CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』

CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2009年8月配信分(vol.237〜241)

vol.237 愛し合ってはいない(2009/08/03)

全裸

もうすぐ30歳ってところだろうか、「フリーハグ」とプラカードを掲げた女性を、あるロックフェスで見かけた。要するに、どうぞ抱きしめてください、ってことらしい。目が合えば、そのプラカードを下げて、両手を広げて、さあ、と構える。何人かの男性がその女性とハグをしていた。

この開放感は本当に開放されているのか、とまず考えた。雰囲気が許しているのは間違いない。兼ねてから、ロックフェスは人の感情を「許しすぎている」と思ってきた。ダメなバンドはダメだ。ヒドい演奏はヒドい。これくらいのことも霧散させてしまう。エコとかハッピーとかピースとか、便利な横文字にここぞとばかりに乗っかってしまう。期間限定の横文字がその期間中だけ絶対的な強度を放つ。だから、フリーハグという新たな横文字だって機能しちゃうなと、考え込んでしまったのだ。

高校時代、「この学校は自由です」と先生が繰り返していた。決まり文句のように「でも、自由ほど厳しいルールはありません、自分で自分のことを決めていかなければならないのですから」と続けていた。生徒としてこちらが体感し認証する前に、自由が確定していた。フリーハグというのも、同じ原理である。ハグ、自由ですよ。そう言われても、こちらの選択は、「フリー」と決まっている以上、介入出来ないのである。「抱いてください」というプラカードなら理解できる。その申し出を受けて、応えるか断るかをこちらが選択すればよいのだから。

「フリーハグ」とのプラカードに飛び込んでいく男たちの邪念については書かない。それに、否定するものでもないし。しかし、心配なのは、自身への問いかけの中で、その邪念を追いやって「この空気を分かち合いたいから」という純真さを瞬時に捏造して、キラキラと彼女の胸に飛び込んでいったのではないかということだ。

苦い記憶が蘇る。あれは日韓ワールドカップの時だ。六本木の会社で働いていた僕は、届けものがあったので、六本木の交差点を渡った。渡ったというか、殆ど通行止め状態のそこには青い集団がたむろっていて、行き交う人とハイタッチを繰り返していた。当然、そのテンションに同調できなかった僕は、ハイタッチを断った。すると、そいつは怒鳴った。ざけんなよ、なんでやんねぇんだよ、と。

フリーハグでもハイタッチでも、「何だか良さそう」と思われることは、一目散に「善いこと」と結論を与えられる。これを最近「善の磁力」と呼ぶことにしているが、ある場所ある時だけ、善が非常なスピードで起動していく。そしてその善を強いる。こぼれると、怒鳴る、せせら笑う、空気読めてないよね、とか言う。

忌野清志郎のトリビュートバンドが出ていた。生前の彼の映像をライブの演奏と合わせいた。彼は「愛し合ってるかい」と繰り返していた。愛してるかい、ではなくて、愛し合ってるかい、である。当たり前ではございますが、相手の感情や感情に基づく動作には、互いの交歓が必要である。そうなると、僕はやっぱり思うんである。あの「フリーハグ」は反則だと。彼女はハグしてくれたことを喜ぶだろう。ハグしてくれた空気を褒め讃え信じるだろう。しかし、それよりも、その大抵がハグしてこなかったことを何よりも先に考えてみるべきだ。そういうことが、夏フェス辺りに飛び交う横文字を浮つかせないために必須だと思うのでありますがいかがでございましょう。「相手」のことを思って、そう言わせていただきます。

vol.238 BOOK OFFの臭いを考える(2009/08/10)

全裸

BOOK OFFの臭いについて考え込んでみたい。あのチェーンが店内で醸す、いわゆる古本屋臭とは異なる香りの出所はどこにあるのか。こちらはレモンスカッシュ、あとはカフェオレとアイスティーだったか、男三人、しばし、語り合ったのである。

