生ける伝説の素顔に迫る 喜多郎インタビュー

1970年代後半から80年代前半にかけて、冨田勲やYellow Magic Orchestra(YMO)と共に「シンセサイザー音楽の第一人者」として大きな注目を浴びた喜多郎。「ニューエイジミュージック」というジャンルの先駆けでもあり、NHKドキュメンタリーテレビ番組『シルクロード』やオリバー・ストーン監督『天と地』の音楽監督などを手がけ、これまでに『ゴールデングローブ賞』『グラミー賞』を受賞するなど、ワールドワイドな活動を続けている彼は、まさに「リビングレジェンド(生きた伝説)」という名に相応しい存在だ。

ただ、あまりにも「孤高の存在」過ぎて、日本では(特に若い世代)は馴染みが薄いという人も多いのかも知れない。かくいう筆者も喜多郎に対し、「長髪を振り乱しながらシンセサイザーを操る仙人のような人物」という先入観をずっと持ち続けていた。それが、実際にお会いしてみるととても気さくで話し好き、肌ツヤもよく健康的な出で立ちで、パブリックイメージとのあまりのギャップに驚かされるばかり。インタビューでは、これまでのキャリアを振り返りながら、最新アルバム『Final Call』に込められた思いについてもたっぷりと語ってもらっている。これまで聞いたことのないような、貴重なエピソードの数々を堪能して頂けたら幸いだ。

ある時期から他の人の音楽は一切聴かなくなって、今でも僕は自分の音楽しか聴かないんです。

―喜多郎さんのお名前の由来は、高校生の頃すでに長髪で「ゲゲゲの鬼太郎」に似ていたからだと聞きました。学生の頃はどんな少年だったのですか?

喜多郎:音楽よりもスポーツの方が好きで、テニスとか色んなことやっていましたね。バンドをやり始めたのは高校生くらいで、THE BEATLESを筆頭にブリティッシュロックやアメリカンロックなど、主に海外のロックからインスパイアされました。当時の日本では、フォークソングやグループサウンズのような、いわゆる歌謡曲っぽい音楽が流行っていたけど、そういうのはあまり聴かなかった。それに、ある時期から他の人の音楽は一切聴かなくなったんです。

―それは何故ですか?

喜多郎:自分で曲を作るようになって、もちろん最初のうちは模倣というか、コピーから入るんですけど、そればっかりやっていると、だんだん自分の音楽が好きなアーティストに似てきちゃうんですよ。それからですね、「自分だけの音楽を作るなら、他の人の音楽は聴かないのが一番」って思うようになったのは。今でも僕は自分の音楽しか聴かないんです。

喜多郎
喜多郎

―それはとても面白いですね。曲作りの最初のインスピレーションは、ご自身で撮った写真から生まれたりもすると聞きました。

喜多郎:そうなんです。1980年にNHKのドキュメンタリーテレビ番組『NHK特集 シルクロード』の音楽を作り始めた頃、東京から長野の山中へ引越したんですけど、その頃から写真を撮るようになりました。もう、撮るモノがたくさんあるんですよ。小さな虫を接写レンズで撮ったり、遠くの大きな山を広角レンズで撮ったり。ミクロとマクロの世界ですよね。そういう写真の世界と、音楽の世界が自分の中で重なってくるんですよね。イメージを音に変換するというか。

―イメージを音に変換するときに、シンセサイザーとの出会いはやはり大きかったのでしょうか。

喜多郎:それは大きかった。自分の感情をツマミで表現出来るから。僕が初めて触った1970年代のシンセはみんなアナログで、当時はモノフォニック(単音)しか出なかったんです。BuchlaとかMoogとかを使っていたんだけど、もうメチャクチャ。二度と同じ音が出ない(笑)。デジタルの場合は数値でコントロールしているからそんなことはないけど、アナログの場合はツマミをちょっといじっただけで音は変わるし、そのツマミの微妙な位置というのはなかなか思うようにいかない。でも、その瞬間だけの音というか、再現出来ない音というところにアートとしての価値があると思うんですよね。

マイケル・ジャクソンの『スリラー』ツアーで使われていたSynclavierが家にありますよ。鍵盤を押すとマイケルの歌声が再生されるようになっているんです(笑)。

―アナログシンセは今も使っているそうですが、「お宝」的な珍しいシンセもお持ちですか?

