天真爛漫から引きこもりへ。熊木杏里が見つけた今日と明日の違い

「熊木杏里」という名前を知らなくても、おそらく一度は彼女の声を聴いたことがあるだろう。ユニクロや資生堂のCMで流れていた、透明感がありながらもどこか悲しい響きを持つ歌声とメロディー。それらは多くの人に忘れがたい印象を残し、他にも多数の映画やドラマで楽曲が使用されるなど、様々な分野の映像作家たちに愛され続けている。これまでさほど目立ったプロモーション活動をしてこなかったにもかかわらず、気づけば国際フォーラムで2009年、2011年とワンマンライブを成功させ、その後も結婚・出産をはさみながらマイペースに活動を続ける熊木杏里。アーティストとして理想的な環境を得ることができたのはなぜか? 通算9枚目となるアルバム『飾りのない明日』をリリースする彼女に話を聞き、その秘密を探った。

自分の思いを言葉にするのは、「自分とはどんな人間なのか?」を知る上で、とてもいい作業でした。

熊木杏里の楽曲は、単なる「癒し」という言葉では表しきれない特別な力を持っている。そしてその力の秘密は、おそらく彼女のライフヒストリーに隠されているのではないか? 生い立ちから話を聞くと、「そこまで昔の話をする機会はあまりないんですけど……」と少し戸惑いながら語り始めた。

熊木:小さい頃から歌は好きでした。祖父が学校の先生だったのですが、歌が好きで生徒と一緒に歌を作ったりするような、クリエイティブな人だったんです。私が歌うとそれをテープに録音してくれるのが、幼いながらに嬉しかったんでしょうね。家族について描写した替え歌などをよく歌っていて、未だに祖父はそのテープを聴きながらドライブしているそうです(笑)。本格的に歌をやろうと思ったのは、高校を卒業してタレントスクールに通うようになってからですね。

熊木杏里
熊木杏里

―生まれたのは長野県更埴市(現・千曲市)で、上京して女子校に入学したんですよね。

熊木:はい。でもクラスの中にうまく馴染めなくて。流行りにも敏感じゃなかったし、話題にも乗り遅れがちというか、無理やり合わせるのもしんどくなっていったんです。長野にいた頃は活発で、天真爛漫が似合う少女という感じだったのが、高校に入ってから変わっていきました。年齢的にも微妙な年頃だし、環境も大きく変わったし。最初は、「自分がこんな、人に気持ちを伝えられなくなるなんて……」って戸惑いました。友達に対しての執着心が、強かったことにも驚きましたね。仲良くしたい子がいるんだけど、うまく仲良くなれなくて、その子が他の子と仲がいいとすごくジェラシーを感じたり。その気持ちを何とかしたいのに、どうにもできない。

―他人とうまくコミュニケーションができず、もどかしい時期が続いたんですね。

熊木:そんなときに父から、「うまく人と話せないなら、思い悩むだけじゃなくて、詩でもなんでもいいからとにかく吐き出してみたら?」と言われて。それでタレントスクールに通うことにしたんです。実際、自分の思いを言葉にするというのは、「自分とはどんな人間なのか?」を知る上で、とてもいい作業でした。友達とうまく話すことができなくても、自分とうまく話せるようになってきて、それが少しずつ歌詞になっていったのだと思います。

―自分と向き合う作業をするようになって、他人への執着心は少しは落ち着きました?

熊木:そうですね、むしろ「諦め」になっていった部分があって。内省を突き詰めていったことで、最初のうちは人から離れていきました。でもそれは心地良くもあったんですよ。自由になっていく感覚というのかな。だいぶ失ったものもあった気はしますけど、それも怖くなかったんですよね。それでこそ、言えることがあるんじゃないかって思いました。

―詩を書いてるときは、目指す表現者はいましたか?

