金森穣に訊く。ライバル不在の状況から、どう自身を高める?

Noism芸術監督・金森穣のこれまでは、全てが成功の道のりのように思えてしまう。舞踊の才を伸ばすべく17歳で留学。欧州の第一線の舞踊団で舞踊家・振付家として活躍し、帰国後は日本で未だにひとつしか存在しない劇場専属舞踊団を立ち上げている。さらに2年前には、新潟を世界から質の高い舞踊芸術が集まってくる地域にすべく、『新潟インターナショナル・ダンスフェスティバル』(以下、『NIDF』)を立ち上げたのだ。

快進撃を続ける金森のあり方を、「天から与えられた特別な才能の持ち主」だからと言ってしまえばそれまでだろう。しかし、金森は日本の劇場文化と舞踊芸術をより高みに押し上げるべく、今も平坦とはいえない道を歩み続けている。きっと何か原動力があるはずだ。そう思って、今回のインタビューではあえて「ライバルとは何か?」と問いかけてみた。

2015年に続いて今年ふたたび開催される『NIDF』は、金森率いるNoismと同じく、香港、韓国、シンガポールを拠点にプロフェッショナルに活動する舞踊団を招いている。Noismが他の舞踊団と比較をされやすい形のインターナショナル・ダンスフェスティバルを継続していくことで、いったい何が変わっていくんだろうか。

(メイン画像撮影:井上佐由紀)

自分のためにもNoismのためにも、一日も早く国内に劇場専属舞踊団ができてほしい。

―日本で唯一の劇場専属舞踊団を束ねていらっしゃる金森さんに、どうご自身を高めているかお聞きしたくて。日本で唯一ということは、戦う相手やライバルがいない「無敵」な状態であるといえると思うんです。

金森:自分が一舞踊家としてやっていた若い頃は、負けたくない相手もライバルもたくさんいました。それこそ、海外から日本に帰ってきたときは、みんながライバルだと思っていましたし。

でも、Noismを立ち上げて劇場専属の舞踊団を統括する立場となった今は、正直ライバルと呼べる存在はいないかもしれません。

―今、同じ立場で切磋琢磨できる存在はいない?

金森:そうですね。日本では自分と同じようなフィールドで活動している舞踊団がありませんから。だけど、ライバルがいないことは良くない事ですよね。切磋琢磨し合えるライバルの存在は必要です。

だからこそ、自分のためにもNoismのためにも、一日も早く国内に劇場専属舞踊団ができてほしいと思っています。そうでなければ、自分で自分を批判して鼓舞して、続けていくのがしんどくて(笑)。

金森穣
金森穣

―それだけ特殊な立場ということでしょうか。

金森:そうですね。たまにNoismの活動への批判を耳にすることもあるのですが、「いやいや、じゃあこの状況でやってみたら?」って、どこか批判を批判として受け止められない自分がいるんです。でも、それではいけない。

今自分がいる環境と、一舞踊家だった時は、考えなきゃいけないことが違うんですよね。だからこそ、自分と同じように集団を抱えて、行政とのやりとりが必要なところで戦っている人たちと出会いたい。今は『NIDF』などを通じて、同じような立場で活動している世界の舞踊団から刺激を受けるしかないんですよね。

―世界の舞踊団からは刺激を受けても、ライバルとまではいい切れないのでしょうか?

金森:劇場専属舞踊団のあり方は、たとえばフランスにはフランスの現状と歴史がありますし、それを日本に無理やり押し込んでも無理ですよね。日本の歴史と現状に対して何ができるかと考えることが重要ですから、海外の舞踊団から刺激は受けるけれど、ライバルという感じではない気がしますね。もちろん、芸術家としてのライバルはたくさんいますよ。今言っているのはあくまでも、舞踊団として自治体や国の文化政策と関わる活動におけるライバルね。

金森穣

―比較できる存在があれば、自分の強みも弱みも知ることができますよね。若い頃はライバルがたくさんいたということですが、金森さんは、ライバルから受けた刺激をどのように力にしていったのでしょうか?

