「これは映画ではなく運動なのだ」黒人少年リンチ事件の実話描く『ティル』、30年におよぶ製作の闘い

1955年8月、14歳の黒人少年エメット・ティルが、自宅のあるシカゴから、親戚が住むミシシッピ州マネーを訪れ、凄惨なリンチを受けて殺害された。小さな飲食雑貨店を訪れた際、白人女性のキャロリンに向けて口笛を吹いたことが、白人たちの怒りを買ったというのだ。

キャロリンの夫ロイ・ブライアントと、その兄J・W・ミランは、就寝中のエメットを強引に連れ出し、激しい拷問を加えたあと銃殺。タラハシー川に捨てられた遺体は、その3日後に発見された。エメットの母親メイミーは、この事件を世間に知らしめようと懸命に行動するが、ブライアントとミランは白人のみで構成された陪審員によって無罪となっている。

映画『ティル』は、この「エメット・ティル事件」を初めて劇映画化したものだ。脚本・プロデューサーは、生涯にわたりこの事件に取り組みつづけるキース・ボーシャン。監督を務めたドキュメンタリー映画と製作のための膨大な資料は司法省をも動かし、2004年には事件の再審が実現している。

「エメット・ティルの物語は、アメリカの公民権運動において非常に重要です。ところが、アメリカ人でさえ、この物語を知らない人たちがたくさんいる」。約1時間におよぶ取材の冒頭で、ボーシャン氏はこう話した。

なぜ、この事件を語りつづけるのか。エメット・ティルと母親メイミーの物語を、劇映画として伝える意義とはなにか。2003年に逝去したメイミー本人と公私にわたり親交を深め、その遺志を継いで活動をおこなうボーシャン氏が、映画『ティル』実現までの道のりと、生涯をかけた仕事への思いをたっぷりと語ってくれた。

12/15(金)公開 映画『ティル』本予告編(30秒版)

「忘れられるべき物語」として扱われてきたエメット・ティル事件

―エメット・ティル殺害事件は、残念ながら日本で広く知られている事件とは言えません。はじめに、この事件がなぜアメリカの歴史上重要なのかを教えていただけますか。

ボーシャン:エメット・ティルの事件がなければ、アメリカの公民権運動はまるで違ったものになっていたかもしれません。ローザ・パークスは、バスで白人に座席を譲らなかったのは、エメットのことが思い浮かんだからだと教えてくれました。当時26歳だったキング牧師がボイコットに取り組んだのも、ローザの行動だけでなく、その直前にエメットの無惨な死があったからです(※)。1955年は選挙の年でもあり、彼はエメットの事件が脅威となり、黒人たちを投票から遠ざけかねないとも考えていました。

エメット・ティルの物語は、歴史的に正しい文脈で語られなくてはなりません。しかし、残念ながらその物語を知らないアメリカ人はたくさんいます。性別と人種の問題であるがゆえ、意図的に「忘れられるべき物語」として扱われてきたのです。しかし、実際にエメット・ティルは公民権運動のきっかけとなった存在でした。

※エメット・ティルを殺害した罪に問われたブライアントとミランに無罪判決が下された2か月後の1955年12月、アラバマ州モンゴメリーの市営バスで、黒人女性のローザ・パークスが白人乗客に座席を譲るよう求められ、これを拒否して逮捕された。この事件をきっかけに、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師らがバスの利用を見合わせるよう呼びかけ、ボイコットは1年以上にも及んだ。

ボーシャン:映画界でも68年間にわたり、多くの人々がエメットの事件を映画にしようと試みてきました。母親のメイミー・ティル=モブリー自身も1956年に映画の契約を2本結びましたが、当時の情勢を鑑みると難しかった。無罪判決後にブライアントとミランに罪を告白させたジャーナリストのウィリアム・ブラッドフォード・ヒューイも映画界とのつながりがあり、彼が2人に支払った取材料の4,000ドルには、この物語を映画化する契約金も含まれていたのです。

脚本家のロッド・サーリングもエメット・ティルのテレビ映画をつくろうとしましたが、ハリウッドの業界的構造ゆえに実現できず、その怒りが『トワイライト・ゾーン』(1959年~1964年)をつくるきっかけになりました(*1)。かの有名な小説『アラバマ物語』(『ものまね鳥を殺すのは』)も、著者のハーパー・リーにインスピレーションを与えたのはエメット・ティルでした。

たとえ広く知られていないにせよ、エメット・ティルの存在は日常のなかにある。それにもかかわらず、少なくない人々はエメット・ティルの真実の物語を知りません。私に言わせれば、それは権力者たちが新たな変化の可能性におびえているせいなのです。

