無力感を、行動に変えて——『ヒンド・ラジャブの声』が日本の観客に届けたいもの。監督インタビュー

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2024年1月29日、パレスチナにおいて医療・人道支援を行っている人道支援組織「赤新月社」に、一本の電話がつながった。それは、イスラエルの攻撃が激化していたパレスチナ・ガザ地区で、車のなかで動けなくなっていた少女からの、助けを求める連絡だった。少女の名前は、ヒンド・ラジャブ。

その実際の通話音声をもとに、カウテール・ベン・ハニア監督が映画化した『ヒンド・ラジャブの声』は、世界の映画祭で大きな反響を呼んだ。『第82回ヴェネチア国際映画祭』では23分におよぶスタンディングオベーションを受け、銀獅子賞(グランプリ)を含む8冠を受賞。『第98回アカデミー賞』では国際長編映画賞にノミネートされた。

あらすじ:2024年1月29日。人道支援組織「赤新月社」のボランティアスタッフたちは1本の緊急電話を受ける。パレスチナ・ガザ地区から、6歳の少女が助けを求めていた。少女の名前はヒンド・ラジャブ。赤新月社のボランティアチームは電話をつないだまま、救出するためにあらゆる手段を尽くすが、彼女を救出したいという思いとは裏腹に状況は刻一刻と悪化し、次第にいらだちや激しい動揺に襲われていく。

「ジェノサイドが起きている時代に映画作家であるとは、いったいどういうことなのか」。ヒンドの声を聞いたカウテール・ベン・ハニア監督は、映画によって彼女の物語を世界に届け、観客をその出来事の「証人」にしたいと考えたという。そして、「観客が二粒ほど涙を流して、そのあと何事もなかったように日常生活へ戻っていくような映画にはしたくない、と考えた」と語った。インタビューで、その制作や意志を聞いた。

なぜ映画にしたか?「ジェノサイドが起きている時代に映画作家であるとは、いったいどういうことなのか」

—この映画は、そもそもどのように始まったのでしょうか。ヒンド・ラジャブさんの事件を知り、映画にしようと思った経緯から教えてください。

カウテール・ベン・ハニア(以下、ベン・ハニア):当時、私はプロデューサーのナディム・シェイクルーハと何年もかけて脚本を書いてきた別の映画のプリプロダクションを始めようとしていたところでした。けれど同時に、ガザで起きていることをずっと追い続けていて、非常に大きな影響を受けていたんです。そして自分自身に問いかけていました。「ジェノサイドが起きている時代に映画作家であるとは、いったいどういうことなのか」「どんな物語を語ることができ、どう語るべきなのか」「そもそも自分の仕事にはどんな意味があるのか」と。

そんなとき、SNSをスクロールしていて、パレスチナ赤新月社(※)が公開していたヒンド・ラジャブの短い音声を聞きました。ほんの一瞬でしたが、彼女の声が頭から離れなくなり、そのまま日常生活に戻ることができなくなりました。その声を聞いたとき、私には「助けて」と自分に訴えているように感じられたんです。もちろん実際には、彼女は赤新月社の職員に話しかけていたわけですが。私はものすごい悲しみと怒りを感じ、「自分に何ができるんだろう?」と考えたんです。

彼女を生き返らせることはできない。でも私は映画作家です。人々が映画館に座り、彼女の声を聞き、その出来事の目撃者となり、ヒンド・ラジャブのことを記憶する。そんな映画をつくれるかもしれないと思いました。そして彼女の物語を通して、いまガザで起きている犯罪がどれほどのものなのかを理解できるかもしれない。ガザはいまも血を流し続けている傷口です。そしてこれは、ガザだけについての話ではありません。私たちの人間性についての話でもあるのです。

私は赤新月社に連絡を取り、その通話の全記録を聞かせてもらいました。通話は70分以上にも及びました。ヒンドは70分以上も待ち続け、恐怖と闘い、必死に耐えようとしていた。それは私がこれまで耳にしたなかでも、最もつらい体験の一つでした。そして映画そのものについて考えるよりも前に、最初にしたことの一つが、ヒンドのお母さんに連絡を取ることでした。映画をつくっていいのか、つくってはいけないのか。それを私に言うことができるのは、彼女だけだと思ったからです。

