池松壮亮・仲野太賀・中村蒼が語る映画『開戦前夜』。「日本必敗」でも戦争へ向かわせた空気の正体

「正しさ」よりも、場の「空気」が物事を押し流していく。そんな感覚に覚えはないだろうか。

1941年、真珠湾攻撃の8か月前。内閣直属の機関「総力戦研究所」に集められた若きエリートたちは、模擬内閣という設定のもとそれぞれに役割が課せられ、日米が開戦した場合のシミュレーションを行う。結果として「日本必敗」という結論に至るが、その声はやがて掻き消されていった——。

石井裕也監督が長年実現を望み、昨年8月にテレビドラマとしてNHKスペシャルで放送された物語『シミュレーション 〜昭和16年夏の敗戦〜』(ドラマパート前後編計98分)。7月31日より、映画『開戦前夜』として138分の完全版で全国の劇場に届く。

いまの世の中に本作が公開される意義とは? 「内閣総理大臣」担当・宇治田を演じた池松壮亮、「内閣書記官長兼情報局総裁」担当・樺島役の仲野太賀、「陸軍大臣」担当・高城役の中村蒼の3人に、約80年前の物語がいまの私たちに問いかけるものについて話を聞いた。

あらすじ:1941(昭和16)年4月。日本中のエリートたちが集められた「総力戦研究所」という組織が存在していた。 官僚・軍・民間から選りすぐられた、次世代を担う「ベスト&ブライテスト」。彼らに課せられた任務は、アメリカを中心とした諸外国との戦争の行方を「予測」すること。膨大なデータを積み上げ、苦しみと情熱のなかでシミュレーションを繰り返した末、彼らが見たのは原爆投下以外のほぼすべてを的中させた、日本の「圧倒的な敗北」という衝撃のシナリオだった。

※本記事は『開戦前夜』の本編に関する記述を含みます。あらかじめご了承下さい。

「“本来はこういうかたちで世に出すべきだった”と思えるところまで来た」――映画化までの長い道のり

——企画がスタートした当初、石井監督と池松さんは本作を映画として世に出そうと動いていたものの、その時点では実現に至らず、まずはテレビドラマとして制作・放送されたそうですね。それが今回、映画の尺で『開戦前夜』として劇場公開されることになりました。池松さんは、いまどのように受け止めていますか。

池松壮亮(以下、池松):この企画が最初に動き出したのは、この国が戦後80年を迎える4年前、戦後80年の前夜とも言えるタイミングでした。ですが様々な事情がありそのときは実現できませんでした。そこから数年間、この企画が宙に浮いていた期間がありました。そして戦後80年の節目に様々な出会いが重なり、不死鳥のようにこの企画が蘇ってくれました。

いまとなって思うのは、あのときとは違う、いまだからこそ出会えた人々との共同作業で生み出すことに意味があるということ。今作自身が、いま生まれることを望んでくれたように感じています。

池松:昨年NHKの終戦ドラマというかたちで制作し、放送できたことはとても大きな意味があったと思います。今回の映画版としては、ドラマとは約40分尺が違っていて、作品としても違った味わいになっていると思います。

尺の違いがあり、編集も異なります。ドラマでは総力戦研究所という組織にフォーカスされていますが、映画ではそこにいる一人ひとり、家族、立場など、より人間ドラマを観てもらえるのではないでしょうか。体感する時間、物語に流れる時間が全然違います。我々が目指した「オリジナルバージョン」が、こうしてみなさまに観ていただけることを、とても幸せに思います。

——中村さんと仲野さんはいかがですか?

中村蒼(以下、中村):僕はお声がけいただいて参加した立場ですが、石井さんが長年映画化を願ってきた作品だとうかがっています。そんな思いのこもった作品に加われたことは、本当にうれしかったです。頼もしい皆さんと一緒に作り上げたものが、こうして映画として観客に届くことにも、大きな喜びを感じています。

仲野太賀(以下、仲野):やはり題材が題材なので、最初にお話をいただいたときはすごく驚きました。(原案:猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』によると)太平洋戦争開戦前に優秀な若者たちが集められ、開戦の是非を議論する場が実際に存在していた。そしてシミュレーションによって「日本必敗」という結論が出たにもかかわらず、あの戦争に突き進んでしまった。まず、「総力戦研究所」の存在自体を知らなかったので。