「思春期の頃からエメットを親しい友人のように感じていた」 エメットの母との関わり

―ご自身がエメット・ティル殺害事件を知り、母親のメイミーさんと関係を深めてきた経緯をお聞かせください。

ボーシャン:この映画をつくるのに29年もの時間を要しました。私は10歳でエメット・ティルの事件を知りましたが、公民権の弁護士になりたいと考えたのは高校卒業の2週間前。自分自身が人種差別を受けたことから、大学で刑事学を学びはじめたのです。

しかし大学3年生のとき、親友から映画製作の道を紹介されました。親友はニューヨークの映画製作会社で働きはじめ、私も両親を説得して大学を休学し、ミュージックビデオをつくり、映画のキャスティングをするようになったんです。しかし、「これでは自分のコミュニティに何も還元できない、自分が本当にやりたい仕事ではない」とも感じていました。周囲はフィルムメイカーになる夢を追っていましたが、私は同じ夢を見られなかったのです。

ともかく、映画製作という選択肢が自分の人生に現れたことは確かです。その後、1990年代初頭に、とある会社の会議で「君に伝えたい物語はあるか? それはどんな物語だ?」と尋ねられました。そのとき、最初に思い浮かんだのがエメット・ティルだったのです。思春期の頃からずっと、私はエメットをまるで親しい友人のように感じていましたから。

ボーシャン:当時からアフリカ系アメリカ人のコミュニティには、自分たちの物語や歴史を誰が語り伝えてゆくのかという議論がありました。今日の「文化の盗用」に関する議論と同じです。それゆえ私は、この問題に取り組むならエメットの母親に認めてもらうべきだと考えました。オンラインでエメット・ティル財団の情報を調べて――当時はまだダイヤルアップの時代でした――メイミー・ティル=モブリー夫人の連絡先を知ると、電話をつかんでその番号にダイヤルしたのです。

ところが、いざ電話にメイミー自身が出ると、私は電話を切ってしまいました。20代前半の私は、彼女がどんな人生を送っているのかを知らなかったし、本人が望まないままトラウマを思い出させたくなかったのです。勇気を出してふたたびダイヤルし、電話を切ったことを謝り、思わず不安になってしまったのだと告白しました。彼女が理解してくれたおかげで、ようやく私は自分自身の話と、エメット・ティルの物語を映画にしたいことを伝えることができた。それが1995年のことで、電話は2時間半にも及びました。

翌年、私は初めて彼女と対面しました。クリスマスの2週間前に、シカゴにある彼女の自宅を訪れたのです。子どもの頃からエメット・ティルの写真は見ていましたが、メイミー・ティル=モブリーが暮らす家に招かれ、キッチンに立つ彼女が満面の笑みを浮かべていて――のちに彼女は、その初対面の瞬間を「一目惚れ」と表現してくれました。彼女は、若い人が息子の物語に興味を持っていることを喜んでくれたのです。

それから私たちは親しくなり、彼女は私をアクティビストとして、またフィルムメイカーとして指導してくれました。当時の私は、得意分野を見つけて自分の存在を証明したいと考えていた時期で、彼女に受け入れてもらえたことは本当にありがたかった。8年半にわたり、メイミー・ティル=モブリーは私の先生であり友人でした。敬意を込めて、私は「マザー・モブリー」と呼んでいました。

―映画の主人公は母親のメイミーさんです。ご本人と親しかったあなたが、彼女たちの物語を劇映画にするうえで強くこだわったことを教えてください。

ボーシャン:まさしく、メイミー・ティル=モブリー夫人の視点で物語を描くことでした。凄惨なリンチで息子を失った彼女は当時33歳で、事件から裁判までは、すべて1か月以内の出来事です。今日、子どもを亡くした母親が法的手続きをすべて終えるのにどれだけの時間がかかるか想像できますか? それを乗り越えられたとして、同じような人間でいられるでしょうか?

