『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談

今年もやります、「グル―ヴィーな身体」をキーワードに、あらゆるジャンルの最先端パフォーマンスを“X”クロスさせるイベント『吾妻橋ダンスクロッシング』。しかしキュレーターの桜井圭介氏からは、思わぬ「ダンスがつまらない」の発言が飛び出した。果たして、本当にダンスはつまらなくなったのか? ていうかそもそも、ダンスの面白さってなんなの? 桜井氏とハード・コアかつエキサイティングなトークを繰り広げたのは、おなじみ批評家の佐々木敦氏と、チェルフィッチュ主宰の岡田利規氏。改めて、ダンスの魅力について、存分に語っていただきました。

最近、「ダンスそんなに面白いかよ」「コンテンポラリーダンスとかウザいんですけど」ってね、そういう感じがしていて(桜井)

岡田:どこから話しましょうか。

佐々木:(チラシを指差して)このダンスのところがぐちゃぐちゃってなっているところとか(笑)。

桜井:ちょっと臆病なやり方だったな、って思ってるんだよね。ほんとは「×××」としたかったんだけど。「ダンス」にバッテンをつけたいな、と思ってね。今、気分的に「ダンスそんなに面白いかよ」「コンテンポラリーダンスとかウザいんですけど」ってね、そういう感じがしていて。今回のラインナップ見て、「ダンスクロッシングなのにダンス無いじゃん」って言われるかもだけど、それはもう仕方ないっていうか(笑)。

岡田:それは「演劇の方が面白い」っていう意味にとってしまって差し支えないのでしょうか?

桜井:うーん、ある意味、そうかな。結局、「どっちがダンスだよ?」っていう話でね。

岡田:(笑)。意味がわからないですよね。

桜井:もともと僕はダンスっていうものをジャンルとして捉えていないところがあるので、簡単に言っちゃえば、その身体にグルーヴがあるかとか、舞台に流れる時間にうねりがあるか、もっと単純に「ドキドキ」するか、とかね。そういうことでいうと、今ダンスなのはこれとこれとこれだよ、と。

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
岡田利規

岡田:僕ね、自分のやってることは演劇の人たちには理解されてないけど、ダンスの人はピンと来られているみたいだぞって思った時期があったんですよ。でも「ダンスの人たち」っていうふうに思ってたのは、実はすごく誤解で(笑)、僕のやってることにピンと来てる人たちってのは、コアな、そのごく一部の人たちだったわけです。それこそ桜井さんとか。でも、そうと分かって以降も、そうしたコアなところのことを「ダンス」だと思ってる感じって、僕の中には今も残っちゃってるんですけどね。そもそも僕が「クーラー」をダンスだと言い張って作ったのだって、桜井さんに「ダンス作ってよ」ってそそのかされたからで(笑)。

ダンスの観客たちが何を見ているかというと、「形」と「動き」だと思うんですよ(佐々木)

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
桜井圭介

桜井:うーん。今更だけど、やっぱ岡田くんが05年に「クーラー」でトヨタアワード獲ってたら、ダンスシーンは変わってたと言わざるをえないなー。僕はここ1、2年の間にダンスが保守化しているという感じがすごくしているんですよ。ジャンルに籠る、というか。『吾妻橋』を始めた5年前にはもっとものすごくオープンな感じで、「あ、ダンスというものの可能性はこんなにもあるんだ」という感じでどんどん広がっていったと思うんですね。で、だんだんとそれに対する反動みたいな感じで、「ダンスはダンスでしょ」とか、「もっと真面目にやんなきゃダメ」みたいな感じになっちゃったというかね。

佐々木:じゃあ、ダンスが持っていた可能性を押し広げる実験の場として『吾妻橋』が登場して、それが認知を高めていって、お客さんも沢山集まってくる、ということに反比例して、従来のダンスの側の人たちというのは、よりコンサバな方向というか、保守反動な感じになっていっている、という傾向がこの5年で強まっていて、その外にどんどん出ていく方向と内に籠る方向っていうのが両立しえなくなっているようにも見える、ということですか?