また、戦争が始まる直前に、こうしたある種の「頭脳戦」が行われていたことにすごく興味を惹かれました。そしてこのタイミングで映画が世に出ることにも、大きな意味があると思います。というのも、本作は80年以上前が舞台の話ではありますが、令和のいまにも通じるものがたくさんある。なので、脚本を読んだときも他人事とは思えませんでした。

テレビドラマには、より多くの人に観てもらえるという利点がある。でもそれを違うかたちで、映画として届けることには、また別の意義があると思います。もちろんテレビでの気軽に見られる体験が悪いというわけではありませんが、映画館で作品に没頭し、物語を一つの体験として受け取ることで、より深いところまで感じてもらえたらと思います。

——たしかにスクリーンを前にして作品と向き合う2時間は、テレビとはまったく別の体験ですよね。

仲野:さらに言えば、見ず知らずの人たちと同じ時間、同じ空間で2時間を共有することにも意味があるのではないでしょうか。誰かと共有することが、考えるきっかけになると思うので。

「空気」に呑まれる構造は、いまも変わっていない

——本作の時代設定は1941年ですが、社会の空気が急激に変化していく様子には現在と響き合うものがあり、恐怖を覚えました。みなさんは演じるなかで当時の人々の考え方や行動、社会の構造など、現在と重なるものを感じた部分はありましたか。

中村:国民がメディアなどさまざまな情報に流されたり、ある種、洗脳されていってしまったりするところは、現代にも通じるのではないかと思います。いまは自分で調べることもできるし、誰もが自分の意見を発信できる時代です。情報を得る手段が増えた一方で、何が本当で何が嘘なのかはかえって見極めにくくなっているようにも感じます。

何かを知るために調べるうえでも、「この人が言っていることは、本当なのか」と一つひとつ疑いながら受け取らなければいけない。そういう点は、当時とはかたちが違っていても変わらない部分かなと。むしろいまのほうがより複雑で、ある意味では深刻なのかもしれないと思うことがあります。

仲野:蒼君の言うように、現代にはあらゆるメディアがあり、僕たちはさまざまな情報を受け取ることができます。一方、80年以上前の人たちが接することのできたメディアの数や、情報を得る手段は、明らかにいまより限られていました。ただ情報環境が大きく異なっていても、人が「大きな声」に影響を受けやすいという点は、いまも昔も変わらないのだと思います。時代の波や、抗うことのできない何か、目には見えない空気に、人はものすごく左右されてしまう。

情報の量は違っても、大きな声を上げる人はどの時代にもいて、僕たちはどうしてもそうしたものに影響されてしまうのではないでしょうか。樺島も新聞記者として、その一端を担っていた人物だと思います。当時、多くのプロパガンダが行われていたなかで、彼自身もそこに加担していた部分はあったのかもしれない。

疑問を抱きながらも、その疑問について考えること自体を許さないような空気が、絶対にあった。それが軍国主義の怖さというか、目に見えない空気が次第に具体的な力を持っていく怖さなのだと思います。

仲野:また当時は、人々がすがることのできるものも限られていたと思います。現代では、それぞれが信じるもの、よりどころにするものも多種多様です。そうした時代背景の違いはありますが、人間の本質自体は、いまも昔もそれほど変わっていないのだと思います。人間が大きな声や、目に見えない空気に影響されてしまう部分は、いまに通じるものがすごくあるのではないでしょうか。

池松:80年以上前を舞台にした物語ではありますが、現代の物語として、僕たちはこうして物語る機会を与えてもらったのだと思います。この映画が描いている大きなものの一つは、日本という国の意思決定の危うさについてです。空気によって重要な物事が進んでしまう。

数年前の、コロナ禍での東京オリンピックなども記憶に新しいですが、80年前の戦争も、誰か一人の悪い人の判断が起こしたものではありません。小さな事なかれ主義の連鎖と、時代や、国の方針や、メディアの論調の空気にのみ込まれ、抗えず、戦争へと進み、多くの悲劇を生み出してしまった。その「空気」について描いた物語です。

協調性が強く、場の空気や調和を重んじる日本人が、事実や正しさよりも空気によって戦争に踏みきった歴史、そしていままさに間違った方向に進んでいるのではないかと感じる政治や社会、組織の在り方や教育に至るまで、『開戦前夜』という物語は私たちとは無関係ではないと感じています。

——日々の戦争のニュースで、人間一人ひとりの命があまりに軽視されているのではと感じることがあります。石井監督は、「机の上の駒は実際には人間です。このことの重みについては、俳優たちとよく話し合いました」と語っていますが、その点について監督とどのようなお話をされたのでしょうか。

