「フジワラノリ化」論 第20回 島田紳助 紳助依存から脱・紳助へ 其の四 小室、つんく、島田、秋元、EXILE

其の四 小室、つんく、島田、秋元、EXILE

元旦の深夜、地元の神社への初詣を終え、風呂を済ませ、実家ならではの豊富なお菓子(キットカットとカントリーマアムは未だに実家でしか食べられないものと決めつけている)にありつきながら、テレビを点ける。朝方までやっている『CDTVスペシャル』を観るのだ。紅白を終えてそのまま駆けつけた歌手、だけではない、おっと、島谷ひとみ久しぶりだなぁとキットカットを半分に割らずに豪快に食らう夜。ライブの間に挟み込まれるのは、この番組が持つ豊富なストック映像で振り返る年別のランキング映像だ。90年代半ばから始まったこの番組の歴史は、自分のJ-POP受容史とピッタリ重なる。しかも、実家のリビングで1人、となれば、あれこれの思い出が蒸し返される。そういえば隣町に住んでたアイツからイエモンのアルバムをまだ返してもらってないな、と気付いたりもする。

90年代半ばといえば、小室ファミリーだ。trf、安室奈美恵、華原朋美、globeは当然のこととして、KABA.ちゃんがおネエキャラを隠していた頃のdos、小室ファミリーが総結集した「TK presentsこねっと」の“YOU ARE THE ONE”等が流れ出せば、テレビの前に釘付けになる。一度ファミリーが形成されると、そのシーンはそこからの距離で動かされる。或いは、同系統の縮小再生産だ。伊秩弘将がプロデュースしたSPEED、deeps、八反安未果と名前が蘇ると、頭の中で『夜もヒッパレ』が再演される。知念里奈は元気だろうか、満島ひかりがFolder5だった頃からオレは知ってるぞと、夜な夜な独りでウルサい。小室ファミリーが衰退すると、つんくファミリーが出てくる。モーニング娘。、メロン記念日、うん、ああそうだ、太陽とシスコムーンは途中でT&Cボンバーに改名したんだっけなと思い出す。『ASAYAN』の川平慈英の過剰なナレーションが頭に蘇ってくる。平家みちよは今、モー娘。をどう見ているのだろうか。カントリーマウムをカポリと一口で食べては、余計な心配をする。

つんくファミリーがおおよそ下火に向かう2005年前後からのランキング映像を見て気が付く。いわゆるファミリーものがここで途絶えるのだ。ZARDやWANDSらのビーインググループから小室ファミリーへ、そしてつんくファミリーへと繋がれたファミリー需要が一旦途絶える。ドラマやCMのタイアップで大量に露出させ、知名度を人工的に得たところでその関連人材へと人気を拡張させていくファミリー商法が、いつの頃からかチャートの中で機能しなくなった。つんくファミリーが見出した、素人が玄人になっていく過程をコッテリと垂れ流すやり方に、あからさまな階層を付け加え、その階層をファンにいじらせるシステム作ったのが現在の秋元康であるが、それまでしばし、ファミリーが不在になる。

いや、不在だと思っていた、ということになろう。CDTVも後半、2008年のランキングで手をグルングルン回す「羞恥心」を久方ぶりに見た時、ああそうか、つんくの衰退と秋元の再びの開花の間に、島田紳助が率いたヘキサゴンファミリーってのがあったかと思い出したのだった。ご存知のように、テレビ番組『クイズ!ヘキサゴンII 』の常連出演者を中心としたヘキサゴンファミリーからは様々な派生物が生まれた、羞恥心やPaboといった定期的なユニットだけではなく、単発企画モノ音源も多岐に亘り、番組と音源の連動、そして、玩具やゲームにも参入したりと、幅を広げてみせた。このファミリーを仕切った島田紳助は、カシアス島田名義で作詞を行い、つんく的な言葉遊びの技法を更新してみせた。そういえば、サウンドも、チープな音をとにかくテンション高めで重ね合わせていくことで耳馴染みの良いポップスに仕立てていくという点において、つんくに似ているのかもしれない。つまり、クオリティよりも好きになってもらうための装置をあちらこちらにまぶすことを優先した。そしてそれは見事に成功した。