熊木:やっぱり井上陽水さんに大きな影響を受けていると思います。陽水さんの歌詞って独特じゃないですか。月を見て「綺麗だな」って思ったときに、ただ単に「月が綺麗だ」って言うのではなく、言葉をもっと探してみようって。その言葉探しの旅こそが「自分探し」ということなのかなって思ったりして。年齢を重ねながら、そういうことをいつまでもありのままの姿で歌っていけるのがシンガーソングライターなのだとしたら、すごく自分に向いているなって思いました。

今考えると、フリーランスを経験するまでは「感謝知らずの女」だったと思います。

2001年、日本テレビで放送された『嗚呼!バラ色の珍生!!』の歌手オーディションに参加し、およそ5千人の応募者の中から見事グランプリを獲得した熊木は、2002年2月にシングル『窓絵』でデビューする。最初の音楽プロデューサーは、当時ドラマ『篤姫』や映画『冷静と情熱のあいだ』のサントラを手がけ、注目を集めていた吉俣良。彼には主にアレンジメントの面で支えられながら、2003年に1stアルバム『殺風景』、2005年に『無から出た錆』と順調にキャリアを重ねていく。当時の歌詞は、世間や他者に対して感じた壁や、抱いた猜疑心を綴ったものが多かった。それは女子校時代に孤立や孤独を深め、人一倍「誰かと繋がりたい」と思ったことの裏返しではなかったか。

熊木:それはありました。「自分はこんなふうに考えているのに、どうしてみんなわかってくれないのだろう?」っていう思いが、すごく炸裂していたと思います。

熊木杏里

―その思いを歌に表現することで、同じような思いを抱く人たちと共有できたという実感はありました?

熊木:「間違ってなかったんだ」というか、明るくてわかりやすくて「万歳!」っていう曲じゃなくても(笑)、共感してくれる人はいるんだなと思いましたね。ただ、ずっとそれでいいと私は思っていたわけじゃなくて。『無から出た錆』をリリースしたあとは、「この先に明るい世界はきっとあるはず」と思って、外へ出て行きたいという気持ちが強くなっていきました。そうすると、音楽もちょっと明るくなっていくんですよ。今思うと、反動的な部分もあったのかもしれないですけどね。閉じこもっていた自分が嫌だなと思って外へ出たものの、外に出れば出たで、また帰りたくもなったりして(笑)。

―そうやって、行き来しながら少しずつ前に進んでいるのですね。

熊木:今考えると、フリーランスを経験するまでは「感謝知らずの女」だったと思います(笑)。ずっと自分に向き合って曲を作っていると、周りの世界が見えなくなってしまうし、「ありがとう」の思いがなかなか生まれてこなかったんですよね。例えば、“私をたどる物語”という曲がドラマ『3年B組金八先生』に使われたり、それを聴いた中島信也監督が、CM音楽に起用してくれたり。自分の見えないところで確実に誰かがバトンを渡してくれているんだなって。それに気づけるようになって、自分の感覚もまた変わっていきました。

感情を引っ張り出されることで、なぜか心がほぐれる。やっぱり正直なことを聞いていると、人は気持ちいいのかなって。

自分の内面と向き合う歌詞から、現実社会にコミットする歌詞へ。「戦争」や「自立」「恋愛」など、扱うテーマも多様で多彩になっていく。例えば、2006年のシングル『戦いの矛盾』に収録された“いつか七夕”は、拉致被害者家族である横田早紀江さんの著書を読み、実際に「座り込み」の現場へ行って作った曲だという。プロデューサーは、吉俣から岩瀬聡志と西垣哲二のタッグになるが、それでも一貫して変わらないのは、彼女が日々生きていく中で感じる様々な疑問や葛藤、不安を、曲にすることでとらえ直そうという強い意志だ。

熊木:それはすごくあります。ただ、具体的なエピソードについて書いているうちに、他のテーマも(楽曲に)入りこんじゃうんですよ。何となく頭の隅で考えていたこととか。そうすると、生々しさが薄れていく感じはあります。新しいアルバムに入っている“忘れ路の旅人”という曲もそう。行った村の景色とか、言わなければ全然わからないくらい、様々な要素が入り込んでいます。

―生々しさを薄めることで、聞き手が自分の気持ちを投影しやすくしている部分もありますか?

熊木:それもあるけど、自分自身がまだハッキリと答えを出せていないっていうのもあるのだと思います。モヤモヤしたものを、モヤモヤしたままの状態で出すというか。みんなでモヤモヤを共有する、そんな曲があってもいいんじゃないかなと。

熊木杏里

―そういう、モヤモヤしたことを歌う熊木さんの楽曲がCMに使われ、お茶の間で流れるのが面白いなって思うんですよね。どうしてユニクロのCMを見て、こんな切なく悲しい気持ちにならなきゃいけないんだって。