※パレスチナ赤新月社……パレスチナにおける国際赤十字・赤新月運動の一員として活動する人道支援団体。救急医療、病院運営、災害救援などを行い、特にガザやヨルダン川西岸地区で紛争下の医療・人道支援を担う。主にイスラム圏で赤十字社に相当する「赤新月社」の一つで、中立・公平などの基本原則に基づいて活動している。

—ヒンドのお母さんとは、どのようなお話をされたのでしょうか。

ベン・ハニア:ヒンドのお母さんは本当に並外れた女性です。私にとっては、レジリエンスを体現しているような人です。もちろん彼女は深い悲しみのなかにいました。母親にとって子どもを失うということが、どれほど悲劇的なことかは想像できると思います。でも彼女は私にこう言ったんです。

「私は明日死ぬかもしれない。そうしたら、娘の物語を誰にも伝えることができなくなる。でも、あなたが私に電話をしてくれた。だからたとえ今日の午後に私が死んだとしても、世界のどこか、ガザの外に、娘の物語を伝えてくれる人がいるとわかった。それだけで私は幸せです」と。すべては、そこから始まりました。

スリラーではない。「これは現実だ」と観客に思い出させるために

—監督は以前のインタビューで、この作品をドキュメンタリーにはしたくなかったとおっしゃっていました。すでに起きた出来事として振り返るのではなく、「彼女を救えるかもしれない」という希望も含めて、観客にあの日をリアルタイムで体験してほしかった、と。

ベン・ハニア:この映画には、いわゆる「ネタバレ」はありません。日本や一部の国ではそうではないかもしれませんが、ヒンド・ラジャブの物語はすでに広く知られているからです。彼女の名前を検索すれば、物語がどう終わるのかはすぐにわかります。そのうえで、観客に希望を抱かせているのは私ではありません。あの瞬間、本当に彼女を救えると信じ、希望を持っていたのは赤新月社の職員たち自身です。助けを求める子どもがいたら救いたいと思う。それが人間の本能でしょう。その子を救うためなら、できることは何でもしようとするでしょう。

だから彼らは、二人の同僚を救出に向かわせた。自分たちにできることをすべてやったんです。彼らのような人道支援に携わる人々は、占領下の非常に不公正なルールのもとで働いています。それでも、たとえばマフディ(調整責任者)はそのルールに従おうとする。でも占領する側は、自分たちで定めたルールを守らない。それは、何をしても責任を問われないという完全な「不処罰」の表れです。

—監督は本作を「アンチ・スリラー」と表現していますが、ヒンド本人の声を使いながら「助かるのか」という緊張感を生む以上、その悲劇がサスペンスとして消費される危うさもあると思います。それを避けるために、どのようなことを意識されたのでしょうか。

ベン・ハニア:そのリスクについては最初から自覚していました。あの日に起きた出来事を脚本に書いてみると、まるでサディスティックな脚本家が書いたスリラーのように思えたからです。普通の商業スリラーなら、子どもを死なせるわけにはいきませんから、最後には少女が救われる。だからアメリカ映画を多く観てきた観客であれば、そうした映画の暗黙のルールをこの作品にも投影するだろうということはわかっていました。

パレスチナ人の人生は、スリラーやホラー、戦争映画のように見えるかもしれない。けれど、それは彼らにとって現実なのです。フィクションではありません。だから重要だったのは「これは現実だ。これは現実なんだ」と観客に繰り返し思い出させることでした。たとえば映画のなかには、俳優たちが「演じる」ことをやめ、実際の音声に耳を傾ける瞬間が何度かあります。そして最後には、想像もできないことが起きる。救急車が爆撃されるのです。そこで、実在する本人たちがこの出来事に直面している姿も見せています。さらに最後には、実際の車と救急車の映像も見せる。

つまり、観客が「これはフィクションかもしれない」と思ったときに、目を覚まさせたかった。「違う。これはフィクションではない。そして、これが本当に起きたという証拠です」と。

現実の出来事を映画にするということ——パレスチナ人をキャスティング。演技だけではない「感情」も

—この映画の骨格になっているのは、実際に残された音声ですよね。その一方で、赤新月社のスタッフへの取材をもとに当日オフィスで起きていたことも描かれています。膨大な証言のなかから、どの出来事を映画に残し、どの部分を削るかは、どのように判断されたのでしょうか?

