ドラマ『silent』を、中途失聴者はどう見た? 「聴力を失ったとき、『社会は聞こえる人が中心』だと思った」

フジテレビ系列で放送中のドラマ『silent』が話題だ。川口春奈演じる主人公の紬が高校時代の恋人・想(Snow Manの目黒蓮)と再会し、新たな関係を築きあげていくラブストーリーだが、想は高校卒業後に完全に聴覚を失った中途失聴者だ。

聴覚障害がテーマになった本作について、小学4年で右耳を失聴し、中学から高校時代にかけて左耳も聴力を失ったユニーバサルデザインアドバイザーの松森果林さんに綴ってもらった。

※第8話まで視聴した時点で執筆しています

「伝えたい気持ち」と「伝えたい相手がいる」、これがあれば想いを紡ぎあえる。『silent』が教えてくれること

ドラマ『silent』、毎回とっても楽しみにしています。想の繊細さ、紬のまっすぐさ、湊斗の「主成分優しさ」のまなざしや、奈々の寄り添う力。脇を固める古賀先生や春尾先生、家族や友人も含めて、それぞれの立場の心情が丁寧な脚本によって1話ごとに紡がれています。

『silent』を見て改めて感じたのは、「伝える・伝わる・伝え合う」ことの本質とはなにか? ということです。

聞こえる、聞こえないといったことはそれほど関係ありません。聞こえる耳を持っていても話を聞かない人もいるし、話せるのに伝えようとしない人もいる。相手が外国人だとわかったとたん話せなくなってしまったり、相手が障害者だとわかるとフリーズしたり戸惑い、焦る人も多くいます。相手の話に耳を傾け、対話ができないことから争いにつながることすらあります。

でも、本来、コミュニケーションというものはとてもシンプルなはずです。目と目を合わせる、たったそれだけで安心できる。温かな眼差しをそそぐ、それだけで愛を伝えられる。指先の微細な動きの変化でその人の関係性だって表現できる。言葉を超えた視線の先に、一緒に見て行ける世界がある。

「伝えたいという気持ち」と「伝えたい相手がいる」。これがあれば、私たちはいろんな方法で想いを紡ぎ合うことができる。そんなことを『silent』は教えてくれると思いました。

『silent』 第9話の予告

「聴覚障害者」のイメージをたずねると、多くの人が「まったく聞こえない人」、「手話を使う人」などと答えます。でも、『silent』のなかでも、手話を母語とする「ろう者」の奈々(夏帆)がいて、「中途失聴者」の想がいるように、一人ひとり多様性があることを知ってほしいです。

聞こえにくい「難聴者」は軽度・中等度・重度・高度とさまざまですし、補聴器や人工内耳などで残存聴力を活用する人もいます。同様に、手話、筆談、口話、音声認識アプリ、ボディランゲージなど、コミュニケーション手段もさまざまです。手話で話す人、手話を使わない人、手話を知らない人、声で話す人、声を使わない人、聴力に頼る人、聴力に頼らない人……。多様な選択肢があり、そして、それらは本人のアイデンティティーにも関わっています。ちなみに、聞こえる人のことは「聴者」などと表現されます。ドラマ『silent』では、多様な当事者が監修やアドバイス、キャストとしても関わっているからリアルが伝わります。

『silent』には、ろう者の俳優である江副悟史さん、那須映里さんが出演している。

聞こえる世界、聞こえにくい世界、聞こえない世界。松森さんが体験した3つの世界

私自身は「話せるけれど聞こえない中途失聴者」です。

小学4年生で右耳が聞こえないことに気づき、中学生から左耳の聴力が徐々に低下し、高校2年生の終わりにほとんど聞こえなくなりました。原因は不明です。つまり、聞こえる世界、聞こえにくい世界、聞こえない世界、この3つを17年間で体験したことになります。

突然に、そして少しずつ聴力を失うということは、私にとっては聞こえていた自分が少しずついなくなるということでした。自分は聞こえていたいと思うのに、自らの意志とは関係なく音が遠ざかります。それは砂浜の砂をすくっても、すくっても、指の間からさらさらと零れ落ち完全につかむことができない様子に似ています。聴力を失っていく身体と、それについていけず置き去りにされる心。それぞれが違った方向に引き裂かれるような痛みにもがき苦しみ、やがて残されたのは「聞こえなくなった耳」、音を失った身体の自分でした。

