現代の日本社会でアーティストとして生きる理由

現代に生きるアーティストって一体どんなことを考えている人たちなんだろう? 現代美術の展覧会には足を運んで、時々面白い作品にも出会うけれど、大半はなんか小難しくて気取っているようにも感じてしまう。そんな人におすすめなのが、日本の若手アーティストを中心に、いま注目すべき表現を紹介するグループ展『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』です。東京都現代美術館で毎年開催される同展は、毎回異なるテーマで「表現すること」の意味を問うラジカルな姿勢も特徴ですが、今回はいつにもまして挑戦的な気配。そこで展覧会のオープニングレセプションに潜入し、体験型の作品に触れながら、各アーティストを直撃しました。これまでの芸術家像に収まらない活動をする彼らが普段どんなことを考えて作品制作をしているのか? また「アーティストとして生きること」を選んだ理由にも迫ります。

いきなりですが、あの人の作品は「美術館にはありません」

今年の『MOTアニュアル』のサブタイトルは「風が吹けば桶屋が儲かる」。「風が吹けば……」は、あることが原因となって、その影響が巡り巡って意外なところに及ぶことのたとえですね。今年選ばれた参加アーティストの特徴は、「自らの手で絵を描いたり、彫刻を作るのではなく、制作の過程で他者を介在させ、作品の完成を人々の想像力に委ねる」ことも多い7組だそうです。そんな彼らが生み出す「作品」とは?

まずは受付を通って会場へ……と、いきなり受付係の女性が、涼しげな笑顔で意外な一言を発します。

「田中功起さんの作品は美術館にはありません。田中さんは美術館の外で活動しています」

田中功起さんは参加アーティストの一人。世界中のアート関係者が注目するイタリアの国際的な芸術祭『ヴェネツィア・ビエンナーレ』の日本代表にも選ばれた注目の作家です。えーっと……じゃあどうしようかな、と渡された資料に目を落とすと、その中に田中さんの「活動カレンダー」が。見ると、展覧会の時期を中心とした彼の予定が整然と並んでいます。アーティストトークや、映画館での作品上映、さらに来年参加する『ヴェネツィア・ビエンナーレ』の報告会など。ふむふむ、12月6日は「誕生日」なんですね。お茶目だなあと感心している場合なのかわかりませんが、ともあれ後ほど会場で本人を見つけてから話を聞くことにします。

『MOTアニュアル2012』受付

森田浩彰―「美術館の日陰」で何かが起きる

3階の会場へ上ると、森田浩彰さんが待っていてくれました。今度は壁沿いに作品らしきものがあり、ひと安心? しかし近づいてみると、遠目にはオブジェかと思われたその物体は、いずれも短い一文が印刷されたカードを積み上げたものでした。それが40組、来場者の手に取られるのを静かに待っています。いくつか手に取って読んでみると、

森田浩彰『人が集まる場所で、みんなで、行う、何か』
森田浩彰『人が集まる場所で、みんなで、行う、何か』

「壁の中に森田浩彰の作品が恒久的に埋め込まれた」
「監視員がごくたまに大きな深呼吸をする」
「ロッカー#03に署名済み婚姻届けが置かれている」

森田さん、これは一体……?

森田:カードに書いてあるのは、実際にこの美術館内で展覧会中に起こる出来事です。裏面にはその場所が記してあります。これらの出来事の集積が今回の僕の作品で、この部屋はそのインフォメーションセンターみたいな役割ですね。

なるほど。来場者は自らその場所を探し、出来事を目撃するわけですか。作品名もズバリ、『人が集まる場所で、みんなで、行う、何か』。でも美術館の主役であるアート作品の名前はほとんど出てきません。むしろ監視員やロッカーなど、ふだん日の当たらない存在が目立ちますが?

