表層的なコラボはもうたくさん。伝統×コンテンポラリー界の本音

『遠野物語』を記した民俗学者・柳田国男をして「いやしくも民間芸術を談ずるの士は之を知らなければ恥」とまで言わしめた「花祭」は、愛知県・奥三河の地域で700年にわたって受け継がれてきた国指定の民俗芸能。今回、『あいちトリエンナーレ2016』に招聘された振付家の山田うんは、自身のカンパニー「Co.山田うん」とともに、この花祭へのオマージュとして創作した新作『いきのね』を発表する。

一方、能の観世流シテ方を学び、能×現代音楽アーティストとして活躍する青木涼子は、フランス人作曲家のオレリアン・デュモンが作曲した能オペラ『秘密の閨(ねや)』を世界初演。能『安達原』(『黒塚』)を下敷きにしながら、アンサンブルと謡による全く新しいクリエイションを目指している。

コンテンポラリーダンス×民俗芸能、能×現代音楽、伝統と現代を行き来する二人のアーティストは、それぞれどのような視点から創作を行なっているのだろうか? そして、数百年続く伝統をどんな形で現代に提示するのだろうか?

ダンスのような「踊り」ではない、民俗芸能の「舞い」に関心があるんです。(山田)

―山田さんは、『あいちトリエンナーレ』からの要望で、今回「花祭」へオマージュを捧げる作品の創作を行なうことになりました。この話をはじめに聞いたとき、山田さんとしてはどのようなモチベーションだったのでしょうか?

山田:もともと神楽や能に触れることが多く、民謡を習っていた過去があって。だからダンスのような「踊り」ではない、民俗芸能の「舞い」に関心があるんです。ようやくそんな「舞い」に対して正面から向かい合う機会が巡ってきたという気持ちでしたね。

山田うん
山田うん

―では、念願とも言えるプロジェクトなんですね。

山田:主宰しているカンパニーも、バレエやストリートダンス、ジャズダンスといった西洋由来の踊りをベースとしているメンバーが多く、民俗芸能の持つ「土を踏む感覚」や「日本人の身体」に切り込んでいく興味が薄かった。私としては、そこをきちんと通過して作品を作りたいと思い、近年では、密かに土着的な振付を行なっていたんです(笑)。そんなときに巡ってきた話だったので、飛びつきましたね。

Co.山田うん『舞踊奇想曲 モナカ』 2015 ©羽鳥直志
Co.山田うん『舞踊奇想曲 モナカ』 2015 ©羽鳥直志

―山田さんが今回の作品で目指すのはどのようなものでしょうか?

山田:一番やりたいことは、「舞い」と「踊り」の融合です。日本では、ダンスのことを「舞踊」と呼んでいるのに、多くの人は「舞い」と「踊り」を分けて考えていませんよね。でも、それらは本来別物なんです。

―同じ「ダンス」を意味する言葉ですが、「舞い」と「踊り」にはどのような違いがあるのでしょうか?

山田:一番わかりやすい例が「木の葉が舞う」という言葉でしょう。木の葉には意志がなくて、風が吹いたから舞っているだけというように、外的なエネルギーが動きを作ります。花祭ならば、土や風だけでなく、奥三河の地形や食べ物など、生活文化やそこでの祈りのような思想を含んだ環境が「舞い」を生み出す源泉になっています。

一方、「踊り」というのは、意志を持った人間が生み出す無限の形。人間にしかできない特権のようなものが踊りなんです。『いきのね』では、「舞い」としての外側のエネルギーと、人間の意志が生み出す「踊り」のエネルギーを融合した舞踊作品を目指しています。

日本人は能に「聖域」のようなイメージを持ってしまいますが、西洋人と作品を作ることで、新たな発見があるんです。(青木)

―青木さんは2010年から世界の作曲家に委嘱するシリーズ『Noh×Contemporary Music』を手がけています。今回の『秘密の閨』もその延長線上にある作品ですね。

青木:私がこれまで世界の作曲家たちと活動を展開してきたのは、新しい音楽作品を作るためでした。能の中でも、特に声や音楽的な部分を再構築したいと考えており、最終目標として描いていたのがオペラのような音楽劇なんです。今回の作品では、その最終目標の形を追求しています。

―一言で「音楽的な部分を再構成」といっても、そこには大変な苦労がありそうです。そもそも、能の中でも「音楽」という要素に意識を向けたのはなぜでしょうか?