私自身が映画の脚本を執筆したことには大きな意味がありました。私はマザー・モブリーと長い時間を過ごした、作品の題材にもっとも近い人間であり、私がフィルムメイカーになった唯一の理由がエメット・ティルの事件だったのです。キャリアの目標は、この事件のドキュメンタリー映画と、長編の劇映画を両方つくること。正義を求め、アクティビストとしても闘ってきた私は、劇映画をツールとして、エメット・ティルの事件と現在もつづく正義のための闘いを広く伝えたいと考えてきました。

だからこそ、この映画を正しいかたちで完成させる必要があったのです。私の望みは、師であり友人のマザー・モブリーをスクリーンに甦らせ、ふたたび世界に紹介すること。彼女を主人公とした物語を正しく描ければ、人々に刺激を与えられると確信していました。同時に、エメット・ティルの物語をしかるべき文脈と歴史に位置づけることもできると。

なぜいまこの物語を語るのか。「私たちは新しい公民権運動を切望しているが、まだ実現していない」

―エメット・ティルの事件を伝えることは、あなたにとって「人生の仕事」なのだと思います。そのモチベーションを長年継続できた理由と、いまこの物語を語ることの意義をお聞かせください。

ボーシャン:マザー・モブリーは生前、「人々の意識が変わるまで、私たちはエメットの物語を語りつづけなくてはならない。そのとき初めて、エメットにも正義がもたらされるから」とよく話してくれました。しかし、まだ若かった私にはその意味が理解できなかった。この物語を伝えはじめて30年近くが経った今では、彼女が伝えたかったことがはっきりとわかります。

私ひとりがどれだけ長く、どれだけ懸命に正義のために闘ったとしても、今日起きている「別のエメット・ティル事件」をすべて止めることはできません。昨今のアメリカで、無実の黒人や褐色人種の人々が、白人至上主義者や警官たちに殺されていることはみなさんもご存知だと思います。私たちが目にしているのは、1955年にエメット・ティルに起きたことと何ら変わらない。犠牲者はみな今日のエメット・ティルなのだ――マザー・モブリーはそのことを伝えたかったのだと思いますし、それこそがいま、この物語を語る理由です。エメット・ティルの物語ほど、今日の政治的・人種的な情勢に深くつながるものはありません。

この映画は、現在と1955年の出来事をつなげ、アメリカという国で起こり続けていることを人々に知らしめ、ふたたび大きな変化を起こすきっかけとなりうるものです。私たちは新しい公民権運動を切望していながら、それはまだ実現していません。Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)運動が起こったときは「これこそが次の変化だ」と思いましたが、残念ながら挫折してしまいました。

しかし、公民権運動のような運動が起こらないのは、人々がその運動が起きた経緯を本当の意味で理解していないからです。アメリカにおける唯一の人種的進歩は、黒人の血と汗、そして死を通じてのみ起こったもので、それ以外には一度も起きていない。公民権運動のように、アメリカのみならず世界に影響を与えた運動を求めるのなら、1955年にエメット・ティルの身に起きたことや、その母親の勇気ある行動を理解していなければなりません。

「これはただの映画ではなく、社会運動なのだ」

―「マザー・モブリーをスクリーンに甦らせ、ふたたび世界に紹介すること」が望みだったとおっしゃいましたが、実際に彼女を演じるキャスティングのプロセスはいかがでしたか。

ボーシャン:この映画をつくるまでの29年間、私はずっとハラハラしていました。映画の登場人物は、私が個人的によく知る人たちばかり。彼らはエメット・ティルの事件を再審に持ち込むためだけでなく、事件を描く映画の決定版をつくるため、自分の物語を私に託してくれたのです。そんな人々を演じる役者を選ぶことには――特にマザー・モブリー役の俳優には――高いハードルを課しました。ふさわしい役者たちと出会えなければ、きっとこの映画は実現しなかったでしょう。

だからこそ、ダニエル・デッドワイラー(メイミー役)が参加してくれたのは非常に重要でした。エメット役のジェイリン・ホールや、ジーン・モブリー役のショーン・パトリック・トーマスも素晴らしかった。マザー・モブリーや、彼女とともにいたヒーローたちに、大スクリーンで命を吹き込むことができたことを心から嬉しく思います。

そして何よりも、この物語を伝えるために必要なチームをつくりあげ、映画を完成させた監督のシノニエ・チュクウを私は称えたいのです。キャラクター中心の物語を描くスキルに長けた彼女は、登場人物を観客のみなさんが受け入れられるよう、物語の描き方をすぐに理解し、的確に形にしてくださいました。

―もっとも、映画の完成までにはいくつもの試練があったのではないかと推察します。

ボーシャン:そうですね(笑)。このことに挑戦できたのは、私が若い頃から動いていたからでしょう。公民権運動の指導者や活動家たちのなかには、私に敵対的な人もいました。まだ若い私が、自分の生まれる以前に起きた事件や、エメット・ティルやマザー・モブリーの物語を理解しているとは思われていなかったのです。あろうことか、事件を再審に持ち込むなど不可能だと思われていた。数えきれないほどの失望を経験しましたが、私がドキュメンタリー映画『The Untold Story of Emmett Louis Till(原題)』をつくり、さらなる証拠を提出して事件の再審を実現したあとは、あれこれと言ってくる人たちはもういなくなりました。