喜多郎:マイケル・ジャクソンの『スリラー』ツアーで使われていたSynclavier(シンクラヴィア / シンセサイザー、サンプラー、シーケンサーなどを統合した電子楽器)が家にありますよ(笑)。ツアーバンドでキーボード奏者だったクリストファー・カレルが僕の友人で、彼から譲り受けたものなんです。マイケルの歌声がサンプリングされていて、鍵盤を押すとそれが再生されるようにもなっているんですよ(笑)。

―ええ!? それはすごいですね!

喜多郎:ただね、そのSynclavierに入ってたデータが今、自宅で行方不明なんです。コンピューターのシステムを変更したとき、そのままどこかへいってしまって……。ストレージしてあるはずなんだけどなあ。あれを見つけられたら大騒ぎだと思うんだけど(笑)。

細野さんたちと同じことやってもなあ……という気持ちはありました。シンセサイザーの世界を広げていくためには、色んなものがあった方がいいと思うしね。

―喜多郎さんがシンセサイザーに傾倒していった頃、日本では冨田勲さんやYellow Magic Orchestra(YMO)など、他にもシンセサイザーを駆使した音楽を作るアーティストが次々と登場して、世界的にも話題になっていきます。彼らに対してライバル意識などはありましたか?

喜多郎:冨田さんはドビュッシーのアレンジをやっていて「すごく綺麗だな」と思っていたし、クラシックをシンセに置き換えるアイデアは面白いと思いました。一方、細野さんたちはKraftwerkを始めとするヨーロッパの電子音楽から影響を受けた曲を作っていたから、「僕が同じことやってもなあ……」という気持ちはありましたね。元々路線も違ったし、それほど意識したり競争心を持ったりはしなかったかな。「みんな、頑張ってるな」って。シンセサイザーの世界を世に広げていくためには、1つの音楽ジャンルを全員で突き詰めても仕方ない。色んなものがあった方がいいと思うしね。

喜多郎

―1985年にアメリカのゲフィンレコードから6枚のアルバムがメジャーリリースされ、喜多郎さんは、「ニューエイジミュージックの先駆け」として世界中でファンが急増します。

喜多郎:「ニューエイジ」という言葉が出てくる前は、僕の音楽は「マインドミュージック」と呼ばれていたんですよ。1978年に初ソロアルバム『天界』をリリースしたとき、レコード会社が戦略的に命名した。それがいつの間にか「ニューエイジ」って呼ばれるようになっていく……。ジョージ・ウィンストンとかマイケル・ヘッジスとかそういう人たちが出てきて、グラミー賞に1986年から「ニューエイジ部門」が設立されたのは大きかったですね。僕は翌年、尊敬するGrateful Deadのパーカッション奏者、ミッキー・ハートとの共同プロデュースで『THE LIGHT OF THE SPIRIT』というアルバムをリリースしたのですが、その中の楽曲“The Field”が、グラミー賞の「ベスト・ニューエイジ・パフォーマンス」にノミネートされました。

ヤッピーたちは僕と同世代なので、一緒に歳を取ってきたっていう意識はどこかにあります。彼らが僕の音楽に「東洋哲学」的なものを感じ取り、癒しを求める気持ちもよく分かりました。

―今の若い世代にとっては、「ニューエイジ」というジャンル自体に馴染み薄い人が多いと思うんですが、そもそもどのようにして誕生し、どんな定義なのかを教えてもらえますか?

喜多郎:1980年代の初め頃、「ヤッピー」という言葉がアメリカで使われ始めたのはご存知ですか?  当時20代後半から30代後半で、都会に住んで高収入を得る仕事に就いた人たち。スーツや車、住居などにお金をかけるような人たちを指す言葉です。彼らはヘルシーな食事を好み、瞑想やヨガを実践するなど精神的な部分での「癒し」を求めていた。そういう人たちが聴いていた音楽が「ニューエイジ」と呼ばれるようになったんです。彼らは年齢的には僕と同世代なので、一緒に歳を取ってきたっていう意識はどこかにありますね。

―喜多郎さんは1980年代後半、長野の山中からアメリカのコロラド州へと活動の拠点を移されます。そこには、「ヤッピー」と呼ばれた人々に向けて音楽を発信しようという意識もあったわけですか?