金森:「すごいな。綺麗だな」ってまずは感動しますよね。そして「なんでそんな踊りや作品ができるのかな」と、まずは相手に憧れに近い興味を持つんです。で、自分もそれだけ感動を与えたり、評価されたいと思いますよね。だって負けたくないから。そこからが勝負というか、どうしてもその人や方法を知りたくなる。それで自分でも試していく過程で自分のダメなところとか、強みみたいなものを見出していく。

―舞踊の世界にはライバルはいないということですが、たとえば異分野ではどうでしょう?

金森:演劇だと、鈴木忠志さん(演出家であり、1966年に劇団早稲田小劇場を設立し、寺山修司や唐十郎とともに小劇場運動を担った代表的な推進者)は、すごくおこがましいけれど、勝手にライバルだと思っています。

―鈴木忠志さんは演劇界の方ですが、1982年から富山県利賀村で世界的な演劇祭を開催し続けていますね。

金森:そう。でも演劇祭をやっているというのは鈴木さんの活動のたったひとつであって、もう語り出したらすごいことがたくさんあるんですよ。本当に尊敬しているし、鈴木さんには敵わないと思ってしまいますが、それでも「くっそー!」と思うわけです。

完全にはひれ伏したくなくて。そういう意味でライバルだと思っているんです。だから、鈴木さんに対しての興味なら誰にも負けないです。

金森穣

―何がきっかけで、鈴木さんをライバルだと思うようになったんでしょう?

金森:鈴木さんを知ったのは、自分がりゅーとぴあの舞踊部門芸術監督に就任して、Noismを立ち上げ、日本の劇場文化についていろいろ学んでいた2005年頃のことですね。そのとき鈴木さんは、静岡県の劇場で芸術監督をされていて、その作品、言動、全てに感動しましたね。それで鈴木さんについて調べまくるわけですよ。舞台を見に行ったり、本を読み漁ったりしてね。

そこでスズキ・トレーニング・メソッドの存在も知りました。演劇の世界でこれだけ身体と向き合い、独自の方法論を確立している。しかもそれを日本で、なおかつ世界的視座で実践している人がいる。これはもう衝撃だよね。で、当然自分も負けたくない。舞踊家としての理論と、訓練メソッドを確立しなければならない、と。それでNoismオリジナルのトレーニングメソッドを作り始めました。

次の世代やもっと大きな何かのために、与えられたチャンスを、いかに真摯にいかすか。

―コンテンポラリーの舞踊芸術で、オリジナルメソッドを持っている舞踊団は世界的にも珍しいのでは?

金森:そうですね。現代ではそもそも集団でトレーニングしている舞踊団が少ないですからね。だから3月に公演を行ったルーマニアのブカレストやシビウでも、Noismのメソッドに関心を持つ人が多かったです。

ただね、発端は鈴木さんとの出会いだったけど、今となったら集団を維持していくためには、皆が何らかの言語を共有する必要があるし、舞台上にある身体の集団的強度を考えたら、みんなでトレーニングをしていることがいかに重要かということに気づくわけ。そのためにはメソッドが必要なんだと。

それで舞台の質も上がり、観客に集団ならではの感動も与えられる。それがたとえ古い考え方だとしても、自分が感動したり、憧れたりするような先人たちはそこを踏まえている。だったらNoismでもそこを目指したい。だからこそ、朝から晩まで使える稽古場と、舞踊家たちの生活の保障が必要だと、劇場専属であることの理論が強化されて来るわけなんです。

金森穣

―独自のメソッドや方法を作り出すのは、なかなか大変なことですよね。

金森:そうですね。バレエとモダンダンス、あるいは西洋と東洋の舞踊の融合とか。それにメソッドの開発も劇場専属舞踊団の運営方針も前例がないわけですから。ただ逆にいうと、1からフォームを作れるわけですからやりがいはあるんですよ。そして、それこそが、これだけの環境を与えてもらった自分の責務だし、次の世代に残していけるものだと思うんです。

Noismメソッドを、次の世代がいかしていくもよし、批判して何か新しいものを立ち上げるもよし。劇場専属舞踊団の運営方針も、継承したり変更したりすればいい。ようは何か次の世代に影響を与えるものを作っていかなければならない。作品とは別に活動形態としてね。

―尊敬と負けたくないという思いから、次世代に残すべきものが生まれてくるんですね。

金森:次の世代やもっと大きな何かのために、自分に与えられたチャンスを、いかに真摯にいかすことができるか。恵まれただけの自分に負けたくないでしょう。だから、異分野であっても大きな志を持つ人を見つけて、「あの人がそうやってきたんだから、自分にももっと何かできるんじゃないか」と思い続けることが大切です。鈴木忠志さんのような偉大な方が、今も世界と戦い続けているんですから。

すごく漠然と、どこかで誰かは、同じ想いでやっていてほしいなと。

―次世代への継承の話が出ましたが、金森さんが次の世代のことを考えた時、バトンを渡す存在は想像できていますか?