熊木:あははは。

―優しい声ではあるんですけど、単なる「癒し」ではなくて、感情を引っ張り出されるというか。

熊木:あ、でも嬉しいですねそれは。そうでありたいと思います。陽水さんや中島みゆきさんの曲なんて、まさにそうじゃないですか。感情を引っ張り出されることで、なぜか心がほぐれるというか。そういうシステムがありますよね。逆に、幸せなことばっかり言われると病んでくる(笑)。やっぱり、正直なことを聞いていると、人は気持ちいいのかなって。スガシカオさんもおっしゃっていましたけど、たとえそれが負の感情でも、さらけ出さないとやっぱり届かない。それは忘れないようにしようって思っています。 そして今回リリースされる『飾りのない明日』は、現在の熊木杏里が抱えるモヤモヤをそのまま封じ込めた等身大のアルバムである。例えば、“白き者へ”や“灯び”は、子を持つ母親が抱える思いを率直に歌ったものだし、“くちびるの魔法”や“幻”、“ハルイロ”は、女の子の恋心を綴った切ないラブソングだ。また、遠い過去の記憶を美しく封じ込めた“夏の日”や、放っておくとルーティーン化してしまう日常への抵抗を表明する“今日を壊せ”、手つかずの未来を見据えた表題曲“飾りのない明日”など、時間軸はそれぞれ違っても、紛れもなく今を生きる熊木だからこそ生まれた言葉が詰まっている。

熊木:毎日が同じことの繰り返しで、明日もどうせ変わらないと思いながら、どんより生きている人って少なからずいるのかなと思うんです。自分も時々そうなってしまうんですけど、今日は今日、明日は明日で全然違う日だから、今日の荷物は今日降ろして、明日は新しい飾りをつけようっていう、そういうメッセージが“今日を壊せ”や“飾りのない明日”にはありますね。“ライナーノーツ”は、夢とか挫折とかそういう言葉に縛られず、カタチはなくても信じてみようよっていう曲。なんか、“夢”って言われるとキラキラしてなきゃいけないイメージがあるけど、別にそんなに輝いていなくたって夢は夢だし。過去のできごとを「挫折」と自分が思わなければ挫折じゃないし、私は挫折なんてないと思っているんですよ。物は言いようかもしれないですけど。

ちょっとでもいいから、今日を壊すことができたら、もっと楽しいんじゃないのかなって。

震災の直後は、「毎日が同じことの繰り返しなどではない」ということを多くの人が思い知らされて、今日を大切に生きなければと思えていたはずだ。しかしあれから5年経ち、また元に戻ってしまったのではないだろうか。熊木の“今日を壊せ”も、決して日常を否定して非日常に突入しろと歌っているわけではない。今日と昨日は違うし、明日も違う、その一瞬一瞬を大切にした方がいいよ、という実感を歌っている。

熊木:そうなんですよね。“飾りのない明日”もマイナスな意味ではなくて。「飾りのない明日でも十分なんだよ」っていう、隠れた前向きソングなんです(笑)。デビューしたときから私はずっとそういう逆説的な表現の仕方で……なんていっても『殺風景』っていうアルバムタイトルでデビューしましたからね(笑)。でもそのときも、本当はすごく色とりどりな世界なんだよっていうのを、自分としては言いたかったんです。人の心は殺風景に思えたとしても、細かく見ていけば色んな感情があるんだよという意味で、『殺風景』と付けた(笑)。なんか素直じゃないんです。

―熊木さんが「今日と明日が違うものであってほしい」と願う気持ちはどこからくるのでしょう?

熊木:例えば、本当にもう明日いなくなってしまう人もいるかもしれない。そういうことに直面したこともありますし、そうなったときに、やっぱり「今日も明日も同じ」という気持ちで生きてちゃいけないと思ったんですよね。「今日と明日が同じでいい」って生きている人は、「その方が安心する」って言うんですけど、私はそれ、「本当にそうなのかな」って思う。「それで本当にウキウキできているのかい?」って。ちょっとでもいいから、今日を壊すことができたら、もっと楽しいんじゃないのかなって。何かしら人は、目指しているものがないと生き物的にダメなんじゃないでしょうか。

―今日が昨日より良い日じゃなくてもいいわけですよね。「今日は昨日よりも良くなければならない」って思ってしまうと、そうならなかったときに落ち込む。良し悪しじゃなくて、「違い」に気づけばもっと毎日を大切にできるというか。

熊木:そうそう、そうなんですよ。今日と明日は確実に違うし、それを見えないふりちゃいけないと思うんですよね。

熊木杏里

―やっぱり熊木さんは、引きこもっているときに自分の内面をすごく見ていて、その中に立ち現れる色んな感情を見つめていたからこそ、そういうふうに思っているんじゃないかと。『殺風景』の中にも色とりどりの世界を見つけられるし、今日と明日は確実に違うと言い切れるのでは。

熊木:ああ、そうかもしれないですね。引きこもっていた時代があり、そこから一瞬一瞬変わってきたから今の自分がある。何か悪いことが明日あっても、それを引き受けながら生きていくことができたらいいなって思います。現実を受け入れられない人もいるかもしれないけど、とにかく進んでいけば、その先にまた一つ何か違うものが見えるかなって。

―遠い過去についての曲や、ちょっと近い過去の曲、リアルタイムの曲や、未来を見据えた曲と、時間の経過によって現実の受け止め方が変化していく、その時々の思いが綴られたアルバムなんですね。

熊木:そうですね。色々な思いを詰め込めたアルバムだと思います。これまで私は、例えば学生とか自分より若い人たちに、彼らと同じ年代だった頃に感じていたことを伝えてあげたいとか、そんなふうに思ったことはあまりなかったんですけど、もし言えることがあるなら今のうちにちゃんと言っておきたいなって初めて思えたんですよね。だからこそ、遠い過去について歌えたのかもしれない。もちろん、子どもを持つことで生まれた感情についても歌えたし、相変わらずモヤモヤしたことも歌っているし(笑)、ほんと等身大のアルバムができたなあと思っています。

リリース情報
熊木杏里
『飾りのない明日』(CD+DVD)

2016年3月16日(水)発売
価格:6,825円(税込)
YCCW-10274/B

[CD]
1. ハルイロ
2. くちびるの魔法
3. ライナーノーツ
4. 飾りのない明日
5. 白き者へ
6. 夏の日
7. 幻
8. 灯び
9. 今日を壊せ
10. 忘れ路の旅人
[DVD]
1. あなただった
2. 旅
3. Short film
4. イマジンが聞こえた
5. 最後の羅針盤
6. なごり雪
7. 誕生日
8. 生きている故の話
9. スカートマジック
10. 太陽の種
11. 逆光
12. 愛を
13. 春の風

熊木杏里
『飾りのない明日』(CD+DVD)

2016年3月16日(水)発売
価格:6,825円(税込)
YCCW-10275/B

[CD]
1. ハルイロ
2. くちびるの魔法
3. ライナーノーツ
4. 飾りのない明日
5. 白き者へ
6. 夏の日
7. 幻
8. 灯び
9. 今日を壊せ
10. 忘れ路の旅人
[DVD]
1. オルゴール
2. 戦いの矛盾
3. 0号
4. あなたに逢いたい
5. おうちを忘れたカナリア
6. 水に恋をする
7. 窓絵
8. わちがひ
9. 朝日の誓い
10. 君の名前
11. お祝い
12. クジラの歌
13. Hello Goodbye&Hello
14. 逆光
15. Flag
16. 冬空エスコート
17. ひみつ
18. 私が見えますか?
19. 忘れ路の旅人

熊木杏里
『飾りのない明日』(CD)

2016年3月16日(水)発売
価格:2,970円(税込)
YCCW-10276

1. ハルイロ
2. くちびるの魔法
3. ライナーノーツ
4. 飾りのない明日
5. 白き者へ
6. 夏の日
7. 幻
8. 灯び
9. 今日を壊せ
10. 忘れ路の旅人

プロフィール
熊木杏里
熊木杏里 (くまき あんり)

シンガーソングライター。2001年『嗚呼バラ色の珍生!!』の歌手オーディションに参加し、グランプリを獲得。2002年2月『窓絵』でデビュー。2003年3月に1stアルバム『殺風景』をリリース。NHK朝の連続テレビ小説ドラマ『こころ』や『3年B組金八先生』の劇中挿入歌、資生堂やユニクロなど数々のCMソングにも起用され、『第47回 ACC CMフェスティバル』において特別賞ベストサウンズに選ばれる。2015年7月より放映されたアニメ『Charlotte』の最終話劇中で“君の文字”が流れ、SNS等の検索ワードでも急上昇し話題となる。2016年3月に9thアルバム『飾りのない明日』をリリース。



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