喜多郎:最初は全然なくて、自分の音楽を、自分の生活の中でクリエイトしていくということだけを考えてました。移住した場所はロッキー山脈の麓で、とにかく素晴らしい環境だったんです。「こんなところに住んでていいのかな?」って毎日思っていました(笑)。幸せでしたね。だって、標高2,800メートルで暮らしていると、雪が結晶の形をしたまま降ってくるんですよ。それを手のひらで受けとめても、しばらく融けない。そういう美しさは、都会にいたら感じられないじゃないですか。ただ、そうした環境で作られる僕の音楽の中に「東洋哲学」的なものを感じ取り、そこに癒しを求めるヤッピーたちの気持ちはよく分かりました。そしてそれが、「よし、この国に腰を据えて音楽を作っていこう」という意識にも繋がっていったんだと思います。

『銀河鉄道999』のときから松本零士先生のファンでした。『1000年女王』のサントラを作り終えたときは、車の中で聴きながら何度も泣きましたよ(笑)。

―僕は今年44歳なんですけど、喜多郎さんを意識したのはアニメ映画『1000年女王』のサントラが最初なんです。

喜多郎:あれは、自分でもすごく好きな作品なんです。『銀河鉄道999』のときから松本零士先生のファンでしたから。当時、僕はサントラを作り終えて、映画本編の音声のみのトラックを譲ってもらったんですね。要はセリフと音楽、それからSEだけの音源なんですけど、それを車の中で聴きながら何度も泣きましたよ(笑)。あのサントラは、メインテーマが出来上がったときから、映像が音楽に引っ張られていくような、そんな感覚がありました。そうなると、何分の1秒単位で映像と音楽を合わせるとか、そんな細かいことをしなくても映像の方が勝手に音楽に合ってくるんですよね、ホントに(笑)。

―そういった手応えは、ゴールデングローブ賞で作曲賞を獲得した、オリバー・ストーン監督の『天と地』(1993年)の音楽監督を手がけたときにも感じましたか?

喜多郎:感じましたね。あの映画は最初べトナムで撮影を始めたんですけど、当時はまだベトナム戦争の傷跡が残っており、反米意識も高かったので大変でした。ロケ中に、「ここから先は入っちゃダメだ!」って現地の人に銃を突きつけられたこともありましたよ。オリバー監督含め、みんなホールドアップさせられた。その後、ロケ地をタイに移したんだけど、僕は何もすることがなくて、ビールを飲みながら2週間くらい撮影や編集作業をずっと眺めてました(笑)。それでアメリカへ帰って、すぐメインテーマを作り上げて監督に送ったら、「Congratulations!(おめでとう!)」っていうFAXが送られてきて。あれはどういう意味だったのか(笑)。それ以来、監督とは今でも仲良くさせてもらっていますね。

―もしかしたらオリバー・ストーン監督は、「これは、ゴールデングローブ賞を獲得できるぞ!」って確信していたのかもしれませんね(笑)。ところで喜多郎さんは、毎年夏にオールナイトの無料イベントを富士山でおこなっているそうですね。

喜多郎:もうかれこれ24年くらいかな。ここ15年くらいはずっと御殿場口の5合目でやっていました。日没から夜明けまで約12時間かけて、ただひたすらみんなで太鼓をドンドコ叩くイベントなんです。お日様が富士山の向こう側に沈むと、反対側の空に満月が登ってくる。太鼓の音は波動なので、感謝の意をこめてそれを大地に捧げています。ただ去年は大震災の影響もあってやらなかった。5合目って標高が高いので、風向きによっては放射線量が高くなってしまうことがあるんですね。イベントには子供たちも沢山来るから、これは嫌だなと思って今年は長野県でやりました。今後はしばらく長野県でやることになるでしょうね。

