2021年、長期滞在先のカナダで浸潤性乳管がんを宣告された作家の西加奈子。乳がんの発覚から治療を終えるまでの約8か月間を書いた著者初のノンフィクション作品『くもをさがす』は、2023年4月に刊行されて以来重版を重ね、同年11月に丸善ジュンク堂書店による『書店員が選ぶノンフィクション大賞 オールタイムベスト2023』大賞を受賞した。
西は作品のなかで綴る。「乳がん」という病を通じて向き合った、自分自身の肉体と精神のこと。「こうあるべき」という社会の視線から解放された心地よさ、自分をわかったうえでの自己責任によって気づかされたこと。作品内の「あなたの身体のボスは、あなただよ」という言葉にはハッとさせられる人も多いだろう。
賞の受賞式典後、西加奈子が考え続けてきた「自分の身体を取り戻すこと」について話を聞いた。
カナダで「自分がどうありたいか」「自分はなにが好きか」を考えられた
─『書店員が選ぶノンフィクション大賞 オールタイムベスト2023』大賞の受賞、おめでとうございます。
西:ありがとうございます。
─読者や書店員さんから届いた声で印象的だったことに、「どの年代からも、自分の身体は自分のものだと気づけたという言葉をもらった」とおっしゃっていました。まさに、西さんが「自分の身体を取り戻すこと」について考え続けた日々と言葉が綴られたこの本に、非常に力をもらいました。
西:とりわけ(がん)サバイバーの方々からお手紙をいただいたので、胸や子宮といった自分の身体のことを考えざるを得ない方たちの言葉はすごくうれしかったです。
─著書のなかで、東京とカナダの都市・バンクーバーとの景色を比較しながら、東京では自分の身体が脅かされていると感じる場面があったと書かれていました。あらためて、どのような状況で感じたのかうかがえますか。
西:日本に住んでいたときに「脅かされているな」と現在進行形で思っていたわけではないんです。「毛を抜け」「英話を話せ」という広告にあたり前に囲まれている環境だったので、立ち止まって考えることはありませんでした。ただ、東京を離れてみると、あの環境はしんどかったんだなと気づきました。過剰な広告がよく目に入ることで、内面化していた部分もきっとあったので。
─バンクーバーで見る広告は、東京とは全然違っていたと書かれていましたよね。
西:私の英語力が足りず読み取れていない可能性もあると思いますが、カナダは圧倒的に「脅す系」の広告が少ないように思いました。自分のしたいようにしている人が多くて、格好も、楽な着心地を重視していたり、同じ服をずっと着ていたりして、自分を慈しんでいる印象でした。
そこで気づいたのは、ここに住む人たちは、矢印の向きが外から来たものではなくて自分から発信する方向だったということです。自分がどうありたいか、自分はなにが好きかをじっくり考えられる街でした。
健康なときほど、身体が自分のものである自覚が薄い
─カナダで「自分の身体は自分のものだ」と気づくきっかけになったのは、どのようなことが挙げられますか?
西:啓示的な瞬間はいくつかあったんですけど、病気になる前から、歳を重ねてくうちにだんだんと自分の身体がままならなくなっている感覚があり、少しずつ自覚していったのだと思います。
私はもともと頭痛になりにくい体質で、頭痛薬とか「誰が飲むねん」と思うほどでした(笑)。でも、いまは頭痛の辛さが本当に良くわかるようになりました。天気に体調が左右されたり、古傷が傷むようになったり、自分の身体がままならなくなってきて。「私って動物やったんやな」と。
西:私は文章を書く仕事をしているし、おしゃべりも達者なほうなので、身体よりも頭が強い感覚がありました。頭が先立って動いてくれて、身体がついていく感覚。でもきっと、身体はずっと前から教えてくれていたはずなんです、もうあなたは限界だよと。それを「私はいける。私はいける。私はもっといける」とやってきてしまった。
─身体の悲鳴に対して、聞こえないふりをしてしまった。
西:私の場合はラッキーなことに、しこりというわかりやすい印が身体に出たことで気づけました。でも見えない場所だったら、気づかないままだったと思います。
思うのは、健康なときって「自分の身体は自分のもの」だとなかなか自覚できないということ。よくできている「道具」のように思ってしまっていたように、いまは感じます。少なくとも私はコントロールできなくなってはじめて、身体ががんばってくれていたことを実感できました。
「受け取るものがあまりに多いと、自分は何が好きで何がしたいのか忘れそうになるんです」
─身体がままならなくなる恐怖や、その事実を受け入れがたい気持ちとはどう対峙されていたんですか?