金森:それがね、最近、目の前には出てこないんじゃないかと思ってるんです。自分はこれまで、先人たちに対する批判として、「なぜ死ぬまで全部自分一人でやってしまうんだ」って、「なんで生きている間に次の世代に渡さないんだ」と思っていた。

でも最近は、「渡せる人がいなかったんだな」と素直に思えるようになってきたんです。自分がこの人になら渡せるという人に出会えたら本望ですが、みんながみんなそういう後継者に出会えるわけではないんですよね。

―奇跡みたいな話なんですね。

金森:人もタイミングも渡し方にも正解はないし、ただ渡せばいいわけでもないですからね。それでも、直接バトンを渡せなくても、自分が鈴木忠志さんを「師匠」だと思って勝手にいろんなものを受け取っているように、違うジャンルの人でも、自分の活動から何かを受け取ってくれたら、それもひとつのバトンですよね。

金森穣

―どこかでつながることを信じていれば。

金森:そうですね。今、自分たちが新潟でやっているこの活動から、将来どこかで誰かが影響を受けるかもしれない。自分たちが知らないだけで、今だって同じような想いで活動している人がいるかもしれない。だから、いずれそういう人と出会った時に、自分が培ってきたものを「これを、ぜひ使ってください」と受け継げるように、この人生とエネルギーをかけていきたい。

―今回、『NIDF』参加作品で東アジアツアーにも出られるNoismの『NINA—物質化する生け贄』には、井関佐和子さん(Noism副芸術監督で金森さんのパートナー)は出演されないとか。佐和子さんにとっては、今まさに自分が培ってきたものを次の世代に渡すタイミングですね。

金森:そうですね。彼女が舞踊家として次の世代に渡せるものは非常に大きい。とくに『NINA』は舞踊家にとってかなりハードな作品です。この作品では、プロの舞踊家とはどうあるべきかを考えて、極限の集中力、絶対的強度のある身体性を追い求めて、それを方法論化しました。今あるメソッドの原型もこの『NINA』から生まれていますし、その最初から佐和子は経験していますから。

―Noism初期の代表作といわれていますし、若手にとっては試される機会になりますね。

金森:『NINA』を踊って初めてNoismメンバーといわれるほどの作品ですからね。それに、歴代の先輩が踊ってきた演目を踊ることほど、若手が成長するのに適した経験はないですからね。若手は今日も佐和子にビシバシと稽古をつけてもらっているでしょうね(笑)。

一人の舞踊家が何度もひとつの作品を踊る中で見出した精神的、肉体的な世界があって、それを次の世代に受け継いでいく。そしてまたその子が10年踊ることで何かを見出し、後世に受け継いでいく。そういう身体知を生み出していくことが、劇場文化の成熟にとっては必要なんです。そしてそれが世界に発信される、日本の財産にもなるわけですからね。

Noism『NINA—物質化する生け贄』photo:Kishin Shinoyama
Noism『NINA—物質化する生け贄』photo:Kishin Shinoyama

―7年ぶりの再演ですが、ひとつの作品を再演し続けることも大事にされているとか。

金森:武道家が同じ型を延々とやるように、舞踊家にとっても、ひとつの作品を繰り返し踊ることで見出せるものがある。それは技術的なことじゃなくて、継続的鍛錬や繰り返しの実演で養われる精神性なんです。その精神性を通じて、人が生きること、あるいは踊るということの本質を身体で理解していく。そしてそれを思想的なレベルにまで深めて、他者に表現していこうと思ったら、やっぱり続けていかなくてはならないんです。

国際交流は、価値観の違いに気がついて刺激を得ることにつきます。

―金森さんが『NIDF』のような国際的な舞台を必要とされるのは、留学の経験も影響しているのかなと、想像します。

金森:自分にはない価値判断をする人がいれば、「どっからそれがきているんだろう」と、興味が湧きますよね。そしてその内実を知ると刺激になりますよね。たとえばすぐ隣の国といっても、韓国で育ち、韓国でずっと踊ってきた舞踊家の価値観は、日本で踊ってきた日本人と違います。もちろん西洋で踊ってきた自分とも違う。だから国際交流は、価値観の違い、その多様性に気がついて刺激を得ることにつきますよね。

―金森さん自身、留学時代には価値観のぶつかり合いがありましたか?