池松:そういう話はたくさんしていたと記憶しています。そのことは脚本全体にも色濃く反映されていて、宇治田もそれを代弁するキャラクターとして描かれていました。

総研メンバーはある日突然、意思決定をする側の立場に立たされます。彼らはみなエリート中のエリートで、日本中から集められた神童です。彼らによって、どれくらいの人が死に、どれくらいの規模の戦争になるのかの予想が定まっていく。それは、「数字」という事実として算出されていきます。しかしときに数字は、悲劇を統計に変えてしまいます。そのことを決して忘れずに総研メンバーはある答えに導かれていきます。この映画でこれを語ることは、当然重要なことだったと思います。

開戦派でも避戦派でもなく、揺れながら考える。3人が見つけた人物の輪郭

——映画『開戦前夜』はフィクションであり、登場人物も創作ではありますが、皆さまが演じられたキャラクターには非常に説得力がありました。みなさんはそれぞれの人物をどのように解釈して役作りをしていきましたか。

中村:事前にスタッフの皆さんがものすごくいろんなことを調べてくださって、それぞれに資料を渡してくれたんです。僕自身、その資料を読んで初めて知ったこともたくさんありましたし、役を考えるうえでも大きな参考になりました。

僕が演じた軍人の高城は、当初は開戦派の人間として登場しますが、現実を知るうちに、最終的には避戦派(ひせんは。戦争や武力衝突を回避し、平和的な外交や交渉を主張する人々のこと)へと考えを変えていきます。そのような人物を演じるうえで意識したのは、よく描かれる「声高に開戦を主張する、軍国主義の軍人」のようなステレオタイプな人物にはしないということでした。

総力戦研究所に集められたのは、選りすぐりの頭の切れる人物たちであり、高城もその一人です。彼はデータが示す現実を見たうえで揺れ、「どうするべきなのか」と考えていく。その過程をしっかり表現し、届けられたらと思いながら演じていました。

仲野:僕が演じた樺島は官僚でも軍人でもなく、民間の新聞記者です。そのため、総力戦研究所のメンバーのなかでも少し特殊な立ち位置にいます。だから、政治や軍事に関する専門的な知識を背景に持っているわけではない。どちらかというと「総力戦研究所という何やらきな臭いものが設立されたらしい。一体ここから何が起こるんだろう」という、ジャーナリストとして、内心怖いもの見たさもあって参加したのではないかと思います。戦争に対して懐疑的で、ほかのメンバーよりも市井の人々に近い感覚を持っている。それが、物語の始まりにおける樺島の背景です。

彼は宇治田や、陸軍、海軍、官僚といったさまざまな立場の人物たちと議論を重ねるなかで、これから迎えるかもしれない戦争について、実際のデータやファクトを目の当たりにする。そしてよりシリアスに戦争をとらえ、避戦を願うようになっていきます。

最初は宇治田の煮え切らない態度に「はたしてそれでいいのか」と疑問を抱きます。けれど少しずつ宇治田が抱えている痛みや思いを理解し、影響を受けていく。単純に白か黒、右か左では判断できない状況なのだということを、宇治田から学んでいくんです。そのうえで、自分にできることとして宇治田を支え、総力戦研究所での研究をより実りあるものにするために情熱を注いでいく。そういった役割の人物だと思います。

池松:宇治田は数年前に満州で亡くなった両親のことで、軍部に対するいらだちやトラウマを抱えています。また長男として家族を養う立場にいます。そのためにあの時代にあった、戦争のために言論や精神や命までもが統治されていく環境から、なんとか距離を置きたいと過ごしています。

そんな彼が民間の組織から選ばれ、総力戦研究所に参加することになります。開戦か避戦か、政府のシミュレーションなどどうでもよく「自分を巻き込まないでほしい」と願っています。

しかしそこでの日々で、シミュレーションがシミュレーションではなくなっていく。感情論や精神論を超えた事実に出会い、事実に畏怖し、悟り、純化していく。その変化のプロセスを確実に見せていくことが重要だと思いました。

「他人事ではない物語として受け取ってもらいたい」

——本作が観客にとって、どのようなことを考えるきっかけになればと思いますか。

池松:観てくださる方の感じ方を決めることは僕たちのやるべきことではないので、多様に感じていただけたらなと思います。

そのうえで、私たちは戦争が悲惨であること、戦争をしてはいけないことは、これまで多くの物語や歴史から学んできました。では、なぜ戦争をしたのか? そこにはどんな意思決定があったのか? あの戦争は、いまを生きる私たちとはまったく関係のないものなのか? 『開戦前夜』は、そんな誰もが一度は考えたことのある問いに対し、まっすぐに答えを出した作品です。これまでになかった、新しい語り口の反戦映画になったと、誇りに思っています。