青木:日本舞踊などは踊りに特化して、身体ですべてを表現しています。けれども、能は動きが抽象化されているので、身体の語彙が少ない。それを補っているのが「謡(うたい)」なんです。だから、能の中でも謡を考えないと新しいものは生み出せない。

青木涼子
青木涼子

―なるほど。

青木:これまで、このシリーズでは国内外の18人の作曲家に委嘱してきました。今は面白い作品を作ってくださる日本人作曲家も出てきました。しかし初期の頃は、日本人の方は、能に「聖域」のようなイメージを持っていて、なかなか踏み込みにくい世界のようで、一方で西洋の作曲家はそのような文化的なコンテキストと関係ないので、自由に要素を分析しながら作品を作りやすい。彼らと制作をともにすると、「そういう風に能を見ることができるんだ!」という、新たな発見がありました。

能をはみ出したいわけじゃなくて、日本の伝統をベースにしながら、全く新しいものを生み出したいだけなんです。(青木)

―青木さんの活動は、能の世界をはみ出す活動ですよね。伝統に重きを置く能の世界では、なかなか活動しにくい部分もあるのではないでしょうか?

青木:昔から、女優の方が能を学びたいって言うとウェルカムなんですが、能を学んだ内部の人間が、別の表現を行なうのは難しいのが正直な所です。能を知っている人は「これは能じゃない」と言うかもしれませんが、私としては「はい、これは能ではないので……」と言うしかないですね。

―プログラムにも「能オペラ」と記されています。

青木:そもそも私の場合は、能をはみ出すのではなく、全く別のジャンルの作品を作りたいと思っています。私は能の訓練を積んできましたが、作品が必ずしも能である必要はない。日本の伝統をベースにしながら、全く新しいものを生み出したいだけなんです。例えば、単純にクラシック音楽やジャズと合わせるというだけにとどまらない、本当の意味で「クリエイション」をしたいと思っています。

―その意味では『秘密の閨』も「フランス人作曲家とコラボレーションした能」という単純な作品ではないんですね。

青木:全然違います。書き下ろしの作品だし、私が謡う部分も作曲家によって書かれています。あえてジャンルを分けるなら、「音楽劇」や「オペラ」といったものでしょう。ヨーロッパには「コンテンポラリーオペラ」というジャンルがあるのですが、それに近いですね。ソプラノ歌手ではなく、能の謡い手のために書かれたオペラなんです。

青木涼子『秘密の閨』試演 2012 Courtesy of the artist
青木涼子『秘密の閨』試演 2012 Courtesy of the artist

奥三河の人々と花祭の関係は、私にとってのダンスと似ている。(山田)

―今回、青木さんは現代音楽と協働を行ない、山田さんは花祭という700年にわたって続いている民俗芸能と向き合っています。それぞれ、全く異なったジャンルと融合した作品を創作することで新たな発見もあるのでしょうか?

山田:花祭を行なう奥三河の集落では、毎年の祭りの期間だけでなく、1年間の生活の中でもずっとお祭りの準備をしています。例えば天狗のための芋を収穫し、装飾に使う植物も山から採取する。奥三河で暮らすこと自体が花祭とつながっているし、花祭は自分たちの生活を支える一部、というよりむしろ中心となっているのです。

花祭の様子
花祭の様子

―奥三河の人々にとって、生活と祭りは切り離せないものなんですね。

山田:そんな花祭のあり方は、私にとってのダンスと似ています。花祭が700年にわたって受け継がれてきたように、私が始めるずっと前からダンスは世界のどこかで続いてきて、受け継がれてきました。私も毎日稽古ををしながら、何を食べて、何を感じて、日常的にもどんな態度で、どんなものを見るのかといった「命」そのものがダンスにつながっている感覚があるんです。だから、ジャンルとしては異なっていても、理解し合うことができます。

左から:青木涼子、山田うん

―青木さんはいかがでしょうか?

