「デジタル空間」と「KAWAII」から考える、私たちの居場所。増田セバスチャンとENSAPIAが紐解く

「KAWAII」はなぜ世界に広がったのか。自分の好きなものに囲まれ、現実の規範から少し離れて、自分らしくいられる。そこには、「居場所」としての「KAWAII」があったのではないか?

原宿から世界へと広がった「KAWAII」カルチャー。その象徴的な存在が、増田セバスチャンだろう。表現の場として原宿にオープンしたショップ「6%DOKIDOKI」から、エンターテイメント施設「KAWAII MONSTER LAND」まで、自分の「好き」を肯定できる世界をつくってきた。

一方、錬金術から生まれた不思議な生き物と暮らすアプリ「リヴリーアイランド」や、自分だけのキャラクターや部屋をつくって楽しむコミュニケーションアプリ「ポケコロ」などを手掛けるENSAPIAは、アバターを使った自己表現やコミュニケーションを通じて、デジタル空間に新たな居場所をつくっている。

振り返れば、増田も、「リヴリーアイランド」の生みの親である土屋淳広も、かつて自分の居場所を探していた——。デジタルワールドをつくる次世代のクリエイターを発掘したいという思いから始まった『エンセイピア デジタルアートコンテスト 2026』。土屋と、審査員を務める増田、軍地彩弓が「KAWAIIカルチャー」と「居場所」というテーマについて語った。

撮影場所:KAWAII MONSTER LAND -HARAJUKU-

「端っこ」にいた3人は、自分で居場所をつくった——「原宿KAWAIIカルチャー」と「リヴリーアイランド」

—増田さんは「原宿KAWAIIカルチャー」の象徴のような存在です。そもそもはじまりの「6%DOKIDOKI」が生まれるまでに、どんな道のりがあったのでしょうか?

増田:僕は地元にあんまりなじめなくて、1980年代、高校時代から原宿のホコ天(歩行者天国)に通うようになったんです。土曜は渋谷のセンター街、夜は竹下通りで野宿して、次の朝の日曜は原宿のホコ天、という生活。週末になると同じような感覚を持った人たちが集まっていました。

高校3年の時、そんな仲間たちの進学や就職に向けた大人びた発言に嫌気が差し、当時のノストラダムスの大予言による終末的な空気も相まって、東京を離れて知り合いのいない大阪で一人暮らしを始めました。でも、大阪弁が話せず溶け込めなくて、引きこもりになってしまったんですね。

増田:そのとき逃げるように通っていた図書館で出会ったのが寺山修司でした。『書を捨てよ、町へ出よう』を読んで「とにかく行動を起こさなければ未来はない」と感じたんです。だから東京に戻って、劇団に入りました。その後、現代美術家の飴屋法水さんに誘われて、毎日ずっと鉄を切るとか、作品のお手伝いをしながら過ごしていました。

23歳で初めて自分の作品を発表したとき(1トンの生クリームを使った巨大ケーキに女の子が乗っていて、そこにお菓子のエンジンで走る車を突っ込ませる……というクラブイベントでのパフォーマンス)、美術評論家らにこっぴどく酷評されて。それでも「原宿の仲間ならわかってくれるかも」と思い、1995年、アパートの一室(3階)を借りて開いたのが「6%DOKIDOKI」でした。

軍地:私がセバちゃん(増田さん)に出会ったのはまさに原宿が盛り上がり始めたその頃です。私自身も就職できずに大学時代に始めたフリーライターの仕事を続けて、「ViVi」でファッションライターとして仕事をしていました。

軍地:当時ViViではJJやCanCamとの差別化に悩んでいて、スタイリストがチープシック特集のときに「6%DOKIDOKI」でリースしてきたアイテムを見せながら、「こんなかわいいモノ見つけました!」と力説したんです。それが、ViViが「KAWAII」を打ち出すきっかけになった。

土屋さんとセバちゃんには、時代背景をはじめとして意外と共通項がありますよね。アートから始まったセバちゃんと、デザインから始まった土屋さん。土屋さんは「リヴリーアイランド」の生みの親ですけど、そもそもどんな経緯から?