ベン・ハニア:おっしゃる通り、映画の背骨になるのは録音された会話だと最初からわかっていました。そして、その会話を軸に、当日オフィスで起きていたことを組み立てていきました。取材を始めてすぐに気づいたのは、ラナやオマール、ニスリーン、マフディたちが、あの日の自分たちの声を一度も聞き返していなかったことです。私は赤新月社を通してすべての録音を聞くことができましたが、彼らが私に語ったのは「あのとき何を言ったか」ではなく、「何を感じていたか」でした。恐怖や無力感、混乱、そして何としてもヒンドを救わなければならないという切迫感です。

だから脚本を書く作業は、二つの世界を行き来することでもありました。一方には、録音として残された事実がある。もう一方には、その場にいた人々の記憶と感情がある。録音を映画の事実的な骨格としながら、彼らの証言を通して、そのとき何を経験していたのかという内面を描いていきました。

とても長い一日でしたから、彼らは本当にたくさんの出来事を話してくれました。私は取材を重ねるなかで、赤新月社の人々自身にもとても惹かれていきました。でも、だからこそ彼らの魅力や個性が強く出すぎて、ヒンドの声を覆い隠してしまわないか、恐れたんです。だから大切だったのは、彼らをあくまでヒンドとの関係のなかで描くことでした。ヒンドから切り離された独立したキャラクターとして、それぞれの人生を描くことはしなかった。なぜなら、あの瞬間の彼ら自身が「この小さな女の子をどうすれば救えるのか」という使命に完全に集中していたからです。

—出演したパレスチナ人俳優たちにとっても、ガザで起きていることやヒンドさんの事件は、決して自分たちと切り離された出来事ではなかったと思います。彼らにとって、この物語を「演じる」ことはどのような意味を持っていたのでしょうか?

ベン・ハニア:この脚本は赤新月社の当事者たちの証言をもとに書いています。彼らとはたくさん話をしましたし、脚本を書いているあいだもずっと彼らのことを思い浮かべていました。だから、俳優を探す際には本人たちと似ていて、なおかつ優れた俳優であり、この物語と深くつながることのできるパレスチナ人であることを重視しました。

この映画のために俳優たちに声をかけたとき、彼らはみんな、ほとんど同じような状態にありました。パレスチナやガザで起きていることに対して落ち込み、怒り、強いフラストレーションを抱えていた。そうした状況のなかで、自分たちの芸術や技術を使ってパレスチナの物語を伝える映画に参加することが、彼らに力を与えてくれたんです。

それまで彼らは、自分たちは何の役にも立っていないと感じていたから。それはこのプロジェクトを始める前の私自身も同じでした。だから私たち全員が一緒になって、ある種の使命を持つようになった。だからこそこの映画は、私たちにとってとても重要なものになったんです。

—ただ責任者を演じたアメル・フレヘルさんは、ヒンドの物語であると知って一度出演を断ったとも聞きました。それほどパレスチナ人俳優たちにとって、本作に参加し、演じることは非常に重い決断だったと思います。彼らとはどのようなお話をされたのでしょうか。

ベン・ハニア:俳優が決まってから主に話し合ったのは、「どういう方法でこの作品に取り組むのか」ということでした。これはとても特殊な映画です。紙の上に書かれた架空の人物を演じるのではなく、いまも生きている実在の人物を演じるわけですから。そこで俳優たちとモデルとなった本人たちをつなぎ、一緒に話をしてもらいました。