西:それは、作家のトニ・モリスンが『スーラ』に書いてくれていました。
─1988年に『ピュリツァー賞 フィクション部門』、1993年に『ノーベル文学賞』を受賞したアメリカの作家トニ・モリスンによる二人の少女の友情をテーマにした作品ですよね。
西:私は、(身体がままならなくなって)すごく寂しかったんです。ランニングが趣味で、あれだけ速く走っていたのに、歩くより遅くなってしまった。でも、モリスンはこの作品のなかで「この寂しさは私のものよ」と書いていました。寂しさも、誰かに与えられたものではなくて、自分だから感じるたった一つの感情なんだと思うと、それだけで尊く思える。
なので、寂しさを乗り越えるというより、一緒にいる感覚が強かったです。寂しさをまぎらわそうとするのではなくて、それも自分なんだなって受け入れることができました。
─そういうふうに思えたのは、どのように過ごしていたからだったのでしょうか?
西:やはり、バンクーバーという街にいたことは大きいと思います。外から入ってくる情報が少なく、どの年齢のどの女性も自由で、好きなことをしているように見えました。
あと、SNSをやっていないことも大きいと思います。私の場合は、受け取るものがあまりに多いと、自分は何が好きで何がしたいのか忘れそうになるんです。
情報に助けられている人がいることは承知のうえで、もし自分の身体との対峙に苦しんでいる人がいたら、情報から離れてみるといいかもしれないですね。
怖いのは、盲目的に誰かの声を内面化してしまうこと
─ツールの良いところも、悪いところもわかったうえで、つき合い方のバランスに悩んでいる人は最近増えているように思います。
西:いつも思うのは、ツールはその人を幸せにするために存在するはずで。SNSによって、独りじゃないこと、生き方は一つじゃないことを知れるようになったのは、素晴らしいことですよね。でも、苦しく感じるようになったら、離れどきかなと思います。
極端な話をすれば、苦しい自分も自分なんですよね。その感情を自覚していることはとても偉いと思います。いちばん怖いのは、本当はそうじゃないのに、自分の意思だと思いこんでしまうこと。
─盲目的に、誰かの発言を内面化してしまう状態。
西:はい……。なので、世界をそこだけだと思わないで冷静であることは大事だと思います。視野を広げる手助けのためにインターネットがあると思うし、多様な考えの出会いの場としてSNSとつき合えたらいいのかなと思います。私の場合は触れないことが健康にいいけれど、それだけが正解だとは思っていないですし。
自分を理解し判断して、責任を持つ
─本著を拝読するなかで、バンクーバーの環境や人々の肯定感の高さが、自分と向き合う大事な要素に思えたのですがいかがでしょうか。
西:バンクーバーで子どもと過ごしているうちに思ったのは、子どもの意見を、一人の人間として尊重しながら話を聞く人が多いということ。日本にもそう意識している場所や、人はいると思いますが、バンクーバーの子どもたちは幼い頃から「自分はどうしたいのか」意見を聞かれ続けていると感じます。結果的に自分と向き合うことになるし、好きなことをやるようになるのだろうなと感じました。
─どんな場面でそう感じられましたか?
西:遊びに来た友人の子どもにごはんを振る舞うと、食べたくない子は「NO」ってきちんと言うんです。日本だと出されたものは食べなさいという考えがあると思いますが、バンクーバーでは自分でどうするか決めることが大切で。いい意味で責任感が強い人が多い印象でした。
─日本では、自分の行動で何か悪い結果となった際に、「それは自己責任だ」と言われることもありますが、そのような「責任」とは違いますか?