土屋:僕はもともと東京藝大志望だったのですが入れず、桑沢デザイン研究所という専門学校でデザインの勉強をしていました。でも、それもあんまり求めていた環境ではなかったので、当時から学外の若者たちと渋谷とか代官山界隈でいろんな活動をしていて。それがそのまま仕事になって、就職活動をすることなく約20年間フリーランスとして仕事をしていたので、ENSAPIAが初めての会社勤めなんですよね。

だから、さっき増田さんと軍地さんが話していたような1990〜2000年代初頭までの、あの混沌とした空気の影響は確実に受けていると思います。お話を聞いていて面白かったのは、増田さんはアートのほうから入って、僕は商業デザインのほうから入った。全然別の道で、でも同じような環境だったのかなと。

土屋:「リヴリー」の原型は25年ほど前、仲間4人でつくりました。一般に普及し始めたばかりのインターネットで、キャラクターを乗せた自主制作ゲームのようなものとしてスタートしました。最初はお客さんも知人30名ほどから始まり、若いお母さん方のネットコミュニティで話題になって300人ほどに拡大しました。当時は男性向けサービスが多かったインターネットのなかで、絵本のような世界観と「荒れていない」安全性が支持されたんです。

軍地:90年代後半あたり、「ポストペット」が出てきたのが同じ時代でしょうか。まさにインターネットにおけるキャラクターゲームの黎明期をつくられていたんですね。

増田:デジタルもまだ、サブカルチャーとして扱われていた時代ですよね。

80〜90年代、自分の世界を探して。多数派や時代の雰囲気にのまれたくなかった

—いまでこそ確立された「KAWAII」という世界観ですが、増田さんにとって、いったい何が原体験だったのでしょうか?

増田:80年代って、いわゆる「カラス族」といわれる真っ黒なファッションの人がたくさんいたんです。それはそれで自分も憧れたんだけれども、大人が提案したものをそのまま受け入れるのは、自分たちの世代のものじゃないというか、リアルじゃなかったんですよね。

さらに当時、いとうせいこうさんの『ノーライフキング』のような、人間がコンピューターに侵されていく世界観の作品があり、90年代前半まではそんな雰囲気になっていた。でも未来に行くのは大人じゃなくて自分たちじゃないかと思ったとき、「コンピューターに侵食されていく白と黒の未来」に対するアンチテーゼとして、自分が好きだったキャラクターやカラフルでカワイイものを、せめて自分が生きる未来には持っていきたいと思ったことが出発点としてありますね。

軍地:当時は、雑誌と街が地続きでカルチャーを発信していました。雑誌『ぴあ』が音楽もアートも演劇も1冊にまとめていて、気になるものに付箋を貼り、街へ見に行く。そうして見つけた人がのちにファッションアイコンやクリエイターになっていく……というような。SNSが始まるずっと前に、原宿や渋谷など街を舞台にいろんなジャンルのコミュニティが混じり合い、刺激し合っていた気がします。

土屋:同時に、決して仲良しこよしだったわけではなく、いい意味での緊張感がありました。もっといいものをつくろうという競い合いのなかで、ダークなものもカラフルなものも同時に生まれていった。

実は僕が「リヴリーアイランド」をつくったときの根本も「憤り」だったんです。少数派に対する偏見や差別に対する強い憤りのなかで生まれた世界でした。人との違いが楽しめるような、肯定され少し元気になれるような世界観にしたい、と。

そのため、色使いにもかなりこだわっていて。一時期は考えすぎて、強迫観念にとらわれたこともありました——例えば、色の数値をすべて偶数にしないといけないと信じ込んだり……。それぐらい、必死につくりあげた世界だったんです。

そんななかで、ファンレターや挨拶をしてくださる方から「つくってくれてありがとう」「死ぬのをやめました」「引きこもっていたけど友達ができた」「リヴリーを通じて出会った方と結婚し、子どもが生まれました」といった声をいただくことがあります。責任は重大ですが、届いているのがうれしいですね。