金森:まだ考え方が定まらない17歳の時に留学しているから、ぶつかり合いというよりも、向こうの価値観に押しつぶされたよね。その衝撃が強すぎて、そのことが自分にどれだけ影響しているか、今でも自分では説明できないんです。ただひとつ言えることは、あの経験が今の自分の価値観を形作っているということでしょうね。

海外では、それまでの17年間で培ってきたものは何も使えないし、誰も助けてくれません。言葉が通じないからコミュニケーションはとれないし、恥ずかしいし、怖い。あらゆるネガティブな感情に飲み込まれる。そこで自分でひとつずつ壁にぶち当たってやっていくしかないんです。とくに当時は、今のようにインターネットもメールも普及していなかった。本当に孤独ですよね。

金森穣

―やはり、17歳での留学はすごい経験ですよね。

金森:貴重でしたね。それでこの経験があるから、人生に行き詰まったりして、「もう無理」と思う人の気持ちが少しはわかると思っています。ただね、わかるからこそ突き放しもしちゃう。死ぬかゼロでいくしかないだろうと。自分は「生きたいならゼロになれ」としかいえない。

―全部一回、捨てちゃえばいいのに、と?

金森:3か月ぐらい、自分をゼロにしてとにかく死に物狂いでいろんなものにぶち当たっていると、少しずつ自分と呼ばれる何かが出来上がってくる。そして自分に何ができるかがわかってくるんです。そしたら、自分が自由なんだってこともわかってきた。全ては自分の捉え方だし、他人は関係ないと思えたら、あとはすごく強いよね。

徐々に周りが評価してくれるようになってきて、成功体験ができたわけです。それからは、いろんな国にぽんぽん移りました。ひとつの場所に2~3年もいると、その場所でどうやったら生きていけるかわかるし、金森穣はこういう人ですということも理解されて、友達もできる。

で、つまらなくなって、また次に移ってゼロになるってことを、転々とやって10年。それから日本に帰ってきて、Noismができてからは14年。自分にとって同じ環境でこれだけ続けていくことって初めてだし、きついんだよ(笑)。

―「ゼロになりたい」欲はまだありそうですね(笑)。14年間同じ場所でNoismを続けてきて、何か発見はありましたか?

金森:もちろんあるけど、自分だけのことなら、3年で辞めてますね。だけどNoismができた瞬間から、自分だけの問題ではなくなっている。自分が辞めたらNoismはなくなってしまう。誰も頼んでいるわけじゃないんだから、何を勝手に背負っているんだっていう話かもしれないけど(笑)。ただ、どんな場所であっても、自分は安住したら終わりだと思っているので、いつでも「辞められる」、常に「背水の陣」とは思っています。

金森穣

―Noismがあるかないかは、「日本で唯一」なのか、「日本で皆無」なのか、になる。Noismの存在があるかないかで、状況はだいぶ違いますよね。

金森:14年続けてみて、土地に愛着を持つ喜びとか、舞踊とは関係がないところでも友人はできるんだなとか、新潟に来て初めて得た人生経験もあります。舞踊に関しても、同じ稽古場で同じ舞踊家たちとこれだけ向き合うからこそ、見出せていることがある。メソッドなんて3年では開発できなかったし、『NIDF』だって12年かかったしね。

Noism以外の舞踊を観て比較することで、もっとNoismのこともわかってもらえると思う。

―『NIDF』は新潟におけるNoismのような、地域に根ざして行政とも共に歩んでいるプロフェッショナルな舞踊団を招聘するという、コンセプトがとてもはっきりとしたフェスティバルですね。

