CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』

CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2009年1月配信分(vol.208〜211)

vol.208 名前を変えまして新春(2009/01/05)

全裸

年明けでキリがいい。ので、名前を変える。諸事情があったからだが、事情が諸である以上突っ込まずにいただけると助かるのでございます。さて名前でも変えましょうかと相談してみた時に、ある信頼できる友人女史が、インドカレーを食べ終わり、コピー用紙を丸めた巻き物を取り出した。あたし名前考えてきたと開いたそこには、砂鉄とあった。多分、そこにいたあちらの国の店員は、あらお子さんが産まれたのかしらと思っただろう。もしくは平成が終わった時用に先走って年号考えちゃったのかしらとほくそ笑んだに違いないのだが、それ、僕の名前なのでした。砂鉄、これは射抜いている。砂鉄というのは、控えめである。オレ、鉄です、とは絶対に言わない。砂の中に磁石を入れてようやくオレは実は鉄でしたと付いてくる。しかし、付いてきたとなったら徹底的に付いてくる。もういいよってくらい付いてくる。控えめだったのに、気付いたらしつこい。これは小心者が力を込めて物申す唯一の論法であって、非常に適当な名前でございます。命名者に感謝。いろいろと、この名前で行く事にします。

大江戸線に地味な女子高生が二人座っていた。嵐の大野君だけど、あの雑誌のグラビアは最高に格好良かったのに、昨日観たテレビでの大野君は疲れていて冴えなかったと漏らせば、もう一人も力強く頷いた。いい、すごくいい。バスケ部の先輩に憧れてるだけじゃ事足りなくて具体的に獲りにかかる女子高生もいいけども、机上の空論を、本当に机上で熱弁できるそのスタンスが僕は好きだ。声が大きい。地下鉄は基本的にうるさいが、それよりも音量を上げて、大野君が冴えなかった理由を語り尽くす。年末だから仕事が立て込んでいるんだろうし、なんて言う。こうやって業界面に理由を求める所も、いい机上っぷりだ。どうせ夜遊びしてんだろー、なんて分かりきった口を聞く輩も多かろう。大野君ったらそうなのかもしれない。だけども、この場合において、彼女らが重ねる議論は圧倒的に正しいのだ。間違っていたとしても正しいのだ。そういう議論が折り重なって、嵐は嵐でいられるのだ。

話の転換点を聞き漏らしたのだが、ただ驚嘆した。なぜ大野君が冴えなかったのかを話していた地味女子がこう話を切り出していた。「私の夢なんだけど、公務員として働いて、その中で相手を見つけて結婚することなの」。ホリエモンは宇宙に行きたいと言った。叶姉妹も宇宙旅行がしたいわと言った。でもこの女子高生は公務員と結婚すると言った。夢について共有できる尺度を強引に設定してその上でジャッジしたとしたら、たぶんこの女子高生のほうが正しい。しかしこの場合においては、正しい、正しくないから早速外れたくなる。公務員を否定しない。というか、公務員の仕事を知らない。9時5時でいいなと自らのお忙しさを持ち出して嘲笑する人は多いが、9時7時くらいで終わるのに10時25時を繰り返している人を沢山知っている。9時5時で全く構わない。でも、大野君の在り方に一つ一つ注視している彼女から、その夢というか、より生々しい予定は聞きたくなかった。なぜか。これが実は見つかっていない。真っ当な将来設定である。その対極にある「もしかしたら家の前に大野君が通りかかって、ベランダでシャボン玉を吹かしているワタシに声をかけてくれるかもしれない」よりずっといい。でも、本当にそれでいいのか。相川七瀬は「夢見る少女じゃいられない」と歌った。でもあれは一応ロックで、一応反抗だった。これはロックじゃない。悩む。そんな中、柳沢慎吾は今年もまた「イイ夢観ろよっ」と言っていた。助かる。砂鉄として、こちらに付いていこうと思う。

vol.209 PASMOを投げる上京ホストへ(2009/01/13)

全裸

おばさんというのは人のせいにするだけだと思っていたら、機械のせいにもする。自動改札で「カンッ」と音がして、行かせまいと扉が閉まる。どうやら料金が足りないらしい。ところであの音を皆はどう言語化するだろう。わざわざ調査に出向いてみて検証した結果、私は「カンッ」と称すことにした。おばさん自動改札側の不手際でアタシを通らせてくれないのだと譲らない。カンッと閉まった改札に再挑戦する。まさか再挑戦するとは思わなかった後続の客は驚いている。まさかの再挑戦の意向に、その改札はちょっとした行列化を起こす。おばさんは後ろを振り向かない。自動改札への懐疑と嫌悪が混ざり合わさって「んもぅ」と口に出して再び自動改札に向かう。結果は当然「カンッ」だ。おばさんは往生際が悪い。嫌いなことは「すみません、と言うこと」である。その場で手を挙げる。挙手したら先生が来るのは高校生までだ。挙手で誰かが来ると思っている所が無闇に強い。自動改札たちから一本上がる手を「見つけてしまった」駅員が歩み寄る。「ちょっとこれぇ」に即答するように「料金が足りませんね」と続ける駅員に、後続から心の拍手が送られる。どうしてかおばさんというのは、ここで突然にお茶目になることで場を解消しようとする。間違えちゃったわエヘヘと首を傾げながら、後続を気に留める事無く立ち去っていく。傾げた首をさらに曲げてやろうかと再度見てみればもうすでにしゃんと伸びちゃった首が人ごみに消えていく所だった。おばさんは強い。