もちろん、撮影はみんなにとって精神的な負担の大きいものでした。エキストラもパレスチナ人でしたから、現場では一緒に泣いたり、抱き合ったり、ときには撮影を止めてじっくり話をすることもありました。ただ、私たちは常に「自分たちは特権的な立場にいる」と言い聞かせていました。私たちはアーティストとして映画をつくっているのであって、ガザの人々やヒンドが経験した苦難のなかにいるわけではありません。そのことを自覚したうえで、それでもこの映画をつくり、ヒンドの記憶と声を敬意を持って世界へ伝えることには意味がある。それが最後までやり遂げるための力にもなりました。

ベン・ハニア:私は彼らをどう演出すればいいのかと考えたとき、すぐに普通の意味では演出できないとわかりました。このようなプロジェクトで、「ここで泣いて/泣かないで」「こういうふうにやって」と指示するのは不適切だと感じたためです。そこでたどり着いたのが、これはドキュメンタリーのように扱うべきで、何度もテイクを重ねるべきではないという考えでした。

それで俳優たちには、カメラの前で初めてヒンドの声を聞き、その声に反応してもらうことにしました。彼らには「あなたたちの『演技』がほしいわけではない。もちろん、あなたたちは素晴らしい俳優です。でも、私が必要としているのはそれではない」と伝えました。私が必要としていたのは、本物の感情です。一人の人間として、この小さな女の子の声を聞いたときに生まれる反応です。私自身が初めて彼女の声を聞いたときに感じたものを、俳優たちを通して伝えたいと思いました。

だから、場合によってはワンテイクだけで撮ろうと考えました。彼らには、自分が感じたままにヒンドの声へ反応してもらう。それ自体が映画になる。「泣くのをやめて」とも「泣いて」とも言わない。普通の劇映画であれば行うような演出を、この映画ではしませんでした。

無力感を、行動に変えるために。『証人』をつくる映画へ

—ガザで亡くなった子どもたちは、しばしば「何万人」という数字で語られます。本作は、ヒンドさんの声を通して、その一人ひとりに名前があり、人生があったことを思い起こさせる作品でもあると思います。

ベン・ハニア:それこそが映画の力です。映画は一つの物語を通して感情を呼び起こすことができる。約2万人の子どもたち全員の物語を語ることは不可能です。そして私たち人間にとって、数字は抽象的なもの。「2万人の子ども」と言われても、それは冷たい数字です。そこには感情がない。顔も見えない。

でも、そのうちの一人——たとえばヒンド・ラジャブの物語を語れば、痛みを感じ、怒りを感じ、悲しみを感じることができる。そして「彼女は2万人のうちの一人なんだ」と考えることになる。だから映画は、一人の物語という小さな視点から、そこで起きていることのより大きな全体像を見せることができるのです。

—この数年、世界中の多くの人々が、パレスチナで起きていることを止められない無力感に苛まれてきたと思います。本作でも、赤新月社の人々を通して「救えるはずの命を救えない」という無力感を経験します。しかも私たちの多くは、ガザから遠く離れた、安全な映画館でその無力感を経験します。その無力感が、単なる罪悪感や諦めで終わらないために、映画には何ができると考えていますか?

ベン・ハニア:この映画をつくったときに考えていたのは、「観客が二粒ほど涙を流して、そのあと何事もなかったように日常生活へ戻っていくような映画にはしたくない」ということでした。私にとってこの映画は、観客に戦争犯罪を目撃し、その証人となってもらうためのものなんです。一般的には犯罪を目撃したら、目を背けることはできませんよね。何かをしなければならないと感じるはず。

だから私は、この映画を一種の行動への呼びかけとして考えました。無力感に打ちのめされる必要はない。人には何かできる。この映画はたしかに無力感についての映画です。でも、その無力感から生まれる怒りは、何かをするための非常に大きな原動力になるんです。

—劇中では、赤新月社のスタッフがSNSで状況を発信し、世界の注目を集めようとする姿も描かれています。実際、パレスチナの人々もSNSを通して、自分たちに起きていることを世界に発信し続けています。私たちがその声を聞き続け、ただ見過ごさないために、具体的に何ができると思いますか?