『NIDF2017』メインビジュアル
『NIDF2017』メインビジュアル(オフィシャルサイトを見る

金森:そうですね。今回もお招きしている大邱市立舞踊団のホン・スンヨプさんは、前回の『NIDF』に刺激を受けてくれたようで、韓国の大邱市でも、ダンスフェスティバルを立ち上げました。作品自体は多種多様なので比較できませんが、舞踊家の身体性やカンパニーとしての集団性も含めて、観てくださるお客さんには、Noismと相互に比較してもらいたいですね。

大邱市立舞踊団(韓国)『Mosaic』 photo:Lee Gyeongyun
大邱市立舞踊団(韓国)『Mosaic』 photo:Lee Gyeongyun

大邱市立舞踊団(韓国)『Mosaic』 photo:Lee Gyeongyun
大邱市立舞踊団(韓国)『Mosaic』 photo:Lee Gyeongyun

―劇場専属舞踊団が互いに刺激を受け合う場になっているところが、素晴らしいなと。

金森:前回はお招きして、我々のいる新潟の環境を見てもらう側だったのですが、秋にはそれぞれが活動する拠点でNoismが公演(東アジアツアー)することになっているので、その機会にまた感じることがありそうです。今回お招きするT.H.Eダンスカンパニーのクイック・スィ・ブンさんは、ヨーロッパの一流舞踊団でそのカンパニー初のアジア人男性プリンシパルを務めていた経験があり、自分の経験とも重なる部分があるので、また新たな刺激を受けるのではと期待しています。

T.H.Eダンスカンパニー(シンガポール)『As It Fades』
T.H.Eダンスカンパニー(シンガポール)『As It Fades』

T.H.Eダンスカンパニー(シンガポール)『As It Fades』
T.H.Eダンスカンパニー(シンガポール)『As It Fades』

―新潟のNoismファンにとっても、舞踊の鑑賞機会が増えますね。

金森:Noismのファンの方はNoismの公演しか観ない方も少なくないんですよ。だから『NIDF』を通じてNoism以外の舞踊を観て比較することで、もっとNoismの何が独自なのかもわかってもらえたらと思います。これも、新潟にはNoismという日本で唯一の舞踊団があるからこそできる比較ですよね。

劇場にお客さんがつかなければ、劇場文化は成熟していかない。前回の『NIDF』は、思ったように集客が伸びず、ホストとしては苦い経験でした。一方で、Noismファンのなかにも「他の舞踊団の公演、面白かったんだよ」と言ってくれる方もいて。そこから舞踊芸術自体に興味を持って、今回の『NIDF』では全ての公演を観に行ってくれたら、この上ない喜びですよね。

金森穣

―そういった嬉しい声が、今回の『NIDF』に響いてくることを期待しています。

金森:前回は、手弁当だったので宣伝も十分にできませんでした。ただ、無理してでも『NIDF』 を開催したことで、今回は新潟市と新潟のアーツカウンシルが実行委員会を立ち上げて、文化政策として実施してくれることになったので、非常にうれしいですね。じつは今回自分は、改めて芸術監督に選出されたんです(笑)。

だから今回から『NIDF』は新潟市の事業なんです。将来的にたとえ芸術監督に別の人が選ばれても、新潟市の文化政策として成果をあげるフェスティバルになればそれでいい。それはNoismに対してもいえることです。でも、誰がやるにせよ、成果をあげられなくなったら、言いたい事が出てきちゃうのかな(笑)。何を成果とするかだけどね。

自分たちが絶対だというのが、絶対ではないというのを知るためには、やっぱり動かなければ。

―観客からの反応は、やっぱり気にされるんですか?

金森:これまでNoismは、海外でかなりの高評価をいただいています。海外では観客の反応がわかりやすいから、欧州でやってきた自分には当たり前でも、日本の舞踊家たちには刺激だし、その反応を糧にしやすい。だから日本でもときどき、熱くわかりやすい反応が欲しくなる時があるんですよね。創作する、表現するって不安なことだし、「ああ、間違ってなかったんだ」って時折実感したい。信じてはいても、静まり返った舞台上で踊り続けるのはやはり孤独なので、辛くなることもありますよね。

金森穣

―芸術をやり続けること自体が、どこに拠っていけばいいか、わからないところもあるかと。

金森:そうですね。たとえば行政に対しても、舞踊芸術や劇場専属舞踊団の価値を言語化して理解してもらっているわけで、ある意味では言葉が先に来るわけですよ。「これをやって見せます」ってね。自分で自分を疑って、それでもなお自分を信じて、できると宣言して、全身でぶつかっていくしかない。怪我しながらね。

