「フジワラノリ化」論 第15回 加藤浩次 山本復帰を待望するための執拗な加藤論 其の四 今求められる山本圭一の爆破力

其の四 今求められる山本圭一の爆破力

山本の復帰を待望する前に、彼が何故芸能界を干されたのかについて今一度おさらいしておく必要があるだろう。2006年、当時山本が所属していた萩本欽一率いる草野球チーム・茨城ゴールデンゴールズの試合で訪れた北海道で、未成年の少女から「山本に酒を飲まされ強姦をされた」と被害届が出され、山本は警察から事情聴取を受けたのだ。事件発覚から翌日というやたら素早い判断で所属事務所からクビが言い渡される。意外と知られていないのでキチンと書いておくと、山本は翌月に書類送検されたものの、翌々月には、少女とその保護者との和解が成立し、告訴を取り下げ不起訴処分となっている。繰り返そう、彼は不起訴処分となっているのだ。

事件性を比べる基準を設けられるわけではないが、いくつかの別の例を出しておこう。同じ吉本芸人では、1994年に板尾創路が14歳の女子中学生に対する淫行で逮捕されている。謹慎処分を受けるが解雇には至らず1年後に復帰している。「間違いないっ!」で一世風靡した長井秀和は2007年にフィリピンにて17歳の女子へのわいせつ行為で拘束、1000万円を超える金額を支払ったとされている。これは女子側がグルとなった美人局的な事件だったとの説も根強い。東国原知事は、未成年を働かせていたイメージクラブに通い16歳の女子から性的サービスを受けていたとされ警察から事情聴取を受けている。逮捕されたわけではない。「あいつ、知事なんてやってっけど、淫行野郎だったじゃないか」と未だに言われているが、前後に暴行事件はあれども、淫行で「裁かれた」人物ではない。問題は島田紳助である。所属事務所のマネージャーを暴行、髪を掴んで壁に打ちつけ、頭を素手で殴り、唾を吐きかけ、約2ヶ月の怪我を負わせたのだ。こちらは略式起訴の上、被害者が損害賠償を請求、今年10月に1045万円の賠償命令が下っている。ちなみに本人は事件発生からたった2ヵ月の謹慎の後に復帰している。感動屋の気性を反省にシフトチェンジして涙を流して謝罪する様に警戒心を募らせていたが、世間はまんまと彼を許してしまった。子どもっぽい論理だが、敢えて言う。これならば山本だって復帰を許されるべきだ。山本に復帰の意志があるならば、それを拾い上げてあげるべきだ。紳助を許して山本に厳しいのは、組織からの重宝具合の違いだとの分析もある。恐らくその通りだろう。しかし単なる視聴者である我々が、法の判断より芸能界の論理を先立たせてどうする。山本は「戻って来られる」人材だということをまず認知して欲しい。

何故、山本が必要かに話を移していこう。今のお笑いの世界は、「特権化」と「瞬間化」していると読む。特権化とはつまり、出所が問われその上でコミュニティーを形成するなり所属するなりしなければそれなりの位置を保てないということだ。最初の章で書いたことと重複するが、だからこそこれまで吉本芸人を分析する気にならなかったし、お笑いブームの深度に疑いがあった。瞬間化とは何か。一言ネタのことを指しているわけではない。漫才の中だろうが、コントの中だろうが、笑いが唐突に起きてその場で終息する、この繰り返しである。徐々に攻め立てていって爆発、という笑いの作り方がとことん流行らなくなった。勿論、肝心のギャグは瞬間の爆発で構わない。しかし、場を破壊する場面を作り上げるのに時間をかけなくなった。M-1に出てくるようなお笑い芸人のネタやバラエティでの動きを見ていると、1エピソードで笑いを作り出せと時間の短縮化を迫られている気がする。その1企画全体に通底する笑いは要らない。場面ごとにどんな火をつけるかだけが問われている。志村けんやビートたけしのコントには、繰り返しの美学があった。最初に連続して3度ほど同じボケをかまして忘れたころにもう1回やって、締めくくりでもう1回やってずっこけるという構成。こういう構成を持っていると、観る側は、お、そろそろ来るかまだ来ないのかと全体を通す期待感の中でテレビの前に向き合うことが出来た。しかし、今の作りはテレビをつけたその瞬間から10数秒後には笑いが無ければならない。テレビが受け手にとって必ずしも一番目のメディアではなくなった昨今、受け手を飽きさせない結果の羅列が闇雲に積み重ねられていく。お笑いのみならずニュースまでそうなっているのは更なる問題だがひとまず置いておいて、ともかくお笑いは特権化と瞬間化に支配されている。特権化から思い浮かぶ面々が各々いるだろう。そこで笑いをとるのは、特権支配下で瞬間的に笑いを作る誰かに違いない。