ボーシャン氏が発表したドキュメンタリー映画『The Untold Story Of Emmett Louis Till』の予告映像

ボーシャン:私はいつも「これはただの映画ではない、社会運動なのだ」と言っています。事件を再審に持ち込んだあとには、FBIや司法省と連携して、公民権に関連する別の殺人事件についても再捜査と起訴の可能性を確認しました。2006年にはFBIが公民権にまつわる「コールドケース構想(Cold Case Initiative)」を発案し、2008年には「エメット・ティル未解決公民権犯罪法(Emmett Till Unsolved Civil Rights Crime Act)」としてブッシュ政権下で成立、のちにオバマ大統領が再承認しています。過去の事件についても、訴追のために再捜査が必要かどうかを再検討できるようになったのです。

もっとも、すべてはマザー・モブリーが予言していたことです。彼女には予言者めいたところがあり、私が息子の事件を再審に導き、物語を伝える仕事も引き継ぐのだと言ってくれていました。私にとっては、彼女のビジョンをきちんと引き受けることが最大の課題。そして強い情熱とともに、忍耐力と寛容性を持つことも重要でした。ですから、いつかこの地点に到達することはわかっていましたし、映画の完成で途中の失望は報われたのです。

自分の語りたい物語を正確に理解するために、長い時間を要し、さまざまな試練や苦難を経験しなければならないのは奇妙なことです。しかし、時代の変化や新型コロナウイルス感染症、そのなかで起こったさまざまな出来事も、この作品には影響を与えているはず。すべてのことに理由があり、ふさわしいタイミングがあると私は信じていて、実際に映画が公開されたタイミングも完璧でした。

フィルムメイカーとして、アクティビストとして目指すこと

―「エメット・ティルの物語を劇映画にする」という目標を達成した今、新たな目標やビジョンをお聞かせください。

ボーシャン:私はフィルムメイカーを目指したこともなく、業界に入るための苦労もしていないので、この仕事をしていることは神の贈り物だと考えています。私にとって、映画製作はアクティビズムの新しい波です。フィルムメイカーやアーティストには確かな力がありますし、ビジュアル以上に人の心を打つものはありません。エメット・ティルの写真が1950~60年代の公民権運動の指導者や活動家を目覚めさせ、世代を超えて影響を与えつづけているように。

繰り返しますが、これはたんなる映画ではなく、社会運動なのです。また私にとっては現在進行中の、そして今後もつづけていく闘いです。私の作品はすべて、社会になんらかの影響や変化をもたらせるものでなければいけません。今後も人間性(ヒューマニティ)を目覚めさせる映画をつくりたい。そして公民権と人権のために、アメリカのみならず、いまも世界中でつづいている正義のための闘いを伝えていきたいと考えています。

私の願いは、同じ志を持つフィルムメイカーを集め、社会を変えるためのアクティビズム・ツールとして映画を活用してもらうこと。この世界にはたくさんのアーティストがいますが、今の世界に必要なのは「アーティビスト(artivist)」。私たちに問いを突きつける物語を伝え、文化を描くことに積極的に取り組む人たちです。

この映画が日本で公開されることを嬉しく思いますし、人々に刺激を与えられること、そして物語や作品の背景を理解していただけることを心から願っています。これは一種の文化交流であり、多様性のある社会や、寛容性を信じる集団をつくるために必要なこと。私は芸術を通じて、そのビジョンを実現できると信じています。

私たちは誰もが、それぞれの方法で自由の指導者になれる。この作品を通じて、映画という強力なメディアと、映画が現実世界に変化を起こせる可能性を知ってほしいですね。

作品情報
『ティル』

12月15日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国絶賛上映中

製作:ウーピー・ゴールドバーグ(『天使にラブ・ソングを…』)、バーバラ・ブロッコリ(『007』シリーズ)
監督・脚本:シノニエ・チュクウ
出演:ダニエル・デッドワイラー、ウーピー・ゴールドバーグ、ジェイリン・ホール、ショーン・パトリック・トーマス、ジョン・ダグラス・トンプソン、ヘイリー・ベネット

2022年/アメリカ/シネマスコープ/130分/カラー/英語/5.1ch/原題『TILL』/字幕翻訳:風間綾平/PG-12/配給:パルコ ユニバーサル映画 
© 2022 Orion Releasing LLC. All rights reserved.


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