まるで冷たい湖の底にいるような孤独感。この身体でどう生きていくのか問われます。「なぜ私が?」「音を失った身体で生きていく意味とは?」――。高校2年で失聴した私は、何度自問自答してもわかりませんでした。

「聞こえなくなった耳」はコミュニケーションの困難さを生み出し、それまで当たり前にあった生活や楽しみが困難になっていきます。「学校で授業を受ける」「音楽を聴く」「友達との長電話」など一つひとつあきらめ、手放し、最後には周囲とのつながりさえも保てなくなります。

当時は進路のことを考えなくてはならない時期でした。進学を希望していた専門学校が2校ありましたが、どちらからも「聞こえない人を受け入れた前例がない」という理由で断られました。障害者差別解消法が施行した現在なら考えられないことですが、当時は「聞こえる人が中心の社会なんだ」と思いました。音を失い、コミュニケーション手段を失い、進路を絶たれ、自分が生きている意味がまったくわからなくなった17歳の絶望です。

誰かとつながりたい。そして、自分自身とつながりたい。そんな希求を心の奥深くにしまい込みました。

そんなとき、国内で唯一視覚・聴覚障害者が学ぶための国立大学があることを知りました。茨城県の筑波技術短期大学(現 筑波技術大学)です。それまで聞こえる人のなかで生活してきた私は、大学で初めて自分以外の聴覚障害者と出会い、手話と出会い、聞こえなくても学べる環境のなかで「聞こえない私」としての人生を再構築していきました。

私は大学入学と同時に聴覚障害者の世界に飛び込み、それまでの友人達とは一部を除いてまったく会わなくなりました。『silent』のなかで、想が一方的に周囲との関係を断ち切ったように。

「苦しいのは自分だけならよかった」。想や、家族の言葉から感じること

『silent』の第2話で、想が「耳が聞こえなくなるだけならまだよかった。自分が苦しむだけならまだよかった」と話すシーンがあります。このセリフに共感しました。

少しずつ音を失うことについて、「怖い」「悲しい」と表現されることが多くありますが、私自身はそのように思ったことはありません。

それよりも、私が聞こえなくなっていくことで、両親や家族や周囲を悲しませることの方がつらかった。「また聴力が落ちてきた」と伝えることで相手を悲しませるなら隠しておこう、そう思ったことも数知れずあります。

想が、車で送ってくれた母親に対して、一言「ごめんね」と伝える場面があります。その一言には、お母さんを悲しませてごめんね、苦しませてごめんね、迷惑をかけてごめんね……など、想のいろんな思いが詰まっているように感じ、私も胸が痛かったです。

『silent』予告映像より。想は母の律子に「ごめんね」と伝える。

同じように、第2話で再会した紬に病気のことを黙っていた理由を打ち明けるシーンがあります。

想は文字で「悲しませたくなかった」と伝えます。紬はコミュニケーション支援アプリの「UDトーク」で、想は文字入力で、お互いスマホの画面を見ながらも相手の目を見つめ、しっかりと向き合うことで、別れてから8年を隔てていたものの根底にあった思いをようやく伝えることができた場面です。

理不尽な想いを重ね、ちょっとしたことに傷つき、そんな経験を重ねれば重ねるほど、自分以外の人を苦しませたくない、悲しませたくない、そう思うのです。相手が大切であればあるほど、「苦しいのは自分だけでいい」と思うのです。

篠原涼子さん演じる想のお母さんが、台所で号泣する場面もとても印象的でした。自分の子どもが病気や障害を負うと、親は「自分の責任かもしれない」と思ってしまうものです。

私の両親も「できることならば変わってあげたい」と言っていたのを覚えています。私もいま、母親という立場になり、当時の両親の気持ちがよくわかります。

ドラマのなかでお母さんが「誰のせいでもないことがいちばん厄介」なんだとつぶやく場面があります。

ほんとうにそうなんです。「誰かのせい」であれば、怒りや悲しさをぶつけることができます。でも、それは「誰のせい」でもなく、原因もわからない。だから心の内に蓄積された思いは行き場をなくします。自分に向かい、涙となってあふれ出てくる想いを、篠原涼子さんは見事に演じていると思いました。

