表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談

複数の殺人事件をきっかけとし、加害者・被害者たちの絡み合う人生と復讐劇を描いた『ヘヴンズ ストーリー』。「罪と罰」「少年犯罪」「復讐の先にあるもの」など、現代の社会では目を背けることのできないテーマに正面から取り組んだ濃密な傑作だ。監督は『ドキュメンタリー 頭脳警察』(09年)、『感染列島』(09年)、『ユダ』(04年)などで知られる瀬々敬久。ピンク映画界からキャリアをスタートさせ「ピンク映画四天王」の1人として名を馳せた同監督は、現在ではジャンルを越境しさまざまな作品を発表している。そして本作では、あえて「自主制作映画」の手法を用いて4時間半に及ぶ大作を撮り上げた。今回、その魅力を深く知るために、映画の公式サイトに感動的なレビューを寄せている中原昌也氏をお呼びして対談を行った。冗談を交えつつも、話題は『ヘヴンズ ストーリー』の背景から日本映画界の未来にまで大きく広がり、旧知の仲である2人の息がぴたりと合った刺激的な映画論が展開された。

(インタビュー・テキスト:田島太陽 撮影:小林宏彰)

映画は「物語」ではなく「体験」

―ではまず最初にお話しをお伺いしたいのは…。

中原:あ、すいません。まず先にひとつだけ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?

―どうぞ!

中原:この映画って、4時間半ありましたよね? 長い作品ってやっぱり作るのも大変なんでしょうか。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談
中原昌也

瀬々:制作時間はもちろん長かったですよ。企画が始まったのが2006年、撮影を始めたのが2008年で、そこから撮影だけで1年半かかりました。

中原:普通の作品と比べると、観ているうちに起承転結がどうでもよくなってくる気がしたんです。それはある意味、観る側としてはラクなのかなと思ったんですよ。

瀬々:尺が長いと、物語の枠にはめなくてもいい感じがしてきますよね。ただ、ラストはまとめないといけないのでしんどかったですね。

―中原さんが作品に寄せたレビューがとても感動的でした。それがきっかけで、この対談をお願いしたわけなのですが

中原:思ったことを書いただけなんですけどね。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談
瀬々敬久

瀬々:すごく周りの評判もいいですよ。本人を前にして言うのは気持ち悪いけど、僕も感動しました。知り合いには「中原君らしくない真面目な素晴らしい文章だ」って言いまくりました(笑)。

中原:たまに書いてるんですよああいうのも(笑)。長いって聞いていたから覚悟して観たんですけど、久々に物語から解放された作品を味わった気がしたんですよ。「映画は物語だ」という信仰があるけど、本当は映画って「体験」なんですよね。何時間も映画館に拘束されるということにも映画の良さがあるはずで、この強制的な拘束ってテレビには絶対にないものだから。でもどうしても物語に依存してしまう人が多くて、なんとかならないか、という思いはここ何年か特に持っていました。だから、瀬々さんがすごく力強い作品を作って下さったなぁと、とても嬉しかったんです。

救われるラストを描くしかない時代

中原:瀬々さんの今までの作品は観客を突き放すようなものが多かったですよね。今回はその点がかなり変わったなと思ったんですけど、心境の変化があったんですか?

瀬々:やっぱりいろんな事件があって、最近急に社会の状況が見えづらくなったな、と思うんです。「この時代に生きているのはどういうことか」という問題を考えたくて、それを表現するために群像劇っぽく、重層的な構造で作ってみようと思ったんです。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談
©2010ヘヴンズ プロジェクト

―「今の社会」について、中原さんはコメントの中で「ノストラダムス以降」と書かれていますよね。

瀬々:その表現、僕もとても良く分かるんです。阪神大震災やオウムの頃は世紀末だと騒いでいたけど、2000年になったら何事もなかったかのようにコンピューター問題ばかりになって。

中原:確かに(笑)。

瀬々:あの頃の混沌とした空気とは全然関係がないかのように今の時間が流れてる気がして、僕はそのへんにいつも違和感を感じてしまうんです。そういうことも含めて何か決着をつけたいっていう気持ちはあったんですね。だから作りながら考えたというか。見てくれる人もたぶん一緒に考えてもらえると思うんですよ。そこが、中原さんが変わったって思うあたりなのかも知れませんが。