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
康本雅子 写真:横田徹
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

桜井:そうです。単純に「ジャンルの壁」ってことなのかもしれないけど。

佐々木:僕は舞台で何かやっているのをまた見るようになったのってここ数年のことなんだけど、それも再三言っているようにチェルフィッチュとの出会いがなければなかったわけで、だからよくわからないんですが、たぶんダンスの世界とか、演劇の世界というのは間違いなくあって、その中の平均値の人たち、あるいはマジョリティの人たちが、基本的にはどういうことを期待しているのか、「演劇を観るっていうことはこういうことを観るんだよ」みたいなコンセンサスみたいなものがあって、それからあまり離れているとアレルギーが生じるっていう話じゃないですか?

すごいわかりやすく言っちゃうと、演劇を見に来るお客さんでいうと、その見たいものっていうのは「役」と「物語」だと思うんですよ、基本は。でもダンスの場合、「役」も「物語」もない場合ってあるじゃないですか。そこに違いがある。で、じゃあダンスの人たちが何を見ているかというと、「形」と「動き」だと思うんですよ。もちろんその両方を持っていても良いと思うんだけど、その総体からある部分を切り離したものが「演劇」だっていう捉えられ方をしていて、もう片方が「ダンス」っていう見られ方をしている。で、そういう見方をしている観客は、片方からもう片方に架橋するような方法論っていうのは割と違和感があったりするっていうのが、両方の側からあると思うんですよ。その両方の側を結果として、良くも悪くも刺激しちゃうようなところが、『吾妻橋ダンスクロッシング』にもチェルフィッチュにも多少ともあるんじゃないかっていうことだと思うんだけど。

若い頃は「ビデオでも良いじゃん」って言ってたわけですよ。でも実はそれではわからなくなっちゃう、消えちゃうことがすごく沢山ある(佐々木)

桜井:佐々木さん個人はダンスをどう面白がってるんですか?

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
佐々木敦

佐々木:いや、僕はそもそも大方のダンスは今でも苦手ですよ。「形」と「動き」のダンスみたいなものっていうのも、もちろん見たらキレイだとか凄いとかって思うけど、でも「キレイだとか凄いとかってダンスの核心と違わない?」って気持ちがどっかであって、だったら美人コンテストとか陸上の選手権とか見てれば良いじゃんっていう話になっちゃうわけで。

あと、何かを象徴する、みたいなダンスも苦手なんです。だから実はほとんどのダンスにはピンと来てないのかもしれない。相当に有名なカンパニーでもつまらなかったりしてますからね。外国のとかね。だから、そういう意味では僕は特殊なのかもしれないです。僕はたぶん「ダンスを観ている」、「演劇を観ている」というよりも、「何かの表現のダンス的なリアライズを観ている」、「何かの表現の演劇的なリアライズを観ている」という感覚でしかないから。

桜井:ってことは、どちらも同じ何かを見ているってことになるのかな?

佐々木:演劇もダンスも僕が興味あるものって実は同じものかもしれなくて、それは要するに演劇もダンスも「今ここで一回しか起きない」っていう、「今ここ」っていうものに繋ぎ止められている、基本的には可能性の縮減の方だと思うんですよ。制限。今ここで起きた事をもう一回やってって言われても、もうそれって同じじゃないじゃんっていうのがあるわけじゃないですか。それがもう決定的で、そこの部分っていうのをどういう風に考えるのかっていうのが、いわゆる複製芸術とかって言われるものとの違いだと思うんですよ。

小説とか、絵画とか、そういうものだったら記録出来るから、記録したものから何か考えられるけど、でも演劇やダンスっていうのは現前性がかなり決定的な要素として働いていて、だから、たぶん僕は若い頃は現前性を括弧にくくって、「いや、ビデオでも良いじゃん」って言ってたわけですよ。でも実はそれではわからなくなっちゃう、消えちゃうことがすごく沢山ある。今はたぶんそこに一番興味があって、そういう意味では演劇もダンスも基本的には同じ。たぶん、ダンスの方が間口が狭くなっているのは、ダンスの方がそれ以外の、「今ここ」ということに付け加わる要素っていうのが結果的に強く見えているのかもしれない、ダンスは身体の動きであるっていうことで。一回性よりも完成された美をどこかで目指してしまう、というか。

最近は、意味もちゃんと大切にしようと思い直してますけどね(岡田)

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
Line京急 写真左撮影:佐藤暢隆
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