妹の萌ちゃんも存在感があります。家族のなかで誰よりも先に手話を覚えようとしたのかな、と感じます。萌のような、聞こえるきょうだいのことを「SODA」といいます。「Sibling Of Deaf Adults / Children」の略称で、「SODAの会」も注目されています。

きょうだいのなかに障害や病気を持つ家族がいると、親としての責任感からどうしてもそちらに集中してしまいます。そのために、きょうだいたちは寂しさを感じたり、もっとこっちを見てほしいのに、と取り残されたような気持ちになってしまったりする。ヤングケアラーの問題にもつながるのですが、きょうだいの抱える悩みなど、身近な存在だからこそ生じるデリケートな問題が、『silent』では萌の言動を通して丁寧に描かれています。

「つながること」の喪失と再構築

聴力を失った想は、恋人の紬、親友の湊斗など、高校時代からの知人との関係を断ち切り、心を閉ざします。しかし、人生には必ず新たな「出会い」があります。

想はろう者である奈々と出会い、それまで誰にも言えずにいた苦しみ、悩み、葛藤などを打ち明けました。作中では、奈々がそれをただ静かに聞き容れる場面があります。第6話で、想が奈々のことを「大事な人」と伝える場面がありますが、このときの表情や動きにすべての思いが込められていると感じました。

私自身も、「聞こえない私」として人生を再構築できたのは自分以外の聴覚障害者の存在を知ったことでした。

彼らがどのようにコミュニケーションを交わし、どのように朝起きて、どのように学校で学び、生活し、仕事をするのか? そんな様子を知り、初めて「音を失った身体で生きていく」イメージができてくるのです。そのつながりは、「音を失ったこの身体」と、「置き去りにされていた心」が少しずつ融和していくことでもありました。

いまは、聴力を失って30年が経っています。聞こえる世界と聞こえない世界、両方を知ることを強みに、だれもが暮らしやすい社会にするためのユニバーサルデザインのアドバイザーとして、空港からエンターテイメントまで、講演活動や研修講師など幅広く関わっています。

日常生活では声を出しますし、歌い、笑い、相手によって手話、筆談、音声認識アプリなど、あらゆる方法でコミュニケーションをとって音のない世界を楽しんでいます。私にとって、「声」は「聞こえていた時のわたし」が身につけたコミュニケーション手段。「手話」は聞こえなくなってから身につけたコミュニケーション手段。どちらも必要なものとして大切にしています。

手話通訳や文字通訳は「誰のため」?

『silent』では、手話や筆談、アプリなど多様なコミュニケーションが出てきます。

講演などで「手話通訳や文字通訳はだれのため?」と尋ねると、多くの人が「聴覚障害者のため」だと答えます。しかし、本当にそうでしょうか?

実際に私たちは手話や文字を使ってコミュニケーションをとりますが、手話通訳というのは、手話が「できない・わからない人」の話を手話で「通訳」して、私たちに伝えてくれる仕事です。また、ろう者の手話を読み取り、音声に通訳して、手話がわからない人に伝える役割もあるのです。つまり、お互いが対等にコミュニケーションをとるために、どちらにとっても必要な存在なのです。このことを覚えておいてほしいのです。

さらに、『silent』では手話ができない人たちが想と会話をするために、音声認識アプリの「UDトーク」を使っています。これも、聞こえない人のためではなく、「聞こえない相手に伝える」ために「聞こえる人が使うもの」として演出されているのが素晴らしいと思いました。

少し個人的な話をすると、このUDトークを開発した青木秀仁さんは友人であり、初めて私と会ったとき、私は声で話したものの、彼は手話ができませんでした。そこで、自分の話しを音声認識で文字化するアプリを開発したのです。

青木さん自身も、今回のドラマのなかで自分が開発した意図が明確に伝わっていることを喜んでいました。私自身も普段の生活で手話ができない相手と話すときにこのアプリを使ってもらっています。音声認識の質は高く、ニュースを見ていると、国会議員の囲み取材のニュースなどで録音機器の代わりにUDトークで発言を拾っている記者を見かけるほどです。みなさんもぜひどんどん使ってみてください。