EXILEのつもりが黒夢になっちゃった、みたいな格好をしたホストの売れ残りが魅せてくれた。おばさんがPASMOで戦う姿勢を見せた一方、売れないホストはPASMOとコラボする。いつ何時を切り取られてもカッコ良くならなければ、ホストとは言えまい(知らないけど)。PASMOまでの距離は1メートル前後あっただろう。彼はPASMO入りの定期ケースを、弧を描くかのように放り投げ、その側面をPASMO認識部分にピタリと合わせたのである。当然扉は開く。新宿駅ともあれば、例え50センチでも空いていれば横入りしてくる可能性がある。しかし、いや、だからこそ彼は投げた。それによって開けた。となると横入りは出来ない。彼はその1メートルを俺様のものとして闊歩した。オレは、先輩ホストについた女が入れたドンペリをコールしてるだけじゃ終わらない男だぜ。北国から上京して三ヶ月(知らないけど)、東京で生きていくことの難しさは立ちはだかる一方、だけどオレはオレの道を行く、PASMO投げにはその意志が滲んでいた。

彼のPASMO投げはかっちょ良かった。ただ、一点だけ指摘しておきたい。彼はPASMOカードを側面の透明ケースに入れていた。その側面を認識部分にあわせるべく、アンダースローで慎重に認識部分を狙った。その様は、カーリングだとかゴルフのピン寄せだとか地味めのスポーツとかぶるのだった。それでいいのかホスト。もしかしたら彼は、直に認識部分にあてなければPASMOが反応しないと勘違いしているのではないか。あれは、そのケースに入っていればそれが内側のカード入れに入っていようとも反応するのだ。上京して三ヶ月、PASMOの在り方を未だ体得していないのだろう。PASMOはどこに入っていても反応するんだぞ。それを分かってくれさえすれば、彼がアンダースローにこだわる理由はない。むしろ、オーバースローかサイドスローへ移行していけば、距離も速度も出せる。いつまでもアンダースローでPASMOを開けようとする下っ端ホストに、オーバースローの直球で割り込んでしまえばいい。そういう男に女は弱い(知らないけど)。東京で勝つとはそういうことなんだよ。速度と距離をもっと磨きなさい。

vol.210 部屋とYシャツと私と便座(2009/01/19)

全裸

携帯電話というのは実は汚れていて細菌の量は便座以上なんですと報告し、まさかそんなに汚いとは、と驚かせていた。こういう時に必要なのは、もしかしたら便座が割とキレイなのではないかと調べてみる見地だ。便器は意外とキレイと考えてみるほうが、携帯電話って実は汚いという結末より幸せに違いない。わざわざ落ち込む選択肢で煽る必要はないだろう。携帯電話をトイレに落としてデータがぶっ飛んだと涙する輩を三ヶ月に一回くらい見かけるが、便座へのリスペクトに欠けるからそんなことになるのだ。落としたそいつは、データが飛んだ事実と同様かそれ以上に、トイレで亡くなってしまった最期を情けなく思い悔やんでいるのだった。まったく失礼な話である。むしろ携帯電話が、便座と同じくらいキレイなのだ。

我が家に便座カバーはない。しようとも思わない。たまの来客はどうして便座カバーがないのだと憤るが、便座カバーがあるのはあくまでも特別な状態であって、便座カバーが無いのを「至らない」とか「足りない」と判断するのはいかがなものかと感じる。ウォシュレットに慣れたお尻が旅行などへ行って、ウォシュレットじゃないとお尻をヒリヒリ痛めながら喚くらしいのだが、日頃甘やかして育てたお尻に共感など持ち得ない。冷えきった便座にお尻をつける。全身が硬直する。この硬直は二つの意味を持つ。まずはその硬直によって気は引き締まり、眠気は吹き飛ぶ。なまりきった体に電流を通わすかのようだ。そしてもう一点は、ちょっとした便意が引っ込むという利点である。便意とどう付き合うかというのは人間にとっての基本案件である。二種類に区分される。無理に出す必要のある人と、無理には出す必要の無い人である。私は後者である。

後者が前者のような臨み方をしてしまうと、お尻は「痔」というイエローカードを提示してくるらしい。それはちょっと危険行為ではないかと警告するのだ。相当な便意でなければ、出す必要はないのだ。それが後者としての嗜みなのである。しかし、家にいればトイレはそこにある。イエローカードの危険性も感じずに、ちょっとした便意を誇大化して便器に向かう。そんな時、冷えきった便器は注意を促してくれる。それは本当に出すべき便意ですかと。全うな言い様で叱られると人はまず硬直する。答えとか言い訳の類いを一切持てなくなるのだ。冷えきった便座はこの場に及んで残酷に問うてくる。本当に今出すべきものかと。そんな事はありませんでしたと便座に頭を下げつつフタをする。便座カバーなんてしちゃってる君はこの声を聞けずにイエローカードの累積で大変なことになっているだろうが、不要な便意は最高の便意を封殺していることも気付かなければならない。下品ではなく美学なので書き続けるが、相当な便意の際に一度に解放したほうが、身体は喜びに満ちあふれるではないか。