いま当たり前に私たちが享受している平和、81年間守られ続けてきた戦後は、多くの先人たちの流した涙や、決死の努力の結晶であることを、僕はこの物語から改めて学びました。さらには、平和を引き継ぎ、未来に託すための努力を、生きている限り続けていきたいと思いました。この映画を多くの皆さまと共有し、平和についてともに考えていきたいです。

仲野:壮亮君が語ったように、いろいろな感想があってしかるべきだと思います。僕たちのような日本に住んでいる日本人にとっては、戦争は80年前の話かもしれません。けれど世界のどこかでは、いまも戦争は行われています。イスラエル・パレスチナ問題もあるし、ロシアのウクライナ侵攻もある。アジア圏でも戦争や紛争が続いていて、身近な場所でもいつ新たな戦争が起こるかわからない。やはり、どう考えても他人事ではないと感じています。

一つの戦争が終わって、どれほど悲惨な結果が生まれたとしても、また別の場所で戦争が起こり続けてきたという人類の歴史がある。そのなかで僕たちが民間の人間として、そして表現者としてできるささやかな反抗は、こうしたメッセージを映画に乗せることなのだと思います。なので受け取る方々にも、これが遠い話ではなく、いまを生きる僕たちと地続きにあるものなのだということが伝わればいいなと思っています。

中村:この作品は戦争そのものを描くというより、「戦争がいかにして始まっていったのか」という過程を描いた物語です。アメリカとの戦争を本当に始めるのかという重大な問題について、机の上で議論を重ね、さまざまなデータから結論を導き出したにもかかわらず、最後は精神論によって一刀両断されて戦争へと突き進んでしまった。その過程の恐ろしさを、この映画を通して知ってもらえたらと思います。

ただ、いまは日常を生きるだけでも大変ですよね。戦争を自分事として考えることは、そうありたいと思っていても、決して簡単ではない。それでも、まずは知ろうとすることがその第一歩になるのだと思います。いまはいろいろな情報を調べられる時代ですが、知った気にならず、得た情報を自分なりに咀嚼して、「自分はどう考えるのか」というところまで掘り下げることが大切なのだと思います。そういう意味でもこの映画が、「自分はこう思う」「こう考えた」と一人ひとりが自分なりの答えを持つきっかけになる作品であってほしいです。

作品情報
『開戦前夜』
2026年7月31日(金)全国公開
監督・脚本・編集:石井裕也
原案:猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』
出演:池松壮亮、仲野太賀、岩田剛典、中村蒼、三浦貴大、二階堂ふみ、杉田雷麟、國村隼、佐藤隆太、江口洋介、佐藤浩市 他
配給:東京テアトル
上映時間:138分
©2026 ポニーキャニオン/東京テアトル/NHKエンタープライズ/RIKIプロジェクト
プロフィール
池松壮亮 (いけまつ・そうすけ)

1990年7月9日生まれ、福岡県出身。2003年『ラスト サムライ』で映画デビュー。近作に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』『斬、』『宮本から君へ』『ちょっと思い出しただけ』『シン・仮面ライダー』『白鍵と黒鍵の間に』『ぼくのお日さま』『本心』など。本作では総力戦研究所メンバーの一人・宇治田洋一を演じる。

仲野太賀 (なかの・たいが)

1993年2月7日生まれ、東京都出身。2006年に俳優デビュー。近年は映画『すばらしき世界』(第45回日本アカデミー賞優秀助演男優賞)、『熱のあとに』『十一人の賊軍』などに出演。公開待機作に『SUKIYAKI 上を向いて歩こう』(26年12月25日公開)がある。現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で主演。本作では新聞記者・樺島を演じる。

中村蒼 (なかむら・あおい)

1991年3月4日生まれ、福岡県出身。2006年、主演舞台『田園に死す』で俳優デビュー、2008年『ひゃくはち』で映画初主演。近年の主な映画出演作に『沈黙の艦隊』シリーズ、『アイミタガイ』『早乙女カナコの場合は』『宝島』『見はらし世代』『教場 Reunion/Requiem』など。本作では陸軍少佐・高城源一を演じる。



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