自分のためにつくった世界が、誰かの救いに。「KAWAIITOPIA」と「Digital Ontos」

軍地:ENSAPIAの思想と、セバちゃんの「KAWAIITOPIA」の概念は近いものがあると思うんです。

増田:「KAWAIITOPIA」とは、カワイイとユートピアが融合した言葉なんですけど。

人間は本来、ハッピーな方向、ユートピアに向かって生きるべきだと思うんです。デジタルやコンピューターの力によってみんなで幸せになるはずが、実際には戦争や物価高、貧困、格差といった、まったくユートピアと逆行する現実がある。そこで「KAWAII」というコンセプトを通じて少しでも良い方向に向かえるのではないか、という思いを込めたのが「KAWAIITOPIA」です。

埼玉・飯能で開催した展覧会では、島の上に大きなオブジェをつくり、わざわざ船に乗って行く、という構成にしました。ユートピアは見えているのに、そこに行くにはハードルがある。そのハードルを越える行為自体がユートピアに近づくことなんじゃないか、という思いです。

増田:結局、自分がこの展示でやりたかったのは、新しい世代によるユートピア運動だったと気付きました。若い世代がユートピアに向かって新しい時代をつくる、そんな運動を目指している。コンセプトは人それぞれ違ってもいいけど、そこに「KAWAII」があると、今日も明日も頑張ろうって思えるんじゃないかなって。

自分はもう次の世代を送り出す側になったけど、みんなが新しい未来をつくれるように、ファッションもエンタメもアートも横断しながらそういうものを提示していきたい。

—一方で、ENSAPIAさんが掲げているのは「デジタル・オントス(Digital Ontos)」という考え方ですよね。どういう考え方なのでしょうか?

土屋:まず「オントス」は、古代ギリシャ語で「存在」を意味しています。物理的にどこにいるかではなく、「どのように存在するか」という本質に向き合うという考え方です。

ENSAPIAを代表するようなかたちで言葉にして良いのかは悩ましいんですけど——あくまでクリエイティブディレクターという立場で、いちつくり手として考えていることを言うと——オントスに関しては、人間は大陸をどんどん開拓し、そこでさまざまな文化や生き方を生み出してきました。そして技術が発展し、人の営みは宇宙にまで広がった。デジタル領域も、その延長線上にある地続きのものだととらえています。メタバースやデジタル世界は「フィジカルとは壁で隔てられた別世界」「鏡の向こうの世界」として語られることが多いけれど、僕たちの感覚はもっと溶け合ったもの。

大陸だけでは息苦しかった人が別の場所で活躍できるように、デジタル領域が広がることで人が生きられる領域そのものが広がっていく——それが、ENSAPIAのやっていることだと思っています。生まれた場所や身体は自分でコントロールできませんが、デジタル領域ではアイデンティティの再構築がしやすくなる可能性がある。ファッションも、重力に縛られない楽しみ方ができる世界をつくろうとしています。

—では例えば、デジタルワールドにおけるアバターが「第二の自分」としてのアイデンティティを持つ、というようなイメージでしょうか?

土屋:僕は「もう一つの自分」というより、いろんな自分が存在できる場所だと捉えています。「裏アカ」もそうですが、それも含めて全部自分なんです。現実の社会でも、恋人と会っているとき、会社で上司と会っているとき、行きつけの店のマスターと話しているとき、すべて違う自分になっている。デジタル空間は、それがよりわかりやすく、振り切って存在できる場所なんじゃないかと思っています。

増田:飯能の展覧会で印象的だった出来事があります。僕にとっての希望の色である「白」の部屋として、真っ白い雲の中にいるような空間で窓の外を見つめながらブランコを漕ぐという作品をつくったんですが、その部屋からずっと出てこない子どもがいました。

軍地:それはその子にとって、その空間が救いになったんだと思います。まったく違うかたちではありますが、ENSAPIAさんの考え方も、増田さんがつくっている場所も、シンクロする感じがしますね。外界から攻撃されない、自分の好きなもので守られた心地よい世界に身を置くことの意味を感じます。