「信頼のおける友人とは誰か」を書きなさいと街角で問われたら、便座と答えるのも辞さない構えである。「あなたを支える人とは誰ですか」と問われたら、便座と即答するだろう。裸の付き合い、という精神論めいた言葉がある。好きではない言葉だ。どちらかがどちらかを強いているからである。しかし、便座と私の「直の」付き合いにそうゆう力関係は皆無だ。仲介人は要らないし、あっちだってその意気込みを理解してくれる。時には注意をしてくれる。しっかし、便座と同じくらい汚い、とはどういうことなのだ。怒りがおさまらない。オマエの母ちゃん出ベソと言われた時に似た侮辱だ。今日も便座はキンキンに冷えている。その光沢は歓迎の証か。今、この週末、携帯になんかエロメールしか来ない。そんなんのほうが汚いんだ絶対。

vol.211 ウィーキャンとユーキャン(2009/01/26)

全裸

世はオバマのウィーキャンでチェンジを狙っているらしいのだが、やっぱり個人単位でチェンジするには生涯学習しながらユーキャンとぼそぼそ呟くしかなさそうで、ここ一週間、日能研の車内広告にあった設問を考え続けていた。そこにはこうあった。「映像(映画など)と比べて、本を読むことの魅力はどこにあると思いますか。一〇〇字以上一五〇字以内で述べなさい。(2008年雙葉中学校入試問題より)」

考え続けていたというのは、自分なりの答えを悩んでいたのではなくて、どういう答えが雙葉中に合格するにふさわしい答えなのかという事だ。何点か挙げながら考えていこう。まずはありきたりな模範解答を考えてみる。「コップから水がこぼれる、と書いてあったとします。もしこれが映像だったならば、そのこぼれ方は一種類しかありません。でも文字で書いてあれば、そのこぼれ方を沢山考えることができます。水のこぼれ方を自由に考えて良い、これが本を読むことの魅力なのだと思います(124字)」。うん、マルをもらえそうだ。しかし、いまいち個性に欠ける。こんな解答だったら落ちるだろうなという業界人的解答を無意味に挟んでみよう。「映画を先に作ってその後でノベライズにして本を出してもちっとも売れないけど、本を先に出してその本を映画化させれば相乗効果で両方ともヒットできるので(72字)」。「事実」なのだが、字数も足りないし入試ではマルをもらえない。

ひねくれた解釈で設問自体を疑うという手もある。「どうして、本を読むことが映像より魅力的だと言い切れるのでしょうか。設問にはその理由が書かれていません。私が雙葉中に入って学びたい事は、この設問のような、世の『当たり前』を疑うことです。そこを疑わないまま、この設問に答えるようではいけないと強く思うのです(126字)」。うん、正論だ。しかし、お嬢様学校と噂されるこの学校、屁理屈と捉えられてしまう可能性が強い。となれば、設問に答えずポエム風に仕立てるという技もある。「もう今はいなくなって久しい二軒となりのおばさんから絵本をもらったのは三歳のころだった 毎晩お母さんに読んでもらったその本にはお気に入りのページがあった そのページを読むころ私はいつもスヤスヤと寝息をたてはじめたんだって ある日そのページが破れてしまったんだ その日からおばさんを見かけなくなったんだ(149字)」。おお、いいかもしれない。エンディングを読み手に任せる所が涙を誘う。

「この際、他の子がどんな事を書いてんのか見てやろうと隣の席の子を覗き見してみたんだけど、本は無限に広がっていくからです、なんつって書いてやがる。中学生になろうってのに、そういう無闇なメルヘンに付き合ってらんないね。本の世界には限りがある。映像も同じくだ。要するに自分の世界をどうやって広げていくか、その時に手助けになってくれるものは何か、それはその時にならなければ分からない。ゆえにこの設問は意味を成していないね(205字)」。尾崎豊「15の夜」風、文字数多いし、これでは落ちるか。

これはどうだ。「自分という名の本を開いた時、まだそこは白紙だらけです。この本にどんな物語を書いていこう、私は今、強い想いにかられています。白紙であればどんな物語でも許されるというわけではありません。自分という名の本をしっかりと書き終えて、そこから動き出す登場人物を見つけていきたいなと思っています(140字)」。どう、この答え。そもそも答えてすらないんだけど、何となく答えた感じがする圧倒的な優等生オーラ。本年の雙葉中受験日は2月1日です。今年も同じ設問が出る可能性だってありますよ。無断転載一向に構いません。ウィーキャンの前にユーキャンです、健闘を祈ります。



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