僕の音楽はα波が出ているって昔から言われていて、少なくとも聴いていて闘争的な気分にはならないはず(笑)。それが人々と自然との調和に役立てば嬉しいです。

―さて、今秋リリースされた最新アルバム『Final Call』ですが、今作はどういう経緯で制作されたのでしょうか。先日、第56回グラミー賞「最優秀ニューエイジアルバム賞」に、なんと通算15度目(!)となるノミネートを果たしたというニュースも入ってきました。

喜多郎:去年、名古屋市科学館のプラネタリウムで、開館50周年記念の2日間限定プログラムを催すことになって、その音楽を担当したんですね。それがベースになっているので、いつもよりさらにスペーシーなサウンドになっています。この地球から宇宙へと旅立ち、再び帰ってくるというような、物語仕立ての展開にもなっていますね。

―空港のアナウンスでアルバムが始まり、最後は波の音で終わる。文明から旅立ち、自然の源である海へ戻っていくというテーマ性も感じました。

喜多郎:そうですね。ちなみに空港のアナウンスは、自分でフィールド録音して集めました。各国の空港でアナウンスを200サンプルくらい録って、最終的にその中から20個くらいを使ったんです。だから、どこの空港のアナウンスなのか、よく聴けば分かる人もいるかもしれないです(笑)。

―『Final Call』には、「最終通告」という意味もあります。「人はもっと自然と調和しなければ、本当にこの惑星はダメになってしまう」という、喜多郎さんの強い危機意識が反映されたタイトルでもあるのでしょうか。

喜多郎:本当にね、地球の上での人々の争いなんて、宇宙から見れば取るに足らない小さなこと。僕たちはもう少しステップアップして、もう一度自分たちを考え直す必要があるんじゃない? って思いますね。

喜多郎

―やはり大震災・原発事故についての想いもアルバムには込められていますか?

喜多郎:もちろんです。特に原発事故は収束するまであと100年、200年……相当時間がかかりますよね。ただ、原発について「No」って言い切ってしまうのは簡単です。この人間社会がもっと成熟していくための方法を、みんなで真剣に考えなければならない、我々の精神から変えていかなければならないと思いますね。僕は、音楽という「見えない力」でその手助けをしたいんです。音は波動だから、人の身体に浸透し、気付かないうちに影響を与えていく。僕の音楽はα波が出ているって昔から言われていて、少なくとも聴いていて闘争的な気分にはならないはず(笑)。僕の音楽の中にある、東洋哲学的な要素とα波が、人々と自然との調和に役立てば嬉しいですね。

リリース情報
喜多郎
『Final Call』(CD)

2013年9月4日発売
価格:3,150円(税込)
YZDI-10106

1. Final Call
2. Jupiter's Beam
3. Yo-en
4. Shadow Of The Moon
5. Traveler
6. Valley Of The Spirit
7. After Glow
8. Wind From The Desert
9. Moment Circle
10. Whispering Shore
11. Solar Eclipse

プロフィール
喜多郎(きたろう)

1953年生まれ、愛知県豊橋市出身。作曲家。オリバー・ストーン監督による映画『天と地 (Heaven & Earth)』(1994年)でゴールデングローブ賞作曲賞受賞。2001年、米音楽界最高峰であるグラミー賞受賞、これまでにノミネート15回。自然環境からインスピレーションを取り入れた独自のクリエイティブな作品は世界中で高い評価を受けている。毎年夏には富士山の5合目太郎坊駐車場にて、日没から夜明けまで約12時間かけた無料イベント『富士山讃歌』を行っている。これは年に一度、大地への感謝の気持ちを表現したファンと一体になったイベントである。2006年に、アメリカのコロラド州からカリフォルニア州セバスタポウルに移住。2013年秋、ニューアルバム『Final Call』をリリース。第56回グラミー賞「最優秀ニューエイジアルバム賞」にノミネートされている。



フィードバック 0

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Music
  • 生ける伝説の素顔に迫る 喜多郎インタビュー

Special Feature

Habitable World──これからの「文化的な生活」

気候変動や環境破壊の進行によって、人間の暮らしや生態系が脅威に晒されているなか、これからの「文化的な生活」のあり方とはどういうものなのだろうか?
すでに行動している人々に学びながら、これからの暮らしを考える。

記事一覧へ

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて