「理性ある狂気」で描く心の風景 松井冬子インタビュー

「痛み」「恐怖」「狂気」。世間の最大公約数的な「美しさ」とは相容れないこれらのキーワードが、彼女の絵画人生の道標となってきた。古典的な日本画の技法で描かれる美しくもおぞましき世界は、どんな必然性から生まれたのか? また、才色兼備と謳われ、インタビューでも快活な彼女が抱える、孤独な「当事者分析」の道のりとは? 横浜美術館で12月17日から3月18日まで開催される大規模個展『松井冬子展 −世界中の子と友だちになれる−』に向けて制作中の画家に、「CGでは表現し得ない、アナログ的なもの」を信じるに至った道程を聞いた。

「自分が描いた絵、破ける?」と詰め寄られたことも

―松井さんが画家を志した最初のきっかけはなんでしょう?

松井冬子
松井冬子

松井:小学4年生のとき、学校の図書室に『モナ・リザ』が掛けてあったんです。もちろんレプリカですが、薄暗い廊下でどこに立っても彼女と目が合うのが、怖いやら美しいやらで心を奪われました。「芸術家になりたい」という思いはこのころからありました。一生をかけられる仕事だろうと思ったんです。

―自分で満足に描けた、最初の絵の記憶は?

松井:小学1年か2年生のときの、かぐや姫の絵です。十二単をまとった姿を、色鉛筆で描いたものでした。このころ、クラスの女の子に「自分で上手いと思ってるでしょ」と言われ、「そんなことないよ」と言ったら「じゃあ自分が描いた絵、破ける?」と詰め寄られて。ビリビリに破いた後、号泣した思い出もあります。

―なかなか激しい小学生時代ですね…。

松井:毎日がそんな感じだったわけではなく、いま思い出したというくらいのことですが(苦笑)。

―今回の大型個展のサブタイトル「世界中の子と友だちになれる」を考えるとき、ちょっと興味深いエピソードという気もします。このタイトルは東京藝大での卒業制作の作品名でもありますね(※その後修士課程の修了制作でもこのタイトルを採った)。

松井:はい。当時、それまでの自分の集大成を目指した1枚です。現時点から見れば「ここから始まった」という原点でもあるので、今回の個展タイトルにしました。

―満開の藤や少女など、遠くから眺めると美しい情景に感じられますが、よく見れば枝には異様な数のスズメバチがいたり、少女の指に血が滲み、虚ろな表情だったり…すでに松井さんの代名詞と言える「痛み」「恐怖」「狂気」の予感に満ちた絵に思えます。そして傍らの揺り籠はなぜか、赤ん坊が不在ですね。

松井:この絵はひとことで語りにくいのですが、ひとつには、オブセッシブ(強迫観念的)に陥っていく人間の姿を描いたものです。私自身、すごく没入して描いていました。いまおっしゃったような要素に加え、そこには怒りもあります。空の揺り籠についてですが、これは堕胎を暗示してもいます。当時は毎日、この制作に心血を注いでいて、作品を描き終えた後もしばらく他の制作ができない状態でした。

―タイトルは、逆説なのでしょうか?

松井:いえ、いまでも信じていますけれど。気合い次第で世界中の子と友だちになれるって(笑)。でも、それもある種の狂気だとは思います。

《世界中の子と友達になれる》 2002年(平成14) 絹本着色、裏箔、紙 181.8×227.8cm 作家蔵(横浜美術館寄託)
《世界中の子と友達になれる》 2002年(平成14) 絹本着色、裏箔、紙 181.8×227.8cm 作家蔵(横浜美術館寄託)

2/3ページ:怖がらせようと思って描いているわけではないんです

怖がらせようと思って描いているわけではないんです

―幼いころから絵画に親しんだのは、ご家族にその方面の方がいたのですか?

松井:いえ、父は会社員で、母は茶道教授です。ただ、父方の祖父が芸術学の研究者で、母方の祖父は油絵を学んでいました。今思えば、それぞれからレッシングの芸術論『ラオコオン』や、アンドリュー・ワイエスの画集をもらったりはしていました。

―『ラオコオン』は、悲劇の死を扱った名高い彫刻が、凄惨な最期ではなく、死にいたる寸前の場面を表現している点に着目した論。またワイエスは身体が不自由な女性の強く生きる姿などを描いた画家ですね。

松井:私が高校生のころだったと思います。祖父たちにあれこれ教えてもらったというわけでもないのですが、本のことは覚えていますね。

―ご自身の絵で、観る者の恐怖を呼ぶような作品については「魔をもって魔を制す」「厄払い」とのお話も以前されていました。幽霊画に想を得た『夜盲症』などはそういう絵ですか?

松井:江戸時代、幽霊画は一家に一幅あり、主人の留守中に悪人を遠ざける役割も期待されたと聞きます。また「もう自殺しよう」「気が狂いそう」という時、たまたま身近な誰かが実際そうなってしまうのを見ると、寸前で踏みとどまることがあります。絵画がそういう存在になる場合もあると思うんです。とくに怖がらせようと思っているわけではないんです。ただ出来上がると、自分でも「気持ち悪いな」と思うこともありますけれど(苦笑)。

《夜盲症》 2005年(平成17) 絹本着色、軸 138.4×49.5cm 成山明光氏蔵
《夜盲症》 2005年(平成17)
絹本着色、軸 138.4×49.5cm
成山明光氏蔵

―東京藝大での博士論文「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」は、暴力や痛みと美術表現との関連・可能性を探ったものといってよいでしょうか?

松井:あの論文で取り組んだのは、ごく簡単にいえば、自分を対象にした当事者研究です。

―「当事者研究」は専門的にいうと、自己分析をまじえつつ、主体的に精神面での問題改善を行おうとする試み、ということでしょうか? 例えば自傷行為にもその人なりの理由があるのを知ることで前進できる、というような。

松井:そこからいろいろ追求できると考えたんです。まず私が惹かれた作品として、平安から鎌倉時代につくられた『地獄草紙』、現代美術のダミアン・ハーストやチャップマン兄弟の作品などを取り上げました。それらを自分がどう捉えるかを整理し、その上で自作がどんな意図で生まれてきたかを記しています。


―いまあがった攻撃的な痛みの表現のほか、マリーナ・アブラモヴィッチの『Rhythm O』(苦痛・歓喜を与える72の方法を観衆に示し、それを作家へ加えるよう指示した作品)のように、受動的に心と体の痛みを扱うものも論じられます。そうした多面的な分析のなかで、社会における男女差の問題意識も感じたのですが。

松井:確かに、小さいころから男女差別的なものは感じていました。多くは男性側が気付かない、当たり前だと思うようなことですが。例えば学校の出席番号は必ず男子が先で女子は後だったり、女子は家庭科で、男子が技術科を習うと決められていました。社会全般をみて、いまだに日本では女性首相は出ていないし、女は出産したら家に入るよう暗黙に求められるケースは今でも少なくありません。先ほど堕胎の話を少ししましたが、女性がそれを強いられる理不尽も本当に多いと感じます。

―『浄相の持続』は、その点で挑発的な作品ですね。命を宿した子宮から胸元まで、自分の内臓をさらけ出す女性。自らの姿を誇示するようにも見えます。

松井:この作品も女性に向けて描いた気持ちが特に強い1枚です。実際、女性の方々から「よかった」と言われることがあって、光栄ですね。もちろん、男性にも伝わるものがあれば嬉しいです。ただいずれにせよ、作品は完成すれば私の想いとは別に自立した、生き物のような存在だと思っています。

《浄相の持続》 2004年(平成16) 絹本着色、軸 29.5×79.3cm 財団法人平野美術館寄託
《浄相の持続》 2004年(平成16) 絹本着色、軸 29.5×79.3cm 財団法人平野美術館寄託

3/3ページ:最初は毎日号泣しながら描いてました。「描けない、描けない!」って

最初は毎日号泣しながら描いてました。「描けない、描けない!」って

―日本画を選ぶまでの経緯を教えてもらえますか? 高校卒業後はふたつの大学で学んでいますね。

松井:高校時代に美術部で油絵を描き始めました。でも進路相談で「東京藝大に行きたい」と言うと、先生にも両親にも「えっ?」という顔をされました。「天才しか入れないんだから」とまで言われて(苦笑)。それでも受験しましたが、まず女子美術大学短期大学部に入学しました。女子美を卒業した後に東京藝大に行き、両方で学べたことが財産になったと思います。藝大生は「芸術道まっしぐら」という感じで、女子美はサブカルチャーに強い子が多く、それぞれ刺激を受けました。

―女子美時代は丸坊主にしていた時もあったとか。

松井:はい(笑)。女子だけのせいか、みんな何をするにも「やりきってる感」がありましたね。寮で相部屋になった子がすごくお洒落だったり。当時は学校の地下室にこもって絵の技術を磨いていましたが、同時に周囲から未知の文化を吸収する日々でした。

松井冬子

―東京藝大で、それまでの油絵ではなく日本画専攻を選んだわけは?