それで、自分がこれだけ主張して、これだけの環境を得て続けているものが、果たして世界に受け入れられるかと。常に自問自答しながら活動しているから、お客さんの声援をいただいて、自分のやっていることの価値が立証される瞬間はやっぱり嬉しいし、もっと頑張ろうと思う。そこから行政も、もっと支援しようとか、何かできることはないかとか動いてくれるようになる。

―むしろ世界の文脈で評価されて、はじめて認められるんだと。

金森:そう。とくに日本の場合は、評価の基準が外部にあるから。もちろんサークル内で褒めたり褒められたりしていることが目標ならいいけれど、それで行政は動かないですよ。劇場文化の成熟には、行政の理解が不可欠だし、今のNoismだって金森がやりたいことをやっているというより、劇場を運営する財団が理解してくれたことをやっているわけだからね。

自分が若い頃にヨーロッパで経験してきて、新潟でもできると思っていることや、Noismがすでに持っている可能性はまだ完全に発揮できていない。もっと活動が評価され、海外のいろんな場所で公演したり、もっと多くの海外の舞踊団を新潟に招いたりできるようになって、7割ぐらいできるようになるんじゃないかな。

金森穣

―世界の多くの舞踊団と比較されるなかで、Noismの価値がもっと発見されたり、磨かれていく機会を増やすことは、芸術の価値を伝えることにつながると思います。

金森:今はどこのフェスティバルでも、相互交流の時代なんです。どこも経済的に困窮しているし、グローバル化がここまで進んでくると、招いたら招かれてという、ギブアンドテイクにならざるを得ない。

Noismが海外のフェスティバルに招かれた時に、そこでいろんな人と出会って話をしますよね。そこで作品上演以上の何か、たとえばメソッドを教えたり、次は新潟にお招きできたりするようなプラットフォームがあれば、もっと交流ができます。

今回の『NIDF』でも招聘した各舞踊団の芸術監督が直々に、16歳以上の子たちを対象にワークショップをしてくれることになっています。こういう機会は新潟で舞踊に携わっている人たちの財産になるし、ワークショップで気に入られたら、その子はそこの舞踊団に入れる可能性があるかもしれない。

―『NIDF』は、そうしたプラットフォームになっていくんですね。

金森:そうなって欲しいですね。『NIDF』を継続していき、アジアだけではなく世界から、一流の舞踊団を新潟に集められるようになるのが目標です。

そうしたらもっと自分たちのいたらなさを痛感できて、もっと多様なあり方を学べて、より質の高い作品が生み出せて、より成熟した劇場文化を生み出せると思うから。今はまだ、はじめですよ。

イベント情報
『NIDF2017―新潟インターナショナルダンスフェスティバル2017』

2017年9月26日(火)~12月17日(日)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館

大邱市立舞踊団
『Mosaic』『Bolero』

2017年9月29日(金)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
振付:ホン・スンヨプ
出演:大邱市立舞踊団

T.H.Eダンスカンパニー
『As It Fades』

2017年10月8日(日)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
振付:クイック・スィ・ブン

城市当代舞踊団
『Amidst the Wind』

2017年10月15日(日)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
振付:ウィリー・ツァオ、ヘレン・ライ、サン・ジジア、ドミニク・ウォン、ノエル・ポン

Noism1
『NINA-物質化する生け贄』

2017年12月15日(金)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
演出・振付:金森穣
出演:Noism1

国際シンポジウム
『アジアにおける劇場文化の未来』

2017年12月17日(日)
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
登壇:
ホン・スンヨプ(大邱市立舞踊団)
クイック・スィ・ブン(T.H.Eダンスカンパニー)
ウィリー・ツァオ(城市当代舞踊団)
金森穣(Noism)
料金:無料

プロフィール
金森穣 (かなもり じょう)

演出振付家、舞踊家。りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督、Noism芸術監督。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で舞踊家・演出振付家として活躍後帰国。2004年4月、日本初の劇場専属舞踊団Noismを立ち上げる。2014年より新潟市文化創造アドバイザーに就任。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞ほか受賞歴多数。



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