れてしまった人に対する、共通した感性があると思います。そして、その感性はこの映画にぴったりだと思ったんです。

全員がその感性を映画に貢献してくれました。しかも、驚きをくれるような複雑かつ美しい作品で映画を彩ってくれたと感じています。

坂本龍一が手がけた『アフター・ヤン』のメインテーマ“Memory Bank”を聴く

優れた映画作品は私たちになにをもたらすか? 監督にとって、映画が大切だった理由

―『アフター・ヤン』はアイデンティティーが迷子になる者たちの話でもあります。人間とAIの区別が曖昧になるジェイク、養子のミカ、過去の記憶が消されているヤンなど。コゴナダ監督も、そのようにアイデンティティーに迷いを感じたり、それによって戸惑いを感じたりした経験はありますか?

コゴナダ:そうですね……私のアイデンティティーというのは、必ずしも明確なものではありませんでした。

私が子どもの頃、近所に私の家族以外のアジア人を見かけない土地に住んでいたので、いわば「島で暮らしている」ようだった。人種的な意味でアメリカにおける孤島のような環境だったんです。

―それがさきほど監督がおっしゃっていた「漂っているような気分」の背景にあるのですね。

コゴナダ:そう感じているのは私だけではないかもしれないと思うんです。現代に生きる人たちは周囲を見回して、みんな葛藤を抱えているのではないでしょうか。

周囲を見回すことは、自分がどんなつながりに属するか、自分が何者なのかを知るきっかけになります。それにアイデンディティーの一部を占める場所や存在の感覚は、記憶とも大いに関係しています。

―ヤンがテクノと呼ばれる人型AIのなかでも特別な存在であったのは記憶が残っていたからですね。この作品では、アイデンティティーの拠りどころとして、「出身」や「人種」「血縁」よりもむしろ、「過去の記憶」に重きが置かれているように受け取れました。

コゴナダ:まさに。私がこの映画をつくるにあたって、地域や人種よりもむしろ「記憶」こそが重要でした。私の両親は韓国や日本で過ごした記憶が数多くありますが、私の場合は韓国や日本の記憶はごく幼いときのものしかなくて、大半はアメリカでの記憶で占められています。

だからこそ、そこに葛藤が生じるのです。私たちの記憶は地域や時代に縛られたものなのか、それともそれを超えたものになりえるのか。その答えは私にはわかりません。ただ、アートはその答えを追求するひとつの手段だと思います。だからこそ私はアートが好きだし、アートをつくる側にもなっているのです。

Aska Matsumiya『After Yang (Original Motion Picture Soundtrack)』を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

コゴナダ:たとえば私の場合、映画がアイデンティティーの多くの部分を形成してくれたと思います。映画というのは、地域や時代の外側にありますよね。

日本の小津安二郎(1903年生まれ)、イランのアッバス・キアロスタミ(1940年生まれ)、フランスのロベール・ブレッソン(1901年生まれ)……彼らのような優れた映画監督はそれぞれ異なる地域や時代に存在しましたが、彼らの作品は等しく私の記憶の一部になっています。

それは、映画が与えてくれるギフトだと思うんです。最高の映画は、心を強くとらえ、心のなかにとどまり、やがて記憶に近いものになってくれます。では映画のようなアートは、どこでどう記憶を形成していくのか。それは何気ない毎日の生活においてなのです。私はそうしたことを『アフター・ヤン』を通じて掘り下げようとしていたんです。

息子、父親、映画監督……「自分が何者であるか」はつねに流動的であっていい

―長く「命綱がない」ような気分だった監督は、映画によって救われたのですね。現在、SNSなどの登場もあり、若い人はアイデンティティーで葛藤する部分がより大きいように感じます。そうした時代に、生きるうえで大切にしたいと感じるものはありますか?

コゴナダ:私からも質問ですが、あなたのアイデンティティーはどうなんでしょう? 「ライター」なのか、「日本人」なのか、それとももっと家族などプライベートなものなのか……興味があります。あなたの主なアイデンティティーの感覚はどこにあると感じますか?

―私は職業が最初にくるかもしれません。

コゴナタ:そのアイデンティティーには安心感を覚えますか?

―家族の前や、学生時代の友人の前など、状況によってアイデンティティーが揺らぐことはありますね。

コゴナタ:なにかにアイデンティティーを感じる、あるいはいくつかのアイデンティティーのなかで優先順位があるというのは興味深いですね。それはつねに流動的なものでもありますから。たとえば状況が変わったら、なにが自分を映画監督たらしめるのかも変わります。

若いときは、まだ「映画監督」としての自分が確立されていなかったので、それが不安の材料にもなりました。まだ誇りを持った成果もないときに、「職業はなんですか?」と尋ねられるのは居心地がよくないものです。職業はアイデンティティーの源のひとつだったりしますから。

コゴナタ:そういう意味で、いただいた質問に対する明確な答えは見つかっていません。私自身、毎日が「自分が何者であるか」という問答の繰り返しですからね。ソーシャルメディアもアイデンティティーのひとつの側面になってきていますが、より重要なことは、私たちが昔からずっとさまざまな役割を演じてきたということ。

実家にいるときの私は「息子」だけど、違うところにいるときは別の自分になります……たとえば、新しい企画が立ち上がった途端に私は「映画監督」になる。でも一度、家に帰ると「父親」になります。だから、いつも流動的なのです。

私はアイデンティティーがつねに流動的であるところにこそ、魅力を感じながら毎日それと苦闘しているのだと思います。

作品情報
『アフター・ヤン』

2022年10月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開

監督・脚本・編集:コゴナダ
原作:アレクサンダー・ワインスタイン『Saying Goodbye to Yang』
音楽:Aska Matsumiya
オリジナルテーマ:坂本龍一

出演:
コリン・ファレル
ジョディ・ターナー=スミス
ジャスティン・H・ミン
マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ
ヘイリー・ルー・リチャードソン

配給:キノフィルムズ
プロフィール
コゴナダ
コゴナダ

韓国・ソウル生まれ。クライテリオン・コレクション、ブリティッシュ・フィルム・インスティテュートからの依頼を受け、数多くのビデオ・エッセイを制作。その主な作品には『Ozu: Passageways』(2012年)、『The World According to Koreeda Hirokazu』(2013年)、『Wes Anderson: Centered』(2014年)、『Hands of Bresson』(2014年)、『Eyes of Hitchcock』(2014年)、『Mirrors of Bergman』(2015年)、『Godard in Fragments』(2016年)、『Way of Ozu』(2016年)などがある。モダニズム建築の街として知られるインディアナ州コロンバスで撮影を行った『コロンバス』(2017年)で長編デビュー。同作品はインディペンデント・スピリット賞3部門にノミネートされるなど、多くの批評家から称賛された。また、2022年にはApple TV+配信のシリーズ『Pachinko パチンコ』で、ジャスティン・チョンとともに監督を務めた。小津安二郎を深く敬愛していることでも知られている。



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