「フジワラノリ化」論 第15回 加藤浩次

出川哲朗や上島竜兵や柳沢慎吾といった、周辺に権力者がいることで爆発する中堅芸人の凄みは、瞬間芸と思わせていて、番組の最初から最後までいつでも対応出来るクドさを全体に平然と流し込んでいる姿にある。つまり、いつどこで振られても、これまでの流れを汲んでサブくも出来れば新しく舵をさし向けることも出来る(舵取りは出来ない)。山本が復帰することがあれば、彼にこういった立ち回りを求めていくことができるだろう。「めちゃイケ」のクドさは極楽とんぼが作っていた。岡村の効力が近年落ち込んでいたのは、「めちゃイケ」において、彼の動作に付随していく共闘者が欠けていたからではないか。矢部が例のイントネーションで「岡村さ〜ん」と動きを遮っても、その前に出てくる岡村はいつもの岡村だ。そこに乗っかってくる山本、場は荒れて……というのが「めちゃイケ」の健康体だと思える。極楽とんぼに再結集する可能性があるとして、復帰した際に、比べるコンビとなるのはやはりミドルクラスの、ロンドンブーツ、さまぁ〜ず、くりぃむしちゅー、雨上がり決死隊、ココリコ、ホンジャマカ、ネプチューンということになろう。さまぁ〜ずはそうでもないが、何やらこのミドルクラスは漫談やコントからとことん遠ざかっているように思える。それなりにライブではやっているのかもしれないが、コンビでの漫談形式をテレビで晒すことは少ない。となると彼等もまた、それなりの地位を活かして、特権と瞬間でその場をこなしているように思えてしまう。

宮崎テレビで、現在勤務している肉巻きおにぎり屋の広報担当としてテレビ出演を果たした山本圭一の姿を観た。赤いTシャツに衛生キャップを被る彼が、工場内で商品の説明をしている。肉を巻く作業工程の場に足を入れたアナウンサーに「どうです、やってみますか?」と声をかけ「いいんですか?」と答えたアナウンサーに「ダメに決まっているじゃないですか!」と軽い笑いを作り出す姿は、やはり山本そのものだった。極楽とんぼとして出るわけではなくあくまでも広報担当であるからには、カメラ割として、左にアナウンサー、右にマイクを向けられる山本という構図が正しいはずだが、カメラマンはいつの間にか山本をセンターに置いてしまっていた。目線をばっちりカメラに合わせて、連絡先をこちらと、編集時に入れるテロップを見越して指を揺らす動きは全く玄人のものだった。

ミドルクラスの「反乱」は若手の「氾濫」を食い止め、全体の実力を底上げする機能を持つに違いない。ピラミッド型のお笑い業界は、最底辺が最上部にモノを投げることは出来ないシステムになっている。最上部にモノを投げられるのはミドルクラスしかいない。しかし、現状のミドルクラスは、黙り込むか、テメエの居心地ばかりを考えている。打破しようとしない、壊そうとしない、脅そうとしない。さんまが出てくれることの重要さを、紳助が喋ってくれることの崇高さを、たけしが転んでくれる律儀さを、ミドルが下層に捻り無く伝えているだけだ。伝書鳩としてのミドルをこのまま許容して、何が変わるのだろう。課長や係長が暴れないと会社は好転しない。社長と役員の通達を平社員に伝えるだけの管理職は要らない。山本の復帰を待望するのは、やっぱり彼が、この旧い体質を強引に改善する最終兵器だと信じ込みたいからである。クドいまでに突っ込み、止めろと言われれば更に動き、番組の主がここに落ち着かせようと企んだ瞬間に、ガキ大将のように、その安直な道筋を否定してみせる。巧いことを言ってみよう。この男が「奇声」を出せば、「既成」が壊れ、「規制」は緩む。だから私は、山本の「帰省」を望む。



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