森田:もともと美術館って、美術品だけに集中できる便利なシステムになっていますよね。でも意識を別のところに向ければ、実際にはアート以外にも色んな存在や出来事があります。あの監視員さんは何を考えてるのかな、とか(笑)。そして、もともとあったものが誰かによって「発見」されたとき、初めて広がる世界もある。例えば、心理学の世界でフロイトが発見した無意識もそうでしょう。この作品では、そういうことを僕なりに示せたらとも思っています。


森田浩彰

そんな森田さんに、アーティストの道を選んだ理由を聞いてみました。

森田:僕自身がアートを通して、自分の世界を広げてもらえたから、ですかね。ある人にとってはそれが科学や文学かもしれないし、僕にとってはそれがデュシャン、フェリックス・ゴンザレス=トレスらとの出会いだった。さらに、そのアートの思考にも縛られず、ときにはアートを疑うことで、まだまだ広げられる世界があると思うんです。

ちなみにカードの文中には「毎日一個、ゴミ箱の中に森田浩彰の作品が入れられます」というものも。見つけたら持ち帰って良いそうなので、会場内でゴミ箱に頭を突っ込んで歓声を上げる人がいても、通報はご無用です。

下道基行―隣の国に残されたユーモラスな鳥居の姿

続いて、下道基行さんの展示室へ。壁に大判写真が9点並んで展示される光景は、一見普通の美術展っぽく見えます。でも、これらも実はなかなかクセ者です。このシリーズ作品『torii』は、一見日本の風景のようで実は全て日本の隣国で撮られた「鳥居」の風景で構成されています。ただし、台湾では鳥居は倒されてベンチになっていたり、サイパンではキリスト教の墓地に混ざっていたり、サハリンではオホーツク海を見下ろす大草原にぽつんと佇んでいたり……。

日本ではあり得ないシチュエーションの鳥居の姿はユーモラスにも感じますが、同時に戦前日本のアジア侵攻史にも思いが及びます。韓国の下町で撮った一枚には、鳥居が写っていません。韓国では多くが戦後に破壊されたらしく、かつてそれがあったという場所でシャッターを切ったそうです。

下道基行 『torii』 2006-2012、アメリカ/サイパン島、タイプCプリント Courtesy of the artist and nap gallery
下道基行 『torii』 2006-2012、アメリカ/サイパン島、タイプCプリント Courtesy of the artist and nap gallery

下道:政治的な作品にも見えるかもしれませんが、僕はどちらかというと、写真を通して今を考える「考現学(過去を対象にする考古学ではなく、現代の社会現象を調査し、考える学問)」的な思いでこのシリーズを撮ってきました。鳥居は日本で聖俗の境界とされる一方、異国の文化の人々にはもともと必要がなかったものでした。だから戦後の残され方も様々です。その風景と、今そこに生きる人々の想いに直接対峙したいと思ったのが、この作品の制作理由でした。歴史が共存する風景ともいえますが、記憶に迫るというよりも、目の前にある現在の姿、形の断面を切り取ったものです。

そして展示室の一角にはコピー機が。ガラスのコピー台には、下道さんが撮影に訪れた町から出した恋人への手紙や、旅の手帖が置かれています。コピーボタンを押すとそれらがスキャン、印刷され、お客さんが持ち帰れる仕組み。コピー用紙の裏面には現地での彼の日記がびっしりと記され、ここにも彼が感じた「現在の姿、形の断面」「歴史の共存する風景」を垣間見ることができます。

下道基行
下道基行

テレビ番組の制作会社でリサーチャーとして働きながら、自らの作品を作ってきた下道さん。アーティストとして生きる理由は何なのでしょう?

下道:数年前まではいつも仕事をしながら、旅に出ては写真を撮ってきました。だから、アーティストが職業だという意識はありません。作品を作るのは、自分でいろんなことを知りたいから。そうして旅で得てきた素材たちは、帰って手製の料理を作る感じで(笑)、それをみんなに振る舞って、一緒に話し合いたいという思いもありますね。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)―団塊の世代との「ユルコラボ」に挑戦

Nadegata Instant Party(ナデガタインスタントパーティー)は、中崎透さん、山城大督さん、野田智子さんの三人による「本末転倒型オフビートユニット」。作品作りを口実にして、見知らぬ者同士が協力する場を作り出す活動で知られます。今回は、いわゆる「団塊の世代」とコラボした映像インスタレーションを発表しています。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)『カントリー・ロード・ショー/COUNTR
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)『カントリー・ロード・ショー/COUNTR