ベン・ハニア:できることはたくさんあります。私はよく「何もしないことでも、ガザやパレスチナの人々を支援できる」と言うんです。すると「どういう意味?」と聞かれますが、たとえばボイコットがそうでしょう。特定のブランドの商品を買わない。つまり、何もしない。ただ買わないだけです。それだけでもパレスチナを支援することになる。BDS運動(イスラエルに対するボイコット、投資撤収、制裁を呼びかける国際的な運動)のウェブサイトを見れば、ボイコット対象の商品を知ることができます。それくらいなら、誰にでもできるはず。それ以外にも、自分の仕事や社会的な活動、政党や組織を通して行動することもできるし、寄付もできる。できることは本当にたくさんあります。

ただ、私たちはよく「助ける」という言い方をしますが、これは単に誰かを「助ける」という話ではないと思っています。パレスチナ人は、この「助ける」という言葉を好みません。彼らが求めているのは「正義」です。これはアドボカシー、つまり権利を求めることにも関わっています。

ヒンドのケースで考えてみましょう。これは明らかな犯罪です。彼女を殺した者たちは誰も責任を問われず、いまも自由で、どこかのバーで笑いながらビールを飲んでいるかもしれない。だからこれは単なる「助けるかどうか」の問題ではなく、正義と尊厳の問題なんです。

「私があなたを助けてあげる」という発想には、どうしても上下の関係が生まれてしまう。それよりも大切なのは連帯です。「あなたたちが経験していることを、私たちは理解している」と。私たちに必要なのは、チャリティーではなく、もっと連帯することなのだと思います。

日本の観客へ——「地理的には離れていても、互いに影響し合う世界に生きている」

—チュニジア人である監督が本作を作ったように、日本を含む世界各地でも、映画や音楽などを通してパレスチナについて表現する人たちがいます。パレスチナの人々自身の声が十分に届きにくい状況が続くなかで、異なる文化や背景を持つ人々がパレスチナの物語を伝えることには、どのような意味があると思いますか?

ベン・ハニア:このジェノサイドをめぐり、私たちはずっと「ナラティブをめぐる戦い」について話してきました。特に西側メディアではそうです。西側メディアにはイスラエル寄りのバイアスがあり、パレスチナ人の声が十分に聞かれていない。そして、パレスチナの物語を伝えようとすると、たくさんの障害にぶつかります。

占領の根底には、彼らを人間として扱わない考えがあります。私たちは実際に「彼らは私たちとは違う」「文明化されていない」「テロリストだ」「自分たちの子どもさえ愛していない」といった言葉を聞いてきました。そうした人種差別的なステレオタイプが、あらゆる場所で繰り返されている。だからこそ、パレスチナ人の声を届け、彼らの真実の物語を伝えることが重要なんです。何かをつくり上げる必要はありません。

パレスチナ人は、自らの死を記録している唯一の人々かもしれません。SNSを開けば、ガザの人々が殺され、愛する人が殺される姿を自ら撮影した映像が流れてきます。そうした映像は、助けを求める叫びとしてたしかに存在している。たとえばこの映画の最後に出てくる映像もそうです。ヒンドの祖父が車のところへたどり着き、そこで遺体を発見する。彼はすぐに携帯電話を取り出し、この犯罪を記録しました。ジャーナリストがガザに入れないことを知っているからです。ガザにいるジャーナリストたちも多く殺されている。だからガザでは、一人ひとりが自分自身の記者にならざるを得ない。じつに過酷な状況です。

—先ほど、西側メディアにはイスラエル寄りのバイアスがあるとお話しされましたが、そうした状況のなかで、この映画をつくることに批判や圧力への恐れはありませんでしたか?

