東京で揺れる演出家・関美能留。エラーに寛容な世の中になれ

誰の人生にも挫折はあるが、千葉を拠点に演劇を続けてきた演出家・関美能留にも挫折があった。

『利賀演出家コンクール最優秀演出家賞』(2001年)、『千葉市芸術文化新人賞』(2005年)など、気鋭の演出家として注目を浴びつつ、劇団「三条会」を続けてきたものの、ここ10年は、専用アトリエからの退去、俳優の退団などが重なり、現在は千葉を離れ、東京で暮らしている。すっぱり演劇を辞めたわけではなかったが、それでも小さくない変化があったはずだ。

それから10年、久しぶりに関と三条会は千葉で公演を行う。いくつかの転機を経験した関にとって、千葉という街、千葉で行う演劇はどんな意味を持っているのだろうか。上演を間近に控えた彼に話を聞いた。

東京から千葉に人を呼べるくらい面白い作品を、というモチベーションだった。

―関さんは埼玉生まれとのことですが、大学で千葉に移住されたんですよね。しかも千葉大学の園芸科に入学されたと。

:演劇もそうなんですけど、おおむねは自分の浅はかさとトライ&エラーのためにいろいろやってきたというか(苦笑)。

千葉を選んだのは一人暮らしをするためで、東京の大学だと実家から通うことになりそうとか、園芸科に入ったのもずっと男子校だったから女子のいそうなところ……くらいの動機で。そんな意識で入ったので、やっぱり中退しちゃいましたよね。

―ははは(笑)。

:もっと勉強を楽しめたらよかったんですけどね。友だちもできないし孤独感もあって。でも演劇サークルにはずっと通っていて、中退した後も25歳くらいまで出入りしていたんです。

謎のOBがいるわけで、後輩からしたら本当に迷惑だったと思います。モラトリアム期間ですよ。適当に本とか読んで「俺はなにをしたいんだろう?」とぐちぐち悩む。

関美能留

―でも、そこから三条会に至る演劇のつながりが生まれたわけですよね。

:高校生ぐらいのときから当時の小劇場ブームには興味があって、面白いなと思っていたんです。それでやっと25歳くらいのときに「劇団をやりたいんだ! 劇団やろうぜ!」と宣言したら、「やろう」と言ってくれる後輩たちにたまたま恵まれて。

―それで千葉を拠点に演劇活動をはじめる。

:そうですね。普通だったら東京でやろう! って感じでしょうけど、ぼくも後輩たちも「東京に出てなにかやるのは怖い」と思っちゃったんですよね。

かといって千葉で小劇場系の演劇をやろうにも、身の丈に合った劇場もないし観客もいない。でも競合がいないってことは、特別な位置に自分たちが立てるんじゃないかと思っちゃったんですよね。そこも浅はかでした(笑)。

―「東京怖い」っていうのはわかります。なんとなくおっかないんですよね。

:これは言い過ぎかもしれないけど、千葉大学に入学する人って、ぼくみたいに東京は怖いけど東京周辺にはいたい、地方の出身者が多い気がするんですよ。上京はしたけれど、東京そのものは避けて千葉、みたいな。ただ、そのぶん多様で面白い人たちがいますよ。

―千葉で劇団をはじめてみてどうでしたか?

:「本当に観客がいない!」ってびっくりしました(笑)。でも、そもそものモチベーションが東京から千葉に人を呼べるくらい面白い作品を上演しよう、というものだったから、東京ではなかなかできないような野外劇を上演したりしていました。自分たちらしく、マイペースに活動するには千葉が合っていた、ということだと思います。

常にトライ&エラーを楽しみたいけど、エラーだけを拡大して見られるのは窮屈。

―過去のインタビューを拝見すると、マイペースに活動していきたいという意識はかなり初期からあったのだと感じました。一般的な演劇のつくり方、興行的なあり方には安易に乗らないぞ、というような。

:人がやってないことをやりたい、という野心はあるんですよ。面白い作品をつくっている、という自負もある。でも、あまり注目されすぎるのもちょっと怖い。贅沢な話かもしれないですが、ほどほどがいいんです。