中崎:ユニット名は、即興のパーティー(宴/口実)を通して、パーティー(グループ/コミュニティ)ができあがる、その過程自体を作品にできたらという思いからきています。「ナデガタ」はですね……ちょっとユルやかな感じでいたいというか(笑)、強くぶつかり合うのとは違う形で、お互いの力を引き出し合えたらいいなと。

そんな彼らが、かつての学生運動など「いかり肩」なイメージもある団塊世代と協働。今自分たちが生きるこの国のかたちに大きく関わった世代の人々と、一度じっくり向き合いたかったそうです。ただ、その方法はあくまでナデガタスタイル。公募で「『だんかいJAPAN』合唱団」結成を呼びかけ、集まった16人の団塊世代の人たちの個人史を聞きつつ、最終的に合唱曲を作るまでの道のりが、『カントリー・ロード・ショー』として作品化されました。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)『カントリー・ロード・ショー/COUNTRY ROAD SHOW』2012年
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)『カントリー・ロード・ショー/COUNTRY ROAD SHOW』2012年

展示は参加者たちのひとり語りを6幕仕立てにし、順に移動しながら見ていく構成です。最後の部屋には「『だんかいJAPAN』合唱団」の合唱映像が大スクリーンで登場。過ぎた季節への一抹の寂しさと、なお続く人生へのエールが混在する歌詞が印象的です。当初はこの世代特有の大きな何かをつかもうと試みた作家たちでしたが、やがて個々の参加者の人生に引き込まれていったという体験も、このフィナーレに反映されているようです。

ナデガタの三人はもともと個人でも活動し、中崎さんと山城さんは作家として、野田さんはアーティストの活動を支えるマネジメントの仕事をしています。

野田:私はもともと作家志望というより、アーティストが社会でどのように生きていけるかを考えるアートマネジメントに興味がありました。ナデガタへの参加も、それなら一度、作家と共に現場に飛び込んでみようと思ったから。すると、毎回違うダイナミックな風景が見えてきたんです。私たちの作品は3人だけのものではなく、いつも関わった周りの人々によって動かされていく部分もある。これからもそれを見てみたいと思っています。

Nadegata Instant Party(左から:野田智子、山城大督、中崎透)
Nadegata Instant Party(左から:野田智子、山城大督、中崎透)

山城:一言でいえば、作家活動を通して「考えること」をしたいんです。社会規範や経済活動を越えた手法を見つけたり、それ自体に参加したり。また、僕はナデガタでは映像を担当することが多くて、記録と現実の関係にもずっと興味を持っています。

中崎:アーティストという存在は、どんな人にも会いに行けるし、フラットに付き合える「固定されない良さ」があると思います。同じ理由で社会的には生きづらく面倒なこともあるけど(苦笑)、でもそこが自分には魅力なのかもしれません。

奥村雄樹―翻訳者として4つの作品を媒介するアーティスト

次の部屋はドアで閉ざされた密室。中からは英語の声が聞こえてきます。室内に入ると、それは同時上映される4つの映像からのものでした。奥村雄樹さんの作品『知らないことを思い出す(芸術家の幽霊)』です。ただし、個々の映像作品の本当の「作者」はバラバラで、奥村さんが実際に手がけたのはそれぞれの日本語字幕のみ。これまた相当に謎めいた作品です(ちなみに、いずれも美術好きならオッと思う著名な作者&映像作品です)。ご本人に、この謎について聞きました。

奥村:ある映像作品では、作家本人のいない状況で友人や関係者などが彼の今後を議論したり、別の映像では作家自身が違う人格で出演していたりします。つまり、いずれの場合も、作者のアイデンティティーが別の誰かによって成り代わられてしまう。なおかつ僕が翻訳者として全作品の内容を代弁しているような状況(笑)。翻訳や通訳の仕事は、自分とは別の人になりきって話したり、逆に訳者の人格が話者本人のように出てしまったりと、霊媒に近い部分があります。そうした構造を組み合わせて、作品とは、作者とは、そして「私」とは、という問題にアプローチしています。

奥村雄樹
奥村雄樹

また、美術館1Fミュージアムショップの横では、奥村さんが近隣の小学1年生と実施したワークショップ『くうそうかいぼうがく』から生まれた絵も、壁一面に貼り出されています。これは子どもたちに、目には見えない自分の体内を想像で描いてもらう試み。ある人にとって直接経験できないブラックボックス的な領域に秘められた可能性、それを表現する際の「変換」や「解釈」に興味があると語る奥村さん。アーティストとしてこうした様々な活動に取り組むのは、なぜでしょうか?