土屋:さきほど、いま我々がつくっているデジタルの世界を現実と「地続き」と言ったんですけど、間違ってないなと思いました。

入社してあらためて「ポケコロ」のUIを見たとき、デザイナーとしては正直「なぜこんなゴチャゴチャの構成になっているのか」と衝撃を受けたんです。でもお客さんが使いこなしている様子を見て、90年代〜2000年代の女子高生たちが分厚いプリクラ手帳を使いこなしていたのと同じ感覚だと気づきました。

それは、機能性を無視してでも自分の「好き」を詰め込み、自分を表現し、人とつながるコミュニケーションツールとして使いこなす文化そのものだったんです。整理することがゴールではなく、好きなものを固めていく感覚自体が、ユーザーにとって心地よいものになっているんですよね。自分がいかに「変な当たり前」に縛られていたかを思い知らされました。

AI化する社会のなかで、体験や経験をどう得ていくのか?

—さきほどから現代を生きる子どもたち・若者についての話題も出ていますが、どんなことを考えていますか?

軍地:AI時代に突入し、人の「感じる」力が抜け落ちてしまうことに危機感を持っています。先日、友人とモンゴルに行ったんです。一緒に来ていた13歳の息子さんに「この大自然すごい! 感動するね」と言うと、「感動がわからない」と言われたんです。

いまの子どもたちにとっては自分の肉体で感じる世界がむしろ遠い存在になっていて、空を見上げたり風を感じたりすることが感動だと認知されていないのかもしれないと感じました。学生クリエイターの作品を見ていても、AI がつくりそうな、実感が伝わらない作品が多くて。だからこそ、例えば息を飲むような大自然や、美術館で出会う名画とか、ライブの音楽などフィジカルな刺激をもう一度取り戻すことが大切だと感じるんですよね。

増田:僕がよく言うのが、子どもたちに「良いトラウマ」を植え付ける、ということ。例えば「KAWAII MONSTER LAND」では演出のなかで大きめの雷の音を鳴らします。子どもの耳が痛いからと小さくするのがいまの風潮ですが、ときには少し怖いと感じる体験があってもいい。「臭いものにふた」をせずに子どものうちに経験させることが、成長につながるのではないでしょうか。

—そういった時代のなかで、土屋さんはどのようなサービス設計を目指していますか?

土屋:いま「UX(体験)」という言葉が広く使われていますが、僕たちは体験だけでは足りないと考えていて、その先にある「実感」を大事にしています。デジタルであっても、自分がそこにいる、生きている、ここにいてもいいんだと思える実感をどうつくるか。それをつねに考えています。

若きクリエイターへのメッセージ

—いま、『エンセイピア デジタルアートコンテスト 2026』が開催中ですね。審査員でもあるみなさんの期待と、そして未来のクリエイターたちへのメッセージをお願いできますか?

軍地:最近、ファッション専門学校などを見ていると、コロナ以降、外の世界に触れないまま、表現の幅が狭くなっている学生が増えていると感じます。ENSAPIAが主催するデジタルアートコンテストは、デジタルワールドをつくる次世代のクリエイターを発掘したいという思いから始まったものです。

第1回の授賞式では、全国から集まった若者たちが評価されたことで自信を持つ姿に感動しました。「自分が考えたことを人に評価されたのは初めて」と喜ぶ受賞者たちを見て、これはコンテストという枠を超えた「光」なんだと感じたんです。

年齢制限もできるだけ広げ、15歳から35歳未満までを対象にしています。あらゆる場所にいる人たちにとってチャンスがある場でありたい。それは自由であることを恐れず、自分が大好きなものを信じてほしいからです。

増田:若い世代へのメッセージとしては、「オリジナルを目指してほしい」ということに尽きます。音楽の世界でビートルズのコピーバンドがグラミー賞を取れないのと同じで、オリジナルをつくる気持ちがなければ始まらない。

オリジナルをつくるには、まず自分のなかへのインプットが欠かせません。イラストを目指す人ならイラストだけでなく、音楽や映画、本など違うジャンルにも触れること。そうしないと豊かな感性が育たない。うまさよりも、「なぜこれをつくりたかったのか」という衝動のほうが大切です。いま、絵が上手い人はたくさんいますが、うまくなった瞬間にテクニックになってしまう。最初に「これをつくりたかった」という衝動を思い出してほしいんです。