「フジワラノリ化」論 第20回 島田紳助

ここでちょっとだけ大胆な説を打ち出すが、ヘキサゴンファミリーとEXILEは、その周辺の成り立ちにおいて近似する。EXILEは事あるごとに、「(自分たちはミュージシャンとしてだけではなく)最高のエンターテイメントを追求する」と言う。歌って踊るだけではなく、劇団の結成や、雑誌『月刊EXILE』の刊行、そしてバラエティの冠番組を持つなど、思いつく広がりを手当たり次第形にしていった。「エグザムライ」なるアニメも作った。バラエティが音楽の世界に飛び込んでいくのがヘキサゴン(考えてみればポケビ、ブラビらウリナリファミリーとやったことは変わらない)、音楽の世界から様々なエンタメの主戦場に乗り込んでくるEXILE。彼等がベスト盤3枚をリリースして一気に勢いを増すのが2008年だから、ヘキサゴンとEXILEは、騎馬戦で両陣営がもみ合うように、一時期のエンターテイメント業界を牛耳った。みうらじゅんは、イラストからコラム・小説、映画、エロ、祭り、天狗、仏像と、節操無く広がっていく自分の仕事の形態を「一人電通」状態と称しているが、言うならばヘキサゴンとEXILEは、「10数人による電通と博報堂」状態だった。こちらの電通っぷりはお金になるものしかやらないという、よりリアル電通的展開だったが、とにかく、手を出せるものは出していき、それをテレビ局(ヘキサゴンならフジテレビ/EXILEならTBS)に支えてもらいながら拡大していく作法をとった。EXILEもヘキサゴンファミリーも、常にテンションが高かった。わざわざ立ち上がって何故だかハイタッチして笑いを共有するEXILE、島田紳助特有の炎上型の笑いを若々しいメンツでたいそうな盛り上がりに仕立てていくヘキサゴン、アメフトの試合前なのか後なのか、選手が人差し指を天に掲げて寄り添い「ウオー」と叫ぶ儀式があるけれど(儀式かどうかしらないけれど)、あの手の、周りを置き去りにしたハイテンションが発散されていた。このハイテンション、理解してくれるよね、というスタンスだった。いや、すみません、理解できません。

ヘキサゴンファミリーから生まれた歌はどれも高校の学園祭レベルだった。しかし、誰もがそれで良しとしていた。番組に土俵があって、土俵外は肩の力を抜く。EXILEにとってのトーク番組というのも同質で、土俵はステージにあって、土俵外はそれを自分たちが仕切るべきテレビ番組であってもラフに行く。終始、ういっす、という感じだ。和民の隅っこで盛り上がる仲間内の飲み会のような盛り上がりでも構わない、なぜなら俺たちはEXILEだから。行動範囲を広げていく上で生じる気の緩みみたいなものも引っ括めてエンターテインメントの具材にしていく。ヘキサゴンはそもそも、島田紳助の突っ込みとおバカタレントの掛け合いの面白さから人気となった番組だ。「其の一」の議論に戻すと、いっつも自分の傘下を目の前に用意してそことの距離感で遊ぶことしかできなかった島田紳助にとって、羞恥心(つるの剛士・上地雄輔・野久保直樹)やPabo(木下優樹菜・里田まい・スザンヌ)は、手垢のついていない存在を扱う、久方ぶりの機会だった。トークに技量の備わっている相手ではない。投げた球を打ち返したとしても早速三塁に向かって走り出すような面々と、生産的な爆笑を建設することはできない。ならばと、そのコミュニケーションが成り立たないところを笑いに転換してしまえと目論んだわけだ。視聴者として、そのおバカっぷりが面白かったと記憶している人も多いかもしれないが、これを得たのは島田紳助にとっては大きな転換であり、大きな収穫だった。「想定の範囲内」ばかりで仕事をしてきた島田紳助にとって、「至急、現状の把握に努め」なければならない事態は、とっても久しぶりの経験だったに違いない。ヘキサゴンブームの渦中の島田紳助は、覇気があった。お笑い欲と司会欲とプロデュース欲を複合的に消化できるヘキサゴンという番組の作りは、視聴者にも刺激になった。野村再生工場じゃないが、misonoや岡田圭右など一度沈みかけた存在を再浮上させるきっかけも作った。

では、何故、終わったのか。島田紳助引退後、真っ先に島田の自宅に駆けつけたのが「父ちゃん」と泣き叫ぶ上地雄輔だったように、つまり、島田紳助はこのファミリーについてもいつものように完全な傘下として取り込んでしまった。素人の学芸会を結局そういう骨組みに仕上げてしまった。だから、やっぱり飽きられてしまった。これは、小室やつんくファミリーの終焉とは全く次元の異なる終焉だった。ある傾向を持つ音楽や振る舞いが続けば、一時は麻痺したように聴き、ある時に、麻痺が消えたように聴くのを止める。AKBだってあと2年もすれば本格的にブームは去るだろう。でもそれは秋元や彼女らの実力がどうというワケではない。盛者必衰の流れの中での必然だ。でも島田紳助率いるヘキサゴンファミリーの失速はそういう必然性のある致し方ない衰えではなかった。興したムーブメントの内臓を島田紳助が自身でいつの間にか島田紳助化させてしまったことで腐らせてしまった。松本人志は絶対にこれをやらない。色の付いていない芸人や芸能人に、自分色に染まる錠剤を配らない。島田紳助は「俺色に染まれ」をついつい強いてしまう。結果、ヘキサゴンでもミニ東野幸治を探し求めてしまった。ミニ東野幸治は東野幸治だけで充分だと茶の間は思っていることに、島田紳助は最後まで気付けなかった。『ヘキサゴン』はこの9月で終了した。他の番組が代役司会者を立てて継続するのと違って、こちらは代役を立てるだけではダメと判断された。なにかそれは、島田紳助が最後に築いたそれなりに大きな共和国に「売出物件」と掲げられた挙句、いつまでも買い手が付かなかった侘しい廃墟の寂しさが募ってくるかのよう。廃墟は壊されるとたちまち更地になる。幾年後かの年始のCDTV特番で手をグルングルン回す3人組を見ながら、あの時あそこにあんな共和国があったなあとしみじみ思い出すのだろう。



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