奥村雄樹『くうそうかいぼうがく(深川編)』2012年
奥村雄樹『くうそうかいぼうがく(深川編)』2012年

奥村:気付いたらそういうポジションにいた感じですが、やや大げさにいうと、社会の中である種のトリックスターとして機能したいと思っています。言語や慣習による取り決めをひっくり返してみせる存在。これまで、ミュージシャンの曽我部恵一さん、落語家の笑福亭里光さん、通訳者の小林のり子さんといった人たちと協働してきましたが、「外側」から彼らの領域に介入し、新しい枠組みを提案することが、僕の性格に合っているのでしょうね。もちろん美術の枠組み自体も同じように揺さぶる必要があるし、僕の作品も自然とそうなってきていますね。

佐々瞬―成長した松の木が渡米してファッションショーに出演する未来日記

今回の最年少作家(86年生まれ)である佐々瞬さんは、会場をもっとも広く使った作品群を展開。最初の大部屋には、建築用の木板で組み上げた巨大構造物がそびえます。しかし、その佇まいや部屋の散らかりようからも、まだ未完成でそれが何になるのか特定しづらい雰囲気です。やがて聞こえてくる女性や老人、若者のつぶやきに耳を澄ますと、この物体が、船、お風呂、本棚や屋外彫刻など、様々なものに思えてきます。作品名は『アレの話』。

佐々:完成前で何だかわからない保留の状態というのは、逆に言えば幾通りにも判断できますよね。そのとき人々が直面する、自らの主観性の曖昧さ、あるいはわかってしまった後では失われてしまうだろう、複数の判断基準を、私たちが部分的にせよ共有していたりすること。それらへの興味から生まれた作品です。

佐々瞬
佐々瞬

続く廊下には、無数の紙片に綴られた日記と、松の苗木による作品『松の日記』が。自分が制作によく使う松材が、どんな経緯で手元に辿り着くのかという興味から始まった作品だそうです。日記は実際に苗を育て始めるところから始まりますが、やがて未来日記へと変貌。成長した松が渡米してファッションショーに出演したり(!)、船の材料として検討されたりする中で、2122年、彼の孫による記述で終わります。 最後の作品は『それらの日々をへて、あの日がやってくる』。壁に貼られた夥しい量の日記と、そこに映し出されるパフォーマンス映像。やがて、それは彼の友人の死を扱ったものだとわかってきます。中学生の頃、言い争いで気まずい思いのまま疎遠になったその友人は、東日本大震災で亡くなったようです。

佐々瞬『それらの日々をへて、あの日がやってくる』2012年 撮影:齋藤圭吾 提供:東京都現代美術館
佐々瞬『それらの日々をへて、あの日がやってくる』2012年 撮影:齋藤圭吾 提供:東京都現代美術館

映像では、棺の蓋を開けて亡友役と対話する佐々さんの様子が。その前後で、佐々さんは日記を即興的に書き換えていきます。ときには優しく、ときには激しい言葉へ。人の死という変更不可能な出来事と、移ろいゆく記憶をどう受け止めるのか。会期中、このパフォーマンスの実演もあるようです。 絵を描くのが好きだった少年時代から、やがてアーティストを志したのは、優れたアーティストや、作品からの影響だったという佐々さん。しかし、作品制作の動機はより身近なものだと語ります。

佐々:現実に自分に起きた問題や、「わからないこと」。心理的であれ社会的であれ、それを何とかしたいという「思い」が出発点になることが多いですね。そこから、何故その「思い」が生まれるのかを探る。それが、作品を作るなかで得られる問題についての「ある解決策」になったりする。そうやってその都度、目の前にある世界の出来事に関わっていくこと、自分の経験や抱える問題を世界との繋がりの中で捉えたいと思うことが、作品を生み出す力になっています。

田村友一郎―美術館展示室と地下駐車場を作品で貫く映像作家

佐々さんの展示室を出ると、「あれ、これで終わり?」と一瞬戸惑います。なぜならその空間にあるのは、ロダンの彫刻やデイヴィッド・ホックニー、黒田清輝らの絵画など、近現代美術の名作群だから。しかもこれらは東京都現代美術館の収蔵作品です。