松井:最初は油画科を受験しましたが、行き詰まっていた時に出会った長谷川等伯の『松林図屏風』がきっかけになりました。以前にも観ていましたが、自分なりにいろいろ通過した後に再対峙して「やはりこれは凄い、ここに可能性がある」と感じたんです。それで予備校の先生に今度は日本画で受験したいと伝えたら、ここでも「えっ?」と驚かれて(苦笑)。

―でも実際、油絵と日本画では相当違うのでは?

松井:その通りです。例えばデッサンでも、油絵は画面構成や明暗表現でみせる部分が大きく、日本画のような輪郭線は描きません。私はここでまず苦労しました。また日本画では、いかに「もの」をじっくり見るかが重視されます。リンゴを描くとき、これはもぎ取られてか何日経っているのか見極める、という世界です。合格後も、日本画の画材は大学で初めて使い始めるものも多く、これがまた難しい。イメージはできるけれど絵にできず、最初は毎日号泣しながら描いてました。「描けない、描けない!」って。

―どんな絵に取り組んでいたんですか?

松井:学部生のころは挑戦だと思い、いろいろ試しました。アウトサイダーアート風の強迫的なものや、フェミニズムの文脈からあえてセミヌードのグラビアアイドルを描いたこともありました。日本画なのに(笑)。

―意外ですが、かなりの試行錯誤もあっていまの作風が生まれたのですね。

松井:講評会では先生方の失笑を買いましたね。薄描きで犬を描いたときなどは「おぉ古臭い!」って言われたり。でも、むしろ否定されたほうが良いと思っていたので平気でした。父から言われた「芸術家は(ただ)売れるような絵を描いていてはいけない」という言葉も、当時は支えになりました。

《終極にある異体の散在》 2007年(平成19) 絹本着色、軸 124.3×97.4cm 個人蔵
《終極にある異体の散在》 2007年(平成19) 絹本着色、軸 124.3×97.4cm 個人蔵

CGで描ける時代になっても、その人特有の力なしには出てこないもの

―自分が表現したいことに、日本画は合っていたと思いますか?

松井:どうでしょう。正直、自分には向いてないと思うこともあります(苦笑)。日本画は制作工程が本当に大変ですから。描き始める前にも、絹を張る作業から始まり、膠(にかわ)を煮る、絵具は乳鉢で「赤子を撫でるように」摺って作る、といった作業を終えなければなりません。

―でも、そうした孤独な反復作業も作品の強さを支えてはいませんか? 例えば水仙を描いた『ナルキッソス』はナルシシズムがテーマだそうですが、そこにはいわゆる「自分のことが大好き」と違い、やっかいな自己の内面に、あえて覚悟を持って潜っていく態度を感じます。

松井冬子

松井:そういってもらえると嬉しいですね。いくらデジタルが発達しても、個人がアナログ的な執拗さで作り出した表現は強いはずだという信条はあります。デヴィッド・リンチが1人で作った『イレイザーヘッド』も、それゆえの凄みを感じますから。CGで何でも描ける時代でも同じで、その人特有のモノを見る力や表現力抜きでは出ないアウラみたいなもの、また地道な努力と細かい作業が生む特有の力ってあるのではないでしょうか。


―映像の話が出ましたが、今回は松井さんも初の映像作品を出展予定ですね。3月に発表予定と聞いています。

松井:映像作品については、いまロレックスさんに活動を支援して頂いていて、「いままでやったことがない『やりたいこと』に挑戦して下さい」と言ってもらったのがきっかけです。内容は構想中で、1分間ほどの作品になりそうです。

―絵のほうも、最新作が複数含まれるそうですね。さらに、制作過程にふれられる下図群も出展されると聞いています。

松井:はい。新作はいまちょうど取り組んでいるところです(取材日は10月25日)。私の場合、仮にこれまでと違う方向に行きたいと思っても、最終的には同じ方向になっていくみたいなんです。だから、今回もこれまで通り普通に描こうと思います。ぜひ、展覧会を楽しみにして頂けたら嬉しいです。

イベント情報
『松井冬子展 −世界中の子と友達になれる−』

2011年12月17日(土)~2012年3月18日(日)
会場:神奈川県 横浜美術館
時間:10:00~18:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:毎週木曜日、12月29日(木)~1月3日(火)
料金:一般 1,100円 大学・高校生 700円 中学生 400円 小学生以下無料

プロフィール
松井冬子

1974年、静岡県森町出身。2002年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業。2007年、同大学大学院美術研究科 博士後期課程美術専攻日本画研究領域修了。同大学日本画専攻の女性としては初の博士号取得者となる。主に絹本に岩絵具を用いて描く古典的な画法で、女性や花、その幽霊などを描き、内臓や身体器官もモチーフにしつつ、自己分析的に「痛み」「狂気」を絵画で追求する。

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