やや汗っぽくはある。しかし、体育会系の部室のような分かりやすさでは無い。そういった部室には必ず誰の物かほぼ特定は出来ているものの放っておかれたままの靴下がいくつか潜んでいて、しかしその発臭源を責めることなく、穏やかな目でその靴下を愛でている。なぜならば、自分もある程度臭いからだ。汗かいて部室に帰ればそれなりに香る。その香りを、そこにある靴下でごまかし、「8×4」的なアレで自分の臭いをフェイドアウトさせていく。つまり、その場が臭くても許されるのである。悪臭を咎める必然性が無いのだ。

それにしてもBOOK OFFは臭い。汗の臭いがする。しかし、サッカーの後、野球の後、そういった、「突き詰めた」汗の臭いではないのだ。帰りの満員電車でサラリーマンの皆さんの首元から発せられる悪臭って、発するほうも受け取るほうも、もはや諦めているわけである。しかし、BOOK OFFのそれに関してはそこまでのレベルに届くものでもない。入店を拒むほどの臭いではない。しかし、心地よく店内にいられるほどの微臭でもない。その「微」はどこから発せられ、何によってキープされるのか。

BOOK OFFの店員には、やや汗っぽい人が多い。これを直接的な原因と考えることはひとまず無難である。シャツに汗を滲ませている店員も少なくないし、店内で先輩に仕事の進捗を問われているようでそそくさ動き回りすぎてあたふたしながら小汗をかく新米店員も目につく。しかし、BOOK OFFの店内は基本的に広く明るく通気も良く作られている。数名の店員の集積が店内の臭いを決定付けるはずはないだろう。事実、その発臭源を探る意味で、店内ですれ違う店員に鼻をクンクンと向けてみたのだが、オマエだと指差すほどの決定打になるはずはなかった。しかし、江古田店に行こうが、渋谷店に行こうが、町田店に行こうが、あの臭いがする。では、あの臭いはどこからくるのか。

3人は真面目な顔で結論を出した。これはBOOK OFFスプレーであろうと。BOOK OFFの香りは人工的に作られたものではないか、と。人間の快と不快の間の臭い、その間の微妙に不快寄りの臭いを意図的に撒く。入るのを拒むほどの強烈さであってはならない、しかし、快適すぎても客はそこで商品を選別しすぎてしまう。取捨選択してしまう。そう思って考えてみると、彼らは必要以上に店内整理を繰り返す。あれはこちらの選択を急がせているのかもしれない。スプレーもその一環だ。BOOK OFFスプレー説に満足した3人は、それでは各々地元のBOOK OFFで確認を、と誓い合った。約束通り、地元のBOOK OFFへ行った。スプレーはどこから撒かれているのか、クーラーの送風口を眺めたりしていると、横から、失礼しますと金切り声で、整理する女性に体をどけられた。次は新書、早くっ、と向こうの棚からの命令が既に下っていた。スプレー説、これは「臭う」。

vol.239 イヤな事を待望する気配(2009/08/17)

全裸

順風満帆だと、どうもこれは怪しいぞ、純然たるこの多幸感、何か大きなミステイクがあるに違いない。そっと距離をとって、ふーっと息を吹きかけて、空気が抜けていく穴を探す。めっけたよ、そうだよ、あれがあったじゃんか。結構な問題が転がってたじゃないか。早速、どよーんとする。気付いた途端から気付かなければ良かったと思い始めている。問題を眼前に晒して、うわぁこれはぁたいへんだぁとわざとらしく仰け反ってみせる。

自分の周りから全ての問題が円満に消えてくれる可能性を考えてみても何の意味も無いのだけれども、ひとまず想像。それらの問題が消えた状況にいる自分、果たしてそこに幸はどれくらい降り注がれるのだろう。会社員が会社員生活を全うし、退いたとしよう。あの問題も、あの怒号も、あの譲歩も、あの結託も、もう無いのだ。朝起きたら、どうしようかとすぐさま悩む。夜寝る前に、明日どうすっかねとやっぱり悩む。サラリーマンが一週間の休みを取る。ごめんな皆迷惑かけちゃてとその人は言うだろう。全く迷惑だよと、周りはすかさずジョークをかぶせる。しかし、水曜になっても木曜になっても、別に大丈夫なのであった。その人がいないことでのロスはありつつも、仕事の在り方を揺さぶられるほどの迷惑はかからないのだ。翌週の月曜にやってきた彼はしばし落ち込む。なぜならば、「別に大丈夫だった」からである。