しかし油断は禁物です。壁の一隅には、「田村友一郎『深い沼』」の作品キャプションと、小説のワンシーンのような内容の短い散文が。まぎれもなく、ここが彼の展示室のようです。ご本人をつかまえてその真相を伺いました。

田村:このテキストはもともと、今回の展覧会に臨む作家のコメント文を美術館から求められて書いたものです。そのとき僕は東京から離れたある島に滞在中でしたが、この東京都現代美術館の歴史に興味があり、収蔵品リストを眺めていました。実はテキストはすべて、この収蔵品リストの作品タイトルを組み合わせて作ったものです。もちろんこの部屋に展示された15作品も含まれています。

田村友一郎『深い沼』2012年(部分)
田村友一郎『深い沼』2012年(部分)

さらに、彼の意図を読み解くもうひとつの鍵は、東京都現代美術館の地元・深川にゆかりある人物のようです。全てをここに書くことはできませんが、田村さんはその人物の一生や、暮らした町、そしてこの美術館の歴史から事実の断片をすくい上げ、独自の想像力で「過去に出会う」探訪の世界を紡ぎ出しました。

実はこの作品『深い沼』の展示は、地下駐車場にもつながっています。そこには前述の人物がかつて暮らした家が部分的に再建され、観賞者は音声ガイドと共に、見知らぬ過去へと降りてゆくような体験に誘われます。田村さんの紡いだ物語は、上階と地下をつないで完成するのです。

田村:家屋は能舞台をイメージして、映画美術の専門家に頼んで精密に再現してもらいました。能では亡霊と対話する物語が多いので、その連想もあって。この作品全体が、先ほどのテキストの思いつきから始まり、作りながらどんどん構想を加えて出来上がったものなんです。

田村友一郎
田村友一郎

ところで田村さんは「自分がアーティストだと思ったことはない」と言います。

田村:強いていえば映像作家、ですね。この作品では映像を撮ってないのでは? と思うでしょうが、例えば3階の展示も地下の家屋も、広い意味での「風景」を立ち上げる点で映像と考えています。自分でカメラを回すかどうかにはこだわりがありません。

何のためにアーティストとして作品を作るのかという質問には、「僕自身が見たい風景を作品化してきた、という以外に理由はないです」とシンプルな回答。「逆に何かのためとなると、アートは弱く、つまらないものになってしまうのでは」という言葉も印象的です。さまざまな意味で、美術館に収まり切らない田村さんの作品でした。

田中功起―事件は美術館(だけ)で起きてるんじゃない!?

最後に、受付で謎の言葉を仕掛けた、田中功起さんにお話を聞きました。これまで映像作品を中心に、日常にちょっと意外な現象を注ぎ込むような表現をしてきた田中さん。それにしても「美術館に作品のない参加作家」とは?

田中:美術館から依頼を受けて展覧会に参加するのは、アーティストの主な活動のひとつです。でもそれは同時に、美術というシステムに取り込まれた営みでもありますよね。例えば、そこでは会期や会場といった「決まり事」が常に優先される。でも展覧会という枠を取り払えば、作家はもっと色んなことを日々行っています。だから今回僕は展覧会という「決まり事」の中で行われてきたアーティストの活動を、その外にある活動と入れ替えてみたんです。

今回の田中さんの「館外活動」には、映画館での作品上映会など、展覧会チケットで見に行けるものもあれば、JR山手線に乗りながらゲストと語り合う『ダイアローグ・トゥー・ザ・パブリック(JR山手線)』のような、詳しい場所や時間が公開されないものもあります。

田中:他にも、この展覧会の担当学芸員・西川美穂子さんとの手紙のやりとりを『ART iT』に連載しているのですが(数年前から連載している『質問する』というコーナー)、これもこの展覧会の公式な出品作です。ちなみに、受付係の発言も『アーティスト・ステイトメント』という作品なので、あれが美術館にある僕の唯一の「出展作」とも言えますね(笑)。

たしかに、よく見れば受付係の胸元には作品キャプションが……。ステイトメント=宣言と解釈すれば、「美術館の外で活動しています」という言葉は、田中さんの活動姿勢を示すものともとれます。ご自身は、アーティストとしての生き方をどう考えているのでしょう?

田中功起『アーティスト・ステイトメント』
田中功起『アーティスト・ステイトメント』

田中:ある考え方の下で規範化された場では、それを受け入れるから平穏に生きていける現実もあります。制度も慣習も、もともとこの世界を便宜的に区切って円滑に社会が営まれるように生まれたものですからね。でも、アーティストはその慣習から離れた場所にも可能性を求め、異なる立場から別の考え方を提唱することができると思うんです。ただ今回の作品は、美術館やその制度と安易に敵対するわけではなく、いわば共犯することで可能性を探りたいと。『踊る大捜査線』で言えば、室井(システム内部の変革)と青島(現場の変革)みたいな(笑)。そしてここで試されていることは、アートに限らずどの分野にも通じることかもしれません。アートの世界で変革ができないなら、社会全体も変えられないだろうというのが僕の今の考えです。

左:田中功起
左:田中功起

こうしてアーティストたちの話を聞き、改めてこの展覧会全体を振り返ると、思うことが2つあります。ひとつは、彼らがとらえる「作る」という行為の多様さ。そこには視覚的・直感的な感動とはまた違う思考の営みがあります。付け加えれば、美術の歴史で先人たちが切り開き、積み重ねてきた文脈が、これらの若いアーティストの新しい挑戦に奥行きを与えている部分もありそうです。

もうひとつは、新たな価値の創造を担うアーティストが結果としてあらわにする、この世界の複雑さです。この展覧会の公式紹介文には、「物事の通常の状態に手を加え、異なる状況を設定することで、日常の風景に別の見え方をもたらす」とあります。でも彼らは「通常の状態」「日常の風景」自体が、実は見かけほど素朴で単純なものではないと知っているのでしょう。制度や慣習に対するカウンターというよりも、オルタナティブを示す動きが、彼らの目指す道なのかもしれません。

「風が吹けば桶屋が儲かる」。この言葉が展覧会に冠されたことの意味を、「アーティストとは何者なのか」という点から考えてみるのも興味深いですね。さて、みなさんはどの作品の中に「風」を感じ、そこから何が始まるでしょうか?

イベント情報
『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』

2012年10月27日(土)〜2013年2月3日(日)
会場:東京都 清澄白河 東京都現代美術館 企画展示室 3F
時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
参加作家:
奥村雄樹
佐々瞬
下道基行
田中功起
田村友一郎
Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)
森田浩彰
休館日:月曜(12月24日、1月14日は開館)、12月25日、12月28日〜1月1日、1月15日
料金:一般1,000円 大学生・65歳以上800円 中高生500円
※小学生以下無料

佐々瞬『それらの日々をへて、あの日がやってくる』パフォーマンス
2012年12月8日(土)
会場:東京都 東京都現代美術館 企画展示室3F
時間:未定(決まり次第、美術館ホームページで告知)
出演:小田原直也、佐々瞬
※当日有効の本展チケットが必要

奥村雄樹関連展示『通訳者のメモ』
2012年11月23日(金・祝)〜 12月2日(日)
会場:東京都 清澄白河 東京都現代美術館 ホワイエ

奥村雄樹『ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短いレクチャー』上映+トーク
2012年11月24日(土) 15:00より(14:30開場、17:00終了予定)
会場:東京都 清澄白河 東京都現代美術館 地下2F 講堂
トーク:平倉圭×星野太
料金:無料

田村友一郎関連イベント
2012年12月24日(月・祝)
会場:東京都 清澄白河 東京都現代美術館
※当日有効の本展チケットが必要
※開催時間は決定次第、美術館ホームページで告知

田中功起『質問する』
2012年9月〜約3か月
ウェブマガジン『ARTiT』上で掲載
※本展企画者との往復書簡
ART iT 連載 田中功起 質問する 8-1:西川美穂子さんへ1

森田浩彰によるパフォーマンス
会期中随時開催予定

学芸員によるギャラリーツアー
2013年1月12日(土)15:00〜16:00
会場:東京都 清澄白河 東京都現代美術館 企画展示室3F
※当日有効の本展チケットが必要



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