音のない世界と音のある世界をつなぐもの。変わるべきは社会

私自身が聴力を失ったとき、「社会は聞こえる人が中心なんだ」と思いました。

聞こえなくなっただけで、日常や学校生活、趣味や進学、そしてコミュニケーションなどあらゆることにバリアを感じる日々で、聞こえないから仕方ないとあきらめていました。

このように当事者の「身体」に原因があると考えることを「医学モデル」といいます。コミュニケーションがとれないのは「聞こえないから」だと声を出し、口の形を読みとり、聞こえる人と同じようにと努力を求められ、多数派に合わせていく考えです。

でも、聴覚障害者が学ぶための環境が整った筑波技術短期大学に入学し、手話通訳や文字通訳が当たり前の環境で学ぶなかではバリアを感じることがありませんでした。私の身体は変わっていません。でも、場所や環境が整っていればバリアを感じることなく、その人の人生すら違ったものになるのです。これを「社会モデル」といいます。

個人の「身体」ではなく、原因は「社会」にあるという考えです。コミュニケーションがとれない原因は「コミュニケーション方法がちがうから」として、ともに手話を学んだり、文字での情報保障を整備し、聞こえなくても安心して暮らせる環境を整備したりすることが求められます。つまり、私たちが生きにくさを感じるバリアは私たちが原因になっているのではなく、社会や環境がつくっているものなのです。

だから、『silent』を見ている人たちには、日常生活のあらゆる場面、電車のなかで、駅で、学校で、コンビニで、「こんなとき聞こえない人がいたらどうするんだろうか?」と思いを馳せ、想像してみてほしいのです。そうやって自分の生活と重ね合わせ、自分にできることは何だろうかと考えてもらえるといいなと思うのです。「目黒蓮君や川口春奈さんの手話を理解したい!」と手話という言語に興味をもったり、音声認識アプリを試してみたり、それだけでも嬉しいのです。

もしかしたらあなたが明日聞こえなくなるかもしれない。

そのとき、かつての私のようにあきらめたり、絶望することのない社会にしたいのです。

これまで他人事だったことを自分ごとにすることができる力が、このドラマにはあります。『silent』を見て感じた想いを、だれかと紡ぎ、つながっていけたらいいなと思います。

最終回で終わってほしくない作品です。

参考資料:「障害」ある人の「きょうだい」としての私(岩波ブックレット、外部サイトを開く

ドラマ『silent』
2022年10月6日からフジテレビ系「木曜劇場」枠で放送中の『silent』は、生方美久の脚本によるオリジナルドラマ。12月8日に第9話放送。
イベント情報
『ダイアログ・イン・サイレンス ウィンター2022』 12月10日より開催

松森さんが紹介してくれた「ダイアログ・イン・サイレンス」は、音のない世界で、言葉を使わずに対話を楽しむ新感覚エンターテイメント。参加者は音を遮断するヘッドセットを着用し、90分のあいだ音声や手話などの言葉を使わず、表情やボディランゲージ、アイコンタクトなどさまざまな方法でコミュニケーションをとる。音声に頼らず対話をする聴覚障害者がアテンドを務める。

「ことばを使わないので、参加者は身体全部で伝えようとします。全身で相手の伝えたいことを受けとろうとします。『ほんとうの意味でのきく』という対話の本質を感じることができるのです。『silent』を見て、音のない世界に興味を持ってもらえたら、ぜひ音のない世界での対話も体験してみてはいかがでしょうか」(松森さん)

住所:アトレ竹芝シアター棟 1Fダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」東京都港区海岸一丁目10番45号
プロフィール
松森果林
松森果林

聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐUDアドバイザー/日本財団電話リレーサービス理事。 小学4年から高校時代にかけて聴力を失った中途失聴者。筑波技術短期大学在学中、東京ディズニーランドのバリアフリー研究を行い(株)オリエンタルランド勤務等を経て独立。聞こえる世界と聞こえない世界両方を知る立場から「社会の課題を楽しく解決したい」と講演活動や、「テレビCMにも字幕を」実現取組に29年注力するほか、羽田空港、成田空港のUDや研修講師等に関わる。2017年ドイツ発祥、静寂の世界で言葉の壁を超えて対話を楽しむ『ダイアログ・イン・サイレンス』を企画監修し日本初開催を実現、現在も「ダイアログ・ダイバーシティミュージアム対話の森」に従事。代表作に『音のない世界と音のある世界をつなぐ―ユニバーサルデザインで世界を変えたい!』(岩波書店)



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