人ってのは、問題を探して、問題を抱えるようにしているはずなのである。しかめっ面やヘコみや怒りに繋がる可能性を持っているものを嗅ぎ付けて、その芽を育ませる。んで、その芽がちょいと開きそうになるや否や突っぱねて、うわぁ困るよそれぇとうなだれる。つまり、目の前にある問題は、実は問題化(という言葉は無いけど)されると想定されていた案件だった場合が多い。ヤバいのにヤるという酒井法子的な中毒化ではない。日常を完全に遮断するのではなく、あくまでも日常に降り注がれる問題の手配である。

順風満帆に見えるような人に順風満帆ですかと聞いても順風満帆ですとは答えない。明らかな大豪邸に住んでいる人に、いやはや完璧なお家ですねと言っても、いやでも奥の和室の隅っこが日に焼けちゃってて困るのよ、と返すだろう。占いの類いを見ても、ハッピーの連鎖だけではお客は満足しない。長年の友情に傷が入るかも、と言われると、えーどうしよー、と「興奮」するのである。「今年もひとまず大丈夫」という2009年の占いがあったとしたら、その占いを信じる人はいないだろう。問題が起きるって、必要なのだ。

朝起きて、今日のイヤな事を反芻する。ああ、イヤだなと思う。しかし、ああ、イヤだなと思いながらムクッと起き上がり、家を出る。ホントイヤなんですけどと思いながら電車に乗る。そうこうしているうちに、一日が終わる。そうこうできるのは眼前に問題が広がっているからである。その眼前の問題を揺らしたり、パーツ交換したり、呆れて離れてじっくり眺めてみたりする。問題の集積で、人は日々時間を失っている、ということなのだろうか。そんなにかっこ良くはない。少なくともイヤな事をどこかで待望する気配がある。その嗜み方を一通り知り尽くしたい夏の終わりであります。

vol.240 丸の内OLがいるから僕は(2009/08/25)

全裸

知り合いに丸の内OLが一人もいない。丸の内OLの知り合いが一人いることで、広がる世界というのがあるはずだ。知り合いがホストをやってるとか、映画監督をやっているとか、職業としての突飛さではなく、「丸の内OL」に代表される、職業というより「状態」に近いゾーンがごっそり抜け落ちているのはいささか不安。地球がオレのために回っているとは思わないが、たまには「地球はもしかしたらオレの為に回ってくれてるかもしれないと考えてみる可能性くらいは残しておこう」とは思うわけだ。でもその時に、「丸の内OLとは」を決定的に知らない場合、わずかな可能性をも早速捨てざるを得なくなるのではないか、と。

銀座の交差点の角にあるドトールのハイソ版のような喫茶店で中年男性を待っていると、そこは見事なまでに丸の内OLで埋め尽くされていた。伊東美咲のようにスラリとした女性と伊東美咲をプレス機で押し潰したような女性がコーヒーをすすっている。男の話だ。のろけ話ではなくって、戦略の話だった。さて彼をどうするか、乗り換える事もできるのだが現時点で乗り換えるのはあまり建設的ではない、というような議論を交わしている。議論は結論が出ない事を前提に進められていたし、プレス美咲とその彼との関係性に、戦略を加えるほどの厄介事が生じているようには到底思えなかった。恋について、問題として浮上させる何がしかを無理矢理に用意している。いやでもほんとにそれは許せないよおーと美咲も応戦する。時間にして、5時45分である。定時にあがろうと思ったけど、課長に会議用の資料作ってって言われたのが3時過ぎでチョーむかついたんだけど何とか仕上げて5時半。そのOLが6時前、ハイソなドトールにやってきて恋愛談義をしている。この後は合コンに行くのかもしれないし、この面々のまま食事に行くのかもしれない。わぁ丸の内OLだ。

喫茶店から向かいのビルが見えた。4階か5階に英会話教室がある。少人数制を売りにしているようで、外国人教師1人につき、2人か3人。教師の大きなジェスチャーにとまどいながらも日本人が必死に食らいついている様が見える。教師のジェスチャーの後に、生徒同士が必ず横目で見合う。それから、では私が、と小さな手振りを見せる。フランクな英会話レッスンにはとても見えない。恋愛談義をしていた彼女たちから、「キャリアアップ」という、実際に話している人を初めて見かけたってくらいの言語が飛び込んできた。セミナー、インターン、プランナー、積極的な横文字が連なっていく。銀座のネオンの手前に彼女達の会話があって、ネオンの奥にはぎこちない英会話レッスンが見える。「恋に仕事に頑張っています」というスローガンが具体的に動いている様を30分見つめて、世界は僕のためには回ってないんだなと正確に認識した。遅れてやってきた中年男性と、ルノアールに移動した。

vol.241 最近、男が分からなくて(2009/08/31)

全裸

英検三級の面接試験を「I Play Tennis」だけでクリアしたほどの英語力である。課題のペーパーには、テニスしている人、ベンチで会話しているカップル、犬を散歩させている奥様がいたのだった、確か。最初の解答は多分テニスで合っていた。次の設問の答えは明らかにベンチで会話しているカップルの男についてだったのだけれども、彼の状態を英語で言い表す事ができなかた。オンザチェア、プットザベンチ、ニアザウーマン、テニスプレーヤービハインドツゥーピーポー、頭に思い浮かぶアホ英語を炸裂させるよりもアイプレイテニスで押し切る方が自分の英語力の乏しさが露呈しないだろうと読んだ。読みは正しかった。テニスをさせまくった結果、合格となったのだ(後で優秀者に聞いたら、アイプレイテニスの他に、それはテニスではありませんと答えるべき設問があったようで、僕の解答はあともう一歩まで理解できている、ということになったのだろう)。

先週、頭の中を、「responsibility」という単語の響きがグルグルこだましていた。たまにこういうことが起きる。単語の意味などさておいて、その響きが気になって仕方がなくなるのだ。レスポンシヴィリティー。ちょっと前にテニスプレーヤーのシャラポワが流行ったが、あれって名前の良さにその人気が起因していると読んでいた。要するに、シャラとしてポワっとしているその響きなのである。商品名に「パピプペポ」をつければ覚えてもらいやすくなる、というのは、ネーミングの世界の中でテッパンである。しかし、今回頭の中でこだましたレスポンシヴィリティーは勿論商品名でもなく、「責任」という意味を持つ単なる単語である。それなのに。

仕事しながらレスポンシヴィリティー、帰りの電車の中でレスポンシヴィリティー、お風呂に入りながらレスポンシヴィリティー。頭ん中で発音し続けて、耳に入ってくる心地良さが最強の形で抱き合わされているのだなと気がつく。レス、というのは、頭の主張として強い。言い切る感じがする。そしてテッパンの「ポ」を含むポン、そしてシで流しつつ強調の舌唇噛み、ヴィをかまして言葉の強度を増幅させた瞬間にティーと流していく。単語の中に、その音階の中に、ドラマが生じているのである。レス↑・ポン↑・シ→・ヴィ↑・リ→・ティー↓という感じだろうか。レスポンシヴィリティーレスポンシヴィリティーレスポンシヴィリティー、上がったり下がったりの人生でございますなぁ、と小咄が始めたくなる佇まい。

オバマもレスポンシヴィリティーを使った。観衆に向かってレスポンシヴィリティーと。テレビの前に向かってレスポンシヴィリティーと。その増幅には説得力があった。麻生太郎は自民党の選挙CMで、「日本を守る、責任力。」と繰り返した。○○力という造語を今更使ってしまう。責任力じゃなくって、レスポンシヴィリティーならもっとイイ結果が残せたに違いないのに。鳩山さん、使ったほうがイイよ、レスポンシヴィリティー。

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