たとえば、最近の三条会の公演では、犬(関さんの愛犬・トキコ)を俳優として出演させているのですが、これも注目されすぎたらいろいろ怖い。動物愛護の方とか、作品を見てない方がクレームつけてきたらどうしよう、とか。

常に作品では新しいことにトライ&エラーしていきたいけど、エラーだけを拡大して見られるのは窮屈だし、エラーも楽しんでいただきたいなという気持ちでつくっているので。

関さんの愛犬・トキコ

―1960~70年代にアングラ演劇ブームをつくった唐十郎さんたちだと、野外上演を強行して警察と衝突して検挙者多数、みたいなのが武勇伝・伝説として残っていますよね。

:そういう目立ちすぎるのは、ぼくは怖いし、苦手なんですね。「出演者に犬がいます」とか「三島由紀夫の『近代能楽集』を8本全部上演します」とか、意外に誰もやっていないことにチャレンジしているけど、そこをことさら主張したいわけではない、というスタンスです。

数年前に亡くなった危口統之くん(劇団・悪魔のしるし主宰。建築的な知見を活かした作品を多数発表した。2017年に逝去)から「関さんの作品は品がいい、品がいい」とずっと言われていたのですが、それはちょっと呪いの言葉っぽくなっていますね。

自己評価として「品がいい」とは思っていませんが、要はガツガツしてないってことなのかなと。だから、ますますマイペースにのんびり活動したほうがいいのかな、という気分になってますね。

―でも千葉の土地柄や文化環境も「のんびり」を許してくれるような気がします。

:そうですね。千葉の人たちって、そんなに千葉へのこだわりがないと思うんです。千葉のことが誉められたら嬉しいけど、悪く言われてもそんなに怒る人はいない気がします。生活都市ですから、交通や買い物の便もよいですし、不満もそんなにない。心の余裕をほどほどに持てる県なんです。

ぼくは最近髪を長く伸ばしていますけど、東京だとこんな人はいっぱいいるじゃないですか。いっぽう田舎すぎると目立ちすぎちゃう。でも千葉だと目立ち過ぎず、かといって街に溶け込むわけでもない、芸術家としてほどよく意識してもらえつつ、静かに生活もできるんです。

演劇なんだから、その場で起きたことだけで終わりでいいんじゃないの、って思うんですよ。

―そんな千葉生活を離れて、10年前から東京に移住されました。

:東京といっても、千葉県から江戸川を挟んですぐのところですからねえ。いまだに千葉と東京の間で揺れている感じです(苦笑)。

たまたまですが10年くらい前に転機があって。千葉のアトリエを出ざるを得なくなってしまったり、メンバーの脱退などもあって、一時的に三条会の活動も不定期になってしまったんです。

それと同時に結婚のタイミングもあって、妻が神奈川の大学で教えているので、じゃあ千葉と神奈川のあいだに住もうという消極的な理由でこの場所に。

―成り行きに身を任せつつ。ですが、劇団の体勢も変わり、生活的にも大きな変化ですよね。

:この10年間、演劇界の状況も含め、世の中もいろいろ変わってきましたよね。ジェンダーにしてもパワハラ問題にしても。その変化はとてもいいことだと思いますが、それに自分が対応できているとも思えないんですよ。

「こんな作品をつくったら面白いかもなあ」とはずっと考えてますけど、社会にコミットできているかといえばまったく……。でも怖さは増した気がしますね。なんかやったら怒られるかもしれない怖さは感じます。

―時代のトレンドやテーマに貪欲に乗っていく、あるいはそれを踏まえて新しいスタイル、立ち位置を獲得していくタイプのつくり手の人って少なからずいると思うんです。それはアーティストに限らず、製作者や企画者にも。でも、そういう競争原理のなかでガンガンやってきた人ほど、いまの状況は怖いんじゃないかと思うんですよね。過去の自分に怯えるというか。

:ぼくの場合は、もともとすべてが怖いので(苦笑)。そのときの流行があるのはわかっても、なんでそれが流行ってるのか全然わからずにここまで来ましたから。作品の感想がTwitterに書かれるような状況にもまったく対応できてないんです。

―インターネット全盛の時代にも関わらず、三条会は過去の作品映像も上演写真もほとんど残っていないですよね。

:そこはちょっとした反骨心があるかも。コロナ禍になって、ほとんどの劇団が映像を配信してますよね。ぼくも公演後に「関さんは配信しないの?」って流行のノリで言われちゃうんですけど、演劇なんだからその場で起きたことだけで終わりでいいんじゃないの、って思うんですよ。

作品として、自分たちやお客さんの記憶に残っているけれど、記録としてはさっぱりなくしちゃったほうが、演劇はいろいろ面白いことができるんじゃないでしょうか。

他の仕事をしたり、誰かに食べさせてもらったり、生活ギリギリで演劇をやってもいい。

―関さんの演劇観に興味があります。たとえば岡山県で長く市民演劇の講師をやってらっしゃいましたが、2年連続で出演者にはなれないというルールを採用しています。俳優として出演しなくても、観客として作品を見る経験が積み重なって自分の演劇的経験ができあがっていくんだ、という考えがあるそうですね。

:まず自分の話になってしまうのですが、演劇の世界で生きていると、助成金を得て活動するとか、商業的に成功するとかして演劇で定期的に収入を得ていないと、アマチュアだと思われがちなんですよね。

でも、ぼくは他の仕事をしたり、誰かに食べさせてもらったりして、生活ギリギリで演劇をやってもいいじゃないかと思ってて。そもそも、ぼくが演劇でお金を得ることに向いてないって話ではあるんですけど。

―お金を稼ぐことイコール「プロ」ではないんじゃないかと。

:そう考えると市民演劇の講師をやりつつも、いわゆる市民によるアマチュア演劇と自分の作品はなにが違うんだろう? とも思うんですよ。

ただ大きく違う点として、アマチュアの人たちは自分たちでつくった劇を友だちや家族に見せて終わりにしちゃう感じがあるけど、ぼくは東京でも海外でも、機会があればどこでも作品を上演したいって思うんです。

アマチュアの作品であっても、演劇にとって限られた人しか見ないっていうのはマイナスだと思うので、「見ず知らずの人が観に来るかもね」という意識でつくったほうが面白いよ、ってことは伝えたくて活動してます。

―インタビューでおっしゃっていた、「演劇をとおして自分という『きぐるみ』に気づく」という言葉も面白いです。

:演劇・演技っていうと、どうしてもテレビドラマっぽいイメージで捉えちゃう人が多いんです。つまり、日常生活から切り離れた非日常のものとしての演技。でも本当はそうじゃなくて、まず自分の日常があり、その延長として演技があるはずなんです。

―役という特別な「きぐるみ」をまとうために演劇があるのではなく、自分が普段からまとっている「きぐるみ」に気づくことも演劇の醍醐味であると。

:演技をとおして、「自分ならこうしないな」って気づくことも日常の延長線上にあるわけですし、それを知るために演劇はあるとも思いますしね。

―2.5次元演劇やInstagramなど、最近流行している文化事象って、どちらかというと自分とはまったく違うキャラクターになれることを推してる感じがします。現実は耐え難く、そこから逃げるための手段としての演劇的なものというか。

:危口くんの話をまたしちゃいますけど、彼は『わが父、ジャコメッティ』(2014年)という作品をご両親とつくっていましたよね。

ちょうど同じ時期に、ぼくは『わが町』という家族ものの市民劇を演出していたんですけど、他人同士が家族を演じていることに違和感を感じていて。ストーリーのなかでは家族愛が描かれているけれど、父親役も母親役も全員他人で、嘘つきの集まりにしか思えなかったんですよね。危口くんの『わが父、ジャコメッティ』は、本物の家族が出ていて、すごくうらやましかった。

―たしかに。

:何らかの方法で戯曲を裏切って、戯曲に支配されない演劇をつくりたいとは思っていて。戯曲の面白さが5だとしたら、演出で7や8にしたい気持ちはいつもあります。トライ&エラーが行き過ぎて3とか2になってしまうこともありますけどね(苦笑)。『わが父、ジャコメッティ』もいつか演出してみたいです。

「多様性」よりも「多面的」であることに寛容な世の中であってほしい。

―そもそも三条会は「三島由紀夫戯曲を上演する会」としてスタートしましたが、関さんが演出にこだわる理由がわかった気がします。今回参加される『千の葉の芸術祭』についてお聞きします。関さんは、小学生のためのワークショップと三条会の特別公演の2つに関わられていますね。

:「ひさびさに千葉でやれてうれしい」と、喜んでお受けしました(笑)。

三条会『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』

―特別公演は清水邦夫(1936~2021)の戯曲『楽屋』の演出ですが、一日限りの上演というのも特徴的です。

:小学生向けのワークショップでは、学校を題材にした演劇をつくろうと思ったんです。きぐるみの話みたいに、学校での過ごし方が演技の延長としてあるんだよ、ってことをワークショップで伝えようと。

そうなると三条会で上演する作品も、俳優が俳優としてある話がいいな、ってことで『楽屋』にしました。それから『千の葉の芸術祭』のテーマが写真や記憶でもあるので、そこともつながるものにしたいなと。

―ワークショップに参加した子どもたちも『楽屋』を観るはずで、自分たちは学校生活の延長で演劇をしたけれど、大人の俳優たちは俳優生活の延長として『楽屋』をやるんだなって感じることになるわけですね。

:そうです、そうです。上手なつなげ方かはわからないですけど、いずれも当事者に関係する世界を演劇にしたいと思っています。ワークショップを主宰した大人たちが「どうだい? 俺たちプロは違うだろう」みたいなのを見せてもしょうがないですし。

三条会『楽屋』ゲネプロより

―やはりそこが関さんの考える演劇のポイントだという気がします。インタビューも終盤なのであえて大きなことをうかがいますが、関さんにとって「演劇でやるべきこと」ってなんでしょうか?

:ことさらに大きな声で言ってしまうと、それを拒絶する人も現れるのでイヤなんですが、ぼくは稽古も含めてトライして、エラーして、っていう作品づくりが好きなんですね。

いまはエラーに対してめちゃくちゃ厳しい不寛容な世の中ですけど、もうちょっと自分事の延長で考えて、寛容であってほしい。最近は「多様性」って言葉がやたら使われますが、それよりも「多面的」であることに対して寛容な世の中であってほしいです。

たぶん学校では、子どもたちがいろいろな多面性を見せているだろうし、俳優というものにも多面性があるし、千葉のなかにある多面性も見てみたい。コロナ禍だって多面的なものだと思います。

―多様性って大事な概念ですけど、無数に存在する個のなかには一つの人格しかないように錯覚してしまうこともありますね。いっぽう多面性という言葉には、一人の人格のなかにぱたぱたと折り畳まれた無数の表情、アイデンティティーを想起させます。

:10年前にアトリエを閉めて、挫折を感じながら千葉を離れました。千葉にいたときはここで芸術活動をやろうなんて人間は自分以外にいないと思ってましたけど、離れてみると面白そうなことをやってる人がけっこういることに気づくんですよね。

そして離れた結果として、『千の葉の芸術祭』に誘われるようになったりする。それも多面性みたいなことなのかなあ、って思ったりしていますね。

イベント情報
『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』

2021年8月8日(日)16:00開演
会場:千葉県 千葉市生涯学習センター2階 ホール

作:清水邦夫
演出:関美能留
出演:
大倉マヤ
大谷ひかる
立崎真紀子
伊藤紫央里
照明:加藤悦子
イメージ画:ふるやまなつみ

プロフィール
関美能留 (せき みのる)

三条会主宰・演出。千葉大学在学中に演劇活動を開始し、1997年に三条会を結成、以後すべての作品の構成・演出をおこなう。演出作に武田泰淳『ひかりごけ』、三島由紀夫『近代能楽集』『サド侯爵夫人』、エウリピデス『メディア』、寺山修司『レミング』、唐十郎『秘密の花園』、前田司郎『いやむしろわすれて草』、シェイクスピア『ヴェニスの商人』、曲亭馬琴『八犬伝』、平田オリザ『S高原から』、スウィフト『ガリバー 旅行記』(以上三条会)、ザ・スズナリ開場30周年記念公演『うお傳説』、いわき総合高校第15期生アトリエ公演『失われた時を与えて』などがある。2001年、第2回利賀演出家コンクール最優秀演出家賞、2005年、第3回千葉市芸術文化新人賞受賞。

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