西:例えばバンクーバーの病院では、お医者さんが治療法を決めるのではなく、「提案」してくれました。その治療法を受けたいか、受けたくないか、別の方法を考えたいかは、私が決める。なので、自分の身体のことを知っておかなくちゃいけないし、納得できる自分の基準を持つ必要があるんです。
そういう意味でバンクーバーは、日本よりも「自己責任が強い」と感じました。ただ、言葉は同じでも意味は異なるかもしれません。「このような行動をとった自分が悪いのだから、あなたはこうするべきだろう」といった他者から押しつけられた責任と、自分のことを理解したうえで判断し、その結果に対して自分が考えたかたちで責任を持つという意味ではまったく違いますよね。
頼むこと、断ることを怖がらない
─感銘を受けたのが、周囲との共生のあり方です。たとえば、西さんが食事の準備が難しい時期に、ご友人が曜日替わりで食事を届けてくれたり。家族という関係にしばられず、仲間や街ぐるみで助け合うコミュニティのあり方はある種理想的だと思いました。
西:この本を読んだ方からいただいた感想で、「西さんだからこれだけ素晴らしい友人がいて、私にはこんな人たちいない」と落ち込んでしまった、という方がいました。
でも、実際はそれが全てではないんです。もちろん積極的に手助けしてくれた友人もいたけれど、私から一回しか会ったことのない人に頼んだり、頼んだけれど無理だと断られたりしたことも何度もあります。
でもそれで関係が悪くなるということもなくて。頼むことと断られること、あとは頼まれることと断ることに慣れると気持ちも楽ですよね。
─つまり、どういうことでしょうか。
西:やってみないとハードルが高くなってしまうから、どんどん頼んで、頼まれてもいい雰囲気を出して、断ることもあたり前にやっていく。断られたからといって相手を恨むこともないし、できるときはやる。頼むこと、断ることって、もっと気軽でいいんだと思います。
あと、本にも書きましたけど「できることない?」って聞かれると遠慮もあって「大丈夫」と答えてしまっていたんです。でも、バンクーバーの人は先にやってくれる。「気持ち悪くてゼリーとかジャンクなものしか食べられない」と話したら、翌朝玄関前に大量のカップラーメンが置いてあったこともありました。
─西さんの言葉を聞いて先に動いてくれたんですね。
西:それは、バンクーバーという街の狭さが為せる業でもありますが、自分もそうでありたいと思いました。「おせっかい力」っていうんですかね、バリア張って遠慮しがちですけど、「どんどんおせっかいしていこう!」と思います。
─親切にすることが相手によって不快に思われることもあるんじゃないか、と考えすぎてしまうこともありますよね。
西:慣れてくると、「これで怒るんやな~」と受け流せるくらいになると思いますよ。筋トレみたいなものなので、知らない人に話しかける反射神経をどんどん鍛えていけるといいのかなと。
─それも、矢印が外からではなく自分がどうしたいかで動く、ということにつながりますね。
西:そうですね。自分の感情に鮮鋭でいたいですよね。自分の感情を見つめることは、自分を愛することにつながるかもしれないと私は思います。
自分が変わったら、社会も変わり始めている
─セルフラブやセルフケアという言葉が浸透してきた一方で、自分の考えは変わっても社会が変わらないことに悲しくなってしまうときがあります。本著でも社会への疑問に触れられていて、あらためて自分と社会は切り離せないものだと感じました。
西:社会は自分がつくるものなので、当然切り離せないですよね。私も忘れたらいけないなと思うのは、社会は「バケモノ」ではないということ。自分と社会は相容れないものではなく、自分が社会をつくっている。なので、自分一人が変わったら、それはもう社会も変わり始めているんだと私は思います。
─自分の小ささに、ふがいない気持ちになることもあるのですが。
西:そんなことないです。自分が変わるって、けっこう大変なことですからね。それだけで大成功だと思います。
私はなるべく遠回りしないと自分のことがわからないですし、変わることも難しい。小説も、そういう媒体だと思います。最短距離でいけるところを、全部寄り道する。言っていることは、たった一行で済むようなことなんです。でも私は、たとえば「一人ひとりの命が大切」という話を、800行かけて寄り道しながら書いてくれたほうが腹落ちするんです。
すごく非効率ですけど、私は非効率な生き方を肯定したいし、自分はこのペースが合っています。自分が本当に大切だと思うことを、時間をかけて、ゆっくり確信していきたいのかもしれません。
- 書籍情報
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『くもをさがす』
著者:西加奈子
出版社:河出書房新社
定価:1,540円(税込)
- プロフィール
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- 西加奈子 (にし かなこ)
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1977年、イランのテヘラン生れ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。2004年に『あおい』でデビュー。翌年、1匹の犬と5人の家族の暮らしを描いた『さくら』を発表、ベストセラーに。2007年『通天閣』で織田作之助賞を受賞。2013年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞受賞。2015年『サラバ!』で直木賞受賞。その他の小説に『窓の魚』『きいろいゾウ』『うつくしい人』『きりこについて』『炎上する君』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』『地下の鳩』『ふる』など多数。
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