ベン・ハニア:パレスチナ人の声を届けることが、必ずしも歓迎されないのはわかっていました。それでもこの物語を語ることはとても重要だと考えましたし、映画を守るためにできることはすべてやりました。当初、イスラエル側は「我々ではない」「ヒンドとその家族が殺された地域に我々はいなかった」と主張していました。ところが、その周囲にイスラエル軍の戦車がいたことを示す衛星画像が出てくると、否定できなくなり、「調査を開始する」と発表しました。

この事件については、非常に強い証拠が残されています。たとえばロンドンのForensic Architecture(国家や企業による暴力、人権侵害を調査・検証する研究機関)は、この戦争犯罪について証拠を集め、検証しています。ワシントン・ポストも本格的な調査を行いました。つまり、彼らが反論することは非常に難しいだけの証拠がある。私が映画に取りかかった時点で、ジャーナリストや調査機関によるそうした証拠の蓄積がすでにありました。だから私たちは、恐怖に負けず、この物語を語ろうと思ったんです。ヒンド・ラジャブの声を世界中に響かせることが重要だと考えたからです。

—日本では、ガザで起きていることを遠い国の出来事のように感じている人も少なくないと思います。この映画が、日本の観客にどのように届いてほしいですか?

ベン・ハニア:私たちは地理的には離れていても、互いに影響し合う世界に生きています。この映画も、突き詰めれば一人の小さな女の子を救おうとする人々の物語です。戦争の凄惨な映像や流血を見せる映画ではありません。

子どもが戦争犯罪の犠牲になるという現実は、文化や信仰、宗教の違いを超えて、私たちに共通する人間性に訴えかけます。ヒンドは一人の子どもです。日本人であろうと、南アフリカ人であろうと、ブラジル人であろうと、子どもが助けを求めているときに感じることに、それほど大きな違いはないと思います。

私は日本映画が大好きですし、日本を遠い国だとは感じません。映画は国境を越えて、人と人をつなぐことができるからです。私は多くの日本映画を観て涙を流してきました。特に『火垂るの墓』には、言葉にならないほど心を動かされました。地理的には離れた国の物語であっても、そこには確かな人間同士のつながりがある。『火垂るの墓』を愛する人なら、『ヒンド・ラジャブの声』にも何か通じるものを感じてもらえるのではないかと思っています。

—ヒンドのお母さんから、彼女の性格や夢について多くの話を聞いたそうですね。最後に、映画には入らなかったことで、ヒンドについて伝えたいことがあればぜひ教えてください。

ベン・ハニア:お母さんは、ヒンドの写真をたくさん送ってくれました。とても印象に残ったのは、彼女がものすごくおしゃれだったことです。小さなバッグと靴を合わせたり、服や髪型にも細かくこだわっていたそうです。どの写真でもモデルのようにポーズを取っていて、とても強い個性を持った女の子でした。彼女の喜びに満ちた姿や美しさ、そしてその美意識に強く惹かれたことを覚えています。

作品情報
『ヒンド・ラジャブの声』

9月4日(金)新宿武蔵野館、Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

監督・脚本:カウテール・ベン・ハニア
プロフィール
カウテール・ベン・ハニア

1977年、チュニジアのシディブジッド生まれ。チュニジア・チュニスとフランス・パリ(ラ・フェミとソルボンヌ大学)で映画製作を学ぶ。長編デビュー作『The Challat of Tunis』(2014)は、カンヌ国際映画祭ACID部門のオープニング作品に選出。次作となる長編ドキュメンタリー『Zaineb Hates the Snow』は、チュニジアとカナダを舞台に6年の歳月をかけて撮影。2016年ロカルノ映画祭で公式上映された。2017年には『Beauty and the Dogs』がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で最優秀サウンドクリエーション賞を受賞。モニカ・ベルッチを主演に迎えた『皮膚を売った男』は、ヴェネチア国際映画祭でプレミア上映され、2021年アカデミー賞長編国際映画部門にノミネート。『Four Daughters フォー・ドーターズ』(2023)では、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、優れたドキュメンタリー作品に贈られるゴールデンアイ賞を受賞。第96回アカデミー賞にて長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。



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