土屋:無責任なことを言うと、内省的でデジタルしか知らない、そんな突き抜けた次世代がどんなものをつくるのか見てみたい気もしているんですよね。ただ突き詰めすぎると、生きるのが辛くなる気もするから、いろんなメンバーと話しているのは「当たり前に縛られないように」ということ。世の中には例えば「失敗しづらい方法」など、あらかじめ「正解」があるかのように教えられてしまっているから。そんな無意識の「型」から外れて、まず発想してみるのが大事だと思います。

「衝動」の面でいうと、僕はフリーランス時代に、自分がものづくりしたいと思い続けている原点について考えたことがありました。そこである原体験にたどり着きました。——幼稚園の頃、膝を擦りむいたことがありました。その膝に先生が赤い消毒液(赤チン)で花丸を描いてくれたんです。痛くて恥ずかしくてというネガティブであるはずの怪我が、花丸ひとつで急に勲章のように思え、ポジティブなものになった。あの感動こそが自分の「コア」なんだと気づいたんです。世の中の評価や正解を気にするより先に、そうした原体験に紐づいたものをつくることのほうが、結果的に本質的で、多くの人に受け入れてもらえるものになるんじゃないかと思います。

軍地:作品をつくるということは、自分のなかにあるコアの感情を人に伝える手段であり、それを見た誰かがまた影響を受けて、周りに伝えていく。KAWAIITOPIAという言葉が好きなのも、自分発のカワイイが誰かに影響し、それがまた自分に返ってくる、というペイフォワードの構造があるからです。

セバちゃんや土屋さんたちのように、端っこにいた人たちが結果的に時代をつくり、メインストリームにまでつながっていったことを見てきました。だからこそ、端っこにいることは決してマイナスじゃない。自由であることを恐れないでほしい、と伝えたいですね。

『エンセイピア デジタルアートコンテスト 2026』
あなたの「こう在りたい」は、どんな姿ですか?

オリジナルキャラクター部門、アバターファッション部門、世界観・空間構成部門の3部門で、それぞれデザインを募集中。

審査員:軍地彩弓、増田セバスチャン、AMIAYA
エントリー期間:〜2026年9月30日(水)23:59まで
プロフィール
増田セバスチャン (ますだ せばすちゃん)

1970年生まれ。ニューヨーク在住。1995年から東京・原宿に拠点を持ち、一貫した独特な色彩感覚からアート、ファッション、エンターテインメントの垣根を越えて作品を制作。きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」MV美術、KAWAII MONSTER CAFEプロデュースなど、世界にKawaii文化が知られるきっかけをつくった。世の中に存在する全ての事象をマテリアルとして創造しつづける。2017年度文化庁文化交流使/2018年度 ニューヨーク大学客員研究員/2019年 Newsweek Japan 世界が尊敬する日本人100人。

軍地 彩弓 (ぐんじ さゆみ)

編集者 / ファッション・クリエイティブ・ディレクター。『ViVi』編集部でファッションライターとして活動後、『GLAMOROUS』の立ち上げに尽力。コンデナスト·ジャパン入社後『GQ JAPAN』編集長代理、『VOGUE GIRL』クリエイティブ·ディレクター。「Numero TOKYO」を経て独立。ドラマ『ファーストクラス』等のファッション監修、企業のコンサルなど幅広く活動。経産省「ファッション未来研究会」副座長、「ファッション·ローWG」座長、内閣府「クールジャパン官民プラットフォーム」クリエイティブ·ディレクターなども務める。

土屋淳広 (つちや あつひろ)

ENSAPIA執行役員 / クリエイティブディレクター。桑沢デザイン研究所卒業後、フリーランスになる。『踊り子クリノッペ』、『住み着き妖精セトルリン』等のキャラクターコンテンツの企画・デザインなどを行い、2015年からポケコロの「つりの星」のアートアドバイザーとして業務委託にて参画。その後、2017年にココネ(現ENSAPIA)に入社し、現在は同社にて執行役員/クリエイティブディレクターを務める。



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