中原:これまでの瀬々作品には救いがない気がしていたんですが、今回はそうではなかったので、もう瀬々さんでも救われるラストを描くしかない時代なんだなぁと思いました。

事件の「あと」にも人生がある

―本作は、少年犯罪についてのルポである『少年に奪われた人生』という本に影響を受けて作られたそうですが。

瀬々:そうですね。僕は実際にあった事件を題材にすることが多いんですが、これまでは「どうしてその事件が起こったのか」ということが知りたかったんです。でも今回は「事件後に何が残るのか、何が起きるのか」ということを描きたかった。先ほど話に出た2000年あたりから、事件の「あと」に興味が向かったんですね。時間が経つことで被害者も加害者もいろんな人と知り合い、おのずと世界は広がって行く。そういう中で、どのように人生が進んでいくのかということについて考えてみたかった。

中原:被害者にも加害者にも同情せず、フラットに見つめるわけですね。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談

瀬々:ええ。ちなみに映画監督の森達也さんは、この本に登場する光市母子殺害事件の犯人と面会したらしいんですよ。それで彼に「あなたの本をよく読んでます」と言われたと。なぜかと聞くと「僕にはもう時間があまりないので、今は本ばっかり読んでるんです」と答えたそうなんです。それが僕にはちょっとショックでした。これはまさに事件の「あと」の話なんですが、そういった事件後の変化やストーリーに目を向けてみたかったんでしょうね。


―また、今回はいわゆる「自主制作映画」として撮られたそうですが、それはなぜだったんでしょうか?

瀬々:昔ピンク映画を撮っていた頃は、一般作とのボーダーなんてないんだと思って撮っていたし、その境界をなくすことが目標でもあったんです。ピンクは普通の映画よりひとつ下のもの、と思われているのが嫌でした。それがいつの間にか、あらゆるものが均質化してしまい、今は全てのものがノーボーダーに見える。僕が目指していたはずのノーボーダーが、なぜかとても気持ち悪いものに感じられてきたんです。そこで、もう一度自主映画的な姿勢で撮ることで、映画に情熱を込めてみたいと、ある意味直感的にそう思ったのかもしれません。

中原:ただ、観ていて自主映画的な質感は全くないですよね。テレビで放映しててもおかしくないくらいのクオリティに仕上がっています。役者さんもいいんですよね。個人的には光石研さんをもっと見たかったなぁ。

瀬々:光石さんは役柄的にあまり登場させられなかったのが残念でしたね。

中原:いい役者さんですよね。あとは柄本明さんもすごかったなぁ。

瀬々:強烈な顔してました。あの顔は普通の役者さんじゃなかなかできません。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談
©2010ヘヴンズ プロジェクト

―主演の長谷川朝晴さんの演技もとても印象的でした。なぜ主役に起用されたんですか?

瀬々:長谷川さんって「昔この人と一緒に麻雀したことあるなぁ」っていう感じがしませんか?(笑) 良い意味でどこにでもいそうな雰囲気があって、そこが魅力に感じました。彼はほとんど「受け」の芝居だったから大変だったと思いますよ。よく演じ切ってくれましたね。

表現とは罪を犯すこと

―ところで、瀬々さんはピンク映画から出発されていらっしゃいますが、その経験が今に生きている部分はありますか?

瀬々:ピンク映画は好きで、その世界に入ったんですが、最初は大雑把に考えてましたね。語弊があるかもしれないけど、女の人の裸さえ出てくれば「ピンク映画」として成立する。だから残りの場面では実験的なことを展開できるという土壌があったし、そういうふうにも思ってたんです。でも、何本かやるうちに、セックスをちゃんと描かないとダメだなということに気が付いて。人と人とが対峙する場面ってどんな映画にも必要だけど、そのいちばん極限がセックスだから。「人がギリギリで向かい合う感じを描きたい」という思いは、当時も今もずっとありますね。

―今作では「罪と罰」という普遍的なテーマも登場します。ここで、よろしければお2人ご自身が犯した罪について、話せる範囲でお聞きしたいんですが…。

中原:そんなの言えないですよ!

瀬々:色々と問題が生じるよね(笑)。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談

中原:んー…、僕は小さい頃、知らないオジさんに局部をイジられてお金をもらったことがあって。それはもちろんオジさんが犯した罪ですが、でも僕にとってはそれが罪かどうかなんてどうでもいいことなんですよ。

瀬々:え、なんの話ですか(笑)?