桜井:なんかね、今、純粋に形式としてのダンスっていうのは難しいのかもっていうのがあるんですよ。で、そうした時に、「言葉」を使うと色々みんな上手いこといってるな、って思うんですね。Line京急とか最近の手塚(夏子)もそうだし、そもそもチェルフィッチュがそうだよね。言葉なしで身体ひとつでやるっていうのが本来の意味でのダンスだとして、それだと弱いんですよ。身体自体が弱くなってるっていうか、そんなに身体単体としてみてられるようなダンスってあんまりないよなって思って。逆に言葉が介在すると身体も生き生きしてくる。でも、そういうものを人はなかなかダンスとして認めたがらないんだよなー。

岡田:形式としてのダンスを作っているような人たちでも、クリエーションのときにはシチュエーションとか、どんな関係性なのかとか、そういう演劇的な観点を用いていることって結構あるように思うんです。でも、完成した作品からは演劇的な要素があまり見えないように、抑えたり曖昧化してることも多い。そうやって、純粋なダンスに見えるようにしているのかなと思うんだけど、でもそれって結局、演劇やってるってことじゃないですか。演劇やってることがバレなければそれでいいのか、という気持ちは、そういうのに対して僕ありますね。

佐々木:あと、なんでバレちゃいけないのかっていう。

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
いとうせいこう
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

岡田:そうそう、実は演劇やっちゃってるんだけど、それがバレるとダンスにする理由がなくなっちゃうから隠す、みたいのはどうなのかなと。で、そのあたりを隠さないでぶっちゃけちゃっている人たちのほうが、必然がクリアーに感じられて面白い、ってことなんじゃないですかね。僕は最初は言葉があるっていうのがすごく重たくて、じめじめしていてやだなって思ってて、その点ダンスはいいなって思ってたんですけど、僕はダンス作れないし、言葉から離れられないっていう劣等感というか、嫉妬心みたいなものがあった。

だけど今は本当に逆で、さしあたって何かを表象する演劇というもののほうがすごく自由勝手なことをかえってやりやすくするって思ってるんですよね。「これはこういう役なんだよね」とか、「こういうシチュエーションなんだよね」っていうのがまずあって、そこからどうやってハズしていくか、っていうのが面白くって、何もないとハズしようもないわけで。そういう点で演劇はいいな、っていうのが今の僕の気分ですね。

桜井:その場合、テキスト自体の一義的な重要性っていうのはあんまりないの? 物語として、っていうか。

岡田:それこそ「クーラー」のテキストなんかは、それを喋っている時の人の動きが変なことになるっていうことが起こればよくて、内容はどうでもいいと思って書いてたんですよね。ある時期僕の中で、そういうふうにテキストの意味が大事じゃなくなって、身体を動かすためのネタ程度のものになりかけたんですよ。でも最近はそれはやめて、意味もちゃんと大切にしようと思い直してますけどね。テーマなんか二の次でとにかく身体、みたいにはならなくてもいいだろう、と。だって、テーマとか大切にしてちゃんと書いたって、そのテキストから動きを起こすことはできるはずですからね。

「何を言っているかわからないけど、何かは言っている」っていうことが重要だと思ってて(佐々木)

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
チェルフィッチュ 写真:聡明堂
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

佐々木:矢内原(美邦)さんの「五人姉妹」の時にね、本公演と準備公演を観て、僕は準備公演の方が面白かったんですけど。で、それはニブロールでやっていることをどのように演劇に変換するかっていうことだったと思うんです。それで、僕が前からニブロールについて気になっているのは、「台詞が早過ぎて何を言っているのかわからない」っていうことなんですね。で、僕は「何を言っているかわからないけど、何かは言っている」っていうことが重要だと思ってて、実際に観客には何を言っているのかほとんど聞き取れなくて、その内容はあんまり伝わっていないわけですよ。

でも、その言葉を言ってることによって、もしくはその言葉を何かのレベルによって演じていることによって出て来た身体の動きは観客に届いている、と。で、そっちの方が重要だって言うのはもちろんあるんだけど、でも何かを言ってるっていう事自体にも意味がある。そこが気になるんですよ。つまり、「意味なくても良いんじゃん、身体に出す事が目的ならば、でもやっぱりそんなわけにもいかない」っていうことが僕が一番興味があるところ。この話はこの間の吉祥寺シアターの時の宮沢(章夫)さんとのトークにも出て来たんですよ。宮沢さんは、「台詞とか早すぎるからわかんないよね、だからわからないっていうこと自体をあるレベルで楽しむっていうことが鑑賞の仕方である」と言ったんですよ。それに対して矢内原さんはの答えは、「いや、全部わかって欲しいんだ」って言うわけです(笑)。

桜井:えー、そうだったの!? 無茶苦茶だねー(笑)。

佐々木:で、その「全部わかって欲しいっていう」そのわかって欲しさのレベルが高過ぎて全然観客に届いていないだけで、ほんとはわからせたいこと満載で、そのズレが面白いっていうか、そこが一番クリティカルだと思ったわけですよ。言葉の要素を介在させることによって、ダンスのある種のトリガーとして、身体だけで勝負しなくちゃならないというデットエンドのブレイクスルーとなり得る要素として言葉が入ってくるということはあり得るわけだけども、でもやっぱり入ってくる言葉は何らかの意味作用を持ってしまっていて、そうするとそこで従来ダンスが持っていた何かとは違ったものが入ってくるということがあって、それで面白くなれば、結果として全然オッケーということだから、それで良いっていう話だと思うし、実際にそうなってるっていうことだと思うんですよ。ただ、もしかするとそっちの方向に突き詰めていくことによって、言葉がなくても出来たかもしれない何かがどこかで置き去られているっていうこともあったかもしれない。

桜井:うん、逆に「言葉に頼っちゃう」ことになると。

前々から、「快快は本当はどの程度考えているのか問題」っていうのがあって(佐々木)

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
鉄割アルバトロスケット
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

佐々木:Line京急なんかも、CDを出すという話が密かに進行しているわけですが、音だけにしちゃうと声だけしかわかんなくなっちゃうから、それでLine京急のやっていることをどの程度まで伝え得るのか。身体があって、言葉を発している、または外側から声が聞こえていて、それに身体的に反応するっていう時に、観客は別に言葉だけを切り取って聞いてるわけでもないし、身体だけを見ているわけでもないわけです。

全部丸ごと一緒くたになったものとして体験していて、でもそれを、「今って何を言ってたんだっけ?」ってなれば言葉だけが切り出されてくるし、台詞を無視して身体だけを注視してれば身体が切り出されてくるっていう、そうして切り出されていったときに、他の要素を捨象することによって際立ってくるものもあるんだけど、「それって本当にそこで起きている体験と違ってきちゃうよね」っていうことがあって、だからそれは要素が入ってくれば入ってくるほどそういうことが起こってくるわけじゃないですか。言葉が入ってくることで開かれてくる可能性もあるけれど、それによって見えなくなるものもあり得るかもしれない。

岡田:ありえますね。でもダンスだけだったらCD化は出来ないですよね。って、言ってる事が当たり前過ぎですけども(笑)。

桜井:Line京急に関しては、色んなアウトプット、色んな受容の可能性をということで、やはりCDは出すべきだと思ってるんですが、実際の舞台上でも、言葉=意味=物語が身体の現前をマスキングしちゃうと普通に演劇でしかなくなっちゃうことがありますね。とはいえ、いわゆる演劇はテキストがあって物語を表象するようなもので、いわゆるダンスは身体の動きや形とかっていうことが、今、両側から相互に乗り入れててぐちゃぐちゃになってきてることは肯定したいし、もっとぐちゃぐちゃになっていくとこの先面白いことになっていくんじゃないかと思うんですよね。

まあ、言ってしまえばそういう可能性を期待込みで先取りしたラインナップですよ、今回の『吾妻橋』は。でも唯一、「快快」っていうのがなんだかよくわかないわけね、僕的には。 出演してもらってて何なんだけど。 面白いんだけどわからない、よくわからなさの面白さみたいなものがある。 そのことに関して僕は批評言語を持ててないんですよ。でも、今度の『吾妻橋』では彼らは基本「フード」担当なんだよね(笑)。いや、もちろんパフォーマンスもやるけど。

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
快快
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

佐々木:そう、前々から「快快は本当はどの程度考えているのか問題」っていうのがあって、木村覚さんなんかはがっちり批評的に読んでる。もうすごい理論的に説明しているわけ。僕は最初はそのラインで知った、まあいわば「ポスト・チェルフィッチュ」的な文脈に沿って見てたんだけど、実際本人たちを知ると、ちょっと違うんじゃないのかなぁっていう感じになってきちゃうんですよ(笑)。もちろん考えてないわけはないんだけど、考え方が従来と違うであろうっていうか。たぶん、一種の「集合知」みたいなものなんだけど、でも、その集合知っぽさが、もしかしたら、そうそう上手くいかないようなやり方がたまたまずっとうまくいってきたっていうことに過ぎないのかもしれないし。

だって、大学の同級生がそのままやってるわけだから。どんな才能集団だよってことになるわけじゃないですか。たまたまそんなスゴい人ばかりが集まったの? みたいな。でもたぶん、そういうことじゃないわけだから、ああいうやり方がうまくいく方法がどこかにあるのかもしれないんだけど、それはよくわからないし、本当に謎なんですよ。例えば篠田(千明、快快メンバー)だけ切り離すと、わりと考えてるぽいことを言うし、実際に考えているんだろうけど、どの程度考えているのかっていう問いがもう違うのかもしれない。

テン年代は、もうちょっと野蛮な人が出て来て欲しいっていうのが、僕の期待なんですけど(佐々木)

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
Chim↑Pom
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

桜井:そこは10(テン)年代っぽいですか?

佐々木:テン年代っぽいですね、確かに(笑)。「テン年代」には「天然」が来るっていうのが「テン年代」の意味ですから(笑)。単なる「天然」じゃないですよ、「KY」の時代が終わるんです。つまり、空気を読むとか先読みによって利を得るっていうことが僕はやっぱり良くも悪くもゼロ年代の特徴だと思う。でも、それがさすがにどんづまってきたっていう感じがあると思うんですよ。もうちょっと野蛮な人が出て来て欲しいっていうのが、僕の期待なんですけど。

岡田:あ、そういうことですか。だったら僕も最近ちょうど、「次は何をやったらウケるか」とか気にするのはもう終わりにしたほうがいいと思ってたとこなんですよね。「今を切り取る」的なことを自分はこれまでしてきたかもしれないんだけど、そういうのはもういいかな、と。

佐々木:でも、岡田くんの場合は「さぁ次は何を切り取ろうか」ってやったわけじゃなくて(笑)、結果的にそうなっただけじゃないですか。「この作品、ここ切り取ってますよね」って言われたら、「あぁ、切り取ってたのか」って何となくフィードバックしちゃうじゃないですか。そういうことでしかなかったというか、それは全然良いことだと思う。

岡田:反時代的ってことですよね。それならすごく分かります、テン年代。ていうか、空気読まないのは逆に責務ですよね。

佐々木:まさにそうですよ。それで全然良いっていうか。でも、僕は無知であるから野蛮でありえるっていうのはあまり意味がないと思うんですよ。それは単にこいつバカだなぁって言ってるのを褒め言葉に転化しているだけになっちゃうじゃないですか。むしろ相当考えたあげく、計算とか現状認識からは出て来ないところにどうやって飛べるのかってことであって。今みたいに色んな意味で情報の精度が高まってくると、何が正解かみたいなことって割と簡単にわかるようになっちゃったと思うんですよ。

だから、今は「正解の言い方のソフィスティケーションを競う」みたいな形になってきちゃっている。それはやっぱりつまんないんですよね。それよりも、「絶対間違ってんじゃん! でも面白いよね」みたいな感じになって欲しいっていうか、そういう部分がもう少し帰って来て欲しい。そういう風になるって何度も言ってると、本当にそういう風になる可能性が上がるんじゃないかと思って、やたら言ってるんだけど(笑)。

桜井:なると良いなー。ホント。いや、なるでしょ、絶対!

飴屋さんって、筋が通ってますよね。どんな筋かと言われたらよくわからないけど(岡田)

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
飴屋法水 写真:池田晶紀
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)

佐々木:さっきの話で言うと、何を考えているのかわからない人だって、何かは考えてるわけじゃないですか。でもそれがその人の能力の問題によって、うまく伝えられないということが、何を考えているかわからないように見えているだけじゃあ、やっぱりダメだと思うんですよね。もっと本質的にわけがわからないっていうのが面白いわけであって。人はやっぱり解釈の動物だし、解釈ツールってかなり整備されちゃったから、結構なんでも解釈できちゃうわけですよ。でも、解釈しても解釈しても、その最後の最後で、やっぱりなんだかよくわからないっていうのが実は面白いわけで。飴屋さんなんかはそういうところがあるじゃないですか。掘っても掘っても、本人にすごい話を聞いても、イマイチよくわからない、みたいなところがある(笑)。

桜井:わかんないね! だけど「ここがこうなってこうなってこうなるからこうなるのだ、これでいいのだ」っていう感じですよね、飴屋さんの作り方って。

佐々木:そうですよね、結構理詰めっぽく、これいれたらこれをいれなきゃならないって思ってたんですよ、みたいなね。

岡田:筋が通ってますよね。どんな筋かと言われたらよくわからないけど、でも、筋が通っているなっていうのはいつも思いますね。

佐々木:たぶん、ある何かを描くときに、色んな選択の可能性があると。そういう選択の幅をみせるようなやり方がかつては多かったわけですよ。つまり、「今はこういうやり方でやってるけど、他のやり方もあるんだよね、他のやり方も全部わかってます」というような。でもそうすると、なぜそれなのかっていう必然性は弱まっちゃうわけですよ。これ以外にも色んな事が出来るんだよ、っていうことばかりを見せるようになっちゃう。でも、確かに他の事も出来たのかもしれないけど、それでもあるものが選び取られたということの決定性と絶対性と必然性みたいなものが作り手の中にあって、なのにそれがどうにも説明し難いというか解きほぐしきれないっていうのが面白いわけですよ。だから何回でも見れる。

なんだか最近は、「それってこうだよね」ってすぐにわかってしまい、しかもそれが合ってるっていう事の方が多くなっていて、そうすると、創っている側とそれに対して何かを考えている側が、すごく低レベルでの共犯関係に陥ってしまう。それはやっぱり面白くないっていう感じがすごくあるわけです。「ああこういうこと言えちゃうよな」っていうのは大方「それはまあ言えるよね」ってことでしかなくて、それを越えたところにあるものがそろそろ出て来てくれないと、何もかもが予定調和的になっちゃう気がするんですよね。

『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
ほうほう堂 写真:山田毅

桜井:驚きたいもんねー、やっぱ。ところで、今日は重大発表があります。もう一組、ほうほう堂の出演が決定しました!

佐々木:えー、復活するんですか!?

桜井:2007年にチェルフィッチュと作った「耳かき」を最後に活動休止してから、2年半振りですよ。

岡田:凄いじゃないですか! これ SPEED どころの騒ぎじゃないですよ。

佐々木:それは非常に楽しみですね。

桜井:これでなんとか「ダンス」クロッシングになったよ(笑)。

岡田氏の最近の注目発言はココ!
「スローなシアターにしてくれ」

イベント情報
『吾妻橋ダンスクロッシング』

2009年9月11日(金)19:00開演
2009年9月12日(土)15:00開演
2009年9月13日(日)15:00開演
会場:アサヒ・アートスクエア(東京・浅草)

出演:
飴屋法水
いとうせいこう
contact Gonzo
チェルフィッチュ
鉄割アルバトロスケット
ハイテク・ボクデス
康本雅子
Line京急
ほうほう堂
Chim↑Pom(インスタレーション)
快快(faifai)(フード+ミニパフォーマンス)

※受付開始は開演の1時間前、開場は30分前
※会場ではドリンクや快快(faifai)による美味しい食べ物をお楽しみ頂けます
前売り券すべて完売、当日券4000円(1ドリンク付)は開演の1時間前より、1階受付にて販売(立ち見の可能性あり)
※全席自由、チケット記載の整理番号順に入場

プロフィール
佐々木敦

1964年生まれ。批評家。HEADZ主宰。雑誌エクス・ポ/ヒアホン編集発行人。BRAINZ塾長。早稲田大学および武蔵野美術大学非常勤講師。『ニッポンの思想』『批評とは何か?』『絶対安全文芸批評』『テクノイズ・マテリアリズム』など著書多数。

岡田利規

1973年生まれ。劇作家、演出家、小説家。演劇ユニット「チェルフィッチュ」主宰。2005年9月、横浜文化賞・文化芸術奨励賞を受賞。同年、『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。2008年4月、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第2回大江健三郎賞受賞。

桜井圭介

執筆活動をはじめ、『吾妻橋ダンスクロッシング』『HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)』などのキュレーション、『トヨタコレオグラフィーアワード』などの選考委員、音楽家として振付家とのコラボレーションなど、あの手この手で、ダンスとのオルタナティヴな関係を模索中。著書に『西麻布ダンス教室』など。



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