青木:能と別のジャンルとのコラボレーションというとき、人は「どこが能なのか?」という部分を探したがります。けれども、私にとって「どこが能で、どこが能でないか」は意味のない質問です。自分は能の訓練を受けてきたからそういう声を出すし、そういう身体を持っている。その意味では、作曲家が何を書いてくれても能にしかならないんです。私にソプラノ歌手のような歌い方は絶対に無理ですからね(笑)。

左から:青木涼子、山田うん

―青木さんの言葉からは「自分がやれば能になる」という潔さも感じられます。だからこそ、深い部分でのコラボレーションが成立するんでしょうね。

青木:はじめはなかなか難しかったんです。身体の中に「伝統を変えてはいけない」という意識が埋め込まれているから、伝統にないことをすると気持ちが悪い。けれども、それを続けていったときに、新しい表現が広がる可能性を掴み、とてもおもしろい作品を生み出せた。伝統に縛られて「これしかできない」と枠組みを決めてしまうと、他のジャンルとの接点が持てません。だから、私の場合は能ではない新たなものを模索しているんです。

伝統は常に変化していくものであり、決して博物館で保存されるようなものではありません。(青木)

―青木さんの活動は、新たなジャンルを作り上げるものであると同時に、能という伝統を変える可能性を秘めていますね。

青木:能には650年におよぶ強固な歴史があります。私がどんなことをしても、その歴史によって培われてきたものは変わらないと思っています。

ただ、花祭も同じですが、能も650年間にわたって全く同じことをやってきたわけではありません。昔は今のようなすり足をしてなかったかもしれないし、能楽堂だって、かつては屋外でした。能というと抽象的でクールなイメージを思い浮かべますが、数十年前には、能面をかけながら泣いてしまうようなドラマティックな演技をする能楽師もいたと言われています。

―上演時間も延びているそうですね。

青木:江戸よりも前の時代には30分くらいで上演されていたものが1時間半に延びたりしています。江戸時代に「式楽」といって、幕府や武家の公式行事となったので、どんどんと足の運びも重くなり、上演時間も延びていった。 伝統は常に変化していくものであり、決して博物館で保存されるようなものではありません。今の能は変化を嫌いますが、そもそも「能楽」っていう言葉自体、作られたのは明治時代ですからね。「伝統」とはさまざまな時代背景のもとで作られてきたものだと思います。

―お話を伺っていると、今まで持っていた能のイメージが変わり、時代とともに移り変わるものとして捉えられます。

青木:ただ、能の持つ魅力は、現代の感覚とは真逆かもしれません。舞台装置もなく、謡や囃子などを手がかりにしながら情景を思い浮かべる想像力を観客は求められます。今は「ポケモンGO」の時代ですからね。人が想像力を働かせることは難しくなりつつあります。

―青木さんは「ポケモンGO」の時代に合わせて能を変えていくことも考えているのでしょうか?

青木:全然考えていません(笑)。能の本質は、見えないものが見えるインテレクチュアル(知的)なものであり、それを活かさなければならない。あえて時代に迎合するようなことはしていません。

左から:青木涼子、山田うん

―ただ闇雲に変化をすればいいというものではなく、本質を掴んだ上での変化でなければ意味がない、ということですね。

青木:そんな変化が日本はとても下手で、すぐに安易な方向に流れてしまいます。そういうものとは一緒にされたくないという気持ちがあるんです。

『あいちトリエンナーレ』では、単なる伝統や土着とのコラボレーションにとどまらず、未来につながるアートを模索していると感じます。(山田)

山田:花祭であれば、5つの色を使うから衣装を5色にしようとか、祭りの中でお湯が使われているから舞台でもお湯を使いましょうといった表層的な情報を扱うのはコラボレーションではないし、魅力を感じません。けれども、表層をかけ合わせただけのそんな「コラボ」は舞台作品でも少なくない。キャッチーで、一瞬だけ持てはやされて、あぶく銭も入ります。しかし、そんな麻薬みたいなコラボは、アーティストを消費していくことにしかなりません。

その点、『あいちトリエンナーレ』では、アーティストのセレクションを含めて、単なる伝統や土着とのコラボレーションにとどまらず、未来につながるアートを模索していると感じます。

―『あいちトリエンナーレ』では、今回「創造する人間の旅」というテーマが打ち立てられています。最後にお伺いしたいのですが、お二人の作品は、それぞれ「旅」というテーマに対してどのように響き合うのでしょうか?

山田:花祭の場合、まず天竜川の水を汲んでくるところから儀式は始まります。その他にも、祭りの1週間前から四つ足動物を食べない、人と手を繋がない、といったさまざまな段取り、身の清め方があるんです。今回の創作では、水を汲むというのはどういうことなのか? どんな速度で歩き、どの方向を向くのか? といったプロセスを確認しながら作品を作っています。

それによって、一連のお祭りの流れを自分の体の中にある「現代の感覚」に具体的に落とし込み、振付を考えていくんです。見た目には花祭の儀式や舞いとは全く違う動きですが、花祭にガイドしてもらっている感覚ですね。その意味で、花祭に寄り添った時間の流れを歩んでいます。

―つまり、過去から受け継がれてきた身体性を旅している、と解釈できそうですね。

山田:日常と離れた祭りの身体性に対して、違和感もなくすんなりと入っていけるのは、多分私が日本人だからでしょう。生活スタイルこそ大きく変わっていますが、日本語を喋って、日本の空気を吸っているし、700年前と変わらない四季に囲まれている。日本人として腑に落ちている本質があるので、花祭と現代を結びつけて考えられるんです。

左から:青木涼子、山田うん

―青木さんは、どのように「旅」というテーマと向き合っていますか?

青木:フランス人作曲家とのコラボレーションは、能がフランスに旅していると言えると思いますね。建築家の田根剛さんに「現代の能舞台を再構築する」ことをテーマにお願いしている舞台美術は、能が現代へと旅するイメージを重ねられるでしょう。そもそも、作品のモチーフとなっている『安達原』(『黒塚』)というストーリーも、僧侶が旅の途中に鬼婆に出会う話。そう考えると、今回のクリエイションはあらゆる面で旅に関係していますし、そうやって旅をして何かと出会うことで、新しいものが生み出されるのだと思います。

イベント情報
『あいちトリエンナーレ2016』

2016年8月11日(木・祝)~10月23日(日)
会場:愛知県 愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋、豊橋、岡崎市内のまちなか

Co.山田うん
『いきのね』

2016年10月22日(土)16:00~、10月23日(日)14:00~
会場:愛知県 名古屋市芸術創造センター
振付・演出:山田うん
音楽:ヲノサトル
出演:
飯森沙百合
伊藤知奈美
川合ロン
河内優太郎
木原浩太
小山まさし
城俊彦
西田祥子
長谷川暢
広末知沙
三田瑶子
山口将太朗
山崎健吾
山崎眞結
山下彩子
山本和馬
料金:S席4,000円(学生2,000円) A席3,000円(学生1,500円)

青木涼子
『秘密の閨(ねや)』

2016年10月23日(日)17:15~
会場:愛知県 名古屋市青少年文化センター(アートピア)
指揮:ジャン=ミシェル・ラヴォア
出演:
青木涼子
ネクスト・マッシュルーム・プロモーション
作曲:オレリアン・デュモン
台本:小田幸子
演出:フレデリック・タントゥリエ
空間:田根剛(DGT.)
衣装:廣川玉枝(SOMARTA)
料金:S席4,000円(学生2,000円) A席3,000円(学生1,500円)

プロフィール
山田うん (やまだ うん)

ダンサー、振付家器械体操、バレエ、舞踏などを経験し、1996年から振付家として活動を始める。98年からはソロダンサーとしても活躍。2002年ダンスカンパニー「Co.山田うん」設立。日本における稀少なコンテンポラリーダンスのカンパニーとして、意欲的に作品を発表し、国内外で注目される。音楽、美術、文学、学術、ファッション、伝統芸能など異分野とのコラボレーションを行なうほか、演劇やオペラの劇中振付や新体操選手への振付も行なう。第8回日本ダンスフォーラム大賞、平成26年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。平成28年度文化庁文化交流使。

青木涼子 (あおき りょうこ)

能×現代音楽アーティスト。東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業(観世流シテ方専攻)。同大学院音楽研究科修士課程修了。ロンドン大学博士課程修了。博士号(Ph.D)取得。湯浅譲二、一柳慧、ペーテル・エトヴェシュ、細川俊夫など、世界の主要な作曲家と共同で、能と現代音楽の新たな試みを行なっている。2010年より世界の作曲家に委嘱するシリーズNoh×Contemporary Musicを主催しており、2014年にはデビューアルバム『能×現代音楽』(ALCD-98)をリリースした。世界的なオペラ・ハウスへの出演も果たしており、2013年マドリッド、テアトロ・レアル王立劇場にジェラール・モルティエのキャスティングのもと、ヴォルフガング・リーム作曲オペラ《メキシコの征服》(ピエール・オーディ演出)のマリンチェ役でデビュー、各紙で絶賛された。平成27年度文化庁文化交流使。



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