中原:いや、これまでに受けてきた教育の中で「罪」とされている行為はありますが、それが本当に悪いことなのかどうかなんて誰も検討しないわけですよね。例えば人を殺す、傷つけるということは間違っていると思いますが、でもそれ以外の罪とはなんだろうと。

瀬々:ちょっと話は逸れますが、若松孝二さんに『俺は手を汚す』というすごい本がありまして。ここには「映画を撮るということは既に罪を犯している」という覚悟が書かれているんですが、そういった感覚は確かに僕にもあるんですね。つまり、表現するということは罪を犯しているということ、ヤバいところに触れざるを得ない部分が絶対にあるんですよ。例えば撮影中にジャマな木の枝を折ってしまうこともそうですが、それを「手を汚す」と自ら告白し、それでも映画を撮るのが大事だと言った若松さんはすごいと思います。自分が決して立派なことをやっているのではないんだっていう自覚がそこにはある。

中原:うん、その覚悟が必要なんですよね。

「美意識」にこだわりすぎるのは危険?

―そもそもの話になりますが、お2人の出会いはいつだったんでしょう?

瀬々:僕のピンク映画の処女作で、出演してくれる若い男の子を探していたら、監督の松井良彦さんに中原さんを紹介されたんですよ。新宿で会ったんですよね。そうしたら彼は最初に「尻を出さないといけないんですか!?」って聞いてきて(笑)。

中原:まだ10代の頃でしたから。高校を中退してピンク映画に出ているなんて、もう人生終わりだなって思ったわけですよ(笑)。でもよくよく台本を読んだら、別に尻を出さなくても良い役だった(笑)。

―では、もう20年以上の付き合いになるんですね。

中原:でも、それ以来長いこと会っていなかったんですよ。それからずっと経って、あるパーティーで再会したんですよね。それで僕が気付いて挨拶して。

瀬々:まさかあの時の高校生だとは思いませんでしたけどね(笑)。でも、再会もかなり前だから、結局長い付き合いですね。

中原:そういえば、この映画がきっかけでドストエフスキーの『罪と罰』を読み始めてみたんですが、途中で挫折しちゃいました。

瀬々:『罪と罰』読んでないんですか!? 小説家なのに。

中原:小説家じゃないですよ! 文章書くのキライなんですから。

瀬々:じゃぁ映画を撮ってみればいいんじゃないですか?

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談

中原:簡単に言いますね(笑)。でも当然のことですが、映画制作も大変でしょう。監督だけじゃなくて、役者やカメラマンの意思も反映されているのが映画の面白味だと思いますが、やっぱり自分が作るとなると全てをコントロールしたくなるんですよ。それは映画においては無理だし、できたものもつまらないですよね。

瀬々:作り手の「我」が見えてしまう作品は、あまり面白くないことが多いですよね。サッカーでも「審判が目立つ試合はよくない」って言われるらしいですが、それと一緒です。

中原:確かにそうですね。でも瀬々さんの映画って、そうした「我」を見せたいという欲望から解放されている気がするんですよ。普通だったらもっとカッコつけそうなのに、イマイチ洗練されていない感じが素敵なんです。

瀬々:それ、褒めてくれているんですか?(笑)

中原:もちろんです! 僕は映画的な洗練ってガンだと思っているんですよ。「フィルム的質感が欲しいんだよね」なんてカッコつけて言う人がいますが、そんなものはいらないんです。洗練に背を向けるという姿勢が、観ていて気持ちがいいんですね。

瀬々:確かに「美意識」というものにこだわりすぎるのは危険だと思っています。もちろん洗練イコールダメというわけではなくて、方法と内容がマッチするかどうかが大事だと思うんですね。外見だけが突出しても、うわべだけの表現にしかならないんですね。

中原:うん、やっぱりそうですよね。

瀬々:「あのシーンはどう撮ったんですか?」なんていう質問がよくありますが、そんなことはどうでもよくて、やりたいことと技術は一緒にならないと意味がないし、良い作品には必ずそれがありますよ。

若い人が「状況に向き合って何かを作る」ことが少ない

―映画の公開に合わせて発売された著書『瀬々敬久 映画群盗傳』はどういった内容なのでしょうか?

瀬々:前半は90年代からわりと最近までに書いていたエッセイをまとめたもので、後半は『ヘヴンズ ストーリー』についての内容です。エッセイに関しては、自分の悩みがそのまま出てるので、当時の時代の移り変わりがすごく表れていると自分で思ってます(笑)。社会の転換期の中で自分が何を考えていたか、映画界がどう変わってきたか、そんなことも読み取れると思います。単なる映画監督のエッセイではなくて、時代性も感じてもらえるんじゃないかと。

表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談
©2010ヘヴンズ プロジェクト

―では最後に、この映画を特に観てもらいたいと思っている人について教えてください。

瀬々:やっぱり、若い人にこそ観てほしいです。この映画の冒頭で、おしっこを漏らしてしまう女の子が出てきますけど、ああいう自分の殻に籠った子どもたちってたくさんいると思うんです。そこからしだいに世界に触れて、どんどん変わって行く時期を描いているつもりなので、実際にそういう年代にいる人たちに観てもらいたいですね。僕らは今大変な世の中にいることは間違いなくて、その中でこういう映画があるということを知ってほしいし、この作品を観てどんなことを思ってくれるかにも興味があります。

中原:今は若い人が状況に向き合って何かを作るということが少ない気がしています。だからこそ、技術ばかりにこだわったオタクっぽい作品づくりに走ったりするんじゃないかと思うんです。この作品は、時代の流れを捉えた映画であることにまず感動したし、これからはそういう状況を踏まえてしか良い映画って生まれないんじゃないでしょうか。

瀬々:最近は富田克也(『国道20号線』など)くんとか松江哲明(『ライブテープ』など)くん、入江悠(『サイタマノラッパー』など)さんといった若い監督の力が自主制作的な場所から、どんどん爆発している気がするんです。これから映画は絶対に変わって行くと思うし、それがすごく楽しみですね。でも、僕もまだまだ負けてはいられません、って、感じかな?(笑)

イベント情報
『ヘヴンズ ストーリー』

ユーロスペース、銀座シネパトスにて公開中、ほか全国順次ロードショー
監督:瀬々敬久
出演:
寉岡萌希
長谷川朝晴
忍成修吾
村上淳
山崎ハコ
菜 葉 菜
栗原堅一
江口のりこ
大島葉子
吹越満
片岡礼子
嶋田久作
菅田俊
光石研
津田寛治
根岸季衣
渡辺真起子
長澤奈央
本多叶奈
佐藤浩市
柄本明
人形舞台 yumehina
百鬼どんどろ
配給:ムヴィオラ

トークショー

2010年10月21日(木)18:00の回終了後
会場:東京都 渋谷 ユーロスペース
出演:鈴木卓爾監督+熊切和嘉監督+村上淳+瀬々監督

2010年10月26日(火)18:0の回終了後
会場:東京都 渋谷 ユーロスペース
出演:中原昌也+瀬々監督

公開記念ミニライブ+トークイベント
『晩酌の会〜映画を語ろう@しぶや花魁』

2010年10月31日(日)18:00開演 20:00終了予定
会場:東京都 渋谷 しぶや花魁 2F
出演:Tenko、安川午朗、瀬々敬久監督
料金:1,000円(1ドリンク付)
※映画の前売り券または鑑賞後の半券をお持ちの方のみご入場いただけます

プロフィール
瀬々敬久

1960年生まれの映画監督。京都大学在学中に『ギャングよ 向こうは晴れているか』を自主制作し注目を浴びる。その後「ピンク映画四天王」として日本映画界で独特の存在感を放つ。以後、大規模なメジャー作から社会性を取り入れた作家性溢れるものまで幅広く手がけ、国内外で高く評価されている。代表作に『雷魚』(1997)、『HYSTERIC』(2000)、『RUSH!』(2001)、『トーキョー×エロチカ』(2001)、『MOON CHILD』(2003)、『ユダ』(2004)、『サンクチュアリ』(2006)、『刺青 堕ちた女郎蜘蛛』(2007)、『フライング☆ラビッツ』(2008)、『感染列島』(2009)、『ドキュメンタリー頭脳警察』(2009)など。

中原昌也

1970年生まれ。90年代から暴力温泉芸者(Violent Onsen Geisha)名義で音楽活動を開始、現在はHAIR STYLISTICS名義で活動中。映画評論家、小説家としても活躍。『あらゆる場所に花束が・・・』(2001)で三島由紀夫賞、『名もなき孤児たちの墓』(2006)で野間文芸新人賞、『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(2008)でBunkamura ドゥ マゴ文学賞を受賞。9月には初の絵本『IQ84以下!』が発売となった。

フィードバック 0

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Movie/Drama
  • 表現とは罪を犯すこと 瀬々敬久×中原昌也対談

Special Feature

Habitable World──これからの「文化的な生活」

気候変動や環境破壊の進行によって、人間の暮らしや生態系が脅威に晒されているなか、これからの「文化的な生活」のあり方とはどういうものなのだろうか?
すでに行動している人々に学びながら、これからの暮らしを考える。

記事一覧へ

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて